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ZARA
奇しくも同じ週にMJと繊研にZARAが特集されたので言及してみたい。

 MJの論調は比較的情緒的なものだ。コンセプチャルな要素は「店舗起点/本部即応」の一言に収斂されていて、数量的ロジックは「2週間で商品を作る」「48時間以内に発送」「世界2000店舗に向けて自動仕分け」「六割を近隣国でスピード生産」などの記述に留まる。

 さすが業界紙たる繊研は、「物流拠点集約=アソート〜配送が本部中央集権化」と看破している。数量的には、「毎週400品番の新商品」「年間2万品番」「FKUあたり15000〜20000枚」「店舗あたりのFKU消化は十数点」と我々の現場実感に近いオペレーショナルな数字が並ぶ。

 ただし、六割が周辺諸国における生産という点は共通で、これは含蓄の深い数字だ。クイック性とフレキシビリティという観点で地の利は捨てがたいものがある。

 山の手線の内側にオフィスを構える者同士で意思決定上のインターフェースの利便性を享受したSPAが見失っている本質がそこにある。

 商談というバーチャルなオペレーションと、実際にモノを作ってディストリビューションするという実態には大きな乖離がある。結果としてビジネスを本質的に支えているのは後者であって、前者は原因に過ぎない。

 原因にメスを入れることは問題解決の要諦ではあるが、この文脈に限っては結果に着目するとともに直接手を入れる必要がある点が妙味ではある。

 私としては以下の数字的構造に興味をそそられる。

 売上:ZARA(2兆9000億)、H&M(2兆4000億)、ユニクロ(1兆7864億)
 営業利益率:ZARA(17.2%)、H&M(12.4%)、ユニクロ(7.1%)
 店舗数:ZARA(7292)、H&M(4351)、ユニクロ(3160)
 品番数:ZALA(2万)、H&M(?)、ユニクロ(1千)

 範囲の経済性に基づく高マージンクラフトモデルvs規模の経済性に基づく低マージンインダストリーモデルの勝敗は、少なくともファッション業界においては前者に軍配が上がっている模様だ。
 2017/05/31 08:33  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
応仁の乱
 京都の人々にとって、“前の戦争”とは「応仁の乱」のことだ。先の大戦で空襲を免れた京都にとっては数百年前に京都を焼き尽くした内戦の方が生々しい歴史の記憶として深く刻まれているのだろう。それほどの阿鼻叫喚が11年もの長きにわたり続いたのが応仁の乱だ。ただし、欧州には100年戦争や30年戦争が普通にあるので、我が国はコマいといえばコマいけれど。

 その他の人々は“人の世虚し(1467年)”と受験対策で覚えた程度だろうか。売れてるから読んだというよりも、読む必要性から手に取った。

 先週土曜日のの北村塾では、與那覇潤氏の「中国化する日本“日中文明の衝突”一千年史」を扱った。氏の提起する“中国化”vs“江戸時代化”というフレームワークは、時代を超えて国や地域を越えて世界全体の流れを理解することにも有効な画期的枠組みだ。

 増補された文庫本の前の単行本をマクロ経済学者の中谷巌氏が絶賛するのも十分に頷ける。その一方で歴史学の重鎮の方々からは総スカンをくらっているであろうことも十二分に拝察される。皮肉満載の言い回しは倉山満に通じるところがあるが、倉山氏が路上ですれ違いざまにメンチを切るヤンキー系なのに対し、與那覇氏はネット上でチクチクつぶやく系というコントラストがある。

 さて、応仁の乱に至る経緯はというと、與那覇氏が引用した内藤湖南の日本論に遡る。湖南によれば、中国史を一箇所で切るならば、唐(中世)と宋(近世)の間、日本史を一箇所で切るならば、応仁の乱前後ということになる。

