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中国にも日本にもVMDのプロはいない
 上海の内田君が『中国にはVMDのプロはいない』と嘆いておられたが、それは日本とて同様だ。中国の方がまだ『VMD導入で飛躍的に売上向上』などと一方的な期待感を抱いているだけ前向きで、最近の日本では『客も販売員も退化しているのだからVMDもAKB的お遊戯で十分』と考える業界人が多く、一流駅ビルの店頭を巡回しても汚い売場にバサバサの付け睫毛をつけただけのような酷いディスプレイ(業界人の99.9%はVMDとはディスプレイの事だと思っている)が氾濫している。
 22才から第一線でVMDをやって来たプロフェッサーが思うに、VMDの原点はMDの面的あるいは時系列的展開訴求であり、販売と補給のロジスティクスに密接に関連するものだ。それらの継続とマスメディアやウェブ、SNSを駆使したコミュニケーション活動、店頭における建築的美術的VMD展開によってブランディングが確立されていく。ゆえに、MDの面的時系列的展開設計のないブランドのVMDはディスプレイに終わってしまうし、店舗や什器配置、陳列やディスプレイに建築的美術的韻律のないブランドはブランディングが成立しない。
 『中国にはVMDのプロはいない』と内田君は嘆くが、業界人の退化が著しい日本でも大学の建築学科や美大を出たVMD関係者はほぼ皆無となりつつあり、プロがやったという店頭を見ても建築的韻律や色環配列が崩れているケースが大半だ。ましてや店舗スタッフがAKB的お遊戯でやったVMDなど見るに耐えないが、それを『可愛い!』と受け入れてしまう若者の感性退化はさらに恐ろしい。
 私は三田の駅弁大学卒で専門的な美術教育は受けなかったが、社会に出てから必要に迫られて建築史から服飾史、果ては生け花まで必死に学んだ。結果、色環表がなくても正確に色を位置づけられる絶対色階が身に付き、ブティックから数千坪級の大型店まで建築的に美しく効率的に運営出来る店舗図面を正確に書けるようになった。ゆえに、建築や美術、生け花が解らない人がVMDを安易に手掛けるべきではないとプロフェッサーは思うのだ。
 店舗建築からMD展開技術、美術的VMDまで極めたプロフェッサーから見ると、日本も中国もバラックのような店ばかりでカメラを構える気になかなかならない。強いて言えば、欧米の建築美術を模倣した上海や香港の方が東京よりはましだし、英国文明の残滓が煌めくシンガポールには学ぶべき店やブランドが少なからずある。
 『失われた文明の神官』と自称するプロフェッサーだが、近代商業文明の頂点は80年代前半の米国東海岸、NYやボストン、シカゴやワシントンDCにあったと思う。当時のB.グッドマンやヘンリ・ベンデル、ニーマンマーカス、ノードストロムやサックスフィフスは建築的にもVMD的にも二度と到達出来ない頂点にあった。その彼らさえ失って行った文明は、極東の退化する島国の退化した人々には想像する事も出来ないだろう。私がバラック店舗、お遊戯的VMDと笑い飛ばすには十分過ぎる理由があるのだ。退化の止まらぬ日本では嘆いても致し方ないが、進化する中国では檄を飛ばす意味が十分にある。そのうち、中国にVMDを学びに行く時代が来るのかも知れない。
 2012/03/30 15:48  この記事のURL  /  コメント(0)

