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四半世紀の総括
どうやらSPAビジネスモデルの四半世紀を総括する必要がありそうだ。私なりのいくつかの視点で議論の端緒を紹介していくことにする。

 少なくとも、そもそもSPAとは何だったかという本質論。歴史学的にこの20〜30年を振り返る手口。イノベーションのフレームで紐解く議論。組織論を背景に学習理論として解題する視点。マーケティングの視点。競争戦略論として展開する視点。そしてそこには管理会計の論点も密接に絡んでくる。完結しないかもしれないが、それぞれの視点で回を分けてご紹介していきたいと思う。

 米国GAPの当時のCEOロナルド・フィッシャーが全米小売業大会において自社のことをSPAと称して30年になろうとしている。SPAの略語で日本に紹介したのは業界紙ではあるが。

 Speciarity Store Retailer Of Private Label Apparelを言語的に紐解いてみると…。スペシャリティには特別な/専門的なという訳語が当てられる。独自性すなわちオリジナリティと専門性に裏付けられた奥行きの深さと横幅のバリエーションが想起される。リテーラーとは再び小さく切るという意味で、大きな塊を顧客タッチポイントに個口分散化させる機能を表す。ストアには備蓄(溜め込むという概念が含まれてくる。ショップと言ったときには、クラフトやマイスターの影が見え隠れする。

 プライベートレーベルとプライベートブランドの厳密な共通定義は存在しないが、私の定義では前者は行為者が自信を持って商品に我が身印を貼り付ける行為にフォーカスしたニュアンスを有し、後者はそれも含む(含まない)記号としての商品群やビジネスを示す比較的ホワッとした概念となる。前者の定義には、「どやっ!!」という掛け声が内在されている。さらにアパレルという単語はクロージングを上位概念として、“きらびやかな”という修飾語を伴う比較的狭義の言葉である。

 さて、そうなるとSPAはSCM的観点で垂直統合を成功させたハードなビジネスモデルという印象が強いが、本質的には以下のような条件が整っていることをフィッシャーは含意していた可能性が高い。

 第一は、独自性と専門性。第二に徹底的に内部化すること。第三は、それを一部のマニアやクラスの独占物にするのではなく広く大衆に開放すること。第四に胸を張って威張れるだけのプライドとそれに見合う価値が商品に体現されていること。最後に、きらびやかとはバブリーという意味での華美ではなく日用品ではないよねという意味での非日常を意味する。

 SPAを単なるハードな垂直統合モデルとして捉えて、お祭り騒ぎを繰り返してきた四半世紀のツケは重たい。私たちはこれら五項目について胸に手を当てて深く内省する必要がありそうだ。本質的意味を見失って、形式要件のみを追いかけ続けてきたクォーターに決別することはたやすくはないが道筋は見えている。

 以上が、第一章「本質論」である。
 2015/07/23 19:31  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
続リベラルアーツ
 前回、リベラルアーツを“知性閾値解放戦線”と称したが、その次に来るべきは“知性活性化最前線”だ。

 私が最前線で奮闘する兵士だったら、必要なロジスティクスは以下の四分野である。

 第一に生物学、第二に文明論、そして第三は地歴学、そして第四は確率論である。最初の生物学においては、私たちはどこから来てどこに行こうとしているのかという本質的議論を出発点にして、長寿社会の現代をどのように理解してどう処するべかという旬のテーマを考えることにつなげて欲しい。

 文明論はジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」と「文明崩壊」からそれぞれの興味に従って読書履歴を繰り広げるといい。生物学とのスパイラルが発生するのも文明論の特徴であると言える。

 地歴学で触れるべき知識の奥行きは無限大だ。地理も歴史も限りある範囲の出来事に過ぎないが、そこで繰り広げられて、繰り広げられつつある事象は無限大であるとも言える。それはアルキメデスが亀を追い越せるか追い越せないかの命題と同じ構造なのだ。特に私たち日本人が弱いのは、近現代のおよそ150年の歴史において、何が起こって何が起こりつつあるのかという直近の出来事だ。

