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コミュニケーション努力が足りない
仕事で接客にかかわっていて驚かされるのは、傍若無人なお客の態度である。
店の販売員と客は対等な関係ではないという、日本独特の伝統も根強い。これは海外を幅広く体験している人ならわかるはずだ。

「お客様は神様」という小売業の精神か、「士農工商」の名残か、とにかく客の方は販売員に対して個人対個人の関係として気を遣うということがあまりない。
日ごろのうっぷんを吐き出すようなひどいクレームというのは特殊な例としても、目を合わせないのは当たり前、言葉を発さない人も少なくない。
新聞の投書欄などでも最近よく話題になっているので、ますますエスカレートしているのだろう。

匿名で人を攻撃するというネット全盛時代の産物といえるのかもしれない。まさに「不寛容な時代」のあらわれだ。
その心無い一言が、販売員をどれだけ傷つけているか。
販売員だって生きている人間だ。心無い一言がその人の一日を(あるいは一生の場合もあるかも)、台無しにしてしまうか、ちょっと想像してみる余裕が欲しい。

何事もコミュニケーション下手な日本人。
仕事の人間関係、友人関係、さらに夫婦関係など、あらゆることに共通する問題がここにある。ヒエラルキーや上下関係の中での一方通行があまりに多い。
大切なのは、笑顔、挨拶、言葉がけ、(プライベートな関係であれば)スキンシップ…。
おおげさといえるほど行動に表わさなくては相手には伝わらないのである。

 2017/05/26 08:59  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

「みんなと一緒」が苦手
「みんなと一緒」というのが私は苦手だ。10代の頃からそうだった。
当然のごとく、一匹狼のフリーランスで30年も孤高(?)に仕事をしている。

ところが、近年、組織の一員として仕事をしなくてはならないことができて、どうしてもなじめないものを感じる。
どうして皆が同じでなくてはならないのか、同じことをしなくてはいけないのか。
個性も能力もそれぞれ、人というのはそれぞれに役割が異なるものなのに、仕事=効率的な作業と考えているような人はその価値観を他者にも押し付ける。
これが耐えられない。
インターネットの普及によって、(良くも悪くも)最近は年齢のヒエラルキーがなくなってしまったから、年長者だからといってえらそうにはしていられない(いや、逆に「一緒」にできない年長者は肩身が狭い)。

それはともかく、今年のこのハロウィーンの狂乱は一体何だろうか。
年々エスカレートして、今年などはもう異常というしかない。
子供も大人も、日頃のストレスのガス抜きというのは理解できる。

商業施設やスポーツクラブなどでは、ハロウィーンは販促の絶好の機会なのだろう。
昨日、スポーツクラブでグループエクササイズのクラスをとろうとしたら、その前にヘンテコな帽子をかぶって皆で写真を撮るというから、私はトイレに行くふりをして、逃げた。
普段、話もしないような人たちとなぜその時だけ仮装して一緒に写真におさまらなくてはならないのだろうか。

私のような感覚は、海外ではごく普通だと思う。
日本の社会が特殊なのである。
「個」が大事といいながら、現実は逆行しているような気がする。
少数派をつぶすような社会は危うい。
私は変わり者の少数派で通したい。
 2016/10/31 18:29  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)

Facebookのつぶやき
最近、Facebook(フェイスブック)への投稿が増えるのと反比例して、このブログ頻度が激減。
友人の中には、Facebookに参加していない人も少なくないので、こちらもフォローしていこうと思うのだが、ついついFacebookの気軽さに頼ってしまう。

Facebookというのは、どちらかというと文章というより写真で伝えるもの。写真のインパクトが「いいね!」のリアクションを左右するものだ。
時々、やたらに長い文章を投稿している人がいるが(従来型ライターの人にそういう傾向が)、はっきり言って、あまり読む気にはならない。
ちなみに、LINE(ライン)はリアクションをスタンプで競うところがあって、私はラインを活用はしているが、のめりこむことができない。

