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問題解決の要諦
 河合拓氏の寄稿論文「実践的な問題解決法(9/26繊研」を受けてみたい。

 各種ビジネススキル研修に登壇するようになって11年目に入るが、当初の目玉コンテンツであった“ロジカルシンキング”は、今となっては当たり前のイロハのような存在になった。そのイロハを寺子屋で学んだことがない世代が上級マネージャーや経営クラスの世代になっていることが、我が国の人材構造のねじれの一つになっているとも言える。

 私の講師生活10年強が経過した現在、もっとも旬なテーマは“問題解決”である。ロジカルシンキングの土台の上に、仮説思考を接着剤として問題解決が乗っかり、その上に戦略やマーケティングがさらに積み上げられるストラクチャーをよく引用するが、ロジカルシンキングを当たり前の前提にした中段の問題解決で多くのビジネスパーソンは躓いてしまう。

 さすがに新人に問題解決研修を課する事例はほとんど聞いたことがないが、早ければ2年次の研修から本格的に取り入れる企業もあれば、事業部を挙げて全ての部長と課長トータル数百名に複数回にわたって網をかける勇気ある行動をとることができる兆円規模の大企業もある。

 本来的には問題の定義(what)、問題の所在特定(where)、真因の究明(why)、そして対策の設定(how)の順に精緻に進めていかなければならないのが問題解決だ。ところが私たちには思い込みや思いつきのプレッシャーが重くのしかかり、“how思考の落とし穴”にはまり、“why”の先取りで鬼の首でも獲ったような錯覚に陥るのが常である。

 上記部長の面々とご一緒した際には、「俺たち、howのつまみ食いが大好きだし、それしかやってきてないよなぁ…」と自嘲気味に語りながらも、決して開き直ることなく真摯に問題解決プロセスに取り組む姿には感銘を覚えた。

 もっとも重要なのは最初の“問題の定義”だ。そこでギャップとしての問題を浮き彫りにするためには的確な現状把握と恣意的なあるべき姿の設定が必要となる。河合氏が言うとおり、数%しかない国内生産だけに限った議論を展開しても影響度合いが小さいと言うより、現状を的確に捉えないまま、how思考の落とし穴に落ち込んでいることになる。

 ファクトリーベースでの国内生産シェアは3%〜5%だと言われているが、それは場所的に日本国内で生産されたということに過ぎない。日本から手厚い技術指導と高いレベルの品質管理が施された海外ファクトリーは純国産に相当すると考えることもできる。

 また、メイドインイタリーやイングランド、フランスなどはインポートとして独自のブランドポジションと価値を提供してくれている。さらに、企画開発の情報生成がどこで誰の手によって行われているか、それがどのような拠点でプロダクトに供されて、いかなるグローバルロジスティクスを経て、どの流通チャネルを通じてどんな消費者の手に届けられているのか。この世界地図を認識することこそが現状把握ではないだろうか。当然、少なくとも素材と縫製に分けて考える必要もあろう。

 その上で、あるべき姿をどの座標点に設定するかは、それぞれのプレーヤー次第である。業界全体としての苦境を大衆受けする一般論で展開することと、このように真の問題解決者としてアプローチすることは別のこととして捉えなければならない。

 よしんば問題の定義はできたとしても、その次には絞りに通じる感度のよい切り口(MECE)を見いだすことができるかどうか、問題解決の道のりはただひたすら険しいばかりだ。
 2017/09/28 09:37  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
ビジネスパーソンの進化
ビジネスパーソンの進化をひしひしと感じた9月であった。

 第一週には電鉄会社の係長を対象にしたファシリテーション研修を2年ぶりに担当させていただいた。2011年にご一緒したのが最初なので、6年が経過している。

 第二週には通信キャリア企業の2年次研修(全五日間)を2010年以来6年ぶりに執り行っ た。

 昨日一昨日は、中堅メーカーの初級ビジネスリーダー研修のフェーズTをやらせてもらった。こちらは2014年から4年目にあたる世代になる。

 全てにおいて共通して感じるのは、受講生の知的インフラの飛躍的向上があるということだ。知的インフラにはストックとしての知識と、エンジンとしての地頭力の二面が含まれている。

