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受難の時代
ファッション業界にとって最悪の一年が終わろうとしている。

 百貨店の売上が6兆円を下回る見込みのもと、気を吐いているのはECとアウトレットと駅ビルだけだ。アウトレットも禁じ手を打った越谷や倉敷は大苦戦の模様で油断することはできない。

 アパレルと小売とが業界を挙げてファッションを文化の座から引きずり降ろしてしまったツケはあまりにも大きい。アパレル側はイトキンに引き続きファンドの傘下に下る昭和のアパレルが出てきそうな来年の見通しだ。

 小売側では90年代にヤングを呼び戻した百貨店ではあるが、今となっては立地の微妙なズレと躯体の古さはあまりにも重たい足かせだ。SCはオーバーストアで、何をどうすることもできないままゴーストタウン化を免れることはできない。

 少子高齢化が進行する時代に、ネットを通じてインフォメーションとビヘイビアーのタッチポイントはスマホに奪われてしまった。減りゆくコンシューマーの24時間365日という限られた時間の奪い合いに敗北し、場所的ハンディキャップを背負ったリアルビジネスの先行きは極めて険しいと言わざるを得ない。

 20年の歳月を隔てて再びコト消費がもてはやされている。リアルでしか供与できない貴重かつエキサイティングな経験を提供することが求められる。USJが絶好調の関西においてニッチに頑張っている「ひらパー」の企画力が大いに参考になる。

 デジタル×AIの動きは止めようもないが、ここはひとつアナログ×人間力の勝負に出ようではないか。私は自分自身の人間力のみに依存する人材育成に次の残り10年を突っ込む。
 2016/12/28 17:51  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
モラルステージ
 上海に「大江戸温泉物語」がオープンしたそうな。もちろん日本のそれとは何の関係もない。

 私が入社した当時の会社も、商標権をはじめとする知財はユルユルであった。他者の先行する権利にフリーライドするレベルのステージはとっくに超えていたが、十分にプロテクトできるステージには及んでいなかった。

 百億を超える売上を誇っていた基幹ブランドのいくつかですら、他者から商標権を譲ってもらったりやらで、切った貼ったの状態だった。そんなところに、反社会的勢力に代表される人々にもてはやされるメンズブランドが急成長したものだからたまったものではなかった。

 三ノ宮の高架下や大阪の丼池界隈でコピー商品のサンプルを購買しては、手を打つ仕事に追われる日々が続いた。海外では、台湾や韓国に苦労支えられた記憶が生々しい。特許事務所経由で話をつけられるという意味で台湾は比較的行儀が良かったが、東大門と南大門市場には手も足も出すことができなかった。90年代になってからも、韓国では“KOZOC”なるブランドが登場する始末であった。

 このように、国レベルで知財に対するモラルステージはライフサイクル理論のごとき進化を歴史的に辿るのだが、大陸の中国はいかなるステージにあるのだろうか。真似をすることに対する文化的基盤が全く異なるとは言うものの、ビジネスにおいては一定のモラルステージに早く達して欲しいものだ。

 模倣の経営学(井上達彦)の視点からは紙一重の議論になるが、人や社会が許されている学習としての模倣とただ乗りは全く異なる。テクニカルに言うと、抽象化した概念を模倣して異なるロジックツリーで具現化することは許されているし、それがまさに学習そのものなのだが、彼の国の人々にそのようなモラルは期待しうるのだろうか。法的対応を検討するとのことだが、現代的モラルに基づく当局の圧力に期待するしかないであろう。

 つま恋が閉園になる。南こうせつも吉田拓郎も感慨深いものがあるだろうが、全社一丸の部署旅行でつま恋を借り切った諸先輩方々も同様と拝察される。容赦なく時は流れてステージは変遷していく。
 2016/12/23 15:37  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
2.25倍の怪
 ユニクロのヒートテックウルトラウォームは、従来品より2.25倍、エクストラウォームより1.5倍暖かいという謳い文句で発表された。

 同社の調べ通りに報道するメディアに罪はないが、それぞれにに定量リテラシーがもう少し伴って欲しいと願い本稿を起こした次第である。

 データは、量的データと質的データに分類することができる。前者はさらに比率データと間隔データに、後者は順位データとカテゴリーデータに分かれる。ビジネスで最も用いられる金額や数量は比率データに含まれ、全ての四則演算を施すことができるとともに絶対的、相対的比較にも意味がある。

 温度や知能指数などは数値で表されるものの、それらは間隔データなので足したり引いたりすることはできるが掛け算と割り算は御法度である。10度Cを二倍にして20度Cという計算結果を得ることは可能であるが、20度Cは10度Cの二倍暖かいとは言えないからだ。

 顧客満足度や業界のMDやDBが大好きなベスト〇〇などが順位データであるが、これらは等しいか大小かを比べられるだけで計算の対象にはできない。人口動態を表す性別や職業などはカテゴリーデータで、これらは度数をカウントすることしかできない。
さて、1.5倍という数字も報道されたので、1.5✕1.5=2.25という計算が行われたであろうことは容易に想像できるが、何に対して何が1.5倍なのだろうか?

