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戦略の機微
 政治の機微とやらで会議出席者の名前を挙げられないセコいだけのオヤジもいるようだが、戦略にも機微とやらがありそうだ。

 オールドネイビーが日本から撤退すると発表された。マーケティング戦略の機微がその背後には潜んでいそうだ。

 94年に修士論文のための研究調査委で米国を二週間ほど巡ったときのこと。はじめの一週間は西海岸で主にSCの視察を行い、その後NYに拠点を移して一週間。今となっては日本でも当たり前の光景になったが、ウッドベリーコモンには度肝を抜かれた。

 名前だけは聞き及んでいたが、そこで初めてバナナリパブリックに触れて、これはイケてると感じた。TUMIのアウトレットでは、ブラウンとグリーンがあってこれもびっくりさせられた。当時UAがインポートしていたのはブラックだけだったからだ。

 バナリパにはパタゴニアにも通ずるような独特の世界観があって、オールドネイビーはこれが日本にあれば大きな反響を呼ぶと感じた。GAPは普通に普通に過ぎなかった。日本に出てくるべき手順をたらればで再現すると、斥候役としてバナリパのフラッグを東京、大阪、名古屋あたりに。足すとしてもせいぜい札幌と福岡。次にオールドネイビーを大挙して上陸させて一気に100店舗を超えるところまでもってくる。その上陸が一段落したところで、ご本尊のGAPが乗り出してくるというシナリオだ。

 残念ながら我が国にオールドネイビーがやってきたとき、既にユニクロや西松屋が市場を席巻してしまっていて十分な田畑は残されていなかった。H&Mやフォーエバーを通じてマーケットが廉価不感症になった後というのもタイミングが遅すぎた。90年代の米国のオールドネイビーは、少し饐えた臭いがする暗いイメージではあったが物量は豊富で、しかもと激安プライスだと感じられた。

 このちょっとした後先、タイミングの早い遅いは、まさに機微と呼ぶに相応しい。

 一昨日はマイクロソフトにしてやられた。ウィンドウズ10へのアップグレードのポップアップには誰もがうんざりさせられていると思うが、この三月くらいからPCがある条件を満たすと勝手にアップグレードが始まる仕掛けが施されたようで、私もその被害者になった次第である。

 幸い、速攻で8.1に戻して事なきをえた(今のところに過ぎず何が起こるかはわからない+少なくともCドライブのリソースは勝手に占拠されて使用可能領域が狭まっているはずだ)
30日の無償アップグレード体験と謳っているので、法的に詐欺などに相当するわけではないが、意図せざるPCの余分な動作とストレージの占拠を強要されたことに強い嫌悪感を覚えているのは私だけではないだろう。もはやMSもこれまでか、という感がある。

 MSも様々な機微を乗り越えてきた企業の代表だ。ハードで言えば、PC98vsDOS-Vマシン。ソフトでは、ネットスケープvsエクスプローラー、123vsエクセル、そのまえにvs一太郎&花子。サイボウズvsエクスチェンジあたりから雲行きが変わり始めて、Linuxとグーグルの登場によりカド番に。いまや元気を取り戻したヤフーやアマゾンには太刀打ちする術もない。その足掻きと喘ぎがウインドウズ10における、ユーザーに対するデリカシーが全く感じられない暴挙に表れている。

 塾の第二回の題材は、ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」に決定した。家畜化可能な野生動物と栽培化が可能な野生植物に少しだけ多く少しだけ早く始まったかどうがが、食料生産に依拠した定住生活なのか狩猟採集移動生活なのかを分かち、そのことが余剰食糧の有無を通じて社会的分業(支配)に繋がり、専門職の発展が促され、やがては世界を支配する三つの武器を有するに至る社会が出現する壮大な大河ドラマが地球上では展開されてきた。人間個人としてスペインのピサロが優れていたわけでも、インカのアタワルパが劣っていたわけではない。

