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うっかり歩かない
ポカンと口を開けて呆けた顔をして道を歩いては危険だ。

 30分ほどの時間合わせの必要があって八重洲地下の喫茶店に入ろうとしたとき、“北村センセー!”と声をかけられた。三年前に関西で実施したファッションビリジスリーダー講座の受講生のOGW氏であった。現在は同社が力を入れているスポーツ関連の仕事で走り回っているとのことで、リオにも行けるかもしれないと喜々として話してくれた。悶々とした時期もあっただろうが、めでたしめでたしである。

 その30分後、サウスタワーのエスカレーターですれ違いざまに手を振ってくれたのは、広告宣伝系で活躍しているKMG女史である。現在勤めている会社がそこにあるので、ありそうな話しではあるが驚いた。

 某投資ファンドの経営者だった御仁とは青山のスポーツクラブで二度お会いしているし、大手町のスポーツクラブでは佐藤優氏と同じプールレーンを歩いたこともある。在りし日の藤巻氏と四谷三丁目のホテル前の歩道ですれ違ったこともあるし、先月はホワイティ梅田で人材育成プロジェクトでお世話になりながら途中で転職してしまったM氏と出くわしている。

 もっとも、こちらが気付いてはいるが先方は気付いていない場合やそもそも私がどこの誰かも知らない由も多々ある。どちらかと言えば周囲に対する目配りはできているほうだと思っているので、時間的にも機会的にもこちらがアドバンテージをもっているケースの方が多い筈だが決して油断してはならない。

 ジョハリの窓ではないが、こちらが知らないところで知っている人に秘かに見られている事象は頻発している可能性は大いにあると考えておかなければならない。

 大手商社のグループ新入社員フォロー研修で、忙しそうで三ヶ月の間に二三度しか話しをしたことのない上司や先輩が、思いの外自分たちのことを見てくれていて、しかもその上で評価やアドバイスを詳細にわたり記述してくれていることに驚いている受講生が多数見受けられた。

 できる社会人のモニタリング能力を見くびっちゃあいけねぇよ、そして、万一モニタリング能力に劣る社会人諸氏がいるとすれば、襟を正さなきゃならねぇよと言わせていただこう。

くわばらくわばら。
 2016/07/24 17:12  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
いくらでもある良書
 一年以上積ん読状態にあった“チェンジング・ブルー”(大河内直彦)を読み終えた。

 帯に「科学ノンフィクションの輝かしき金字塔」とあるが、まさにその通りの読み応えだった。
地球がどのように太陽を周回していて、軸が微妙にぶれながら自転していることから大きな気象のサイクルは発生する。いま私たちが生きている時代は、ほんの一万年の類い希な安定的間氷期に過ぎず、とはいえマクロ的にはあと一万年ほど継続する可能性があるという。

 ただし、線形の予測可能な動きと数十年のオーダーで発生する非線形の変化がいつどのような形で私たちに襲いかかってくるか予断は許されない。折しも結婚記念日の旅行で三方丸山遺跡を訪ねて5000年の彼方の縄文の先輩達の足跡に触れ、200年の重みを支えた弘前城の曳家を目の当たりにして、様々な思いを馳せるには絶好のタイミングの書であった。

 地球は大いなる太陽エネルギーを享受するとともに、放射現象による絶妙なエネルギーのINOUTのバランスの上に現状があり、海洋深層水と表層水によるコンベアーベルトがこれまた神業のような熱循環を施してくれていることから、緯度の高低を問わず人間をはじめとする諸生物が生息可能な環境を形成している。

 宇宙および地球の歴史のオーダーからはほんの一瞬に過ぎない一万年弱というニッチな時間を私たちは生きて栄えてきた。ほんの数百年前までの中世の暗黒時代を思うと、オーダーはさらに二桁少なくなる。テロの嵐が鳴り止まない現状を鑑みると、それは無限小の未だ実現と到達ができていない理想郷なのかもしれない。

