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斎藤淳子さんエッセー(2/26読売新聞より)
今日は、中国人の旦那さんを持つ、北京在住の斎藤淳子さんのエッセーです。
素晴らしい文章なのでご紹介させて頂きます。

世代ギャップと思いやり
ライター 斎藤淳子

急激な速さで社会が変化した中国には、世界でも最大級の世代間ギャップが
あるように思う。中国の40代、50代とその親である70、80代世代との差は、
日本で言うなら、私と明治生まれの曾おばあちゃんとのギャップに相当するだろう。

中国の70、80代の革命、戦争、飢え、文化大革命を生き抜いてきたおばあさん
たちは筆舌に尽くし難い苦労をし、私からは異次元とも思える経験を重ねてきた。
こんな彼らは猛烈に勤勉で、生活が豊かになった今でも水一滴にこだわる
倹約家が多い。

例えば、知り合いの70代半ばのおばあさんはスーパーで2角(約3.4円)安く
特売になった中国風パンケーキのために1時間並ぶ。中国のスーパーの特売に
開店前から長い列を作って並んでいるのはほとんどがこの世代だ。

節水も極限までチャレンジする。たらい一杯の水でまず米を洗い、
次に野菜を、さらにお茶碗を洗い、最後にトイレに流すという徹底ぶりだ。
労をいとわない勤勉さは叩き上げだ。

一方、その子供にあたる40、50代は1990年代の経済成長に一番乗りし、
急成長する中国社会を牽引している世代だ。彼らの中にはスターバックスで
400円のコーヒーを飲み、最新のiPhone(アイフォーン)を使い、休みには
海外旅行を楽しむなど日本と変わらないライフスタイルを持つ人も多い。

当然、彼ら親子の金銭感覚には天と地の差がある。40代の子供は親にも
楽をさせたいと思うが、親は「無駄遣い」は嫌だと受け入れない。
親の頑固な倹約ぶりに悲鳴をあげている働き盛り世代は少なくない。
ここでやむなくウソが登場する。

例えば、中国全土を飛び回っている知人は、70歳過ぎの母親にいつもの
20時間以上かかる列車に代わって、飛行機で里帰りをさせてあげようと、
「マイレージを貯めたので、無料の航空券がある」とウソをついた。
母親はそれでも自分は行かないと断ったが、「もったいない」ので親戚に
この「無料」航空券を使って帰省しないかと勧誘し始めたという。

「これには慌てたよ」と知人は笑いながら話す。私だったら立腹してしまう
かもしれないのに、陽気に話す彼の語り口からは自分を困らせる母親への
思いやりが感じられた。

この前乗ったタクシーの運転手さん一家にも似たようなハプニングが起きた。
70歳過ぎの彼の母親に、羽振りの良い兄がiPhone4をプレゼントした。
しかし、日々1角(約1.7円)の節約に努めている母親にとても携帯電話1台に
5000元(約8万5000円)の大金を使ったとは言えない。「なあに、
高くはないよ。数百元(約数千円)だよ、気にしないで使って」と
ウソをついたという。

母親は周りにもそう漏らしたところ、「それは安い。上乗せして
2000元出すから譲ってくれ」と近所の人に頼まれ、なんと、何も知らない
お母さんは携帯を売ってしまった。

そう聞いた私は、息子のギフトを売ってしまったお母さんこそ大問題だ
と思った。ところが、この運転手さん一家は誰一人としてお母さんに
ウソを明かさず、文句も言わずに平静を保ったという。お母さんを
心配させたくなかったからだ。やさしい家族だなと後から感心した。

きっと今日も中国では、この手のウソが誰かの口から飛び出している
ことだろう。この国の世代を隔てる層はかくも厚く、親を思う気持ちも
また同じくらいあついのだから。
 2014/04/09 12:51  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
フォトグラファーの四季 冬(大学出版部協会)
フォトグラファーの四季(大学出版部協会)、第4回目・最終回 

