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アーモンドの発芽


春になったら花が咲くようにと埋めた花の球根。
その球根の場所を別の場所に移動する必要があり、
すっかり行方不明気味になってしまった球根を探すことにした。

なんとなく下草が少ないところ、
掘り返して土が軟らかくなっているところ、
落ち葉や下草をどけながら手探りで球根サーチをしていた。
きっとヘッジホッグ(はりねずみ)もこんな感じで、
鼻をフガフガならしながら土の上を徘徊しているのかもしれない。
柔らかい土というものは生きるものすべてに希望を与えている気がする。
トリフを探す犬並の嗅覚(私の場合触覚)で、
4つめの球根を探しあてたころ、
数ヶ月前、アーモンドの殻をたくさん捨てたところの近くに、
アーモンドの実が発芽しているのを見つけた。

薄皮のあの血管のような筋、
すぐにアーモンドだとわかるこの帽子をかぶった新芽は、
どこからどうみても、すぐ上に大きく枝を張っているマザーツリーの子どもだ。
よく見ると、アーモンドのとがった部分が下向きで、
そこから根が発達するようになっているみたい。

毎年たくさんのアーモンドの実が落ちるけれど、
苗など見たこと無かったので、
内側の殻も固いし、きっと発芽するのがとても大変な植物なのだろう、と思っていた。

たまたま発見したこのベビー・アーモンド。
踏みつぶしたりチョップしてしまわないように、
そっと、それほど遠くないところから成長を観察したいと思う。

ワイヘキ島の秋冬はほとんど初春と同じで、
春に花を咲かせる木が秋にも咲くことがある。

植物の生態はまだまだ私にはわからないことばかり。
環境ごとに変化したそれぞれの植物の秘密が少しずつひも解かれていくようだ。
 2014/05/31 04:16  この記事のURL  /   / トラックバック(0)


早朝散歩、冒険付き


ワイヘキ島は、昨日から完全かつ決定的に冬に入った。
あ、今日から冬だ、とはっきりわかるのはなぜだか気持ちがよい。
これで家の中も外も、迷うことなく徹底的に冬支度ができるというものだ。

この島は冬に雨がたくさんふるので、
明け方霧に包まれていることも少なくない。
数日前からこの朝靄の中散歩に出かけることが恒例になってきた。

散歩のルートは無限にあるので、毎朝違うコースを散策する。
いや、まだコースとも呼べないそれは不確定要素に溢れている。
散歩中に見たもの聴いたもの嗅いだもの感じたもの、
それらを丁寧に脳の引き出しに入れながら歩いているつもりだけれど、
その中身を意図的に出そうと思うとなかなかこれがむつかしい。

それでも鮮烈なものだったり必要なものは忘れない。
たとえば今朝はわりと大胆に盛られた馬のPooh(落とし物のことです)に出会った。まっさきに考えたのは、なんとなく欲しい、あとで回収に来るべきか?ということ。馬のPoohの肥料はなかなか売っているものではないのでまぁ貴重なのである。

そして散歩は続き、海に出たり、湿地に出たり、
リタイアメントしたご高齢の方々が集まって住んでいる住宅地に出たり、
誰かの家の裏庭的な細道につながったりしていく。
私は小道というものにとくに興奮してしまうので、
どこに繋がるかわからない小道に出会ったときの冒険気分はたまらない。

散歩もだいたい1時間くらい経過すると、
そろそろこのあたりにコーヒースタンドかなんかあってくれると嬉しい、
と思い始める。例えばそれがごつごつした岩場であっても。

移動式のコーヒースタンドはEarly Morning Walkerにとっては欠かせないもののような気がする。



この島の場合、コーヒースタンドは常連客が集まる重要なコミュニケーションの場所みたいだ。みな朝靄のなか親しそうに会話している。
こういうのってなんだかいい。

冒険付き散歩に出ると、また次回への課題が加えられて帰宅することになる。
さっき曲がらなかった道はどこに続くのだろう?
野菜の値段が書かれた看板があったけれど、その先に採れたて野菜市場でもあるのかな?
遠くに見えるあの浜辺に今度ボートで上陸してみたいねぇ。
などなど、まぁのんびりこなせばいいささやかな課題なのだけれど。

