ビルの映画を見て改めて 感じたこと
ビルの映画を見て改めて 感じたこと

ビル・カニンガム&ニューヨーク 街と仕事に恋した男の喜び

ファッション好きな、おじいちゃま ビルの映画を見て思う事

個人的な話であるが、服を作ってプロ集団で作られて行くファッションに
少々飽食気味の僕に、改めてストリートスナップのリアリティーと、
クオリティー、楽しさを教えてくれた教科書的映画であった。


原題:Bill Cunningham, New York
監督:リチャード・プレス
2010/アメリカ


この映画は、ニューヨーク・タイムズ紙の人気ファッションコラム“ON THE STREET"
と社交コラム“EVENING HOURS"を担当する名物フォトグラファー、
ビル・カニンガムを追ったドキュメンタリー映画?=フィクション映画である。

ニューヨークのストリートでファッションを撮り続けて50年。
あのアナ・ウインター(アメリカ版ヴォーグ編集長)に「We all get dressed for Bill.」
と言わしめたほどの人物である。

それが、親しい業界人でさえプライベートをほとんど知らないビル・カニンガムに、
8年がかりで撮影を交渉して完成した映画『ビル・カニンガム&ニューヨーク』である。



Profile

ビル・カニンガムとは・・・ 1928年生まれ。1948年ハーバード大学を中退、
その後ニューヨークへ渡り広告業界に就職。その後、“William J.”のブランド名で
帽子作りを始め、カーネギー・ホールのスタジオに帽子サロンを開く。一時兵役に
召集されるが、その後またニューヨークに戻り、シカゴ・トリビューン紙で
ファッションに関する記事を書き始める。
アズディンアライアやジャン・ポール・ゴルティエといったブランドを
アメリカに紹介するのに一役買い、ファッション・ジャーナリズムに影響を与えた。
ある日、伝説の大女優グレタ・ガルボの姿を偶然ストリートで撮影したことが
きっかけで、一連のスナップ写真を1978年12月ニューヨーク・タイムズ紙で発表し、
注目を集める。
その鋭いセンスと独自の着眼点が、米ヴォーグ誌編集長アナ・ウィンターをはじめ
世界中のファッション・ピープルから注目され、84歳の現在でも現役ファッション・
フォトグラファーとして影響を与え続けている存在である。

『ビル・カニンガム&ニューヨーク』公式サイト http://www.bcny.jp/



パリではよく見かける、清掃人の着るブルーの上っ張り、壊れかけたバッグを
斜めにかけ、ニューヨークを自転車で走り廻(まわ)って“お洒落(しゃれ)”と“
流行”を撮り続ける
カメラマンがビル・カニンガムだ。


The New York Times and First Thought Films.
NYタイムズ紙で人気のファッション・コラムと社交コラムを長らく担当、
現在84歳を越えた現役のファッションフォトグラファーであり、
カメラマンである。


彼の日々に密着するドキュメンタリーは、撮影対象を選び、彼流の流行を
掴(つか)みとる感性とメカニズムを見極めようとするために、
日々行動し新しいスタイルを探し。カメラに収める事を淡々と続ける
姿を追っている映画なのだ。



完成までに10年。そのうち8年は映画を撮らせてもらう交渉に費やした、
という苦労をへて監督デビュー作を完成させたリチャード・プレスは、
ニューヨークという街中でストリートファッションに恋した男の“生きる喜び”を
写した映画なのです。



彼は、街を歩く人々が身にまとう鎧が語りかけてくるのを待つんだ」、とビルは言うが、
映画『プラダを着た悪魔』のファッションとは違い、彼自身の日常生活には
全く無頓着である。
狭いワンルームですべてを手許に置きネガに埋もれ、
食事はチープなハンバーガーのみなのです。
パリ・コレの取材に行けば、バゲットのハム・サンド。
これは僕の好物でもありParisではジャンボンなどと呼ばれているサンドイッチだ。



とにかく瞬時に興味のあるファッションに身を包んだ対象人だけを撮る。
ストリート編集長のモデルで知られる、VOGUE誌編集長アナ・ウィンターは       
「ファッション・ショーでもストリートでも皆が同じものを見ているはずなのに彼は違う。
そして彼の目がとらえたものは半年後には“必ず流行”になっている」と言う。          
コメントを寄せるのはビルが心を許す人々だが、
彼の本当の私生活をほとんど皆知らない。



