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GOING HOME
どうにかこの1か月、いや1か月半は健康でいなくてはならない。倒れてはならないと思って、やっと予約のとれた鍼灸院に行ってきた。
「疲れているのは確かだが、体というより、頭を使い過ぎでハイになっている」という意味のことを先生に言われた。
自分と同じ体重の荷物をもって帰宅するから(スーツケース2個+手荷物1個で自分と合わせて100キロ)、後片付けが大変なことは毎度のこと。

そう、あれもこれもやることがいっぱいで、頭の中がぐるんぐるんと回っていて、気持ちが高ぶっている。
仕事の整理、いろいろなところへの連絡。ああ、山のような洗濯物(洗濯そのものは帰宅した直後に済ませた)もしまわなきゃ。

いろいろなことを同時に考えてこなしていくのはフリーランスの宿命だが、多くのことを考えすぎて頭があまりに散漫になり、手元がおぼつかないことはよくあって(そのためによく物を落とす)、そのことは母にもよく指摘された。

それにしても、もう30年も定期的に海外に出ているのに、時代背景もあって、今回はけっこう「いっぱいいっぱい」のきつい旅であった。

そんな私を支えてくれたのがこの本だ。
『イエスとブッダ(原題は「GOING HOME(いのちに帰る)」)

イエスもブッダもあまり違和感のない私にとって、とてもしっくりする内容であった。その一言一言が深く染み入った。
今の時代、人々が必要としているのは「内なる神」ではないかと思う。
それは人間による教祖様や諍いをもたらす宗教ではなく、一人一人の奥深いところ、自分の内部にあるいのち、神なるもの。
いわゆる宗教宗派の違いを超えたものである。

施設にいた父がよく言っていた。
「家に帰りたい」
あの「家」がどこの家だったかは定かではないが、今はもう「家」に帰ったからいいではないか。


 2017/01/30 21:34  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

極寒のパリを離れる
今回のパリは寒かった。
この時季に取材を始めて31回目だが、今までで一番か二番位の寒さではなかったか。
マイナス5度を超えると、体の感覚がなくなる。

とにかく具合が悪くなりませんように、風邪をひきませんように、特にインフルエンザになりませんように、ウイルスが体に入ってもそれと戦う力をくださいと、まさに祈るような気持ちだった。

インフルエンザも困るが、帯状疱疹などはもっと困る。
ただの発熱は一晩でどうにかできるが、そういうわけにはいかない。

海外に来ると、感謝の気持ちが強まる。
激務の中で、いつも以上に守られていることを感じた。
元気で活動できるのは決して当たり前のことではない。

街歩く人は、たいていダウンコート(それも今年はフードに毛皮付のアウトドア風が多い)に帽子。
こう寒いと、コートは軽くて温かいという機能性が優先される。
私のダウンはけっこう薄手だが、保温性に優れていることが分かった。あと、耳を隠すことが大事。
寒さ、熱さという気温の変化に対処していくことが衣服の基本であることを痛感する出張でもあった。
 2017/01/27 07:31  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

どぎゃんでんよか
「どぎゃんでんよか」

子供時代、母の故郷でこの言葉を初めて聞いた時の、ある種の衝撃は今でも覚えている。
何という言葉だろう。
こんな言葉、他では聞いたことがなかった。

そんな(細かい)ことは、どちらでもいい。「大事なことはもっと他にある」といったニュアンスも込められている。

私はこの鷹揚さが好きだ。

昨年末、四半世紀ぶりに行った熊本の街で多く見かけたのは、この言葉。

「まけんばい」

震源地付近では昨年4月の地震の傷跡はまだ生々しいものがあるが、街中はものすごい活気があった。

私もカラ元気を出してがんばろう。なるようにしかならないから。
後になって、ああ、あれはこういう意味があったのだと納得できる時がいつか来るであろう。
 2017/01/12 20:41  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

年賀状もSNSも「生存証明」
年賀状のやりとりもようやく落ち着いて、この連休が過ぎたら、新しい年が本格的に始動となるだろう。

年々、年賀状を辞めると判断する人が増えているなかで、私にとっては三年ぶり(父の亡くなった翌年は寒中見舞い、母の時は事前に喪中はがきというかたちで出した)ということもあって、今年は前々から出そうと決めていた。
どうせ出すなら近況が分かるようにと思って、自分の最近の活動を盛り込んでみた。
それに対して、「元気そう」「活力ある」「還暦のお手本」など、好意的な一言を添えた賀状が返ってきた。その中には「時々、ブログを見ている」といったコメントもあって、私の普段のつぶやき(ぼやき?)も、普段は交流のない方々にも見られているのだなと、改めて襟を正した。

年に一度、年賀状でつながっている人に声をかけたいということもあるし、また普段はメールやSNSでつながっているから必要はないかもしれないが、やはり年賀状は別物という意識もある。
いずれにしても、年賀状もフェイスブックも私にとっては、「存在証明」いや「生存証明」なのである。

メールはもとより、ブログ、フェイスブックなどのSNSを巧みに使いこなしている人がいる反面、それらを使わない(あるいは避けている)人も確実にいて、そういう方々とは自然に疎遠になることも少なくない。
もちろん、それらが煩わしいという気持ちもあるが、やらないよりはやることの良さを私は選択しているのである。
アナログでも同じことで、非常に筆まめだった母は、多くの友人や親せきに囲まれていた。誰だって、連絡をいただくのはうれしい。

ここで一つ、発信する側も受け取る側も認識しておかなくてはならないのは、それらの発信には必ずある種の演出(脚色)があるということ。それは単に「作り話」という意味ではない。
その昔、私の卒論テーマだった川端康成も書いているように、(当時でいうと)日記やルポなどのノンフィクションの中にも、必ずその中にフィクション性がないものはないのである。つまり、「真実」と「事実」の微妙な差。「真実」を伝えるためには、それにふさわしい表現が求められているのである。

ただ、ポジティブな情報発信に対して、その表面だけを見て、嫉妬やひがみを感じられてしまうことも少なくない。
私だって、FBに有名レストランや有名人の話題ばかりを載せるような人がいると、ちょっと敬遠したくなることもあるので、その気持ちは分かる。
誰しも、「光」と「影」は両面あって、華やかできらびやかな「光」を放つ人ほど、「影」では人一倍努力していたり、人には言えない苦労があったりするものだ。

要は、どれを選択し、どう使うかなのだが、今更ながら、この高度情報化時代は人々の感情面へもいろいろな問題をひきおこしているなと痛感している。

 2017/01/09 11:44  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

最期に登るべき山とは
今日の午前中、何気なくテレビをつけたらNHK総合で、田部井淳子さんの「生涯最後の登山のドキュメント」を放映していた。

田部井さんといえば、1970年代に女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した登山家として知られ、昨年亡くなった方。
番組では、癌末期で全身が衰弱している中で、自身の故郷である福島の高校生を引き連れ、富士山の頂上を目指した様子がえがかれている。

私にとって最期に登るべき山とは何だろうか…。
 2017/01/07 12:50  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

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