 日本は中国に遅れることおよそ500年でようやく近世に突入したという議論だ。湖南の論説から読み取れることは、戦と政治の庶民化が動き始めた分水嶺が応仁の乱だと位置づけられることだ。名のある武士の一騎打ちの時代から、腕に覚えがあるチンピラ集団である足軽による略奪と破壊が11年の長きにわたって続いた。大きな屋敷を抱えていた貴族や社寺仏閣は疎開して難を逃れるしかなかったという。窮極の下克上の始まりだったのだ。戦国時代の足音がすぐそこまで迫っている。

 そして思想の上においても、その他すべての智識・趣味において一般にそれまで貴族階級の占有であったものが、一般に民衆に拡がる傾きが起こったと評している。すなわち、応仁の乱は軍事革命であり精神革命であったということだ。

 そこから100年ほどの戦国時代を経て江戸時代を選択した我が国であるが、與那覇氏は、なぜ近世の日本人がこの期におよんであえて身分制社会を選んだのか?という問いに対して、イエとイネの好循環という仮説で応えている。

 イエや地域というコミュニティが崩壊し、現代のイネであるカネは偏在し底辺の人々は喰えない時代に突入しつつある今、何処まで中国化(人間関係のネットワーク化と社会の流動化)が進み、どこでどう再江戸時代化(人間関係のコミュニティ化と社会の静態化)という
揺り戻しが訪れるのか大いに議論が盛り上がった。

 私からの問題提起は、インフラ的にはネット上でコミュニティを形成することができるようになった今、人間関係のネットワーク化とコミュニティ化は二項対立の概念ではなくバーチャルには共存することが可能になったが、それは今後どのように運動していくかという問いだ。

 到底私たちが半日で答えを出すことができるような問いではないが、私の仮説は、江戸時代化が絶対的本質的方向性であり、それが地理的範囲という殻を超えるときに中国化が起こったと観察されるのではないかというものだ。ここで用いている中国化と江戸時代化という概念は、中国と江戸時代の一般的理解から勝手に想像すると全く正しい議論ができないので、気になる方は與那覇氏の著書にあたって欲しい。

 最後に、応仁の乱がベストセラーになっている理由を私なりに解釈すると、勝者なき勝利の虚しさ、ヒーローなき乱世の寂しさ、身分制・世襲制による特権階級に対する庶民の反撃。すべてが現在に重ねて透かせて見ることができるから多くの人々に読まれているのではなかろうか。

 そこから先は二通りの反応に分かれる。応仁の乱を読んでバーチャルに溜飲を下げてそれで終わるのか、リアルに馬を駆って戦国の世を駆け抜けはじめるるのか。できれば後者として次の時代を切り拓く人材や企業でありたいものだ。ただし、くれぐれも江戸時代に再突入することがないよう注意が必要だ。


 2017/05/29 07:39  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
モノ作りのココロ
デザイナーの家永健司氏とモノ作り談義でひとしきり盛り上がった。

 パリで8年間活動されたのち日本に戻って来られた際に、まずは地元の関西を拠点とされたことから、ひょんなことからご縁が生まれた。

 初めてお会いしさとき、大阪のヒルトンホテルのカフェでいきなり大量の商品サンプルをテーブルの上に並べらて、びっくりさせられたシーンが昨日のことのようだ。

 始めは子供服を生業にしておられたが、現在は大人のレディスで活躍されている。子供服にも二通りあって、最初から子供服として仕様をきるアプローチと、大人服をミニチュアかするやり方だ。家永氏は後者のパターンで、欧州の香り満載の品の良い商品に息を吞んだ。

 その後、活動拠点を鎌倉に移されてからも展示会や会食で交流を重ねてきたが、ここ三回ほど展示会に足を運べておらず久々に晩飯をご一緒することができたのだ。

 原料から吟味をかさねて素材を作り込み、自らパターンを引くクリエーターは今となっては世界遺産ものだろう。氏はいとも簡単にではなく、手間に手間を重ねて全行程で自分の感性を働かせ、手を動かして服を仕上げていく。

 リアルクローズ対応でスタートしたブランド「バラッカバラッカ」が善戦中とのこと。都内百貨店のポップアップにおいても、並み居る競合ブランドに決してひけをとらないどころか勝つこともあると聞かされ、自分のことのように嬉しかった。