映画では、お洒落に命をかけ、ビルに撮られることを切望する人間と、
自己に忠実で妥協のない彼の拒絶も切り取りながら、そこにあるのが
遠い昔の少年のままの好奇心溢れる眼差しであることを気づかせてくれる。
このドキュメンタリーは彼が全てのディレクションしているはず、

それがとても気持ち良い流れにまとめられている為、
あっという間に映画はファッション・ショーのごとく、サラッとあっけなく
終わってしまうのだがとても心地が良い余韻が残る映画であった。

写真家のビル・カニンガムは、とても80歳すぎのお爺さんは見えない。

パリで買ったブルーの作業着のスモックをはおり、ニューヨークの町を、
ダサい自転車で駆け抜ける。その自転車で、ニューヨーク・タイムズ社に到着。
それがとてもオシャレなのだ。



多くのポジから掲載する写真を自ら選ぶ。雨降りに着るポンチョは安物で、
破れたらガムテープで修繕する。
「ニューヨーカーは物を粗末にし過ぎる」と語っていた。



ビルの信条は3つある。まずは第一にコレクションを撮る。次に、
街の女性の自腹のファッションは話す。
最後夜に、パーティに出席する。このすべてを見なければ、
レポートはできない、とビルは語る。
「重要なのは感想じゃない。見たものを伝えることだと」



愛用のカメラはニコン。見ている限りではデジタルは使わずフィルムのみを使用。
有名無名を問わず、これぞと思った服装をした人を撮る。撮った写真は、
ニューヨーク・タイムズ紙に、コラム原稿と共に掲載される。



このドキュメンタリー映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」は、写真家として高名な
ビル・カニンガムの、50年になろうとする仕事ぶりや、あまり知られていない生い立ち、
普段の日常の生活、つまりは、ビルの素顔がどのようなものかを描写し
スケッチをしていく。生活は質素、カーネギー・ホールの階上にある古い
スタジオに住み。狭い部屋である。
簡易ベッドに、写真が収納してあるキャビネットがズラリ。トイレやシャワーは共同の
安アパートでひっそりと暮らす老人なのだ。

食べるもの、着るものに拘りがない彼には、コーヒーやサンドイッチは、
安いモノであることが選択の条件であり、それらを好むのだ。
高名なのに清貧であることを好む。そして清々しい。
とにかくテンポが良い、気さくにジョークを誰にでも飛ばす。広告業界から、
帽子のデザイン、販売を経験する。以降、もう50年、連日、
ニューヨークのストリートに出て、ファッション写真を撮り続けている。
撮る対象は、プロのモデルや、セレブから、普通の人まで。要は、ビルが美しい、
と思った女性たちである。

有名人に群がるパパラッチと一線を画すのは、ビルが決して、人に媚びない。
「ヴォーグ」のアメリカ版編集長アナ・ウィンターは、まだ若いころから、
ビルに写真を撮ってもらい、いまでは、「ビルのために毎日、服を着るのよ」とまで言う。

ビルは、コラム記事のために、セレブたちのパーティも取材する。酒や料理の山だが、
水一杯、口にしないのだ。
僕ならば美味しそうな食べ物や飲み物を目の前にして到底同じ様な事は
出来ないであろう。
彼はパーティの前にあらかじめ、質素な食事をし、パーティ会場に向かうのだ。
「目的は取材であり、写真を撮るためであることが目的なのだ。
よって、飲み食いどころではない、


ニューヨーク・タイムズ紙の看板は汚せない」とビルは常に考えている。
ガツガツと飲み食いし、外車を乗り回すのを自慢するようなジャーナリストたちとは違う。
ビルのこのスタイルは、ジャーナリストとして、当たり前のことでもあるとお思うが、
僕も30年以上この業界にいて、彼のような存在は記憶に無い。


