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21年前の上海!
私が初めて中国に来たのは31歳、1993年の4月、前々職のワールド時代。当時は海外研修制度というものがあり、その第2回目に応募してめでたく合格し上海に研修(午前は交通大学で中国語の授業、午後から実務)に来たのがキッカケ。正直言うと・・・私の海外研修の希望地はミラノ、当時ワールドの現地法人が有った先を自由に選べた(NY、パリ、ミラノ、上海、台湾に現法有り)、「服と言えばイタリアでしょう!」という事で希望先にミラノと書いたものの、結局選ばれた4人全てが上海で6ヵ月に渡る海外研修スタート。もちろん、全く中国に興味が無かった私は、ニーハオ、シェシェ、くらいしか知らず、中国語習得は相当苦労しました。「発音、文法、会話」の3つを習いました、特に中国語では一番重要な発音/ピンインを徹底的に叩き込まれました。当時は「果たして、この状態で中国語を話せる様になるのだろうか・・・?」と不安しか有りませんでした。学生時代にもこんなに勉強した事がないほど一生懸命に夜も復習する毎日、不思議な事にそれだけ集中して勉強すると、6ヵ月経つと相手の話している事(ヒアリング)が分かり、徐々に相手と話し(会話)が出来る様になるんですね。そこからは、会話が楽しくなり中国語の魅力にはまっていきました。その後、研修からそのまま数年駐在し、激動の中国を体感する事になりました。
今となっては、その6ヵ月間に苦労した甲斐があり、中国で起業しビジネス上でも何の苦労もせずに中国語を話せ、中国アパレル企業との研修に於いてもコミュニケーションツールとして活用しています。
9/末に婁山関路駅近くにOPENした金虹橋MALLのAPITA
日本食材も揃い、ローカル、日本人で賑わっています
日本製品は割高ですが、品揃えは日本並み



たまに、あの時、上海ではなくミラノに行っていたら、私の人生はどうなっていたのだろうか・・・?と考える事があります。もちろん今は「結果的に上海の研修で良かった」と心底思っています。当時の上海は本当に生活は不便で、旧き良き中国の風情そのものでした。丁度、ケ小平氏の唱える改革開放の最中、今の上海を知っている人からすると信じられ無いと思いますが、まず虹橋空港のみで浦東空港も無く(高層ビルが建ち並ぶ陸家嘴地区も無い)、市内を走る高架道路、地下鉄もなく、もちろん新幹線(高鉄、動車)は夢の世界、これを言うと驚かれますが,上海の日本人街である古北地区もまだ畑でした。当時一番背が高いビルは南京西路にあるポートマンホテル(今のリッツカールトンホテル)、今や上海の街中に犇めく日本食レストランも、石門一路に有った元祖伊藤屋、上海賓館に有った河久、エアポートホテルのシャロンなど全部で20軒ほど、当時まだ少なかった日本人駐在員がその少ない日本食レストランに夜な夜な勢揃いという状況でした。或る意味皆顔見知りというアットホームな感がありました。バーと言えばガーデンホテルの夜来香、ここでも必ず知合いが居ました。日本食材もほとんど無く、哈密路に美濃屋が出来た時は駐在員家族は感動したものです。今は華やかなワイタンも暗く、和平飯店から人民広場も今の様な歩行者天国では無く、狭い片側1車線という通りでした。通貨も今の人民元では無くFEC(外国人が使う兌換券)を使っていました。住む所も今の様に自由に何処にでも住めるのではなく、外国人が住むエリア、マンションが決められていました。

何もかも無い無い尽くしで確かに不便では有ったけど、私は当時の町並み、素朴な人々(人民)が大好きでした。それに比べて今は、異常なくらいのスピードで発展しています。旧い建物が壊され高層ビル、マンションが建ち並び、高架道や地下鉄が出来、人も外地(上海以外の地方)から流入し、上海語を話す上海人の肩身が狭くなった感があります。我々日本人にとっても異常な数の日本食レストラン、食材スーパー、エステ、日本ブランドの服屋、何でも揃う大都市になった事を喜ばしく感じています。ですが若い駐在員がたまに「上海は何も無くて不便だ〜、やっぱり日本が良い」等と言う話しを耳にすると、それはそうかも知れないが、昔の上海を知っている自分からすれば「何を贅沢言っているんだ、会社から日本では住めない様なマンションを与えられている立場。ここは当然ながら日本では無く外国、不便が嫌なら日本に帰れば」と言いたくもなり、非常に残念な気持ちになります。おかれた環境で、精一杯仕事もやりプライベートも謳歌して、色んな事を経験すれば、必ず自らの将来に活かす事ができると思います。いま色々と文句を言っている彼らがこれから21年後に「2014年の上海は不便だったけど、あの時代を経験出来て良かった」と言ってもらえると嬉しいです。こんな風に思うのは私が歳をとった証拠ですね(笑。

いずれにしても、上海、中国が今後どのように発展していくか?を、この目で引き続き見続ていきたいと思います。

それでは!

 2014/10/25 01:20  この記事のURL  / 



プロフィール
内田 文雄(うちだ ふみお)
上海在住。2011年 上海にてVMDコンサルティング会社 碧詩商務咨詢(上海)有限公司 設立。現在の仕事は「売れるVMD」を基軸に @中国アパレルに対してのSPA構築セミナー、月/週次指導 A中国、アジア地域に展開する日系ブランドのVMD&インテリアデザインディレクション B中国/日系ブランドへの売場活性化クリニック C新店OPENディレクション D販売スタッフへのVMD教育育成指導。いつでもお気軽にお問い合わせ御待ちしております。 モットーは「VMD IS MY LIFE!」    1984年から(株)ワールドにて数々のブランドのVMD業務に携わり、1993年に上海交通大学に留学、その後上海駐在。2005年4月ファーストリテイリング (株)ユニクロに転職、VMD部門の日本、グローバル(欧米、アジア)全体の責任者として、ユニクロのグローバルVMDの仕組み構築、店舗スタッフ育成指導、国内の大型店、海外グローバルフラッグショップのディレクションを担う。2010年8月ユニクロを退職し起業。 IFIビジネススクールVMD講師。

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