 半藤一利氏の著作は網羅すべきだし、昭和という時代を自分なりに振り返るとともに定義することも重要である。昭和がどんな時代であり、昭和天皇がどのような存在と所作であったのか、自説をもつことは大切だ。そうすることによって、今の政権が今の時代に、何に基づいて何を行おうとしているのかを理解する手がかりが得られる。マスコミも世論も大きな間違いを犯すことは歴史が証明している。そのような流れに溺れることなく抗うだけの知力と体力が求められる。

 最後の確率論では、マルコム・グラッドウェルの「たまたま」が入口としてはいいだろう。その後、統計学的罠を語った古典「統計でウソをつく法」(ダレル・ハフ)に加えて谷岡一郎の諸著に触れると面白い。

 55歳の定年を来年に控えて、知力と体力の再セットの必要性を強く感じている。
 2015/07/18 19:02  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
リベラルアーツの薦め
 今週水曜日、リベラルアーツに過去もっとも強く反応を示したクラスだった。何かきっかけがあると数十回に一回ほどの頻度で言及するリベラルアーツだが、今回は思いがけない展開となった。

 西洋の大学教育における一般教養のことをリベラルアーツと言うが、二つの点で私はこの概念を引用する。一つは、古代ギリシャのアリストテレスにまで遡る歴史の深さと、二つめは、日本語で一般教養と言ってしまうと元も子もないくらい何のイメージも膨らませることができないが、“リベラル”と“アート”からは限りないイマジネーションが広がるからだ。西洋的文明の是々非々や途中のスコラ哲学のふがいなさを抜きにしても、私がリベラルアーツにこだわる理由はそこにある。

 科目としては「文法」「修辞学」「論理学」「算術」「幾何学」「天文学」「音楽」七分野である。
中でも修辞学(レトリック)に多くの方々が反応した。我が国におけるレトリックの達人は川端康成をはじめとする文人に多いが、アカデミックな大家は佐藤信夫であろう。ググると浅田真央のコーチが上位を占めるが、是非この研究者に触れて欲しい。三部作は「レトリック感覚」「レトリック認識」「レトリックの記号論」である。

 何故に反応が鋭かったかというと、当該企業は紙メディアにそのルーツを有し、今となってはWebも駆使して丁々発止の大活躍を遂げている超巨大情報企業であるからだ。
かかるフィールドで実務の最前線を司る中堅の人々が私の問題提起に呼応してくれたのだ。ノウホワイ/ノウホワット/ノウハウの三層構造は、戦略/戦術/戦闘の三層構造と同期している、

 ノウハウは表層的な小手先のテクニックに過ぎないので、少なくともノウホワット、できればノウホワイを深く探求する人材であって欲しいというメッセージだ。ノウハウとノウホワットは知識探求型の問いであり、ノウホワイは知性にエンジンをかける問いだ。今や最先端であるのみならず最高峰の地位をも標榜する数学、宇宙物理学、量子力学であるが、本川達雄に言わせれば、それらの学問はノウホワイを取り扱うことができないとこきおろされる。ニュートン単位は約9.8b/毎秒毎秒とノウホワットに応えることはできても、じゃあ何故に9.8bなのですがという問いには永遠に応えられない。円周率にしても光速にしても、物質の最小単位がクオークなのか超ひもなのかにしても全てそこで議論は停止する。自然科学はそのような限界を有するが、生物学のみ例外だと本川氏は強調する。

 何故、鳥に翼があるのか、クジャクの雄の羽根はなぜあのように美しいのか、全てにおいてwhyの問いを立てることができる学問だという。社会科学もまたしかりだ。人間という存在が絡む以上、そこには全てwhyの問いを立てることが可能で、その一方それに的確に応えることは極めて困難な領域が社会科学の特徴である。

 何故、100q/時を超えるスピードを出してはいけないのですか?それは、危険が臨界点を超える領域だから。でも、私には腕もあるし私の車には性能(スピードを出す/ハンドリングとブレーキングで制御する/コンピューターによるアシストもあるetc.)との反論も成り立つ。基本的人権および自由を謳歌する権利と公共の福祉との境界線はどこに引くべきか。社会科学の奥行きの深さと曖昧さと、それ故の面白さには格別なものがある。