そして我が家に帰りつく。

 2014/05/27 09:40  この記事のURL  /   / トラックバック(0)


英字新聞のぱらぱら見


ところでわたしは、
「必要な情報は必要な時に向こうからやって来る」
と、かたく信じている。

それは、ほとんど読めない英字新聞をながめているときも同じである。

この島には2つのオリジナル週刊新聞があり、
両方ともフリーペーパーなのでタダで手に入る。
そこには島の小さな(といったら失礼なのかもしれないけれど)出来事が、木箱に入った愛情たっぷりに育てられた野菜みたいに並んでいる。

英語新聞記事の私の見方は、ぺらぺらめくっているときに、
私を呼んでいる記事を読む、ということにしている。
そもそも英文読解力にやや問題があるので、
根気よくたくさんの記事を読むことが出来ない。

けれど、だいたい1部につき必ず1つは、
私が求めている情報を掲載した記事を見つけることが出来る。

ワイヘキ島の周りにはたくさんの小島があるのだけれど、
あの島はなんだろう?人が住んでいるのかな?
あんなところでどうやって生活するのかしら?
と思っていると、その島から通う双子の男の子の通学記が載っていたり。

ちょっとサービスが行き届かない店だなぁと思っていたレストランがあるとすると、そのレストランについて「僕がこのお店をお薦めする理由は、料理が美味しいだけじゃなく、彼らが頑張りすぎていないところが好きなんだ」という記事が載っていたりして、
はぁ〜なるほどねぇ、そういう見方もあるわけだ、ふむふむ。
なんて読みながら妙に納得してしまう。

こうやって「?」に分類されていた小さな事柄が、この英字新聞をながめることで順番にちょっとずつ解決されていく。

最近のお気に入りは、どうやら連載らしい、
「Health and Wellbeing」という、
なんとなくナチュラリストっぽい女性(写真から判断するに)の記事。

これがまた私にはスーパーヒット。

冬になって雨がたくさんふると、なぜか咳が出やすくなる。
これは近所のお友だちから聞いた話だったけれど、
もともと咳が出やすい私も、なんだかそういえばそんな気が。
咳とこの島の雨季との関係がいまひとつ分からなかったのだけれど、
この連載記事にそれについて詳しく書かれていた。
しかも対処療法レシピつきで。
雨が多いこの時期になるとカビなどの胞子が舞うらしくそれが咳の原因となっているらしいのだ。

そんなとき、島にたくさん生えているこの植物を煎じて飲みましょう〜、
的なことがかわいらしい文章で書かれていた。
毎週いろいろな役に立つ植物が紹介されているのだけれど、
それら植物は、この島のどこにでも生えているもので、
そんな薬効成分があるとは知らなかったものばかり。

この環境で何かの疾患にかかったのなら、
この環境に生息している何かで対処するというのはなんだか正しい気がする。

週に一度、フェリー乗り場やスーパーマーケットで何曜日に出るか知らないこのフリー新聞を見つけて持って帰るのがまぁまぁ楽しみなのであります。

 2014/05/25 09:46  この記事のURL  /   / トラックバック(0)


コックル日和り


この国では、クラム貝のことをコックルと呼ぶ。
そのコックルがたくさん採れる浜があるので、
クラムチャウダーの材料を集めに潮干狩りに行ってきた。

この浜を含めて周囲のわりと広い範囲が国指定の保護地区になっているので、
海へ流れ出る生活排水がきわめて少なく、
常日頃から砂に潜ってそこに生えている海藻かなんかを食べている貝も、
こういう場所ならばまぁ安心して食べることができる。



潮が引くと、短い草のような海藻が現れる。
その下や近くにコックルが家族(集団?)でかたまって生活している。
10cmくらい掘ると大小さまざまな大きさのコックルが出てくる。



同時にもう中身の無い貝殻も厚い層になって地中深くに埋まっている。
そこで生まれてそこで死んでいくコックルたち。
コックルたちが折り重なるようになって隙間がある土壌を形成していく。
この浜はそうやって少しずつ遠浅になっていったのかもしれない。

15分くらいで、100個くらいは採れる。
1人50個までという規定があるので、
2人で100個取らせていただいた。



ところで、日本では貝類を食べるのにシーズンがあったように思ったけれど、
そのあたりの常識は国や場所が変わるとどうなるのだろう??