冬   です。




フォトグラファーの四季 冬

エーッ! ピストル


写真の修行ならニューヨーク! そしてまず外国人フォトグラファーのアシスタントからだと、大阪からアメリカに単身渡ったのは11月の事でした。トラベラーズチェックを2000ドル、バックパックにはニコンF2を入れ、志と決意を胸に一路サンフランシスコへ。




ニューヨーク大学の学生証

 

しかし到着はしたものの、予約してあったホテルへの行き方が解らない。それならと警官や道行く人に何度道を尋ねても、全く言葉が通じない。学生時代に「日本人になぜ英語が必要なんだ!」と豪語していた自分に後悔しても、ここは既にアメリカ。皆が指差すバスに乗り、ダウンタウンまではたどり着いたものの、今度はホテルが何処にあるのやら。1時間以上歩いた末に、バス停のすぐ近くだったことに気付いてガックリ。日本を発ったときの意気込みも消沈し、最初の1日で、すでに日本に帰りたくなった私でした。
 この後、何とか気をとりなおし、当時大人気だったグレイハンドバスでのアメリカ一周写真旅行を敢行。旅行中いろいろなトラブルがありましたが、中でもニューオリンズでの経験は忘れられません。
 夜の町を観光していると、大学教授という白人男性に片言の日本語で話しかけられ、車で町を案内してもらう事に。その後、彼のアパートに招待され、ついていくといきなり...なんと彼はその道の人だったのです。何とか貞操を守り、ホテルに逃げ帰りました。
 その興奮がさめやらぬ翌朝5時、次の地へ旅立つため、返金してもらった鍵のデポジット2ドルをポケットにねじこんで、まだ暗い街を歩いていました。途中、1台の車が私の後ろで停止。道を尋ねるのかと思い近づいたところ、そこにはピストルを握った12、3歳の少年が。私との距離は、たったの50センチ。一瞬身体が凍りつきました。車に乗るようにいわれましたが、背中のバックには命より大事なカメラが2台。乗ったら殺されると思い、ポケットに入っていたお札2枚を空中に投げました。雨風で紙幣が舞い、地面に落ちた瞬間、一か八か無我夢中で走り出しました。その瞬間、一発「バーン」.....
 「ああ、どこも痛くない、当たらなかった。」私は走り続けました。ホテルまで逃げ帰ったら偶然警官がいたので、一応現場検証へ。ところが警官はたった一言「弾に当たらず生きているから、いいんじゃない。」
 こんなことも、ここでは日常茶飯事。日本の治安の良さを再認識すると共に、写真修行に対する覚悟を試されている気がしました。そしてこれが、その後14年も住むことになるアメリカでの第一歩となったのです。


(ホリグチ・マモル/写真家)

     (大学出版部協会
 2007/11/19 16:39  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
フォトグラファーの四季 秋 (大学出版部協会)
しばらく間があきましたが、

フォトグラファーの四季の第3回目   (大学出版部協会

秋    です。



Bonsoir!