 さて、古代ギリシャにおいて発祥しローマ時代に集大成された修辞学は、「発想」「配置」「修辞(表現法)」「記憶」「発表」の五分科に整理される。現代におけるビジネス基礎スキルと位置づけられているロジカルシンキング/問題解決/仮説思考/プレゼンテーションのルーツは修辞学にある。定量思考のルーツが、算術と幾何学にあることは論を待たない。源泉を舐めておきさえすれば日々の入浴はバスクリンでも十分だ。それが文明を享受する現代人のたしなみというところか。

 「ものは言い様」「ことばのあや」は大事な要素であるとともに、極めて重要なテクニックであり、その背景には深い教養が要求される。ところで、リベラルアーツに“自由七科”とダサダサの訳語をあててはいけないだろう。私としては、己の知性の躍動を解放する出発点という意味で、「知性閾値解放戦線」と称したい。
 2015/07/11 18:53  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
年齢構造政策
 ワールドにおける経営スリム化「聖域なし」と一般紙(朝日)でも大きく報じられた。1日には、アシックスが350人規模の早期退職を19年ぶりに実施すると発表した。

 「改善」「改革」「再生」と変革を三つのステージで段階的に区分する定義がある。改善とは日常業務の延長線上での弛まぬ改良プロセスであり、連続的変化による漸進的前進だ。改革は非連続的変化すなわち大きなジャンプを伴う急進的飛躍であるが、当事者が健常体であるうちに着手した場合にそう呼称される。健常時に手をつけるには、健全な危機感と経営者の大きな決断が必要となるので、改革は本当に難しい。

 再生とは瀕死の状態に陥ってしまってから、崖っぷちからの生還を期して執り行われる起死回生の荒技である。再生ファンドや再生請負人という言葉があるように、一定のたどるべきプロセスやプロとしてのノウハウが形式知化されてはいるが予断は許されない。

 ワールドのケースは再生フェーズにあるといえ、アシックスは改革に着手したことになる。19年前のアシックスは青息吐息だったが、欧州での大ブレークを経て海外事業は絶好調である。しかしながら足元の国内事業に目を向けると営業赤字であることからリストラに及んだわけだ。

 個人的にもよく知った方がいたり、いらっしゃったりで、何よりもバレーシューズとハンドボールシューズでオニツカタイガーを愛用してきた私としては大好きな企業のひとつなので、改革の成功を心から祈る。いまではゴルフシューズも二足がアシックスストライプだ。

 ところで、会社の人口ピラミッドのメンテナンスが怠られる事例が、特にアパレル業界において著しい。長い歴史を有する銀行や商社では確立されているグループや取引先への人材放出ルートが、場としても道筋としても皆無である。

 サイクルタイムが比較的長いメーカー系においては転職と定年による自然減と長期にわたって継続する一定数の新卒採用とがバランスすることで構造維持が可能となっている。
14000人の社員を抱える某巨大企業は、毎年300人ほどが退職し、同数の新入社員を採用し続けることでこれまでも今後も同規模を維持していくと明言する。

 この構造維持は30年のサイクルタイムで取り組まなければならない大きな仕事である。それを二回回すことができて三回目に突入できている企業は100年企業になれるのだろう。還暦に相当する60年め前後にある企業はまさにこの問題に直面するが、一朝一夕で結果効果が出るわけもなく、大きな外科手術が必要とされる所以だ。
 
 外科手術には痛みを伴うことは言うまでもないが、そもそもそれに耐えうるだけの体力と精神力が残っているかどうかも大きな問題だ。企業にとって体力とは資金であり、それは外部から注入することもできるし時間軸を逆転させることも可能だ。精神力は経営者および社員の心に宿っている炎だ。

 出る者も残る者も健全で力強い炎を燃やし続けることができるかどうか、それが改革と再生の最大の必要条件である。三枝匡三部作と伊丹敬之の議論が大いに参考になる。
 2015/07/04 11:18  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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