ルミネの注目新店「イセタンミラーメイク&コスメティクス」
 忙しさにかまけてルミネの今春注目新店のチェックが遅れたが、先週日曜の午前中にようやく一周する事が出来た。今春の注目新店はルミネ2の2F、「イセタンミラーメイク&コスメティクス」とお隣の「オープニングセレモニー」を目玉に3Fの茅ヶ崎系セレクトの「セルストア」、5Fのマーガレットハウエルのカジュアルライン「MHL」、エスト6Fの「ハンジロー」跡のLA発ニット&カットキャラクター「オルタナティブ」ぐらいで、大規模な入れ替えはなかった。
 目玉中の目玉たる「イセタンミラーメイク&コスメティクス」は百貨店高級コスメのプラザ的ブランド編集とブランドの際を超えた編集接客を売るもので、ドラッグコスメのブランド編集業態が幾つも成立しているのだからその百貨店高級コスメ版のニーズは確実という狙いは、開店後の盛況振りを見ても見込み外れではなかったようだ。ただし、業態としてのストアデザインやVMDはプラザの高級版以上には見えず、オリジナルメイクアップアイテムのカラーVMDでは「セフォラ」に遠く及ばず、ブランドの際を超えたスキンケア接客では「マリオノー」に遠く及ばない。
 「シャネル」などの目玉ブランドを欠いたり編集のコアとなるオリジナルカラーメイクアップラインが未開発であったりと実験的な一号店ゆえの限界は致し方ないものの、業態成立の根幹たる編集接客のプロセスがVMDにもレイアウトにも照明システムにも見いだせなかったのは残念だ。顧客の反応は上々のようだから、真摯に学んで二号店以降に活かして欲しいものだ。

 2012/03/27 11:56  この記事のURL  /  コメント(1)

世代交代
 ユナイテッドアローズの経営者世代交代がついに現実となった。そもそも役員60才定年を謳いながら業績を立て直すべく、一端会長に退いた重松さんが社長に復帰したと言う事情もあり、業績が上向いたら早々の交代が予想されていた。それが今春であったという事なのだろう。
 創業23年目を迎えたユナイテッドアローズは既にかつてのセレクトショップ神話の枠を大きく超え、あらゆるチャネルで新たな顧客にアプローチする『爆発するメジャーブランド』路線を突っ走っていたから、経営陣の世代交代は時間の問題であった。神話から始まったユナイテッドアローズの成長だったが、これからはメジャーでグローバルな現実の中で成長を続けなければならない。
 竹田新社長以下の新経営陣は神話以降の現実の中で成長するビジネスモデルを確立しているから、創業経営者が第一線を退いても成長が鈍化するリスクは極めて限られよう。売上だけ見れば、むしろ加速する可能性の方が大きいのではないか。とは言え、ユナイテッドアローズの原点はやはり初期の「神話」にあった事は否めず、新経営陣がどのように新たな「神話」をグローバルに形成して行くのかが問われよう。
 2012/03/26 09:11  この記事のURL  /  コメント(0)

