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ワールドの課題、そして今後2
 戦略的な舵取りの見事さと、すでに大企業であった「大きな船体」を機動的に、かつ大胆に動かすことができた。

 前者はその通りだが、後者には異なる見方がある。

 米国のギャップ、リミテッドに学び、通産省が旗振りをしたQRを取り入れて、“川上から川下まで一気通貫でつなぎ、ロスやムダを価値に転換し顧客価値と生産性の最大化を目指す”
とのコンセプトは新鮮かつ大胆で心にしみるものがあった。麻雀用語がビジネス用語として慣用される先駆けでもあった。

 売上一千数百億、社員数およそ2000名は規模としては大企業といえるが、その内実は小さなパーツの集合体に過ぎない神戸土着の私企業だった。80年代半ばまで予算という仕組みはなかった。7月に決算を締めてみると在庫ゼロで利益が残った。空っぽの物流スペースで卓球くらいしかやることがなかったという神話を聞かされたものだ。

 84年にポートアイランドに新本社ビルが竣工し、87年にはコスモポリスという30周年記念イベントが20億の寄付で建立されたワールド記念ホールで全社員参加のもと開催された。
東京からは新幹線一編成貸し切りで大挙し、その後出入り禁止というエピソードまで加わる。

 そこでトップから発信された上場を目指すというメッセージは衝撃的だった。法務担当としてプライベート企業の表裏を見聞きして、大人の世界って何なの?と狼狽を隠せなかった若造の胸には、おおぉ!ついにパブリックカンパニーか!と全身の血液が沸騰するほど響くものがあった。

 上場準備室と内部管理強化部が発足し、外部から様々なブレーンが押し寄せてきて、社内にはそれまでとは全く異なる風が吹き始めていた。組織変革プロセスにおける“解凍”の始まりだ。解凍が始まると次なるフェーズは混沌だ。属人的なローカルルールで回っている組織に諸規定をあてはめようにも標準形が見当たらない。大いなる一般論をもってくれば形は整うがただの絵に描いた餅。

 そうこうしているうち、86年に最高益を計上したのを最後に卸型ビジネスモデルの足元の腐食が深く静かに確実に進んでいく。専門店に対する粗利保証、手形のジャンプ、赤黒伝票、モラルの低い社員による小悪事と社内は荒廃していた。

 そんな中、91年に突如颯爽と登場したのがW副社長だ。サントリーの専務として佐治敬三氏を支えていた三和銀行頭取筋のサラブレッド。社内のどこを見渡しても見当たらない新しい人種の参画は大きな一点突破となった。

 彼の発信した最初のメッセージは、「この会社には全社のことを考えている組織がないし、人もいない」というものだった。ブランドという小さな村(とはいえ最大のコルディアは400億あった)が林立していて、それぞれの村長さんが綱を張っているだけ。大和朝廷が開かれる以前の地方で豪族が覇を争っているだけの、国家という概念も共和制や連邦制という仕組みもまったくないところにメガトン級の爆弾が投じられた。

 夏には幹部会を復活させ、秋には経営企画部が発足し、そこで初めての社内公募制が採用されて会社としてまったく異なる胎動が始まった。社員はブランドという小さな村を離れて大きな船に乗りたくて仕方がなかった。能力もインフラも整っていなかったが大胆に動くことに大きな喜びと開放感を感じていた。さらに、神戸本社重点主義に萎縮するとともに辟易していた東京支店と東京の社員に火が付いたことも見逃してはならない。

 このようにして歴史的に組織と社員に鬱憤として蓄積していたエネルギーが突如解放されて、自律的に大組織へと自己組織化していったというイメージの方が強い。神が人間を創ったのではなく、生命体としての種が自ら進化してヒトになったという感じだ。にもかかわらず神が…で今に至るのである。
 2015/09/30 09:04  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
ワールドの課題、そして今後1
繊研24日付の稲田将人氏の論説に議論を重ねてみることにする。

