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インタビューの難しさ
北京オリンピックも終盤。
それにしても、種目の多さはものすごい。テレビ放映も、人気の競技を追うばかりで、中国の今や人々の様子を紹介するような余裕は微塵もなさそう。

テレビ放映を見ていて感じるのは、インタビューの難しさ。
メダルをとった選手にも、メダルを逃がしてしまった選手にも、もう少し聞き方というものがあるんじゃないかと思う。
私がやれって言われても、きっとうまく出来ないのは分かっている。
時間をかけて気持ちが和んできたところでじっくりというわけにいかない。勝負の決まった直後に、選手の気持ちを瞬時に引きださねばならないから、本当に難しい。
元スポーツ選手だったキャスターが活躍している理由も、このへんにあるだろう。
種目が違っても、スポーツ選手の苦楽を理解できる人になら、ホンネを打ち明けられるという…。

「どうでしたか?」「どんな気持ちですか?」なんて、ありきたりの質問も間が抜けているが、疑問文ではなく、「・・・でした」と状況を伝えて、無理に感想を聞くのも何だか不自然な感じ。
マスコミ慣れした選手は、メディアを意識した言葉を考えたりもするだろう。
でも、そういうふうに用意した言葉でなく、言葉にならない言葉というものをいかに引き出すことができるか。これはインタビュアーのクオリティにかかっている。

そういえば、開会式のテレビ中継アナウンスも間が抜けていた。
外出先から遅く家にもどり、途中から各国選手の入場行進を見たのだが、まず何の順番で出てくるのかさっぱり分からなかったし、日本選手の入場が早い時間帯に終わっていたことはひと言も説明がなかったから、あの長たらしい行進を最後まで見るはめになってしまった。
あれだけ多くの国が一堂に会す機会はそうないのだから、もう少しそれぞれの国の紹介(選手だけでなく文化の背景など)というものがあってよかったのではないか。

各国首脳の席では、堂々とした貫禄ある体格で、いかにも人のよさそうな、モナコのアルベール2世(グレース王妃の息子)の姿を見逃さない私であった。蛇足ですが。

追記:自国の選手が行進している時に、起立して拍手しなかった首脳は、日本の福田首相だけだったそうだ。
 2008/08/19 16:00  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

時間は存在しない
ヘッセの『シッダールタ』(新潮文庫)を読み終わった。
ヘルマン・ヘッセを読むのは、中学生時代の『車輪の下』以来ではないだろうか。
インド思想をベースにした同書を、書店でふと手にとって購入したのは昨年。すぐ読み始めたが、いろいろなものを並行して読んでいるうちに中断してしまっていたのを、再び読み始めたのだ。特に後半が圧巻で、もう引き込まれるように読み終えた。
「シッダールタ」とは、釈尊の出家以前の名。この本は、シッダールタを主人公に、求道者が悟りに達するまでの体験の奥義を探ろうとした作品だ。
文庫でほんの8ミリほどの厚さだが、ここには実に深いものが詰まっている。

「あらゆる真理についてその反対も同様に真実だということだ(中略)世界そのものは、われわれの周囲と内部に存在するものは、決して一面的ではない。人間あるいは行為が、全面的に輪廻であるか、全面的に涅槃である、ということは決してない。人間は全面的に神聖であるか、全面的に罪にけがれている、ということは決してない。そう見えるのは、時間が実在するものだという迷いにとらわれているからだ。時間は存在しない。(中略)時間が存在でないとすれば、世界と永遠、悩みと幸福、罪と善の間に存するように見えるわずかな隔たりも一つの迷いにすぎないのだ」
「罪びとの中に、今、今日すでに未来の仏陀がいるのだ。(中略)世界は不完全ではない。完全さへゆるやかな道をたどっているのでもない。いや、世界は瞬間瞬間に完全なのだ。あらゆる罪はすでに慈悲をその中に持っている。あらゆる幼な子はすでに老人をみずからの中に持っている。(中略)抵抗を放棄することを学ぶためには、世界を愛することを学ぶためには、自分の希望し空想した何らかの世界や自分の考えだしたような性質の完全さと、この世界を比較することはもはややめ、世界をあるがままにまかせ、世界を愛し、喜んで世界に帰属するためには、自分は罪を大いに必要とし、歓楽を必要とし、財貨への努力や虚栄や、極度に恥ずかしい絶望を必要とすることを、自分の心身に体験した」

マーケティングやマスコミは、物事を分かりやすく伝えるために、言葉で人々を区別し、決め付けてしまうことが多々ある。それも時には必要ではあるが、そういう情報だけに惑わされないことが、今こそ求められている時はないのではないか。
「時間は実在しない」という輪廻の思想はますます興味深い。

この本を読み終えた時、今、世の中でおこっているあらゆること、自分自身におこっていること、そのすべてを受け入れよう思った。すべては川の大きな流れの中に組み込まれ、変化しているだけに過ぎないのだから。
 2008/07/05 12:01  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

シャネルモバイルアート
午前中、広告ディレクター兼グラフィックデザイナーのIさんから、電話があった。
国立代々木競技場・オリンピックプラザで開いている「シャネル・モバイルアート」のチケットが2枚あるから、今日の午後、一緒に行かない?と急にお誘いを受けたのだ。
行く! 急いで午後の予定を調整。
ザハ・ハティド設計のパビリオンが、香港を皮切りに東京、ニューヨークと世界を巡回することで話題の美術展。入場料無料だが予約のみの限定したかたちで開催していて、もう無理かなと諦めていたのだった。