 モノ作りに関しては門前の小僧に過ぎない私であるが、門前で丁稚の仕事をしているだけで経のココロは耳を通じて体の中に染み入ってきたし、香の香りを通じて精神が刺激されたものだ。理屈としてではなくホリスティックな体感としてモノ作りの世界に自分が溶け込んでいく、そのような感覚が得られる時代であり、社内の環境であった。

 ロジックの宴はお開きになり、再びモノ作りのステージが開演帰したことは理解はできても体現するのはそう簡単なことではない。

 家永氏のような暗黙知の高度集積人材とインタラクションを重ねて形式知化していくことも自分のミッションだと再認識させられた一夜であった。
 2017/05/17 08:55  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
アパレルIT3.0は哲学勝負
 アパレルITに2.0と3.0があるとするならば、SPAモデルの原動力となったPOSレジを入口にした業務系と情報系が2.0であり、現在進行中のAIによる各種ソリューションと グローバルサプライチェーン高度化が3.0に相当すると考えられる。

 前者は様々な実証実験が進行中であるが、大きくは顧客レコメンデーションと発注およびディストリビューションに収斂される筈だ。レコメンはさらにメルマガと店頭接客にフォーカスされ、発注とDBを人間が行うことはなくなっている近未来がかなりの確率で想定される。

 メルマガは最後までコンピューターが完結してくれるが、接客の最終砦は人間である可能性が高い。残念なのか幸いなのか、それがペッパー君で自己完結するとは考えにくい。数入れやDBを人間がやっているからこの程度の精度で頭打ちになることは、誰もが認めたくはないが実感として感じるところだろう。それぞれが情報系と業務系に相当し、スキームは不変のままその中身が飛躍的に進化するのが3.0の世界であると考えられる。

 良品計画とファーストリテーリングが進めている「客が欲しいものだけ作る」というのは、実はものすごく奥が深い本質的命題であり、哲学的な考察と議論が求められるものだ。セリングからマーケティングへと言われて半世紀(我が国において)が経過する。プロダクトアウトからマーケットインと言われたのはこの四半世紀だ。延期−投機の理論は1960年代から存在するが、私たちは売り減らしから売り足しへや期中追加などの曖昧言葉でわかった風をしてSPAを推進してきた。

 売れたモノを追加するのは馬鹿でもできる。キーワードを軸にモディファイを展開していればまだましであるが、ズバリ追加は愚の骨頂だ。テストセール的な提案商品も、恐る恐る置きにいくような勝負に過ぎず迫力と効果に欠けることは否めない。

 さて、客が欲しいものとは果たして一体どのようなものと定義できるのだろうか。マーケティングにおいてニーズとウオンツの違いと、ニーズがさらに顕在と潜在に分かれる氷山モデルは定跡だ。顕在的ニーズに基づくウオンツを客が欲しいものとしていたのでは、ディマンド側もサプライ側も進化の扉を閉鎖していることになる。既知の既存のものを再生産しているに過ぎず、そこには何の前進もない。

 厳密に表現すると、客が「そうそう、そういうものが欲しかったんだけど、自分では想像もつかなかった」と言わせないといけないのではないだろうか。すなわち、客が本当に欲しいものは自分でも気付いていないけれども無意識的には意識しているという、まさに哲学的定義の世界に属するものになる。私たちの認識は主観に依存していることから、客観的認識を真に共有することは原理的に不可能だという哲学的議論があるが、まったくもってその世界に突入することになる。

 欲しいものとは先付けなのか後付けなのか、すなわち事前欲求なのか事後的言い訳なのか、哲学に心理学が加わって市場における駆け引きは複雑化していく。複雑で手間がかかるトランザクションはAI君がいとも簡単に処理してくれるが、AI君に何をやらせてその結果をどのように解釈するかは私たち人間に委ねられている。

 羽生善治さんのAIに対するスタンスは多くの示唆に富んでいる。 
 2017/05/06 17:11  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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