 理にかなった科学的な事業運営により(中略)、なぜ人員に手を付ける状況に至ったのか。
90年代に起きた郊外型SCの構成の波に乗り、ブランドや屋号ごとの店舗デザインで世界観を伝える能力を使い、店舗数を増やすことで事業を大きく成長させた。

 ここにひとつの分水嶺と地雷が潜んでいた。分水嶺は全く異なるビジネスモデルの世界へとルビコン川を渡ってしまったことであり、地雷とは右側の壁だ。

 当時経営トップは最後まで迷っていた。同じ商号すなわちワールドの看板で郊外型SCビジネスを展開してよいものか否かという問いだ。ワールドのセーターは3万円もするが、10年経っても首は伸びないし毛玉一つできないと称された卸ビジネスにおける高品質高価格モデル。

 SPAのスタートは百貨店のハコだったので、適性品質リーズナブル価格に転換したものの、一点単価は数千円の後半で客単価は1万円を超えていた。それが2900円を中心価格として客単価は数千円しか出ないビジネスは別世界であることを直感していたからだ。
サプライヤー側としても全く異なるビジネスモデルへのチャレンジになり、マーケットから見るとブランドイメージが大きくストレッチして希釈化するリスクがあった。

 右側の壁とは、スポーツの種目において記録がこれ以上伸びるかどうかが当該種目の歴史的成熟度により対数関数的に時間の経過とともに可能性が低くなることを言う。ビジネスに置き換えると、売上を伸ばすために右側に突進していくと加速度的に利益が出にくくなるゾーンに突入し、やがて売上は伸びるが利益は下がり始める悪魔のゾーンに入っていくことになる。

 SやAクラスにランキングされる館は数百ヶ所に過ぎない。BからC館に出店した場合、家賃は比較的売上に変動するものの人件費は固定費として重くのしかかってくる。おまけに訳のわからない長時間営業を強いられては、人件費見合いがペイするわけもない。挙げ句の果ては、イオン、IYとも大量の退店発表。商店街がシャッター通りと揶揄されはじめて四半世紀。今度はSCが同じ憂き目に合っている。

 「小売の輪」をご存じだろうか。低コスト、低サービスの新規参入が、既存業者の売上げを奪って成長する。同じ手法で競争する複数プレーヤーが登場し、品揃えやサービスを巡る競争が激化し、高コスト体質になる。やがて、新たに低価格を実現した新規参入プレーヤーが市場を奪い、輪のように小売業の革新が進む。マルカム・P・マクネアが提唱した小売り業態発展を説明する理論だ。

 商店街、百貨店、GMS、SCのような業態にも小売の輪のような輪廻は遅いかかる。あらゆる業態がネットに凌駕されつつある。また、SPAの四半世紀の歴史にユニクロの台頭、GAP、ZARAの黒船第一陣、H&M、フォーエバー21などの第二陣の襲来。ODMを通じてこぞってやっちまった、安かろう似たろう競争。これにも小売の輪をあてはめると様々な示唆がある。

 そのほか二三の論点については次回以降で。
 2015/09/28 07:45  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
将校を読み替えれば
 昭和史と大東亜戦争に関する書籍は最低限読破してきたつもりだが、まだまだ未知の良書がたくさんある。

 マッカーサー参謀と日米双方から呼称された堀栄三氏の名前だけは存じ上げていたが、「大本営参謀の情報戦記」にようやくたどり着いた。

 曰く、俊才とはこんなときに、わかった顔して引き受けるのだろうか。目から鼻に抜ける人間が天下の俊才というのだろうか。嘘でも丸めて本当のように喋るのが大本営参謀であろうか。しかし、どうもそうらしい。ドイツ班所属の堀に明日からソ連戦況の説明をやれと上司に無茶振りされた際、「詳しい地名も覚えていないのでもう少し暇が欲しい」と本音で対応したところ部長にひっぱたかれたときの回想の言だ。

