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2008年も半分経過
今日で6月も終わり。つまり今年も、もう半分が終わろうとしている。
なぜ、こんなに早く時間が経ってしまうのだろう。
いったい、私は何をしているのかと、ただ焦るばかり。

世の中全体、ますます閉塞感がつのっている。
年明けからじわじわときていた物価高。アッと気がつくと、あれもこれも値上げ。こんなことは久しくなかったことだ。
「勝ち組」「負け組」という言い方はしたくないが、そういう格差が広がっているのも事実。何もかも人のせいにして、「誰でもよかった」と通り魔殺人をおこすまではいかなくても、やけをおこしてしまう可能性は、誰の中にもあるような気がする。

人生、山あり、谷あり。明日は何がおこるか分からない。
「谷」の時にどういう態勢でいるか、それが大事なことは頭では分かっていても、実際にはなかなか難しい。
確固とした目標はそんなに簡単に見つけられなくても、とにかく、目の前にあること、一つ一つに誠実に向き合っていきたい。
 2008/06/30 17:43  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

シャネルモバイルアート
午前中、広告ディレクター兼グラフィックデザイナーのIさんから、電話があった。
国立代々木競技場・オリンピックプラザで開いている「シャネル・モバイルアート」のチケットが2枚あるから、今日の午後、一緒に行かない?と急にお誘いを受けたのだ。
行く! 急いで午後の予定を調整。
ザハ・ハティド設計のパビリオンが、香港を皮切りに東京、ニューヨークと世界を巡回することで話題の美術展。入場料無料だが予約のみの限定したかたちで開催していて、もう無理かなと諦めていたのだった。

パビリオン内部は、シャネルのシンボルであるキルティングバッグをテーマに、20人の国際的なアーティストの作品が展示されている。
パビリオンに到着して、分刻みの予約制にしている意味が分かった。
入場者一人ひとりが、入り口で耳に装着したMP3に導かれ、まるで映画を見るように館内を見て回るようになっている。

モダンアートだけに奇抜な作品も少なくなかったが、私が一番好きだったのは、アルゼンチンのLeandro Erichによる「歩道」という作品。
シャネル本店のあるパリ・カンボン通りの建物の連なりが、歩道の水溜りに反映されている逆さまの映像を描いたビデオアートで、時間とともに光と影が微妙に変化するのが美しかった。

パリではよく外から窓を眺めて、その中にどんな人が暮らしているのか想像するのが、私は好きだ。特に夜は美しい。趣味のよい照明や調度品が見えていたりすると、ますます想像力がかきたてられる。映画のワンシーンのように。
日本のようにカーテンやブラインドでしっかり目隠ししたりせずに、半ば見られることも計算に入れているようなところがある。そういうのがフランスらしいなと思う。

そんなこんなで45分位の間、いろいろな作品を楽しんだ。オノ・ヨーコの作品である願い事をかける木に、七夕のように札をひっかけて、会場を出ようとすると、そこに「ジャンヌ・モロー」のアーティスト名の表示がある。
え! どれだったんだろうと思って、会場の人に聞くと、MP3の日本語以外の言語(英語、フランス語)が彼女の声だったという。
それは最初に言ってほしかった。ジャンヌ・モローの声に導かれて、このアート展を楽しみたかったと、会場運営者をちょっと恨んだ。
 2008/06/24 21:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(3)

梅雨の晴れ間に
家の近くにある恵比寿ガーデンプレイスに久しぶりに行った。
ここが出来たのを境に、恵比寿の街は大きく変わった、そういう場所だ。
オープン直後は頻繁に寄っていたが、最近は足を運ぶことがめっきり少なくなった。
一番利用していたのが食料品関係だが、使い勝手のいい所、安くて新鮮なものが売っている所が、他に出来たのが一番の原因だろう。
日本の商業施設というのは、余程、魅力的なことをやり続けていなければ、こういうふうに次々に新しいところに客をとられてしまう。

以前に比べると買い物客はめっきり減ったが、その分、静かで落ち着いた雰囲気になっている。
今日のようなしっとりした梅雨の晴れ間、くつろぎに来るのにはぴったり。日差しも強くなく、寒くも暑くもない。
コンビニで買った飲み物を片手に、ベンチに座ってのんびり読書をしていると、そよ風が気持ちいい。植え込みから、土や草の匂いもぷ〜んと匂ってくる。
鳩や雀が足元に寄ってくるのが気になるくらいで、後は邪魔をするものもない。