本日、Facebookに以下の投稿をしたところ、写真なしの地味なつぶやきにもかかわらず、予想以上の反響を得てしまった。

私、最近ますます思うのですが、魅力的な人とモノに出会いたい。そしてその感動を伝えたい。私の人生はそれだけで幸せ。

通常は私も写真付き投稿がほとんどなので、このように字だけというのは珍しい。
それでも思わずつぶやいてしまったのは、これはまさに最近の私の実感だったからだ。

この背景にあるのは、「魅力的な人やモノ」以外を切り捨てたいという正直な気持ち。
もう人生もそれほど長い時間があるわけではない。それを無駄なことには使いたくないが、食べていくためにはそんなことも言ってられない。
それでも、私が求めているのは「魅力的な人やモノ」(特に「人」の方)であることをあえて言いたかったのだ。
それは現在生きているものかもしれないし、過去に存在したものかもしれない。いずれにしても現在の自分自身とつながっていることには変わりない。

この「魅力的」というのはあくまで私の主観である。私なりの美意識というものがベースにある。
それに共感し支持してくれるのは、決して多数派ではないだろう。分かってくれる人だけでいいと思う。

「魅力的な人やモノ」――それは私が生きていくうえで必要なもの。
おおげさにいうと「命」。場合によってはそれに人生をささげてもいい。
それがなくては私は生きていけないというものを私は求めている。

このような説明はFacebookには向かない。
こういう青臭いことが書けるのが、ブログの良さだろう。
 2016/09/12 18:38  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

有名人の病気報道は異常
人気歌舞伎俳優の妻でフリーキャスターの女性が、1年8か月前から乳がんで闘病中ということが発表され、NHKの7時のニュースを始め、各局のニュース番組で大々的に取り上げられている。
その扱い方が異常だと思うのは、きっと私だけではないだろう。
まだ存命の人なのに…。どうしてこのように病気のことをニュースにしなくてはならないのか。
有名人というだけで記者会見をさせられ、このように報道されるというのはいかがなものだろうか。

それはともかく、就学前の子供を二人抱えて入院している母の気持ちというものは痛いほど伝わってくる。
実はうちの母も、私と妹がまだほんの小さい時に、肺病の疑いで数か月入院したことがあるという。
同居していた祖母がいろいろ面倒見てくれたからいいものの、あの時はどうなることかと思ったと、半世紀前のその時のつらい気持ちをまるで最近であるかのように、昨年の今頃(母が亡くなる2か月前)も話していた。

私はその母の入院をおぼろげながら覚えている。
入院中の母は、雑誌のグラビアのカラーページ(紙)を細かく割いて巻き、こよりのようなものを作り、それをつなげて簾のようなものを作っていた。
そういうふうに手でも動かしていないと、居てもたってもいられなかったのだろう。
結局、病の疑いが晴れて退院できたのは本当に良かった。

その歌舞伎俳優の奥さんも、どうか快方に向かわれますように。
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 2016/06/09 21:34  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

「愛」に行きつく
最近、某老舗出版社のベテラン編集者(50代前半女性)と知り合った。
有力誌の編集長を歴任してきた方なので、立場上、女優やアーティスト、作家などいろいろな著名人、一流の人々に接する機会も少なくない方だ。

その方と食事をしていて、話題が「愛」になった。
「惜しみなく愛を」という某有名写真家のエピソード、そしてインタビューの秘訣をという問いに対し、対象者に愛をもつことと答えたという国際的超人気作家のエピソードなどを交え、彼女は今おきている世界の情勢も、「愛」があれば…というのだった。その話に、私は深くうなずき、その会話から数日経った今、やはりすべては「愛」に行きつくという確信のようなものに変わっている。

戦争や民族紛争というものが、日本人にとってはまだ遠いものに感じられているかもしれないが、私たちの周辺に「戦争」や「諍い」はたくさんある。
イジメの問題、家族間の問題、競争社会における諸問題等々、個人も国もその根にあるものは共通しているのではないだろうか。
異質な隣人に対して、私たちは嫌悪感(いつしか憎しみに変わることも)で接することがいかに多いことか。

嫌いな相手、苦手だと思う人にも、とにかく「愛」で接すること。自分自身にそういう願をかけるのでもいい。妄想でもいいでないか。
一人ひとりがそういう努力を続ければ何かが変わるのではないかということだ。
日本人は「愛」を口にするのが苦手かもしれないが、おまじないでも何でもいいから、とにかく愛することから始めよう。

クリスチャンだった母は、ある時から、究極は「愛」にあるということに行きついた。
先日、父と共に納骨を済ませ、お世話になった皆さんにご挨拶状をお出ししたのだが、その最後を母の愛した次の聖句で締めくくったのだった。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。            (コリント一、13:4‐8)

もちろん、「愛」が宗教や民族の違いを超えることはいうまでもない。
 2015/12/11 11:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

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