14年間活動の中心であったニューヨークを離れ、パリに居を移したのは9月。新しい刺激を求め、写真家として次なる挑戦を求めての転居でした。




ソロボンヌ大学の学生証

 
まずフランスを、そしてフランス人を知ることが先決と、ソロボンヌ大学の初級語学クラスの受講を申し込んだのですが、受付係のフランス人はフランス語しか使わず、全くフランス語のわからない私は、入学書類の提出にさえずいぶん苦労したものです。ところが、その受付係もアメリカの学生が強引に話す英語にはタジタジとなり、英語で返答。さすがは自己主張の国アメリカと、改めてアメリカンパワーの力強さを感じ、そう言えばアメリカのモダンアートのパワーにも通じるものがあるのではと、妙に納得したりもしました。
 クラスには、アメリカ、カナダをはじめ、中南米、アジア中近東、ヨーロッパ各国から、平均年齢は22〜3歳で24人の生徒が集まっていました。ある日、クラスメート達とカフェで雑談をしていたとき、イスラエルからの学生が自国の軍事力の優位性を近隣諸国との比較表を示しながら熱弁しはじめたときには、いろいろなバックグラウンドを持つ人がいるのだと考えさせられました。
 2クラス8ヶ月で学校は辞めましたが、その間は寝ても覚めてもフランス語。長い人生の中で、この時ばかりは頭がおかしくなるほど勉強しました。
 学業に追われながらも、芸術の都パリから何かを吸収しようと、美術館、写真ギャラリー巡りも忘れませんでした。夜になり暗くなるとカメラを首に下げ、街を徘徊することもしばしば。パリを題材にした写真家達は、なにに惹かれて、なにを感じて、シャッターを押したのか? 彼らの目にはパリはどのように映ったのか? ということに思いを馳せ、壁一枚、街灯1つから新しい何かを感じ撮ろうと、真剣にシャッターを押し続けました。
 また、フランス人アーティストのグループPlur,artに属していた私は、毎週のように仲間達と安いワインを飲み、スパゲティを食べ、一晩中下手なフランス語を使っては、アートについて語り合っていました。ある時は、モンマルトルにあるFM放送局の生放送番組で、我々のグループが取材され、フランス語でインタビューを受けた事もありました。今思えば下手なフランス語で図々しく良くやったものです。こういう経験もその後の活動に大いに役立っている、と確信しています。
 3年弱という短い期間でしたが、パリでの生活で学んだことは数知れず、今でも私の心に深く、深く刻み込まれています。

(ホリグチ・マモル/写真家)


大学出版部協会

 2007/10/26 19:17  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
フォトグラファーの四季 夏 (大学出版部協会)
フォトグラファーの四季 夏  (大学出版部協会)

Help me! 自由を求めて


 忘れもしない1982年8月、ニューヨークでファッション広告写真スタジオ(LES GOLDBERG STUDIO)のチーフアシスタントとして活動していた頃、ガールフレンドのエミーとプエルトリコで休暇を過ごし、その帰りに思わぬ災難?にあった事があります。
 プエルトリコの空港で、搭乗口へ延びる長い行列に並んでいると、なんと、その先頭で全員のパスポートチェックをしているではありませんか。気づいたのは私達の直前。今更逃げられません。実は、私のアメリカ滞在ビザは二年前に失効しており、労働ビザを申請中だったのです。結局、アメリカ人の彼女は問題がありませんでしたが、私は不法滞在者として指紋と顔写真を撮られ、そのまま監獄へ。




監獄に入る前に撮られたポラロイド写真



彼女は弁護士と相談するため、その夜のうちにニューヨークへ戻っていきました。
 過去に同様の問題で捕まった日本人の友人は、ブルックリンで一般犯罪者と同じ監獄に投獄され、持ち込んだ現金を全て牢主に渡して身を守ってもらったとのこと。幸運にも私の場合は不法滞在者だけの監獄でした。ベッドが20程、囲いのないシャワーが5つ、便器が2つ、壁には様々な言語の落書きがあり、記念すべき日本人第1号として、名前を刻んでおきました。
 1日で出獄できると思っていたのが、2日過ぎ3日が過ぎる頃、ふとこの小さな国の監獄にずっといるのではと不安になり、鉄格子のはまった窓からHelp me!と書いた紙飛行機を飛ばしたりしました。外に見えるあの道を歩きたい、ただ自由が欲しいと夢見続けた4日目、ようやく彼女から航空チケットが届いて釈放。といっても手錠をはめられたまま護送車で空港へ。その後、行き先も知らされないまま飛行機に乗せられ、着いた先はメキシコのアカプルコでした。しかしビザのない私は、すぐにはニューヨークに戻れず、しばらくメキシコで過ごすことになったのです。
 1ヶ月半後、なんとかニューヨークに戻ることができた私は、監獄の中で常に考えていた自由であることの大切さ、また、その自由の中で創作活動をする喜びを求めて、ニューヨークに自分のスタジオを持つことを決意。1年半程の間、昼は写真の仕事、夜は日本食レストランのウエイターを休まず続け、約2万ドルの資金を作り、1984年、遂に、西27丁目に写真スタジオMA STUDIOを設立したのです。アメリカに渡って6年目の夏の事でした。

