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今、話題のニュービジネス、「洗濯代行サービス」の取材で、なるほどと思うことがあった。 日本人特有のメンタリティとして、自分の家になるべく他人を入れたがらない(家の広さに関係なく)。ホームパーティをあまりやらないことを考えても明白だ。 寝室など、親しい人しか入れないパーソナルスペースがあるのではなく、日本人の場合は家全部がパーソナルスペース。これはどうやら農耕民族の特性らしい。 だから、家事のアウトソーシングの成功の秘訣は、家の中に入れることではなく、外に出すことだというのだ。 確かに、食事だって家に料理を作りに来てもらうのではなくて、食べ物のデリバリーだし、育児保育も家にベビーシッターさんに来てもらうのではなく、預けるための外の施設。ハウスクリーニングもベビーシッターも、家の鍵を預けて、自分たちは外出してしまうということをできる人はまだ少ないだろう。 欧米諸国では、これは移民救済の意味合いもあると思うが、あるレベル以上の家には、毎日ではなくても家の掃除、または料理をしてくれる人が通ってくるケースが多い。リーズナブルな価格でそういうことが可能な社会のシステムができている。 中国でも、事業家の家では使用人を置くことが普通だという。 考えてみると、余程の家でない限り、家に家族以外の人がいないのは日本だけではないだろうか。 (ちなみに戦前は違う。祖母は昔よく、田舎から出てきて住み込みで家の用事や子供の世話をして、家族のようにしていた「ねえや」の話を懐かしそうにしていた) 核家族で共稼ぎ家庭が多いのに、男性の家事・子育て参加が一般的にはまだ低いから、どうしても女性だけに負担がかかってしまう。 それでも他人に料理や家事をしてもらうことに、女性自身が罪悪感を持ってしまうのだ。男性の意識もそうだが、仕事も家も完璧にしようという女性の意識も変わらなくてはならない。日本の女性ほど家事が好きな人たちもいないだろう。知らないうちに伝統的な「良妻賢母」を植え付けられている。 ちなみに、私は妻でも母でもないが、家事は全般的に嫌いではない。 でも、これが老人介護によって徐々に変わっている。 以前は家族だけでどうにかするものであった介護だが、少しずつではあるが、コミュニティやプロの力を借りることが当たり前になってきた。そうではなくては家族がつぶれてしまう。 介護という切実なニーズによってだが、家に他人を入れるようになってきたことは、いい兆しだと思う。 |