 少しだけ多く少しだけ早く、逆に少しだけ遅く少しだけ少なくという機微で、戦略の巧拙は結果として大きく異なるものとなる。結果としての成果がその果実であるならば、果たしてその機微は実力なのであろうか、それとも女神の所産なのであろうか。

 戦略とは、しょせん結果論に過ぎないが、プロセスにおいて考え尽くしてやり尽くしさえすれば、女神が微笑む確率は限りなく高くなるというものではないだろうか。それぞれの業界における、銃・病原菌・鉄に相当するものを見極めて、そのちょっとした後先をかぎ分けることは極めて重要な、まさに戦略そのものとなる。
 2016/05/22 16:59  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
スリーダイヤ
 三菱自動車はエンジンが落ちるというのは、私たち世代の学生時代、都市伝説であった。。

 最初に乗った車はトヨタのカリーナだったが、次に三菱のラムダ(Λ)とスズキのアルトで学生時代を過ごした。幸い、エンジンが落ちることはなかった。

 車が必須の岡山から神戸に出てきて10年ほどは車なしのライフスタイルを過ごしたが、二人目の子供を契機に戸建てに移ってから車生活に戻ることになった。片や車で、片や洋服で「コルディア」という共通ブランド(商標的には分類が異なるのでいずれも商標法上は合法的に存在していた)を展開していたことから、こちらから積極的に働きかけて、将来にわたって不正競争防止法上の係争には至らないように予防線を張るアクションを起こした。

 その際に窓口になっていただいたY氏の縁者扱いで社販価格で買った最初の車は「RJR」であった。オーストラリアでのワーホリ経験での印象から、カンガルーよけに相当するフロントバンパーガードのかっこよさが決め手だった。もちろんエンジンが落ちることはなく、2年後にデビューしたホンダCRVへとバトンは移っていった。

 CRVの後はドイツ車を6台乗り継いで現在に至るが、国産で二台の経験があるのは三菱自動車のみであり、田町のオフィスに何度がお邪魔した経緯もあって心が痛い。

 自宅待機を余儀なくされている現場のワーカーには、何の責任もなく、むしろ優秀な人々であろうことは想像に難くない。マインドセットを大きく勘違いしていて、知識もスキルも満たしていない「なんちゃって幹部」が、訳のわからないつぶやきを発したことが全ての元凶のようである。

 三枝匡氏が言われる、この国のビジネスパーソンの経営リテラシーの欠如ほどではないにしても、人の上に立ったり会社の看板を代表する立場にある人々のレベルの低さには、辟易している場合ではなく大いなる危機感を抱いて、この国の未来を作り直さなければならないと強く思う。

 旧財閥、確かに凄かったと思う。GHQに解体されたとはいえ三菱の看板とプライドも、引き続き尊重に値することは否定しない。ただし、実態を伴った精神ではなく実態と乖離した霊体としての精神のみが漂っていたとしたら、それは大きなはき違えだと言わざるを得ない。

 お客様は神様ですというフレーズは昭和のレガシーだが、何様が何様を相手に商売をしているのか?改めて問い直す価値がある命題ではないだろうか。
 2016/05/18 22:45  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
的確なインプットと場が必要
 セレクトショップのSVおよびDBの方々とのセッションが、最終仕上げの実践シミュレーションフェーズに入った。

 ロジカルシンキング、定量思考、仮説思考を固め打ちしてからの実践編なので、参加メンバーの成長には著しいものがある。

 最初は目が宙を泳いでいたMさんも、私にぶつけてくる議論が見る見るうちにシャープに研ぎ澄まされてきた。配属されたばかりのMさんもTさんもすっかり地に足がついて、はじめの頃の不安定感は全く感じられない。

 思い起こせば、それらの基礎スキルが甚だ怪しいまま、MDや分析のロジックだと論理ぶいていたのが当時の私たちであった可能性が高い。ロジカルシンキング、定量思考、仮説思考だけでも登壇回数は200回くらいになるのではないだろうか。そのたびに新たな発見があり、
MDや分析アプローチの足場が固まり、バリエーションが増え、応用力と説得力が高まっていく実感がある。