過去の出来事、恋愛、家族のこと、信仰などの質問に、ビルは一瞬、間を取るが、
誠実に答える。とにかく、仕事を愛した仕事人間なのである。仕事ひと筋、
多忙の日々。その判断、評価はいろいろあると思うが、ビルの清廉な生き方を、
爽やかだと思う。ビルには一家言がある。その語録は、重く、傾聴に値する。
以前、仕事をしていた「ディテール」という雑誌は、
100頁単位のビルの写真の特集ばかり。
好きにさせてもらえるからと、ビルは稿料をいっさい受け取らなかった。
「金に触れるな、触れたら最後だ」とビル。買収したコンデナスト社からも
小切手は受け取らなかった。「自由より大事なものはないんだ」と当時のビルは言う。


「ファッションは、生き抜くための鎧だ。手放せば、文明を捨てたも同然」。 
        
「パリコレには半年に一度、彼はパリを訪れるが、学校に来ているようなもの。        
目には何度でも学ばせないと」ビルという人物は、
とても高い美意識の持ち主なのだろう。
「質素で飾らないものがいい、気取ったものは苦手だ、
考えたら矛盾してるな、        
ドレスアップした女性は大好き。まあいい、気にしないさ」。                
勤勉なカトリックの一家の出であるビルとは、「外向的なところは父親譲り、
神経質な面は、母親に似た。内心、ファッションなんて
男の仕事じゃないと、そう思ってたろうね」と語る。




パリの装飾芸術美術館。ビルは、芸術文化勲章オフィシエを受賞する。ビルは、
パーティの主役なのに、カメラを構える。働くことを愛した一途な人生もまた、人生。
ことさら、派手な作りのドキュメントではない。
私にはドキュメンタリー映画ではなく、むしろフィクション映画のようなアプローチで
制作されていったのだと思う。そして街でのビルの撮影はダンスのようで、
ボクシングヘビー級チャンピオンであった、モハメッド・アリの言葉を思い出した。
そう、「蝶の様に舞、蜂のように刺す」である。



私はこの映画を、ビルのポートレート、さらにその延長線上にあるビルが愛する街
ニューヨークとパリのポートレートにとどまらず、


自己表現と自己発案への賛辞にしたかった事である。


では、また近いうちに。


辱い。

 2013/06/09 13:42  この記事のURL  /  コメント(0)


BARのカウンターとは、僕にとって横並び。横横横横’’’’’
10年前ぐらいの僕のブログを発見!何故か笑えるので改めて再投稿します。

BARとは皆で横に並んで、行儀良くして居なくてはいけません。
勿論、後ろを急に振り向いてもいけません!何故かと言えばテーブルのお客さんや、
ドアーを開けて今来店された方達に威圧感を与えてしまうからです!
注意しましようね!



カウンターの横隣りの人とはまず、どんな人なのか、その人達は今どんな状態か?
それからであれば、場の空気をわきまえて話しかけるも良し、
知り合いでなければ無視するも良しです。
ただし、話かけてもその周りの人が心地良くない環境ならば、
直ちに自己責任にて察知する事!



これが今日だけの自分に決めたBARのルールです。
これが出来たら、たぶん大人になれるはず?と思いブログを書いてます。
現実はもうとっくに大人ですが…
これは、あくまでも個人的な自分への反省文でしょうね?



昨日は、側に居て頂いた方々とは完全に異業種な為、仕事上無関係な話なので、
久しぶりに楽しかったです。

春のような生暖かい風の強い
夜空ももうすぐ明けてくるぜぇっ!いやっ,明けてきたか。
さぁ、家路へ、



本当はベロベロなんだけど、きちんと上手に酔っぱらえていないので、
酔っぱらい日記『VOL'3』を書くのを断念いたします。

あれっ、ため息。

辱い!  
 2013/03/19 18:02  この記事のURL  /  コメント(0)


on Sundays / WATARI-UM
(キラー通りって言い方はまだ有効なのだろうか?)