 地球環境における生存可能性を、競争環境における優位性獲得可能性に置き換えるとビジネスが抱える宿命が見えてくる。予測可能な線形の変化に対応する構えと均整の議論は優秀なマネージャーのオペレーションで乗り越えることができる。ところが非線形の不連続の変化に突如襲われた場合には絶滅すなわち倒産をはじめとする退場宣告の憂き目にあうか、それを見越した優れたリーダーの手による立地替えでなんとか生き延びることができるか、運命的な分かれ道が待っている。

 化石燃料をガンガン燃やすことが地球における非線形の突然変化の背中を押している可能性が高いが、人類の英知がそれを乗り越えるレベルにあるかどうかが問われている。企業においては、老若男女を問わず権利ばかり主張と行使して、その裏返しとして自分は何でどう貢献できているのか省みることがない寄生虫がチューチューしている状態が
化石燃料燃焼に相当する。

 縄文時代のヒトの寿命はおよそ30年であった。それを遙かに超えて生きている価値があるかどうか、次世代や地球環境に迷惑をかける権利はあるのかを猛省する必要があるのでは?

 ヒトおよび私たちが属する業界や企業が絶滅危惧種にならないためにも…。



 2016/07/17 18:12  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
この国もやっちまった
三分の二に届いたことが意味することをどれだけの投票者が理解しているのだろうか?

 実際には市井にこそ賢者は潜んでいるが、民主主義の体現だと大きな誤解をしている選挙という手続きにおいて、私たちが偉大な愚行をしでかしてしまうことが我が国でもやっちまわれた。積極的な代替案がないのも事実であるが、形式的には現状を是認することを後押しした責任は重たい。

 三枝氏は経営リテラシーのあまりのなさ加減に渇を入れているが、それはプロとして禄を食んでいる前提に基づく少し高いハードルをおいた上での議論である。プロとしての大衆は存在し得ないし、税金を負担している市民の立場から国民リテラシーという概念が生まれる余地と、ましてやそれが問われることは考えにくい。

 とはいえ、あまりにも卑近な視座でしか行動を律することができない人々の多さにはがっかりさせられるとともに、それを前提にした為政者の真正なる振る舞いが求められるにもかかわらず、為政者自体が愚なる大衆の代表に過ぎないというシステムの限界に直面させられて身動きがとれなくなってしまう。

 企業の為政者たる経営者および経営幹部がいかなる文脈で経営リテラシーが求められているかは明白だ。愚かな労働者の延長線上にその立場はあり得ないし、既得権益と短期的なゲイン、そして自分の限定的利害を超越したところにどれだけ目線を定めることができるかどうかが問われる。

 心配しなくても100年も経てば誰も私のことを思い出したり振り返ったり評価することはない。歴史を超えて記憶や記録に留まる確率は0.1%にも満たないのが私の実感だ。私たちはその程度の泡沫の存在に過ぎないが、だからこそ残すべきこと引き継ぐべきことが何であって何でないかを真摯に問い直す必要がある。

 真田丸と言われていた出城が実は四角だったという、たかだか何百年かでその程度なのだから。

 2016/07/11 20:53  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
経営リテラシー
三枝匡氏の生講演を聴講してから早や一年が経過した。

 我が国のビジネスパーソンには“経営リテラシー”がなさすぎる!と一喝していた現状が痛いほど染み入るその後の一年であった。

 経験曲線、PPM、セグメンテーション、SBU、差別化戦略、マトリックス思考のうち、どれだけわかるか?という問いからセミナーは始まった。ミスミでは全五講の戦略研修を100回近く開催してきたそうだ。経営幹部に戦略経営の手法を教え込めば事業は成長する。足元のどこに崩れが発生しているのか気付くなも早いという。その結果として、今のミスミの頑強な経営がある。

 三部作の中でも代表作にあたる“戦略プロフェッショナル”が登壇講座の課題図書になったことから足を運んでみたという経緯だが、それはもう凄い迫力であった。再生請負人や再生ファンドという言葉が聞かれるようになって久しいが、その第一人者の生の声にはただただ圧倒されたことが記憶に新しい。