 つまりは、表面的テクニックとしてのロジックでいい気になっていたものの、ここにきてそのエッセンスがようやく自分のものになりつつあるということだ。私自身、ここまでたどり着くのに20年強の歳月を要してしまった。大きく的を外していたわけではないが、20年前にロジックだと息巻いていた自分のレベルを思い返すと穴に入りたくもなる。

 それらの集大成を短期間で集中的にインプットすれば、どのような変化が起こりうるのかを目の当たりにしている。そして、そのような場を会社がどのように演出できるのかも極めて重要となる。

 アパレルには限らないフィールドでの普遍的人材育成に軸足が移りつつがるが、商品や店舗に携わっている人々とのインタラクションは、やはり格別のものがある。今更アパレル企業に積極的に営業を仕掛けるつもりはないが、ご縁があればというところだ。

 人事制度構築とBPRのプロジェクトは、アパレルを舞台にスタートが切られようとしている。
 2016/05/15 17:35  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
連休中に
連休中に去来したこと。

 5月1日すっかり影を潜めてしまったメーデー。労使関係も大きく変化し労働組合の存在意義が問われている。およぞ30年前、ユニオンの法人化や専従設置にやっきになっていたが、その牽引者は会社を早期退職して還暦間近、顔になった愛すべき先輩は十数年も前に鬼籍へと。

 労働法の強化が企業の体力を奪いはじめて久しいが、労働組合が企業の背中を押すような事例は出てこないものか。プロパーの経営者がろくな経営を語って司れないのだから、ユニオンの幹部とて同様もしくは言わずもがなか。嘆かわしいのは組織を束ねる人々の勉強不足だ。いまやゼネストという言葉は、現役の組合員でも知らない人も多かろうが、ある種の緊張感がある種のテンションとして健全に働いていた側面も否定できない。正規非正規の議論や最低賃金のことばかりが話題になりがちであるが、本来的にはガバナンスの最重要機関になり得るのが労働組合のはずである。

 5月3日、憲法記念日。神戸人としては卑劣な言論テロ事件を否が応でも思い出される日だ。その昔コンビを組んでいた県警OBのKMR氏が被害者の記者をよく知っていたことから、当時どれほど怒りのお言葉を聞かされたことか。学部時代の比較憲法ゼミの担当教官の還暦祝いが20年ほど前のこの日に招集されたが、行くことができなかったのが残念で仕方ない。入社二年目の秋には、シドニーでのワーホリ仲間のTIM(タイ人)が日本に来ていて電話をくれたのだが、再開は叶わなかった。

 博多に滞在しているとのことで、時間も費用も工面できなかった次第だ。いずれも企業勤め時代に精神的にも時間的にもパンパンの状態で、人生を真に豊かにしてくれる
プライベートな機会に自分を置く余裕がなかったのは、まったくもって修行が足りていなかったか。しかしながら、それくらい日々の業務のプレッシャーは大きいものがあり、あっけらかんとそれをやり過ごすだけの度量がなかった私には、豊かな私的時間を選択することができなかった。

 5月5日はこどもの日。鯉のぼりを見かけることがめっきりなくなってしまった。自分が歩き回っていないせいもあろうが、確実に減少していることは間違いない。特に高さ十メートルは
優に超えて、数メートルの長さの真鯉、緋鯉など田舎でもほとんど見られなくなったそうだ。端午の節句のお飾りもすっかり廃れているのだろう。かく言う私は鯉のぼりも兜も全くノータッチで男二人を成人させた口である。時間や空間が最短化、極小化された結果、豊かな文化的営みがそれに押されてシュリンクしていく。

 ほんとうの豊かさを取り戻して、残された人生に向かわねばと思いを新たにさせられた。皆さん、心の洗濯はできましたか。
 2016/05/09 18:20  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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