皆さんには、意外にも知られていない事かもしれませんが、青山は外苑西通り
(キラー通りって言い方はまだ有効なのだろうか?)沿いのポストカード・文具・洋書のお店「on Sundays」、そして美術館の「ワタリウム」。もう何年も僕の好きな場所の
1つだ。昔キース・ヘリングが来日して今のワタリの向かいの建物にペインティングしていたのを思い出す方ははとてもオシャレがお好きで、キラー通りが
一番カッコイイ時代をご存知お方でしょう。




初期はon Sundaysとギャルリー・ワタリを別々のところで展開していて、
1990年に今の建物(マリオ・ポッタ設計だそう)を建てて1つに合体。現在は1階が
ポ ストカードとTシャツ・文具、地下が美術・デザイン書、2〜4階が美術館。
ポストカードは昔も今もここでしか見つからないものがたくさんある、
お気に入りのショップでありギャラリーです。
ここのとても良いシステムは会期中ならば何度でも入場しても良いのです。


というわけで、今回の本題ですが現在ワタリウム美術館で行われている「歴史の天使
と題された写真展に行ってまいりました。
メイプルソープ、マン・レイ、ボルタンスキーなど
美術、写真、建築をはじめ
幅広いジャンルに独自の批評を展開した思想家、多木浩二 (1928-2011)が
ワタリウム美術館のために書き下ろした写真論『歴史の天使』をもとに、2012年版として再構成し、12人の作家の作品とともに展示されていた。




「歴史」にも乱丁、落丁がある。出来損ないの書物の中の奇妙な迷路。そんな不思議なエアポケットが写真の場である。歴史学者が見落とした隙間、瞬間をまた細分した瞬間、空虚をまた空っぽにした空虚。それがほんとうにはまだ見ぬ歴史がはじまる場所である。

多木浩二「歴史の天使展(1996年9月13日〜11月24日 ワタリウム美術館)」カタログより

展示作家は、ダイアン・アーバス(Diane Arbus)、アウグスト・ザンダー(August Sander)、マン・レイ(Man Ray)、ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)、クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltansky)らに加え、日本人アーティストのチン↑ポム(Chim↑Pom)や鈴木理策(Risaku Suzuki)も。

第一章〈歴史の天使〉

こうした歴史の変わり目にたったとき、ベンヤミンの見事な詩的断章(『歴史の天使』)が、私たちの立場を明確に言い当てている。
‥‥「あたらしい天使」と題されているクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描 かれていおり、天使は、かれが凝視している何ものかから、いまにも遠ざかろうとしているところのように見える。かれの眼は、大きく見ひらかれていて、口は ひらき、翼は拡げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。‥‥ 

ヴァルター・ベンヤミン『歴史哲学テーゼ・IX』(野村 修訳)より

ダイアン・アーバスDians Arbus 1923 ~1971 アメリカフリークスなど、アメリカ社会のダークサイドを人物写真を通じて表現した。
(図版)付けぼくろのプエルトリコ女、ニューヨーク・シティー




アウグスト・ザンダー August Sander 1876~1964 ドイツ 肖像写真のシリーズ
「20世紀の人間たち」を撮影。時代を超えた視線を捉えた写真家。
(図版)失業中の水夫1923年頃/76年




第二章 〈昔むかし‥‥〉

飛躍した連想を可能にするのは「歴史」のなかには登場することのない歴史である。
たしかに写真は過去のイメージ、瞬間的にあらわれては飛び去るイメージである。いたずらな光の、きらめきのなかで消え失せた出来事。



ルネ・マグリット Rene_Magritte 1898~1967 ベルギ− 画家。「言葉とイメージ」の問題を追求した作品は、20世紀文化に大きな影響を与えた。
(図版) 女王セミラミス 「たくらみのない情景」より。1928年




マン・レイ Man Ray 1800~1976 アメリカ ダダやシュルレアリズム、
前衛芸術運動の中心的人物。写真を新たな芸術表現へと確立させた。
(図版)世界1931年





第三章〈肉体と視線〉

ひとりの人間はさまざまな肉体をもっている。年齢とともに、否応なく衣装はとりかえられる。わかわかしく、美しい肉体、太って醜い毛むくじゃらの肉体、死に瀕した肉体、そして最後にただ腐っている肉体になる。
ひとびとはいたるところに肉体の刻印を残す。力をこめて肉体を賛嘆するまとめない記憶の雲にすぎないのである。
ベッドの上に天使が舞い降りているときであろうと、処刑の朝をまっていようと、自分の肉体に優しい視線を走らせることのできる人びとは幸福である。