 おそらく、発熱や保温などの化学的性質を計量した結果の数値だと考えられるが、専門分野には疎いが一般教養には長けている消費者としてはもとのデータにより忠実な発表と報道を望むところだ。

 広告宣伝上の謳い文句として二倍暖かいというフレーズは情緒的に訴えかけるものはあるが、科学的にはまったく理解することができない。二倍暖かいと二分の一の気温下で同じ体感を得られるのか、それは10度Cに対して5度Cなのか、氷点下だとどう計算すればいいのか…。はたまた極寒においても二倍長い時間耐えられるのか、厚さが二分の一のアウターでも同じ体感温度が得られるのか、考えれば考えるほど訳がわからなくなる。

 単なるキャッチーなフレーズなので、いちいち細かいことを言うなと言われればそれまでだが、小学生の子供にゲームばかりするより読書してくれたほうが、お父さんは2倍嬉しいよ!ではビジネスのプロフェッショナルとは言えないだろう。

 その他の分類の方法としては、絶対値と変化率、基数詞と順序数詞があり、それぞれに取り扱い注意である。数字を伴う議論は客観的であるかに見え一定の説得力を伴うので、数字を使う側は型と作法を知っておかねばならない。

 逆に数字を使われる側にまわった場合、ん!と踏みとどまる注意力が求められる。
 2016/12/12 18:32  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
小売の輪
ニトリがタカシマヤタイムズスクエアに新店を開業した。

 日経MJには両社ともSPAと紹介された。SPAというとファッション業界の代名詞のように勘違いしている可能性が高いが、言い出しっぺがGAPの創業者ドナルド・フィッシャーというだけで、今となっては流通業界の一般用語にまで敷衍した。回り回って家具というコンテンツが百貨店に回帰したことは感慨深いものを感じる。

 「小売の輪」理論は、1957年にマルコム・P・マクネアが提唱した古典的ロジックである。すっかり耳にする機会はなくなっているが、私にとってはしばしば講義やコンサルティングの場面で引用する現役の理論だ。そのプロセスは以下のようなサイクルで形成される。

1.革新的な小売業者が既存のマーケットにローコスト、ローマージンの価格競争で市場参入しシェアを奪う。
2.追随業者が次々に参入し、価格競争がより激しくなる。
3.価格だけでは武器にならなくなり、価格以外の付加価値(品揃え、設備やサービス)を増した競争が展開される。時間とともに人件費増加、規模の拡大によって本部費などの経費が増加、結果的に薄利多売から高粗利路線へと転換せざるを得ない
4.価格が上がってきたところで、別の新しい革新的小売業者が誕生し、価格競争で市場参入してシェアを奪う。

 このような輪廻転生が一回限りではなく永遠に繰り返されてきたし、これからも繰り返されることになる。それがスパイラルアップになるかスパイラルダウンになるのかは、時代とカテゴリーにより異なる。

 百貨店から消えたコンテンツの代表格が書籍と家電と家具であった。書籍は利便性でECに、文化として蔦屋書店に引き継がれた。家電はビックやヨドバシの独断場となった。そして家具はというと、大塚家具やアクタスなどの特殊形態に分派し、ニトリが新宿高島屋にテナントとして返り咲いた。

 小売の輪はコンテンツのみならずビジネスモデルにもあてはめることができる。かつてダイエーが価格破壊をやってのけ、GMSが不毛のエブリデイロープライス競争で疲弊し、そこに利便性を売りにするコンビニエンスストアが表れ、コンビニも価格競争に陥り始めるとセブンプレミアムやナチュラルローソンが登場してきた。牛丼業界も理論通りの輪廻転生を経て今がある。

 このように小売の輪は、半世紀以上を経過した今でも全く陳腐化することのない、適用範囲の広いグランドセオリーなのである。業態や業種に小売の輪のプロセスをあてはめて、時間軸を遡ってみるといろんなことが見えてくる。

 裏返せば未来を見通す一助となるとともに、それぞれの戦略の正誤のリトマス試験紙にすることもできる。改めて小売の輪を意識して欲しい。

 それにしても、タイムズスクエアにおけるFRやニトリの家賃条件が知りたいものだ。こればっかりは箝口令状態で情報が漏れ出てこない。歩率ではなく坪単価(しかも限りなく小さい)でやっちまっているのではと、百貨店に家賃見合いをぼったくられ続けた伝統的アパレルを出自とする私たちはやっかむしかない。