 さらに、俊才は絶対に勇者にあらず、智者も決して戦力になり得ずとは鈍根組の二等兵のエピソードとその後の活躍をふまえての金言だ。

 保阪正康氏は解説で次のように言う。将校には明らかに二つのタイプがあった。謙虚に自らの体験だけを話し、その評価、価値判断は聞き手にゆだねる、あるいは歴史の判断に任せるというタイプ、そしてもうひとつが自らの体験をさりげなく国策と重ね合わせ、饒舌にときに巧妙に弁明を重ねるタイプ。私は心中密かに前者を理知派と名づけ、後者を凡俗派と呼んでいた。

 名将といえば今村均、山下泰文、栗林忠道が私にとってベスト3だ。反対に愚将には服部卓四郎、辻政信、瀬島龍三を挙げたい。愚将三名がいずれも参謀職にあったことは偶然ではない。

 堀氏が前書きで述べているように、戦略を企業の経営方針に、戦術を職場や営業の活動に、そして戦場は市場、戦場の考察は市場調査とでも置き換えて読むことを敷衍すると、
高級将校は経営幹部に、将校は管理職に、兵隊は現場のスタッフと読み替えて敷衍することができる。

 ライン系の高級将校の今村や山下に対する牟田口が、本田宗一郎や松下幸之助に対する東芝を駄目にしたお三方に被る。スタッフ系の御三家に対して掘氏がいるように、〇〇、△△、□□と??がダブってくる。(それぞれ皆さんがすっきりする名前をあてはめて楽しんで下さい)

 茶坊主や太鼓もちちという言葉があるように、何も今に始まったことではないが、そのような小賢しい輩が組織と社会を台無しにしていく。小賢しいやつらは参謀職すなわちスタッフ部門に救う可能性が大である。牟田口型がトップで御三家型の取り巻きが控えているような企業は悲惨な結果に陥る。アパレル業界で悲鳴をあげている会社がまさにそのような図式に見えてしまうのは気のせいではないだろう。

 とはいえ、鈍根組が一所懸命汗を流しているアパレルも少なくない。アパレルというより、むしろOEM/ODMメーカーにそのような人材が多くある。理知派が日の目を見ることが難しい業界文化はそう簡単には変えようもなく、凡俗派をあぶりだして排斥することができるような仕組みが必須であるが、そもそも凡俗派が大きな顔をして社内を闊歩することがないような歯止めが必要だ。

 ライン系の凡俗派をいかに改心させるか、もしくはかなわなければ排除するかという崖っぷちにたどり着きそうなクライアントがあったりすることが、さらに深い示唆を与えてくれる。

 人を大切にする…との見出しが繊研にあったが、人事機能がKSFの左翼筆頭であることに間違いはない。もちろん最右翼はモノ作り機能をおいて他にない。組織論と学習理論で標榜し企業寿命30年説とダブルループ学習だったが、ちょっと回り道して“失敗の本質”(必読文献)的議論展開になってしまった。これも一興かと。

 2015/09/08 20:03  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
古くて新しい
模倣は学習の基本である。人類にとって文化と文明の発展と継承の源泉でもある。

 経営の分野において「模倣の経営学」を著したのは早稲田大学の井上達彦教授だ。
ただし模倣と杜撰は大きく異なる。エンブレムもさることながら施設も含めて2020年に向けては暗い雲が垂れ込めている。

 私の新人時代の主たる業務のひとつが知財管理で、なかでもコピー商品対応がベタベタの難事だった。コピーされた側としてした側への対処に追われる日々だった。戦後迎えた急成長期に、“コピー天国”“安かろう悪かろう”とメイドインジャパンが世界から揶揄された我が国の歴史をどれくらい記憶に留めているのだろうか?