用事や買物を済ませるためでなく、ゆっくり外の空気の中でくつろぐために来るのもいいなと思った。そういう意味でここは、人工的ではあるが贅沢な空間だ。
商売はあがったりかもしれないが、遠くからの観光客でなく、地元の住民に愛されなければ、こういう場所は意味がない。
週末はイベントで集客することが欠かせないかもしれないが、平日はせめて地元のための憩いの場であってほしい。

 2008/06/23 20:17  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

I‘M NOT THERE
昨日午後、渋谷で『アイム・ノット・ゼア』という映画を観た。
実在の歌手、ボブ・ディランをモデルにしたもので、ディラン自身が製作を許可した唯一の伝記映画らしいが、ただの伝記ものではない。
監督は、アメリカのインディペンデント系のトッド・ヘインズ。以前に、ジュリアン・ムーアの『エデンより彼方に』を観たはずだが、その内容はまったく覚えていない。一般には『ベルベット・ゴールドマイン』の方が知られているかも。

ボブ・ディランという人物に、特別な興味や思い出があったわけではない。
人間を描く、伝記の手法というものを知りたいというのが、私の下心。

136分もの長編で、その中には6人のディランが登場する。しかも全部違う名前。
「アルチュール・ランボー」と名乗る詩人、11歳の黒人少年、偽りの結婚生活を送る映画スター、60年代の華麗なるロックンロールスター、シンガーソングライターで教会の牧師、西部開拓時代のアウトロー。
それぞれ時代設定も違う物語が時々入り乱れ、最初は何のこっちゃという感じだが、観ているうちに、これは6人のバラバラな人の物語を通して、1人のボブ・ディランという人の実像に迫ろうとしていることが徐々にわかってくる。
そもそも人間というのは、いろいろな側面を持っているのだ。
人間の本質は、性別、人種、時代を超える。

お馴染みの俳優が何人も登場しているが、しかし、「華麗なるロックンロールスター」を演じたケイト・ブランシェットにはたまげた。
顔も体つきも、どうしてこう違う人になりきれるんだろう。
銀座アルマーニタワーのオープニングで微笑んでいた、あの女優とは全くの別人。
男装とか、ディランの物真似といった域をはるかに超え、見事に「カメレオン女優」のキャリア更新だ。
 2008/06/19 17:18  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

肩こりとの闘い
ひどい肩こりに悩まされている。
20年前、スポーツジムに通い始めたのも、もともとは肩こりと運動不足の解消が目的だった。
猫背ぎみの体型と骨格、職業柄(PC使用、目を酷使、ストレスいっぱい)で、肩こりは慢性、長年の友という感じだが、ここ3ヶ月ほどは今までにない辛さになっているのだ。
更年期症状、つまりホルモンバランスの崩れからきていることは以前にも書いた。プラセンタ注射を週1回打っているが、まだ効果は出ない。
何しろ、寝ている間も辛い。日中動いている時はまだ気がまぎれていいが、横になっている時の方が、鉄板のような肩と首筋を意識することになる。
その分、がんばって運動しようとするから筋肉痛にもなって、ここ数日は体中が痛い。

そこで昨日、久しぶりにジム併設のスポーツマッサージ室に行った。
「以前と凝りの感じが違うので、念のために病院で見てもらった方がいいですよ。それか、・・さんって、霊感強いですか? ヘンな霊が取り付いている場合は、お祓いするという手も」
「え! そんな人、今までにあったの?」
「はい、一度だけ」
マッサージをしてくれたお馴染みのB君が気になることを言ったので、今日は朝から近くにある総合病院の整形外科に行ってきた。

触診やレントゲン検診などをしてもらった結果、神経とは関係なしとのこと。つまり40肩、50肩とは別の、ただの肩こり。特効薬はなくて、運動で緩和するしかないという。
特別な病気でないことが確認できて良かったが、また振り出しにもどった。

