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私は怒っている。怒りを通り越して絶望している状況ですらある。 ただでさえパッとしない年の瀬に、暗い話で恐縮だが、これは誰かが言わなくてはならないことだと思う。 問題は、「原稿料」についでだ。 先日、長いつきあいのある某媒体からの振込みを見て、愕然とした。 明らかに半額に値下がりだ。 その原稿を書くのにどれだけエネルギーを使い、自分自身に投資しているか。私でなくては絶対に書けない原稿であったと自負しているが、そんなことをここでいうつもりはない。 会社の事情があるのは分かる。だが、担当者からはひと言もないのが納得いかない。 こういう時に大切なのは、人としてのコミュニケーションの問題であるとつくづく思う。 ベールに包まれて一般には分かりにくいものだが、もともと「原稿料」というものは恐ろしく安いものであった。 雑誌で1ページ1万円ちょっとという原稿料で連載を続けている時、ある人に「今どき、こんな世界があるのか」と驚かれた。 フリーランスになって20数年。私はことあるごとにこの問題に直面し、時には原稿料の値上げ交渉も行い、かなり煙たがれてきた。 これは自分自身の問題だけでなく、後に続く同業者にとっても、きちんとした道筋を作っておく必要があると思ったからだ。 コンサルやマーケティングの先生方にとっては、メディアへの寄稿は一つの販促でもあるから、まだいいだろう。 きちんとした定収入のある会社勤めの方々にとっては、原稿料はポケットマネーとなるアルバイト代のようなもの。 でも、原稿料で生活をしていかなくてはならないフリーランスのライターにとっては、これはまさに死活問題だ。 今年、私は初めて、「フリーライター」という職業の危機を痛感した(ここまで感じることは今までなかった)。もうその市場がなくなっているのだ。 インターネットの普及で、情報がただで手に入ることが当たり前になり(同時にアマチュアライターが増大し)、出版社も新聞社も火の車だが、その一番のしわ寄せは外部スタッフに来ている。 個人というものは本当に微力で、私も含めて、周りのライター職の人々は、本業とは異なるアルバイトをしなくてはならない状況だ。 (今、アルバイト市場もすごいことになっていて、おそらく正規労働者も多数介入しているせいか、ものすごい競争率。50代にもなるとさらに可能性が狭められる) 日本のファッションを語る時によく言われるのが、ファッションジャーナリズムの不在。 かろうじてそれを担っているフリーランスの人々が消えていく。 時代がそういう判断を下すのなら、それも潔く受け入れるしかないのかもしれない。 |
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ややセンセーショナルなコメントだったかもしれませんが、「私も、私も」という声が。 カメラマン、デザイナー、そして製品を作る工場さんも状況は同じです。 企業の方々、自社の社員を守るだけでなく、業界の「質」をどうすればキープできるかという視点をもう少し持ってくださいませ。 |