私の履歴書2
 山間の小さな城下町で青春に突入した私は当時の例外に漏れず、カレッジフォークに始まってエレキギターに嵌り、放課後は誰彼ともなく集まって音楽室でハモっていた。当時は岡林信康が神様で、一時はランチャーズやベンチャーズにも熱を上げていた。高校生活の大団円は二年の文化祭におけるエレキ大合戦で、私のチームはジャガーズの『君に会いたい』を熱演したと記憶している。
 VANかJUNしかなかった小さな街だったからメンズファッションの目覚めは遅かったが、幼稚園の時からチーフバイヤーたる母に連れられて神戸や京都の展示会はしっかり覗いていたから、婦人服のトレンドは子供心にも解っていたのだろう。周囲の女性達の洗練度だけはしっかりと見極めていたようだ。
 福澤諭吉が創設したという事以外はよく知らない私立大学に入って始めて故郷を離れ、東京という大都会に出たものの右も左も判らず、ほとんどパニック状態の半年を過ごした後、バリケードで熱く語る先輩達に引き込まれてヘルメット姿の日々を過ごす事に。それも束の間、バリケードが消えて学園に日常が戻るとクラスは塾高あがりの遊び慣れた坊ちゃんたちと大学から入った要領の悪い般ピー学生にくっきりと色分けされ、アカデミックと言うかリアリティのない講義にも興味が持てず、音楽とファッションに嵌って行った。
 慶応と言うとランチャーズなのかも知れないが、高校時代にコーラス部にいた私はPPMの系譜から流れるカレッジフォーク、とりわけ美しかった万里村れい先輩に惹かれてタイムセラーズのコピーなんかに夢中になった後、東京者の同級生に誘われてローリングストーンズ紛いのロックバンドに参加する事になる。このロックバンドで私はエレキベースを担当し、当時の流行だったゴールデンカップス流のランニングベース演奏に嵌った。趣味の学生バンドとは言えいっぱしの格好は付けていたから結構、パーティなどのお座敷もかかり、それなりに楽しんだと記憶している。
 そんな学生気分もいつまでもという訳にいかず、三年生の秋頃からは進路を真剣に考えるようになる。先輩達の会社を訪ねてみたり、面白そうな会社を覗いてみたりする一方、レディスファッションに強く惹かれるようになり、新宿のデリカ(現在の「セシルマクビー」)で販売のバイトに熱を入れたりもした。その当時、一番惹かれたのが銀座並木通りにあった「ベル・ブードア」という鈴屋の開発店舗で、総レースのブラウスにホットパンツ、編みタイツにロンドンブーツというスィンギングロンドン風にお洒落して銀ブラついでによく覗いたものだ。
 当時、訪問した会社に創業間もないビギがあった。表参道のブティックで大楠さんと武さん(菊池武雄)に面接されたのを記憶しているが、もしかしたらビギの四人目か五人目の創業スタッフになっていたのかも知れない。
 結局は、慶応の百貨店研究会の先輩であった鈴木義雄氏の引きで鈴屋に入り、憧れの「ベル・ブードア」の売場に立つ事になる。ここで最初に配属されたパンツ売場でVMDと接客に目覚め、陳列順を替えては売れ行きを検証し、様々な接客プロセスを試していた。そんな中、毎週のように行李を担いで出入りしていたコムデギャルソンの川久保玲さんなど新進気鋭のクリエイター達に接し、DCブーム前夜の鳴動にも染まって行った。その当時の直属上司が現ファィブフォックス代表取締役の上田稔夫氏であったのも何かの因縁であろう。
※また不定期に掲載します。
 2012/03/23 09:10  この記事のURL  /  コメント(1)

やっぱ退化してるよね!
 コーディネーターの三月末最新スタイリング報告を見ていると、80年代の香港や清里で氾濫していたような締まりのないフェミニンカジュアルが恥ずかしげもなく並んでおり、レトロ趣味というより単なるネタ切れの先祖帰りにしか見えない。始まったばかりのトーキョーコレクションシーンでも、ショーまでやる意味を疑う凡庸なブランドも多く、時間と金の無駄使いとしか思えない。
 そんな辛口の見方は40年間もトレンド変化を見続けた高感度親爺の偏見かと思って部下に聞いてみた所、毎年、マーケットの感度もブランドのクリエイションも露骨に退化しているのは否定し難い事実で、どんどんつまらなくなると業界の誰もが嘆いているとか。街中を歩いても、70〜80年代にはつい振り返ってしまうカッコイイ娘がいっぱいいたけど、最近では渋谷109でも滅多に振り返る事はないし、ルミネなんかでは絶対にそんな事は起こらない。それを等身大と言うのかダサく退化したと言うのか人に拠って様々だが、東京がどんどんつまらない街になっている事だけは間違いない。街中でカッコイイ娘に最後に振り返ったのはいったい何時だったっけ!
 2012/03/22 09:12  この記事のURL  /  コメント(0)

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プロフィール
小島健輔(こじまけんすけ)
小島ファッションマーケティング代表
感性に依存しがちなファッション業界にあって、客観的なデータに基づくマネジメントを提唱し、現場の技術革新を起点とした経営戦略を訴え続けてきたビジネス・エンジニアである。ファッションビジネス、流通業から外資SPAまで及ぶ多彩なコンサルティング、ブランド/小売業態から商業施設までのプロデュース活動の一方、経済紙誌、業界紙誌にも寄稿。
2016年 経済産業省アパレル・サプライチェーン研究会委員。

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