 たった数年で?、気のせいだという議論と、その数年に何かの臨界点があったという議論の両方が成立しうる。それぞれの事例で、最も若いのは25歳前後、次が30大半ば、一番上が40過ぎという世代に相当するが、彼ら彼女らがどういう時代にどういう刺激を経て現在に至っているかを考えると、ある景色が浮かび上がってくる。

 霞に過ぎなかった「ゆとり教育」からの揺り戻しを経験した最若手ゾーン。「ゆとり教育」に尻尾を踏まれることなく社会に出てきた世代だ。真ん中のゾーン。バブル崩壊後に自力で内定を獲得した最古参ゾーン。

 現在、多くの会社を部長以上の職責で引っ張っているのは1980年代以前に入社した世代であろうが、95年問題というのが大きく横たわっている。

 ロジカルシンキングのナレッジがバーバラ・ミントによって米国に問われたのが1985年の「Pyramid Principje」、それが邦訳されて「考える技術・書く技術」として我が国に上陸したのが1995年。つまり、ロジカルシンキング・ブラインドの世代が今の経営幹部というわけだ。

 次の時代を担う人々は確実に進化している一方で、いまさらベーシックスキルの研修で網をかけることなどできない50代がそれらの人々の上司であるという厳然たる現実は否めない。

 次世代のために道を譲るか、老体に鞭打って自己研鑽に励むか、道は二つに一つしかない。第三の道を歩んでいるご老体の傘下の人々には、誠に気の毒であるという言葉しかない。
 2017/09/24 17:03  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
対義関係のネットワーク
 湯川れい子さんの私の履歴書から、粋な対義関係の概念を頂戴した。

 私たちは、大きく「パーティ型」と「書斎型」に分かれるようで、彼女は典型的な書斎型だそうだ。その当時、赤坂の大橋巨泉邸で開催される雀卓を囲むパーティー系とは一線を画していたという。

 先週土曜日の北村塾で佐藤信夫の“レトリック”論を取り扱い、氏の「自分が意識している対義関係のネットワークを点検してみよう」というメッセージが脳内メモリーに新鮮な状態で残っていたので、これまでの引き出しにはない新しい対義関係としてグサッと刺さった。

 お祭り騒ぎ、バカ騒ぎも数多く執り行ってきたが、今となっては二次会に足を運ぶことは年に二回とない。スポーツクラブにおいても、スタジオプログラムやインストラクターもお呼びではなく、黙々と独りで泳ぐかウェイトを上げている、典型的な「書斎型」が私の実態だ。

 対義関係のサンプルとしては、「美」と「醜」、「正義」と「悪」、「大」と「小」、「優」と「劣」、「支配」と「服従」などがあるが、それらをネットワークとして捉えよという佐藤氏のメッセージには奥深いものがある。

 ことさら今のご時世で私たちが深慮しなければならない対義関係は「正義」と「悪」であろう。果たして正義は悪の反対概念であり、悪は正義のそれであろうかという問いだ。義の反対は不義と定義できるが、不義が必ずしも悪であると断定することはできない。悪の反対は善であろうが、善が必ずしも正義とは限らないことは皆が思い当たる節があるところだ。

 それ故に、対義関係は幾何学的には直線的な関係性のスキームであるところを、ネットワークだと看破した佐藤氏の慧眼には恐れ入る。まだまだ、知の奥底は深い
 2017/09/21 18:59  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
戯言なれど
 東京都が国に先駆けて屋内禁煙条例案を定める方針を発表した。罰則付き、2年以内という。

 先に私が刺激依存症と記した中身は、アルコール、ニコチン、香辛料の三種である。そのうちニコチン依存症の立場から、社会性も正当性も全くもって乏しいが、議論としては成立しうる一言を申し上げたい。

 再びマイブーム中である山本七平の以下の主張が重なって仕方がないのだ。氏は「私の中の日本軍」において、南京での「百人斬り競争」の虚報を報じた当日の東京日日新聞のA記者を強く断罪する。
 