(ホリグチ・マモル/写真家)




後日、手に入れたアメリカの永住権(グリーンカード)

(大学出版部協会)
 2007/09/14 12:50  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
フォトグラファーの四季 春 (大学出版部協会)
大学出版部協会発行の雑誌に執筆させて頂きました。
タイトルは春夏秋冬で4回の連載です。
海外生活をしている時の話を書かせて頂きました。


フォトグラファーの四季 春  (大学出版部協会

1/8秒との出会い

堀口 守



 マンハッタンにスタジオを構え、広告写真家を生業にして
いたころ、本当に撮りたい写真と、日々の糧を得るために
撮影している写真との違いに戸惑いを感じていました。
 本当に撮りたい写真とは何か? 
 なぜ自分は写真を撮っているのか? 
 悶々とする日々に耐え切れず、1986年3月、活動の拠点を
替えることを決意。当時なんとなく惹かれていたミラノを
選びました。まずはパリまで行き、そこから夜行列車で早朝
ミラノ駅に到着。しかしホテルを探そうにも、英語は通じ
ない、荷物が多くて動きにくい。何時間も駅で途方に暮れて
いる時、運良く英語のしゃべれるインド人に助けられ、
ホテルを紹介してもらい、三日後には、なんとか
アパートを借りる事ができました。
入居して落ち着けると思ったのも束の間、何の物音もなく、
静まり返った部屋に耐えきれなくなり、まだ右も左も
わからない街を一人で夜遅くまで歩き回ったものでした。
(ちなみに、最初に購入した家電は、音の出る?テレビでした)




ミラノ地下鉄の定期券

 

 ミラノの生活も二ヶ月を過ぎたころ、知人の紹介でイラスト
レーターの矢島功さんにお会いしました。そしてこの出会い
こそが、その後の写真人生に大きく影響を与えたのです。
 後にニューヨークに戻ってからのこと。彼の依頼で
『モード・ドローイング・ヌード』という本の写真を担当させ
て頂き、それが、現在も私のライフワークとして続けている
シリーズ1/8秒の瞬間の始まりでした。




モードドローイングヌード表紙
Copyright(C)堀口マモル. All Rights Reserved.

通常は、動いているダンサーを瞬間でとらえるために
高速シャッターで撮影するところを、8分の1秒という
スローなシャッタースピードにして撮影。
動きもブレも残像として写真に焼きつける事により、
肉体の持つ力強さを表現しました。それまでにもブレという
手法を用いてファッション撮影していたのですが、
それらの作品をイタリアの出版社に持っていくと、
「これはファッション写真ではなく、アートだ」
と言われる事がしばしば。そこで「自由に撮っていいよ」
といわれたこの本で表現してみたのです
(2年後には、ファッション業界でも、この手法は
もてはやされることになるのですが....)。
本当に表現したいこと、なぜ写真を撮っているかを探し求める
旅は、この時やっと始まったのです。



フランスズーム表紙
写真家ロバートメイプルソープ







同じ号に12P特集されました。
Copyright(C)堀口マモル. All Rights Reserved.


その後、1/8秒の瞬間は、日本にいたころから憧れていた
写真専門雑誌「フランス・ズーム」に特集され、アメリカを
始め、イタリア、フランス、スイス、ベルギー、スペイン、
香港、台湾、そして日本での写真展へと展開していったのです。

(ホリグチ・マモル/写真家)

(大学出版部協会)
 2007/08/23 16:42  この記事のURL  /  コメント(2)  / トラックバック(0)
プロフィール

堀口マモル(ほりぐちまもる)
ニューヨーク、パリ、東京を旅する邦人アーティスト。
ダンサー、そして格闘技にイデアを求める詩人。フォトグラファー、堀口マモル。
ファッション、ヘア&メイクの写真を通じ、限りない平和への道に羽ばたく。

堀口マモル プロフィール
堀口マモル ホームページ

スマイリングベイビー

プロジェクト・スマイリングベイビー Project Smiling Baby (c) Mamoru Horiguchi

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