それは貝が採れる時期と採れない時期があるのかとずっと考えていたけれど、
どうもこの浜をみると、魚みたいにどこからか貝がやってくるわけでもないし、
あきらかに1年中採取可能である。
それに、大昔の人々でそれこそ魚介類だけ食べて生きていた海洋民族なんかは、
1年中食べていたんだろうし。。。

ひょっとして貝が種の保存のために毒化する時期などがあるのかしら?
なんだかそういう常識が実はこの国にもあって、
ただ単に私たちが知らないだけかもしれない・・・。



ちなみに、オイスター・ピッカーという鳥は1年中貝を食べて暮らしている。
だから人間も大丈夫だろう、と思ったりもするけれど、
彼らには、彼らだけが持つ特別な毒消し内蔵器官みたいなのがあって、
たとえ貝が毒性をおびても大丈夫なのかもしれない。

な〜んて、早く調べればいいものを、
貝毒の可能性に少々おびえつつも、
美味し〜い貝に舌鼓をうつ日々なのであります。


 2014/05/23 03:33  この記事のURL  /   / トラックバック(0)


映画音楽を聴きながらデッキを塗る


デッキのオイルステイン塗りとは、単純作業である。
ひたすら同じ動作を繰り返し、オイルを乾いた木に塗り込めていく。
視界は、板の表面だけでなく、目には見えない板の内部だったり、
目地と目地の隙間へと、どんどんとミニマルになっていく。

そして、板の間に住む小さな生き物とのコミュニケーションでもある。
人間の私にもキツイ オイルステインの匂いは、
小さな生き物にとっては逃げ出すほど強烈なものだろう。
とつぜん飛び出してくる、クモやガーデンコックローチなどに、
いちいち悲鳴をあげながらも、その生き物のディティールの違いなどに目を向けてしまう私は、怯えているのか興味があるのかもはや自分でも不明である。

明らかなことはただひとつ。
なにがどうだろうとオイルステインを塗る手は止まらない。
この単純な動作にはやがて哲学が生まれる。
作法のようなものが生まれるのだ。
板に対して、道具に対して、自然に対して。

この作業の間、私が聞いていた音楽は映画のサウンドトラック。
このサウンドトラックというものの力は不思議で、
デッキ塗りという作業ごと、私をそれぞれの映画世界に連れ去るのだ。

例えば、叙情的な映画の曲ならば、
誰の目にもとまらずただひたすら孤独に地面と向き合う人。
環境音楽ならば、厳しい大自然の中、周囲の木々と対話しながらコツコツと自然との境界線を創っていく人。
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」なんかは、
森に住む魔女にとりつかれ、何百年もただひたすらデッキを塗り続ける生きた死人の気分。
フランシス・レイの「男と女」なんかは、
愛する人が去ったあと、彼との思い出を塗り替えていくヒロイン。
「ミッション・インポッシブル」は、
デッキ塗りの作業人に扮して、誰かをスパイしている、なんていう具合。

もうそれは多種多様なワンダーランドに運んでくれる。
このトリップ具合はひじょうにデッキ塗りを楽しいものにしてくれた。

そして各映画の登場人物になって作業はどんどん進み、
思っていたよりも早く仕上がった我が家のデッキ。

素人塗りながら美しい〜、とまぁ満足である。
フェンスのほうはまだ2度塗りが残っているので、
また映画音楽でトリップしたいと思う。

 2014/05/20 04:07  この記事のURL  /   / トラックバック(0)


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プロフィール
芹澤 絵美(せりざわ えみ)
スタイリスト。静岡県生まれ。文化服装学院流通専門課程卒業。サンプロデュース入社。2000年に独立。東京コレクションをはじめ、様々なショーを手がける。その後、雑誌・広告等、撮影方面にも幅を広げている。
現在はニュージランドで暮らし、スタイリストは休業中。

芹澤 絵美  プロフィール
芹澤 絵美のスタイリングはこちら
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