 それから一年、大手企業の幹部候補生や部課長を対象に戦略策定ワークショップや問題解決ワークショップを担当させて頂く機会が急激に増えてきた。そこで痛切に感じるのが、あまりに経営リテラシーのなさ加減である。戦後の経済成長が勤勉な国民性を背景にした後進国モデルの愚直な実行に過ぎなかったことをどこまでわかっているだろうか。そして朝鮮戦争特需と農村から都市部への人口移動という特殊要因による神風に過ぎないことをどれだけ認識できているだろうか。その間、米国が屈辱に耐えながら必死で研究して到達した答えをどれほど理解できているのだろうか。

 かかる歴史的経緯に対する知識と認識も大前提となる経営リテラシーであり、その上で何をどう見てどのように舵取りしていくのかが問われている。後進国モデルを体現していた企業でオペレーションしか経験のないビジネスパーソンには経営リテラシーの欠片も備わっていない。当事者の能力と責任の問題ではなく環境がそれを必要としなかっらから仕方がない。まずはそのような歴史と現状を素直に認識すること。そして猛烈に自分の戦略手法を磨き上げることが求められている。

 グローバルやダイバーシティという言葉は踊るが、その実が国境を越えた先進国モデルの構築であることがどこまでわかっている?海外に出て行くことではなく、我が国に世界中の優秀な技術者が集ってR&Dの拠点と発信元になっていることが真のダイバーシティであり、グローバルだ。折しも、自動運転の研究開発拠点をトヨタは米国にホンダは東京に設置する旨が報道された。世界に誇るタイムベースマネジメントのルーツであるトヨタは
日本を見限ったのか?という問いを立てることができているか。

 かく申す私もこの10年の講師ビジネスを通じて、ようやく経営リテラシーの端っこが身についたというところに過ぎない。30代に学習したMBAが土台になっていることは間違いないが、その当時の到達度と完成度は今から思い返すと甚だ心許ないレベルに留まっていた。それでも日本の大企業で経営幹部の綱を張ることは簡単にできてしまう。というより、そのレベルの人々を席につけざるを得なかったというのが実態だろうか。

 残りのビジネスキャリアを、次世代の人々の戦略思考や手法を叩き込むことに寄与する端くれとして頑張っていきたいと思いを巡らせている。
 2016/07/10 16:59  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
フランク三浦の正体
フランク三浦に関する詳報が日経MJに掲載された。

 商標法上の係争が最高裁までエスカレートした旨ののベタ記事は目にしていたが、今回の報道でその詳細を理解することができた。

 私のビジネスパーソンとしてのスタートは、当時のアパレルでは珍しかったであろうリーガルセクションだった。いまでこそコンプライアンスとかCSRが普通に言われる時代になったが、企業法務という概念はアパレル業界ではもちろん、ビジネス全般でも一部の大企業でしか取りざたされない最先端(というより対応せざるを得なかったのがそのときのW社の実態だった)の動きだった。

 当時の言葉で知的所有権(今では知的財産権と称する場合が多い)に初めて触れて必死で勉強して、不正競争防止法という耳慣れない法律に振り回される日々が続いていたことが懐かしい。

 そこには、フリーライド(ただ乗り)は、我々人類の文明のみならず文化的基板すら脅かしかねない法律以前に絶対に犯してはならない領域だという思想が背骨として貫かれている。その一方で、模倣は学習の出発点でもあり「模倣の経営学」(井上達彦)というアカデミックな議論もある。その本では“偉大なる会社はマネから生まれる”との副題が打たれている。

 フランク三浦は模倣ではなく単なる駄洒落でパロディに位置づけられることが今回の報道で理解できた。文化としてのパロディと違法性を分かつポイントは、消費者をして混同誤認を生じせしめるかという点である。クランク三浦をご本家と混同する消費者は皆無であろうことから、商売としてはパロディということで完全勝利だと目されるが、商標法上の登録要件を満たしているかどうかはまた別の次元で判断されるので最高裁の判断が見物である。呼称は完全類似、意味も外観もまったく非類似であることから商標法上もおそらく登録が認められる可能性が高いというのが私の見立てではある。

 その昔、最高裁で勝訴を勝ち取ったWF事件を思い出しながら。
 2016/07/03 13:15  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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