ロバート・メイプルソープ Robert Mapplethorpe 1946~1989 アメリカ 花、
ヌード、有名人の肖像などを撮り、絵画的要素を融合させた写真作品を制作。
(図版)カールトン 1987年



第四章〈溺死したイメージ〉

本当に主題になるのは「歴史」のなかには登場することのない歴史である。
巨大な舟が沈没する。タイタニック―――これは事件だ。人びとはそれを歴史に書き込む。しかし難破につづく溺死者のながい漂流―――それは歴史の外にあ る。偶然、どこかから流れてきて、次々と浜辺に打ち上げられてくる溺死者の群れ。写真もそんな風にして生まれてくるのだ。集まった写真の一枚一枚のあいだ には、こうした名前のない死者たちの生ぬるいため息が潜んでいる。



クリスチャン・ポルタンスキー Christian Boltanski, 1944 フランス 写真や
古着などを用い、人の経験や記憶のはかなさ、
「生と死」をテーマにした作品を多く制作している。



第五章〈またたくまの百年〉

この百年、人間は夥しい血を浪費した。あまりにも多くのことを消尽した。生命、性的欲望、自然、言葉、貨幣‥‥。私たちは休息と睡眠まで汲み尽くしてしまっ た。休息とは、五感が蘇って活気にみちた光景を繰り広げる時間であり、睡眠とは暗闇の底に誘いこまれて夢をみる時間である。
国家、ひとつの癒されぬ病――――この癒されぬ病にとりつかれた人間たちは掴み合い、殺し合う。国家、毒液をたらしている病。
次の千年――――不思議なことに、今や「次の千年なる言葉」が不思議ではない。――――私たちが期待するのはその病の根絶することである。



チン↑ポム Chim↑Pom  2005年に結成された6人組のアート集団、社会的メッセージの強い作品で評価を得る。



第六章〈夢の地図帳〉

写真の視線が達するのは「歴史」のなかには登場することのない歴史である。別に隠れているわけではないが、理性の眼には止まらないのである。
いつのまにか私たちの地図が、自分でを見るようになった。だから毎晩、地図が眠りこ み、都市はたえまなく形を変えている。円かったと思えば、正方形になり、山頂にあったかと思えば、海底に沈んでいる。煙のような都市。人の声すらしない都 市。騒音に引き裂かれた都市。内部から炸裂する都市。都市についてはお伽話ばかり。



アレン・ギンズバーグ Alem Ginsberg 1926 アメリカ 詩集「吠える」で知られる
「ビート」を代表する文学者。写真作品も手掛けた。



第七章〈フットワーク〉

クライマクスはどこにもない。ヒロイックな昂(たかぶ)りもない。なんの特徴もない光景が、次第に、人間の町に見え、生活がはじまる。そこまではイメージだが、やがてイメージを超え、写真のうまれる場所そのものが神話的な都市に変貌していくのだ。
写真 家は、世界全体を再現しようなどと考えない。彼は、写真は断片であるかぎり、価値があることを知っている。断片をつなぎあわせる限界も知っているのであ る。写真家にはもったいぶった気取りよりも、軽快なフットワークが似つかわしい。あるいはやってくる時代の波をたくみにとらえるサーファーかもしれない。
それが写真家が見つける詩の生まれる場所なのだ。



鈴木理策<White> 2012年 Risaku Suzuki 1963 日本 <White> 2012年



【展示作家】
ダイアン・アーバス(Diane Arbus)
アウグスト・ザンダー(August Sander) 
ルネ・マグリット(René Magritte)
マン・レイ(Man Ray) 
ジョエル=ピーター・ウィトキン(Joel-Peter Witkin)
デュアン・マイケルズ(Duane Michals) 
ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)
クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltansky)
チン↑ポム(Chim↑Pom)
アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg) 
ロバート・フランク(Robert Frank) 
鈴木理策(Risaku Szuki)

今回の写真展で個人的に気に入った2枚の写真は、下記の2作品でした。
1位は、ダイアン・アーバスの<無題>で
ヤリヤガッたな!賞を勝手に送らせて頂きます。

ロバート・メイプルソープ<チューリップ> 1984年





ダイアン・アーバス<無題> 1970から〜1971年




ダイアン・アーバス<無題> 1970から〜1971年



まだご覧になっていらっしゃらない方は、是非ご覧あれ。

では、又近いうちに。


辱い。
 2012/08/26 15:44  この記事のURL  /  コメント(0)