 聞いた話を自分の手柄のために上手に取捨選択して虚報に仕立て上げ、当事者である少尉二人が戦犯として処刑されることを回避する証言をするどころか、自己責任回避と自己正当化に終始した責任が強く問われている。

 國分功一郎氏が「暇と退屈の倫理学」でロシア生まれの哲学者アレクサンドル・コジェーブを、お前はテロリストに憧れる人々を煽っていることが分かっているのかと
一刀両断にする鋭い切れ味にも唸らされたが、山本氏のそれは鈍器で殴られたように重い痛みがのしかかる。

 山本氏は、軍人よりも軍人化した民間人が日本を誤らせたと言う。A記者の虚報は、あの、全身の毛を逆立たせて恐怖している猫のような顔をして死んだ兵士の死体を踏み台にしての大見得ではないのかと。そしてその道のプロよりも極端な思想を展開するアマの方がよっぽと危なっかしくて、日本を滅ぼしたのは軍でもあるが、かかるアマの責任も見過ごすことはできないと説く。

 さて、オフィスや飲食店で束の間の喫煙で一息入れているのはどのような人々だろうか。末端でストレスと矛盾に苛まれているサラリーマンや、汗水流して肉体を駆使しているワーカー達である。それらの人々は、戦時における末端の兵士に等しい位置づけと考えることができる。

 山本氏は、兵士がもっとも嫌がることは上官の“トッツキ”と“イロケ”だというが、数十年を経た今となっては理解できる日本人はほぼ皆無であろう。ただし、前者が立場を笠に着た単なる癇癪で後者が上に対するおべんちゃらと言えば今の時代においても何も変わっていない。

 条例案を定める立場にいる人々は、はたして兵士体験があるのだろうか。よしんば経歴として過去にはあったとしても、現在は戦時における内地で戦場をありもしない理想論で想像しながら勝手なロジックを展開するだけのお気楽な立ち位置なのであろう。

 現実論を抱えているのは、飲食店を経営するこれも零細な事業主の人々である。喫煙者も大切なお客様であるとともに、投資を伴う改装などの打ち手がとてつもない負担になることは火を見るよりも明らかだ。それらの現場(戦場)における当事者(兵士)の死体を踏み台にして自らのプレゼンスを誇示したい政治家は、プロだろうか、単にたちの悪いアマなのだろうか。

 兵庫県では、しょうもない木っ端政治家の政務費流用事件が相次いだ。セミプロの詐欺師が死体を踏み台にしているとしたら、山本氏が憂えた時代より、よっぽど事態は悪化している、というより稚拙化している。


 2017/09/09 17:56  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
どっちもどっち
 政策や思想ではなく個人のスキャンダルで一政治家の命運が決まる我が国の品位のレベルには嘆かわしいものがある。

 一方で、白人至上主義が台頭し暴力沙汰になる彼の国のレベルにも…と思わざるを得ない。

 私たち人類は一体歴史から何を学んで、どう進化しているのだろうか?

 全地球において飢えと病疫が撲滅されたわけではないのは現実であるが、喰うには困らない国と地域がメジャーになって久しいが、精神はというと貧困と退化のレベルを超えることができないのが、私たちのせいぜいの宿命なのだろうか。

 かく言う私も、刺激依存種に犯され、家庭においても社会においてもたいした足跡は何一つ残すことができていない凡材であるが、大人としての分はわきまえたいと常々心掛けているつもりではある。

 ここで分というのは、空気や流れに身を任せるのではなく、自分なりに考えて自分なりの思想を持ち、自分なりに振る舞うという意味を込めているが、そんな当たり前なことがきわめてできにくいモーメントが社会にはある。斜に構えてそっぽを向く態度と紙一重ではあるが、そんな分をわきまえた個人の存在が求められていると切に感じる。

 飯は食えても霞まで食ってはならない。でも、霞に乗っかっていると精神的に超楽ちんであることも否めない私たち人間の性である。

 11月の塾で扱うことにしたこともあり、山本七平がマイブームナウである。
 2017/09/07 22:12  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
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プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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