それにしても病院というところには患者さんがたくさん来ていて、いろいろなことを考えさせられる。
総合病院には普段はほとんど行かない私だが、病院のシステムが随分改善されていることに感心した。自分の番号が表示されるので、以前のようにいつになるのか全く分からずにイライラ待つことはだいぶ解消された。
それでも、朝9時半からびっちり3時間。3000円強を払って、確認と安心をもらい、今後の方向性が絞られた。
さて、やはりヨガに励むしかないか。鍼灸院のいいところも見つけなきゃ。
それともお祓いが先か…(!?)。

 2008/06/17 14:32  この記事のURL  /  コメント(2)  / トラックバック(0)

こんな仕事がしたい
私はHNK・ETV特集のファンだ。映像と文字の違いこそあれ、ドキュメンタリー番組はノンフィクション文学にも近いものがあって、その番組作りの裏側に思いをはせてしまう。昨夜放映された「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを取り続けた男」には、深く感銘を受けた。
番組の主人公にも、番組の制作者にも敬意を表したい。

最近、アカデミー外国映画賞をとった最新作『カティン』。アンジェイ・ワイダという監督の、その生い立ちから、この映画を生みだす経緯がたっぷりと描かれていた。
内容はもちろんのこと、この監督の人間としての魅力(容姿も含めて)にも引き込まれるものがあった。いい仕事をする人はかっこいい。

『灰とダイヤモンド』『地下水道』という題名とともに、アンジェイ・ワイダは何か気になる存在だったが、実は一度もその映画を観たことがない。
ポーランドと聞いて思い出すのは、かつて英語学校で一緒だった大学院生がポーランドを専門にしていて、何年か住んでいたという話を聞いたことぐらい。連帯のワレサ議長のことなど、何度もニュースなどで見聞きしていたはずだが、この国についての知識はほとんどなかった。

作品ごとの、政府の検閲との駆け引きは、まさにドラマのようだった。
アンジェイ・ワイダ監督は真っ向からぶつかったり、闘ったりするのではなく、好機を待つ。聴衆の良心を信じ、違う表現で、聴衆に訴える。「これで充分に理解してくれる」と。限られた条件内でいかに伝えるかを考え、しかも自分の信念は少しも変えないところがすごかった。
時間が経てば、状況は少しずつ変化するものだ。あせってはいけない。要はそのタイミングをいかにつかむか、そのためにはいつでも発表できるように準備しておかなければならない。
長年封印されていた事件も、いつかは明るみに出来るときが来る。
そうして、監督のライフワークの集大成のように、最後の作品として、自分の父親が虐殺された「カティン」事件を題材に、自分の母親を主人公にして映画を作ったのだった。

長い時間をかけて、自分の命をかけて、伝えていかなければならないものは、私にとって何だろう。
 2008/06/16 12:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

継続のみの英語学習
昨日は久しぶりに英語のレッスンに行った。
毎土曜日に個人レッスンをしているのだが、先生のBさんと私それぞれ用事があって、ここ2回程お休みしていたのだ。
3週間間があくと、なかなか調子が出ないもの。日本にいると、余程のことがなければ、日常生活で英語を使うということが極端に少ないから、週に1度、1時間でも、英語だけで会話をすることは大切な習慣になっている。
日本語教師をしている友人のKさんが、生徒にいい人がいると紹介してくれたのがBさん。身の回りにおこったエピソードや、それに対する自分の感じ方、考え方を材料に話を進めながら、英語のツボをうまく教えてくれる(ザルのように、すぐ忘れていくのだが…)。

「英語が出来る」「英語が出来ない」という言い方をよくするが、「出来る」と「出来ない」は決して二分割されているのでなく(完璧に出来る人も完璧に出来ない人もあまりいない)、その間は実に多様なレベルで成り立っている。
私の場合、「出来る」とは言い切れないが、「出来ない」とも言えない。英語でコミュニケーションをとることは苦ではないし、日常会話は特に問題ないけれど、ボキャブラリーはなかなか増えない。的確なボキャブラリーを使った微妙な表現や言い回しなどはなかなか身につかないのだ。
アメリカに20年住んでいる友人でさえ、いまだに「英語は難しい」「英語がうまく出来ない」と言う。

