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2年越しの編み直し
以前は、冬に向かう頃は決まって編み物をしていたものだ。夢中になるから時間はくうし、肩がこるしで、もう数十年遠ざかっていたが、昨年、手持ちの手編みベスト(友人のデザイナーのブランドのもの)を解いて、編み直しを始めた。
いろいろな種類の糸を使ってあって、色も好きだったが、形がボリュームありすぎてどうもしっくりこないので、再生しようと思ったのだ。

昨年では終わらなかったので、夏を超えて、今年の秋口から再び続きにとりかかった。すると、途中で毛糸が明らかに足りなくなるという状況に遭遇。大切な襟の分はとっておいて、背中の一部分を別に買った毛糸で継ぎ足した。
同時に、念のために友人にその毛糸が余っていないかどうか聞いたところ、糸を保存していることが分かり、物入れの奥深いところから取り出してもらって、送ってもらった。だが、もうほとんど襟に到達していたので、背中まで編み直すエネルギーはなく、その継ぎ足しのまま完成させた。

ボタンは上の3つが、阪急百貨店の英国展で購入したイギリスの陶器のボタン。ぞれぞれ色が違うので、これはいいあんばいと、下の2つは母の洋裁箱の中にあった古いボタンを使用。全体にちぐはぐ感は否めないが、リメイクの味が出ていることだし、これでいいことにした。

それにしても、出来上がりはどう見てもアンバランス。
いくら極太の毛糸を選んだとはいえ、4種類の毛糸のミックスには重さも存在感も勝てない。
実際に身に着けるとどうにかごまかせるが、これは背中がスース―するに違いない、下の重さに引っ張られて伸びるに違いない。というわけで、背中上の部分に黄色の毛糸を使って刺しゅうしようかと考え中だ。


 2015/12/23 10:42  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

畳替えで心機一転
我が家に唯一ある和室、そこの畳替えをした。
畳の生活というのは足腰につらいものがあるし、特にマンションとなると最近は和室のない家も増えたようだが、私は伝統的な畳の部屋もいいなと思う。畳をやめる理由もないとなると、メンテナンスは必須だ。

畳替えをしようと思ったきっかけは、父に次いで母も亡くなり、部屋の中の片付けも区切りがついたので、大きな家具がないうちに(桐ダンスが修理を終えて帰ってくる間に)、新しい畳ですっきり新年を迎えたいと思ったのだ。前回いつ畳替えをしたかは知らないが、私の記憶にない位だから10年以上は経っているだろう、と。
それと、最寄りの駅に行く途中に、古式豊かな店構え(後で聞くと昭和5年に建てられたものだという)の畳屋さんがあって、そこを通る度に、ここにお願いしようと思っていた。

12月に入ってから電話して、まず見積もりに来てもらうと、今回は総取り替えしなくても表替え(裏返し)するだけでいいらしく、予算よりだいぶ安く済むことが分かった。
善は急げというわけで、空いている日程に予定を入れてもらったのだ。本当は先週金曜日だったが、あいにくの嵐となってしまったので、今日になった。
見積もりに来てもらった時に、「これはうちでやったような気がする」と話していたが、店の記録を見ると、やはり同店が12年前に手掛けていたという(30年前に両親が購入したマンションなので、ちょうど畳を取り替える時期)。

朝、8時半に取りに来てもらって、夕方5時には出来上がってきた。
私と同年代の職人さんが一人で1日がかりで行う。彼はその店の3代目だが、もう後を継ぐ人がいないので、彼で終わりになるという。
小田原という土地柄、箱根の旅館の需要はあるが、それでも頻度はそう多くない。
畳を張る技術だけではなく、持ち運びにはかなり力を要するから体力的にも大変だ。
畳の微調整(こういうことが大事なポイント)を丁寧にやってくれた上に、畳の構造やメンテナンスも教えてくれた。そのうえ、この地域の昔のことにまで話が及んでおもしろかった。
やはり地元の専門店に頼んで良かったと思った。

フローリング、カーペットと床の選択肢はいろいろあるが、高温多湿な日本の気候に一番合うのが畳。表裏をひっくり返しただけで、井草特有のいい匂いが部屋に満ちている。

これから10年はまた大切に使って(業界的には「5年」と言っているらしい)、また畳替えができるように私も頑張って生きていきたいと思った。
その時までその職人さんも現役でいてくれるかな。



 2015/12/14 22:03  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

役割を終えたとでもいうように
次々におじおば鬼籍へ大往生 伝えたい母も既になきかな


アメリカのまたいとこから電話があり、叔母が亡くなった報せを受けた。93歳。
私が母の死を伝えるために9月に電話で話した直後に、脳卒中で倒れたらしい。
まるでもう役割が終わったとでもいうように、半年前に逝った叔父を追うかたちだ。

時代性も大きいが、生まれ育った家の環境もあって、母は親戚縁者やいとことの結びつきが深かった。
うちの家系は早世の人がいる一方、こぞって長寿の血を持っているのだが、多くが90歳を超えたここに来て、次々とあの世へと旅立ちつつある。
同時に、親戚づきあいが希薄な私たち世代も、親の死を契機に、新たな結びつきが始まっている。

そういった身の回りでおきる変化を話したいと思っても、誰も話す人がいなくなってしまったことに寂しさを感じるこの頃。
 2015/12/13 12:09  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

「愛」に行きつく
最近、某老舗出版社のベテラン編集者(50代前半女性)と知り合った。
有力誌の編集長を歴任してきた方なので、立場上、女優やアーティスト、作家などいろいろな著名人、一流の人々に接する機会も少なくない方だ。

その方と食事をしていて、話題が「愛」になった。
「惜しみなく愛を」という某有名写真家のエピソード、そしてインタビューの秘訣をという問いに対し、対象者に愛をもつことと答えたという国際的超人気作家のエピソードなどを交え、彼女は今おきている世界の情勢も、「愛」があれば…というのだった。その話に、私は深くうなずき、その会話から数日経った今、やはりすべては「愛」に行きつくという確信のようなものに変わっている。

戦争や民族紛争というものが、日本人にとってはまだ遠いものに感じられているかもしれないが、私たちの周辺に「戦争」や「諍い」はたくさんある。
イジメの問題、家族間の問題、競争社会における諸問題等々、個人も国もその根にあるものは共通しているのではないだろうか。
異質な隣人に対して、私たちは嫌悪感(いつしか憎しみに変わることも)で接することがいかに多いことか。

嫌いな相手、苦手だと思う人にも、とにかく「愛」で接すること。自分自身にそういう願をかけるのでもいい。妄想でもいいでないか。
一人ひとりがそういう努力を続ければ何かが変わるのではないかということだ。
日本人は「愛」を口にするのが苦手かもしれないが、おまじないでも何でもいいから、とにかく愛することから始めよう。

クリスチャンだった母は、ある時から、究極は「愛」にあるということに行きついた。
先日、父と共に納骨を済ませ、お世話になった皆さんにご挨拶状をお出ししたのだが、その最後を母の愛した次の聖句で締めくくったのだった。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。            (コリント一、13:4‐8)

もちろん、「愛」が宗教や民族の違いを超えることはいうまでもない。
 2015/12/11 11:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

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