パビリオン内部は、シャネルのシンボルであるキルティングバッグをテーマに、20人の国際的なアーティストの作品が展示されている。
パビリオンに到着して、分刻みの予約制にしている意味が分かった。
入場者一人ひとりが、入り口で耳に装着したMP3に導かれ、まるで映画を見るように館内を見て回るようになっている。

モダンアートだけに奇抜な作品も少なくなかったが、私が一番好きだったのは、アルゼンチンのLeandro Erichによる「歩道」という作品。
シャネル本店のあるパリ・カンボン通りの建物の連なりが、歩道の水溜りに反映されている逆さまの映像を描いたビデオアートで、時間とともに光と影が微妙に変化するのが美しかった。

パリではよく外から窓を眺めて、その中にどんな人が暮らしているのか想像するのが、私は好きだ。特に夜は美しい。趣味のよい照明や調度品が見えていたりすると、ますます想像力がかきたてられる。映画のワンシーンのように。
日本のようにカーテンやブラインドでしっかり目隠ししたりせずに、半ば見られることも計算に入れているようなところがある。そういうのがフランスらしいなと思う。

そんなこんなで45分位の間、いろいろな作品を楽しんだ。オノ・ヨーコの作品である願い事をかける木に、七夕のように札をひっかけて、会場を出ようとすると、そこに「ジャンヌ・モロー」のアーティスト名の表示がある。
え! どれだったんだろうと思って、会場の人に聞くと、MP3の日本語以外の言語(英語、フランス語)が彼女の声だったという。
それは最初に言ってほしかった。ジャンヌ・モローの声に導かれて、このアート展を楽しみたかったと、会場運営者をちょっと恨んだ。
 2008/06/24 21:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(3)

I‘M NOT THERE
昨日午後、渋谷で『アイム・ノット・ゼア』という映画を観た。
実在の歌手、ボブ・ディランをモデルにしたもので、ディラン自身が製作を許可した唯一の伝記映画らしいが、ただの伝記ものではない。
監督は、アメリカのインディペンデント系のトッド・ヘインズ。以前に、ジュリアン・ムーアの『エデンより彼方に』を観たはずだが、その内容はまったく覚えていない。一般には『ベルベット・ゴールドマイン』の方が知られているかも。

ボブ・ディランという人物に、特別な興味や思い出があったわけではない。
人間を描く、伝記の手法というものを知りたいというのが、私の下心。

136分もの長編で、その中には6人のディランが登場する。しかも全部違う名前。
「アルチュール・ランボー」と名乗る詩人、11歳の黒人少年、偽りの結婚生活を送る映画スター、60年代の華麗なるロックンロールスター、シンガーソングライターで教会の牧師、西部開拓時代のアウトロー。
それぞれ時代設定も違う物語が時々入り乱れ、最初は何のこっちゃという感じだが、観ているうちに、これは6人のバラバラな人の物語を通して、1人のボブ・ディランという人の実像に迫ろうとしていることが徐々にわかってくる。
そもそも人間というのは、いろいろな側面を持っているのだ。
人間の本質は、性別、人種、時代を超える。

お馴染みの俳優が何人も登場しているが、しかし、「華麗なるロックンロールスター」を演じたケイト・ブランシェットにはたまげた。
顔も体つきも、どうしてこう違う人になりきれるんだろう。
銀座アルマーニタワーのオープニングで微笑んでいた、あの女優とは全くの別人。
男装とか、ディランの物真似といった域をはるかに超え、見事に「カメレオン女優」のキャリア更新だ。
 2008/06/19 17:18  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

こんな仕事がしたい
私はHNK・ETV特集のファンだ。映像と文字の違いこそあれ、ドキュメンタリー番組はノンフィクション文学にも近いものがあって、その番組作りの裏側に思いをはせてしまう。昨夜放映された「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを取り続けた男」には、深く感銘を受けた。
番組の主人公にも、番組の制作者にも敬意を表したい。

最近、アカデミー外国映画賞をとった最新作『カティン』。アンジェイ・ワイダという監督の、その生い立ちから、この映画を生みだす経緯がたっぷりと描かれていた。
内容はもちろんのこと、この監督の人間としての魅力(容姿も含めて)にも引き込まれるものがあった。いい仕事をする人はかっこいい。

『灰とダイヤモンド』『地下水道』という題名とともに、アンジェイ・ワイダは何か気になる存在だったが、実は一度もその映画を観たことがない。
ポーランドと聞いて思い出すのは、かつて英語学校で一緒だった大学院生がポーランドを専門にしていて、何年か住んでいたという話を聞いたことぐらい。連帯のワレサ議長のことなど、何度もニュースなどで見聞きしていたはずだが、この国についての知識はほとんどなかった。

作品ごとの、政府の検閲との駆け引きは、まさにドラマのようだった。
アンジェイ・ワイダ監督は真っ向からぶつかったり、闘ったりするのではなく、好機を待つ。聴衆の良心を信じ、違う表現で、聴衆に訴える。「これで充分に理解してくれる」と。限られた条件内でいかに伝えるかを考え、しかも自分の信念は少しも変えないところがすごかった。
時間が経てば、状況は少しずつ変化するものだ。あせってはいけない。要はそのタイミングをいかにつかむか、そのためにはいつでも発表できるように準備しておかなければならない。
長年封印されていた事件も、いつかは明るみに出来るときが来る。
そうして、監督のライフワークの集大成のように、最後の作品として、自分の父親が虐殺された「カティン」事件を題材に、自分の母親を主人公にして映画を作ったのだった。

長い時間をかけて、自分の命をかけて、伝えていかなければならないものは、私にとって何だろう。
 2008/06/16 12:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

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