Photo of a friend who arrived from Berlin
Photo of a friend who arrived from Berlin

ベルリンから届いた友人の写真



僕の苦手な季節がやってきた…それは梅雨。


今年の春、ベルリンを旅した友人から届いた写真を皆様にもお届けします。

きっと、真っ青な空が心を癒してくれるはず


太陽の風船。


これは友人が今年の春ベルリンを訪れ、旅をし、体験した内容の

道中写真日記である。




今日は早速バウハウスギャラリーへ。






ちらりと見えたオフィスの壁に、日本語で『形』とだけ書かれた紙が貼ってあった。






高架下にある、アートの本屋さんのお洒落な店員さん。







小さな小さな写真ギャラリー。庭のあるマンションの一部に…
こんなおしゃれな展示をしています。



今日はブランデンブルグ門に行って、その前の広く長〜い通りを歩きました。
(縦も横も表参道の倍くらい)
昨日行ったところは昔で言う西側で、今日は東側。
西側のほうが、雰囲気が開けて時間がゆったり流れている感じがした 。



ブランデンブルグ門。でかっ!




大聖堂。重っ。この門から大聖堂までが長〜い。




ホテル近くの小さなギャラリーの写真。アメリカ人アーティストの展示をやってました。





ギャラリーから見える飛行機雲。




マンションの一室での展示。





ホテルのレストランの窓辺には、アンティークのミシンが置かれています。
毎朝この席に座って頂く朝食は心を癒してくれるのです。


ホテルはぎりぎり西側に位置する。

近くにベルリンフィルや現代美術館があります。





さて、今日の写真です。





りんご。
Macのテクニシャンだって。
Macは売ってなかったから、たぶん技術やさんです。




ヴィンテージのインテリアショップ。
なぜか筋肉図。
やっぱりMac。




「こんにちは。」
いたるマンションの一室には、ギャラリーがある。




集まって何か会議??事務所から電源引っ張ってます。
若きアーティスト達。しつこいですが、Mac。



ハンチングだけを扱うお店です。
これ、たぶん一点ずつ手作り。同じ柄がたくさんある。
もしかしたら何かしらの残反の布をリメイクしてハンチングにしたのかな?
無造作すぎる。




眼鏡やさん。
とてもオシャレなショップ。
写真じゃ細かいディティールがお見せできないのが悔しいところだが、
店員さんもお客さんもすごくオシャレだ。





このデザイナーの服は面白かった。
お店も雰囲気あり、素敵だった。
ちょっとアントワープ系風。
おそらく、日本人の影響も受けていると思われる、ドイツ人デザイナー。
ドイツの軍服を思わせるジャケットをイメージしてデザインしているものもあり。






このデザイナーを調べてみました。

MAYER
PEACE COLLECTION

HP↓
http://www.mayer-berlin.com/


今日は日曜日でベルリンの街はほとんどが、お休み。

どこもお店はやってないので、蚤の市へ。でも、たいして面白くない。
言葉は悪いのだけど、うーん、イメージとしては社会主義な雰囲気が
少々残っている感じがするのです。



そしてベルリンの壁を見に。
きれいな、お店やさんが並んでいるようなエリアに、いきなり検問所後が。
壁も一部残されていて、観光客でいっぱいですが、
いまだに生々しく感じる。
やはり後世に残して忘れないように努力している事は素晴らしいことです。



壁です。


西側からみた東側。
ここは壁博物館みたいになっていました。


おそらく、高さは3メートルくらいか?

一部残された壁以外のところは、石畳で目印になってます。



リヒターの大きな看板

バウハウス資料館のショップにあったドット。



コート掛けです!



こちらは小さなギャラリーの事務所の窓にへばりついた、照明。



リヒターの画。



原発お断りの旗が。ドイツ語で。



小さな靴やさん。
木型が沢山見えました。

手作りの帽子屋さん。
店内が素敵です!