考えてみると、私の英語学習遍歴もだいぶ長くなってしまった。
学生時代は苦手意識が強かっただけに、長年放っておいたが、仕事上の必要性をきっかけに積極的にやろうと思ってスタートさせたのは、既に30代末であった。
ベルリッツのプライベートレッスンから始まり、ブリティッシュ・カウンシル、アテネ・フランセと、合計10年は学校に通った。随分投資した。
NHKで時々放映されているニューヨーク大学の授業風景を見ると、ブリティッシュ・カウンシルでのレッスンを思い出す。日本的な授業とは違って、自分の考えを言い合うもので、とても興味深かった。もう少し若かったら、海外に留学という道を選んでいたかもしれない(私の世代ではまだまだ非現実的で思いも寄らなかった)。
英語学校で、最も学生数が多く、レベルに一番幅があるのが中級クラス。その段階をやっとクリアし、その次の上級に至るのだが、実際の実力はなかなか伴わない(数年の海外生活体験者か、もしくは相当の努力家でないと無理。私は自分に甘い)。そこで、2,3年前から個人レッスンに切り替えたというわけだ。ストレスなく、少しずつ、(怠け者で勉強嫌いな)自分に合った勉強を続けていこうと思っている。

言葉を使う仕事をしている身にとっては、どんな言語であっても、言語を学ぶというのは実におもしろいし、そのおもしろさには限りが無い。
 2008/06/15 11:32  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

心地よい笑いを
笑顔のきれいな人、笑い声の素敵な人はいいなと、日頃から思っている。

笑いが心身の健康にも良いということも、だいぶ言われるようになってきた。
インドでは「笑いヨガ」がブームらしい。
笑いが健康にいいことは既に科学的に証明されていて、私がそれを最初に聞いたのは2年前。遺伝子の権威である村上和雄先生の話であった。笑いは医療の分野でも活用されているのだ。

だが、笑いにもいろいろあって、神経を逆撫でするような笑いに遭遇することも少なくない。
最近、駅構内や街中で、制服を着た女子高校生や大学生と思しき男の子が、ものすごく大きな笑い声を立てていたりする。
箸が転がってもおかしい年頃といった、ほほえましさは皆無。周りの人が驚いて振り返るほど素っ頓狂で、不自然に響き渡る笑い声だ。
本当におかしくて笑っているとは思えない。
あれはテレビのお笑い番組の影響なのだろうか。

そういう私は、もう何年も、お腹の底から笑っていないような気がする。
落語を聞いて、カラカラと笑えるようになりたい。

 2008/06/11 10:42  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

忘れ物には気をつけよう
先週の土曜日のことになるが、まさに冷や汗ものの事件があった。

前から約束していたフリーマーケットへ参加するため、パンパンに出品物を詰めた大きな黒バッグを肩に担いで、池袋から西武池袋線に乗った。
予定よりちょっと早めの準急に乗り込み、ドアの脇に黒バッグを置いて、ふ〜と一息。身軽になりたくて、肩から斜めがけしていたバッグも網棚にひょいと載せて、そのままドアのところに立っていた。
練馬で、同じホームに到着した各駅停車の電車を見るとガラガラ。時間にまだ余裕があるし、あっちで座って行こうと、とっさに乗り換える。
そこまで乗ってきた準急電車が発車する。
重い荷物からの解放感で暫しボーっとしていたが、発車の合図が鳴った瞬間、大変なことに気がつく。

あれ! バッグがない。網棚に載せたままだ!
一瞬、目的地の駅で待ち合わせしている人に知らせなきゃと思うが、携帯電話もあちらのバッグに入っている。お財布もSUICAも、いろいろな所の連絡先も、全部あっち。
ドアが閉まる瞬間に、大きな黒バッグを持って飛び降り、駅員さんを探すが誰もいない。バッグをそこに置いたまま、動き始めた電車の後尾にいる車掌さんのところに駆け寄ると、「駅の事務所に行ってください」。
ああ、そうか。ホームの階段を降りると、そこが忘れ物を扱う事務所。
心臓をバクバクさせながら事情を話すと、先へ走っているその電車と連絡をとってくれる。その返事を待たずに、とにかく待ち合わせしている駅まで行くことにした。幸いにも、忘れ物の集まる中継場所がその隣の駅の保谷だったのだ。

バッグが戻っていますようにと、祈るような気持ちで保谷駅に取りに行くと、駅員さんがカウンターの下から私のバッグを取り出してくれた。ああ、良かった〜。ありがとうございます! 
いや〜、それにしても、生きた心地がしなかった。
西武線の見事な連携プレイで無事、荷物が見つかったからいいものの、これが例えば海外ならどうなっていたことだろう。
売り物の詰まった大きな黒バッグを連れまわしながら、1ヶ月分のエネルギーを使い果たしたような1時間であった。
 2008/06/10 09:59  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