 2016/12/10 16:56  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
本質を議論されたし
自民党の強行採決によりカジノ法案が衆議院を通過した。

 そもそもIR(総合型リゾート)という上位概念がまやかしのセールストーク用のビッグワードであることが私には気に障る。ビッグデータやクラウドが最先端のIT用語として飛び交っているが、どんなストレージにどんなデータを蓄積して、どのレベルの演算能力とメモリーでぶん回すかはユーザーの勝手であってベンダーから売り込まれる筋合いはない。

 カジノはIRにとって決して必要条件ではない。したがって、議論の本質の第一は、我が国にIRなるものが必要なのかどうかという点とIRにカジノは必須かということだ。雇用創出と経済効果が伝家の宝刀のように持ち出され起爆剤という言葉が流用されているが、起爆した後にどのような時間がどのように流れていくのか、抽象能力と想像力に乏しい政治家たちに何が期待できようか。手続き上の突っ込みしかできない野党にもがっかりする他はない。

 縮小する経済と減少する人口を背景とする我が国の100年の計を語る人材はいないのか。ほとほと懲りないのは大阪で、箱物の残骸は記憶ではなくいまそこここにあるにもかかわらずだ。宵越しの金を持たなかったのは江戸っ子だが、宵越しの失敗を持ち越さないのが大阪か…。

 いまひとつの本質的論点は賃金の使い道と付加価値創出の手段と目的論である。アダム・スミスやカール・マルクス多くの間違いを論じてしたことを私たちは後知恵ではわかっているが、それ以上に彼らが素晴らしい理論の数々を残してくれたことも忘れてはならない。

 マルクスは労働力の再生産という概念において賃金を次の三つに分解した。食べることにより短期的に自分自身の労働力を維持すること、家族を養うことにより中長期的に次の世代の労働力を生んで育てること、そして余暇に休んだり遊ぶことで自分と家族の鋭気を養い結果的に短期と中長期双方の労働力再生産の原資とすることである。

 ギャンブルがゼロサムゲームであることはいまさら説明するまでもない。さらに巨大な設備投資と雇用創出を支えるとなるとプレーヤーに還元される原資の歩留まりは現状の75%を
大きく下回る可能性すらある。労働者が経済的付加価値以外の社会的効用を伴わない単なる浪費により自己の労働力の再生を図ることを全面的に否定することはできない。かくいう私もニコチンおよびアルコールに依存しない日々はありえないという有様だ。幸いおねえちゃん系は全く無用であることから何とかバランスがとれているお恥ずかしいレベルに過ぎない。

 カジノはお金の流れは生み出すが、社会的効用としての付加価値の創出はそれらのお金を得た法人や個人に委ねられることになる。消費市場におけるモノやサービスを通じて利便性や文化などの社会をより豊かにする付加価値の増大を直接的に期待することはできない。

 しかも我が国にはすでに30兆円弱(うち20兆がパチンコ)のギャンブル市場がすでに存在している。依存症は500万人を超えているという。国民25人に一人が依存症という恐ろしい現状だ。自分の家の周囲10軒の中に一人のギャンブル依存症が居るという勘定になる。なんということだ! 日曜討論にて本質にかする議論を展開していたのは唯一日本共産党だけだ。日本維新の会の主張などは、はぁーっ?のレベルに過ぎなかった。

 小泉氏、村山氏、細川氏などの歴代総理を先祖返りを看破してと痛烈に批判するのは青山繁晴氏(壊れた地球儀の直し方)だが、先祖返り以前にずっと先祖のままなのがいまの政権政党なのだろう。そのような輩は現野党が政権を担っていた際にも鳩山某として存在するから、おしなべて政治家はステレオタイプで見ざるをえないことを学習させられるのが我が国の現状だ。

 官僚は公家のごとき自尊心と差別的階層意識を背景にして、政治家は武家のごとき暴力を背景として既得権益の死守にやっきになり、私たち国民を生かさぬよう殺さぬようと、搾り取ることのみに邁進する。

 青山氏は「超国民」としてこれまでの国民のあり方を変えて、自ら考えて決断する国民たれと強烈なメッセージを発信している。それは世界に対して我が国がという視点と、国家に対して国民がという両方を含んでいる。

 ノーブルオブリージュは世界の知識人や一流の人々の間では常識的倫理観である。稼いでいる人間は法人も含めて多額の直接税をきちんと払い込む義務がある。パナマ文書に絡む人々は塀の外をあるいている非社会的組織構成員だ。第三のビールが増税されることになり小さな財布が傷む私たちは、超国民としてのありようが問われている。
 2016/12/04 16:06  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
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プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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