木型がたくさん。
魔女みたいな奥様が店主でした(笑)


朝はベルリンの壁ギャラリーへ。
壁をキャンバスにみたてて、様々な画が描かれています。

ベルリンの壁に画。



知らなかったけど、意外と有名らしい。

旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー のキス。

僕の大好きな、ロベルト・ドアノーの作品「パリ市庁舎前のキス
には到底美しさでは勝てやしないが、
仲良しの記念には良いのでしょうね。



友人の、写真日記はいかがでしたか?
この梅雨空けまで、この青い空の色を思い出せば、
きっと憂鬱さから逃れられる様な気がするはず。

来月は僕自身が、インドネシアのジャカルタを訪れるので気が向けば
ブログを書かせて頂きます。



では、又近いうちに。


辱い。

 2012/06/10 12:07  この記事のURL  /  コメント(0)


arth 2012 A/W collection
昨年に引き続き、僕がディレクションをしている、

hatmaker「帽子職人」
arth

の展示会を紹介しよう。






arthというネーミングは[ART] と[HAT]を混ぜた造語なのです。
ブランドモチーフになっている鹿の角が生えた野うさぎ「ジャッカロープ」は、
砂漠や丘陵地帯に生息する真性の野うさぎ属である’ジャックラビット’と、
ウシ科に属しながらも細身軽量で俊敏な脚力を持ち、
対になる角が生えている’アンテロープ’が融合して生まれたUMA(未確認動物)であり、

「頭に新しいものを」という意味が込められています。
各店舗にコンセプトアイコンとしてジャッカロープの剥製が飾られています。

2004年9月、カリフォルニア州コスタメサ市にある
アンチモール[LAB (ラブ)]にLA店が オープン、
2007年5月にはNY SOHOにもオープンしております。
共に、ファッション/カルチャーに呼応したニーズに対応しています。
現在では、John MalkovichやCameron Diaz、Kirsten Dunst、Mena Suvariなど
様々な数多くの著名人にも訪れていただいております。
国内では、2006年3月六本木ヒルズに初出店、その後も
2008年3月にはarth override第一段階の集大成と位置付けられた
アトレ恵比寿店がオープン、
2010年3月3日arth override横浜店オープン、
2010年11月14日に大丸心斎橋店のオープンし、
現在に至ります。

説明はこのぐらいにして、作品の紹介をしますね。




帽子に携わり、約6年になりますが本当に奥が深く
アクセサリーと呼べる範囲ではないようなアイテム、それが特に男性の帽子だと思う。
もう一つは、眼鏡でしょう。



よく考えてみると、僕には自然に受け入れらたスタイルであるが、
近年では帽子そのものに対しての概念も代わり、若者中心に帽子を被る
マナーも大きく変化をした。
例えば、以前のマナーと大きく違うのは、まず室内で被っていることが
不自然ではなくなった事ですね。
今でも、もちろん基本的に公の場や、公式行事等では今でも脱ぐべきです。



問題は、脱いだ帽子をどうするか。これは本当に困ることがあります。テーブルの脇になにか小さなフックでもあれば良いのですが…。



個人的には、 一日中被り続けるのが苦手なので、
畳める中折れなども商品化しています。
バックの中へサッとしまえて型くずれなし、そして帽子を洗えれば、
これが一番楽なはずである。


とにかく、まだまだ帽子の進歩は続くはず。
次のシーズンではどんな事が必要で、進化可能なのか、
試行錯誤中である。

では、又近いうちに。


辱い。
 2012/04/14 14:30  この記事のURL  /  コメント(0)

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プロフィール
1981年 文化服装学院卒業。大手アパレルの企画などを経て1990年に独立し(株)ユージヤマダデザインオフィス設立。
1992年 東京コレクションに参加。
「yuji yamada」、「individual yuji yamada」ブランドを展開。1999年 パリコレクションデビュー。
アダムエロペとのコラボブランド/calCITEの企画・製作及び(株)トミーヒルフィガージャパン、(株)栗原/arth、などにおいて企画や監修を行う。
アクセサリーブランド・コレットマルーフcollette maloufのSHOPユニフォームデザイン制作や、ESMOD JAPON 東京校、大阪校の特別講師をつとめるなど幅広く活動。

山田裕二 プロフィール
プロフィール(CFD)
CFD 東京ファッションデザイナー協議会
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