東大でバーチャル体験
昨日、「バーチャルリアリティ」「テレイグジスタンス」の研究で知られる東大のT教授のところへ、チームで取材に伺った。本郷にある東京大学の構内に入るのは、これで二度目。雨上がりのしっとりした空気の中で、美しいキャンパスが映える。
東大、しかも工学部とは、自分にとって一番遠い存在。こういう仕事がなければ、一生、縁がないところである。

実際に研究室でいくつかの装置を体験させていただいてからお話を伺ったので、まったく理系オンチの私も、実感としてすんなり入っていくことができた。
まず、「バーチャル」という言葉自体が、一般に日本で言われている「仮想」とは程遠く、「ほとんどリアル(実際とは違うが、本質的にはリアルに近い)」という意味。日本人がこの言葉を誤解しているように、ヨーロッパ人は「ロボット」に対する嫌悪感があるらしい。

こういう研究が現実社会の中でどういうふうに利用されていくのか。
よく言われるのは遠隔医療や介護の面だが、インターネットやテレビ電話の進化版にもなって、行きたいところ、会いたい人のところに飛んでいける。
ファッションビジネスと関連するところでは、カスタムメイドなど一人ひとりに合った対応が得意らしく、また自分がそこに行かなくても海外でショッピングすることもできる。
実際にそこにいるのとはやっぱり違うじゃないか、とは言うなかれ。そこにいたって、心そこにあらずということも多々ある。
また、この技術を使えば、無駄な資源やエネルギーをかけずに、効率よく、物を生産することも出来るのだという。

宇宙開発技術のおかげで、天気予報やカーナビといった便利な情報を享受しているように、バーチャルリアリティにまつわる各種の技術も、近い将来、いつの間にか私たちの生活になくてはならないものになっていくのだろう。
それにしても、実業の世界とはまったく別のところで、純粋に学問を行う人たちの姿に触れると、ある種の感動を覚える。

 2008/06/06 21:24  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

若作り過剰はイタイ
ファッション業界には、他人が着ているもののことをあれこれ指摘するような人がいるが、私は他人が何を着ていようとあまり気にならないタイプだ。
世の中がセンスのいいカッコイイ人ばかりになったら、おもしろくないじゃない。
ダサイはダサイなりに、個性があっていいじゃないかと思う。それより皆が同じような格好をするようになる方がキモチ悪い。
個人的な好みをいうと、完璧なのは苦手。何風とカテゴリーに分類することができない装い、それも野暮すれすれの、ちょっとはずした感じが好きだ。
私は、女性の場合だと小物に目が行くが、男性の場合はディテールではなくて、その人のかもし出す全体の雰囲気というところにしか関心が向かない。

そんな私だが、最近気になることがある。
40代や50代、時には60代の女性が、彼女たちの娘が着ているのと同じような格好をする人が増えたこと。
もちろん、その人らしく似合っていればとやかくは言わない。でも、何だかヘンな若作りで、妙にイタイ感じが多いのだ。
特に気になるのが、ハイウエスシルエットのチュニックとレギンスの組み合わせ。昨年から何か気になっていたが、今年はますます着用層が広がっていて、正直言ってもう見たくない!
ハイウエストのチュニックは体型をうまく隠してくれると、勘違いしているようで、このスタイルを好む人というのは、なぜか同様に、体型に緊張感がなさすぎ。

最初、若い層からスタートした流行が、時間を経て上の年代にも広がっていくというのは、昔からのファッションの鉄則だが、それにしても、だ。
母と娘がお友だちのように仲良くなっているせいもあって、40代以上の女性がとかく「かわいい」格好をする傾向が強まっているように思う。
ファッションは自由だから、好きなものを好きなように身に着ければいい。
だが、もう少し、大人の文化、大人の女性の装いというものがあっていいような気がする。
「女のコ」か「オバサン」かしかいない日本なんて、寂しすぎない?