 70年代から80年代のジャパンアズNo1を正しい理解もなくバブルを謳歌している間に、またしても米国の逆鱗と逆襲に遭って失われた20年に突入した哀れな日本経済史。30年ほど前の日本のコピー市場は手口は粗かったが、対応は真摯であった。素直に任意提出に応じ念書を差し入れてくれた当事者もたくさんいた。

 長岡京の某ディスカウントショップでは、あまりに大量の任意提出商品だったので宅配で後送という約束をして会社に戻ったところ、ボスから「アホか!、そんなもん送ってこなかたらどうするんや」と言下に怒鳴られたその翌日、会社に十個ほどのパッキンが着荷したときにはどれだけホッとしたことか。これでボーナスがゼロになることはないと。当時は、ボーナスなしやと今の時代にはパワハラになりかねない叱咤を毎日のように受けていた私だった。

 不正競争防止法に基づく逮捕者が初めて出たのがファッション&通販のフィールドであったことは記憶に新しい。二年間にわたる再三再四の警告を無視し続けての結果であるが、時代が変わって手口が巧妙になった一方で対応が粗雑になってしまった。これでは権利者も手を上げざるを得ないだろう。

 手口が粗雑で対応が真摯な時代を古き良き時代と呼ぶならば、手口が高度化して対応が粗雑になった現在は新しき悪しき時代と言える。当該事件を受けてナーバスになった元のクライアントの要請で、急遽「知財セミナーパートU」副題:社長とチーフが逮捕されないために(笑)を開催したのは7月末のことだった。参加者のレスポンスは上々で、皆さん“リスペクト”と“礼儀”というキーワードには強く反応するとともに正しく理解してくれたようで安心した。
時間を超えて変化するものを捉えて、時間が経過しても変わらないものを継承していくことの意義と重要性を再確認させられた次第だ。

 それからすると、手口が幼稚で対応も稚拙となると救いようがない大恥を世界にさらしてしまったエンブレムと写真。続編も登場する中、知財に関わるビジネスに携わっているプロたちは改めて襟を正す必要があろう。

 デザイナーの田山淳朗氏が看破した一言が脳裏に思い出される。「神様でない限り、無から有を生み出すことはできない。クリエイターがやってる仕事は、有から有を生み出す仕事に過ぎない。ただし、既存の有からいかに新たな有を生み出すかにデザイナーの真骨頂が問われているのだ。」と。
 2015/09/04 18:40  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
こもごもの想い
今週は三連発のフィフティーズ会話で盛り上がった。

 去らせて一通り片付く目処がついたことから自らも去ろうとする者。飼い殺しを地で味わい去就を決した者。気持ちよくカップルで去って晴れ晴れとしている者。

 このような当たり週はあるもので、最終の10年に向けて心の整理をつけようとしている私にとっては全てが有り難い議論だった。

 それにしても、アパレル業界において100年企業は出てくるのだろうかと疑問が湧いてくる。レナウンはクリアしてるが見る影もない。オンワードがもう少しのところまできており、素材産業まで含めると繊維業界に100年企業は少なからず存在するが、未だ隆盛を誇る大手はおしなべてもはや脱繊維で生存している。

 多くの他業界の人々と接して感じることは、アパレル業界の人材の偏りである。素朴で素直な人間はまず日の目を見ない。社会的使命や大志には乏しく、己の欲と名誉にはこざかしい。視点がその日暮らしで勉強不足。表層の形や動きに敏感に反応するも、その奥底に潜む本質を見極めようとしない。芸をもたないくせに、何かの拍子で一時的人気にあやって大きな勘違いをしてしまった似非芸人とも言える。

 存在という意味では決して偏ってはいないのだろうが、誰が成功して誰が主導するかという点において、かような人材が主力を占めてしまいがちという意味で明らかに偏っている。

 ビジネスキャリアの第四四半期に突入しつつあるフィフティーズは、体力気力の最終コーナーと円熟したビジネススキルのピークを同時に迎えて次の10年に想いを馳せる。
 2015/09/03 19:37  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
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プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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