 2008/06/04 21:03  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)

消費過剰な自分を反省
昨夜、東京12チャンネルでおもしろい番組をやっていた。
「久米宏経済スペシャル“新ニッポン人現る”」
久々に久米宏が登場するのに加え、テーマに引かれた。「消費をしなくなった若者(20代)」というのは、最近、取材先でも方々で話題になるからだ。
さすが、経済やマーケティングに強いテレビ局、切り口が違う。

まず、分かりやすい例としてあげられていたのが、今の20代は車に興味がないということ。
なあんだ、それなら私も同じ。車に魅力を感じたことがないし、運転免許さえ持ってない。
ここまでは良かったが、次々に出てくる事例に、世代の特徴が浮かび上がってきた。
お酒を飲まない。
海外旅行に行かない。
お金を使わない(例外として出ていたのが、「東京ガールズコレクション」に熱狂する女の子たち)。
ものすごい資産を持っている個人トレーダーが、東京が見渡せる4億円のマンション(殺風景なインテリア)に住みながら、食事は立ち食いうどんやカップ麺で済ませている姿は象徴的だった。
いったい何が楽しくて生きているの? 

しかし、今の若者は自己投資をしない、生活を楽しむということをしない、とは言い切れないことが、番組の最後で明らかにされてくる。
身の丈の生活の中でそれなりに楽しんでいるし、社会貢献の意識は強いのだという。
幼い時のバブル崩壊や就職氷河期の記憶から、とにかく不安感が強く、貯蓄に励んでいるというのだ。貯蓄の目的を聞かれて「老後のため」と応える20代の彼らに、老後間近でも貯蓄のない自分は、ただただ唖然。
「楽観的」というと聞こえはいいが、「自己投資」「お金は天下の回り物」という言い訳で、あまり先のことは考えずに、お金はあるだけ使ってきた。というより、無くても使っている。
そういう自分の生活を変えなければいけない時期に来ている(もう遅いか)ことを、まさに子供の世代から教えられた。そういう番組であった。
 2008/06/02 11:35  この記事のURL  /  コメント(2)  / トラックバック(0)

ブログ100回達成!
昨年の10月末にブログをスタートさせて、まる7ヶ月。おかげさまで、今日で100回目を迎えることができた。
他の方々とは比べものにならないと思うが、アクセス数も6月には累計10000回を超えた。感謝、感謝である。

熱心に誘ってくださった千金楽さんには、心からお礼を言いたい。
最初は、できれば本名を出して、顔写真も載せてと、何度も勧められたが、そのうちに諦めてくださったか、今では「・・さんは今のままでもいいよ」とおっしゃっていただけるようになった。
ここで白状する必要はとくにないが、実は「上野君子」という名はペンネーム。30年以上も前に亡くなった私の祖母の昔の名前である。
肩書きや名前が持つ固有のイメージに束縛されずに、自由に書きたいことを書くための手段として選んだのだが、個人的には、このブログは、私を今も守ってくれている祖母に捧げたいという思いもある。

ブログのネタを探しながら、日常の些細なことでも、いろいろなことを意識して考える習慣がついたことは本当に良かった。
そして、何よりブログのおかげと思うのは、友人たちとの絆が深まったこと。このブログを「お気に入り」に入れて、頻繁に読んでくれる友人(一度も会ったことがない人も含めて)がいる。遠く海外にいる友人とも、お互い身近に感じられるようになった。本当の自分を理解してくれるいい友人に恵まれて、私は本当に幸せだなあとつくづく思う。

その人から生み出されたものというのは、まるでリトマス試験紙。書いたものをどうとらえてくれるかによって、私自身にどれだけ興味や好意を抱いていてくれるかだけでなく、その人の本質や価値観が手に取るように分かる(えらそうで、すみません)。
服装やインテリアというのも、大切な表現の一つだから、それに近いものがある。
だから、「真面目」「語調がきつい」というような表面的な反応は、ちょっと寂しい。

ブログやSNSにありがちな、当たり障りのない口調、他人に媚びたような文体というのは、私には書けない。というより、私らしくない。私は私のスタイルで、続けよう。
直球すぎるところもあるが、これからもここでは自分の気持ちをストレートに表現していきたいと思っている。何事も絶対的自己肯定で行くのが、「ウェルエイジング」の秘訣だ。
皆さん、今後もよろしくお願いします。
 2008/06/01 14:07  この記事のURL  /  コメント(3)  / トラックバック(0)

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