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ただの妄想
筋トレを再開して1年11ヶ月が経過した。

 新卒でお世話になった会社の新本社ビルにトレーニング施設が併設されていた。トレーニングマシン一式とスタジオに、そして20bではあるが温水プールとサウナまで完備されていた。配属先が管理部門で比較的内勤が多かったことから、新入社員のときからジム通いが習慣となった。同じ部署の先輩と主任が通い詰めるのでペーペーの私も気兼ねなく行くことができるありがたい環境でった。

 とくに主任は兄弟揃って筋トレフェチで、大いなる刺激を受けた。二回りも年上だった筋肉部長KKYM氏の存在感にも凄いものがあった。スイミングをたらたら続けたり、腰痛対策ストレッチにはまったり、ストイックな筋トレを続けたりとマイブームはウェーブしたが、全盛期の30過ぎには体脂肪率一桁も記録することができた。

 独立後3年ほどはそれどころではなかったが、ジム通いを再開したのが07年の9月のこと。筋肉がついてしまうと今時の洋服が着られないと言い訳をして、1qをちんたら泳ぐのがメインメニューの数年であった。体系の劣化に辟易して一念発起、筋トレを再開したのが一昨年の7月1日。以前のように限界に達してあと三回、プロテインも併用するには衰え甚だしく、とりあえずは本格的トレーニングに耐えうる基礎筋肉を回復する二年間であった。

 従って、筋繊維の数はさほど増加しておらず単位あたりの太さはある程度整ってきた実感はある。この間にお釈迦になった洋服は最もタイトであったスーツ一着。ワイシャツも何枚か臨界点に達しつつあるが、いまだ全て現役。もちろん、カット&ソーとニットは何の問題もなく、むしろ着用シルエットは改善している。

 出来ない理由は百ほど出てくるが、どうすればできるかを提案する社員が一人もいないというのが、典型的トップの“嘆き節”であるが、筋トレすると今時の洋服が着れなくなるというのは、ただの妄想に過ぎなかったようだ。

 さて、これからが思案のしどころだ。炎の体育会系ボディビル部部長の春日の姿を見て感化された現在、着られる既製服を無視して肉体改造を図る道筋にひとかたならぬ魅力を感じている衝動をどうコントロールするか。

 腹筋はもう割れないと言い訳を言い放っていたが、まだまだ腹筋は割れるし広背筋ウィングも手に入れることも十分に可能だ。三年目を迎えるまでにあと一ヶ月の猶予がある。たらたら維持状態をキープするか、ほぼ最後のオポチュニティとして増強モードにギアアップするか、自分のモチベーションがどちらにシフトするか楽しみである。
 
 大手生保の業務職(実質的に現場を仕切っている管理職候補の女性幹部)ステップアップ研修が、本日半年のカリキュラムを修了した。皆さんの大きなうなずきとビフォアアフターの変化感が強く印象に残った。ということは、答えは見えている。
 2015/05/29 21:41  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
ニッチがなくなると
 ワールドの400〜500店舗閉鎖、10〜15ブランドの閉鎖が発表され注目を浴びた。TSIホールディングスは人的リストラ計画を含む同様の発表。そしてヤマダ電気の46店舗閉鎖のディスクローズが追い打ちをかける。

 少子高齢化のマクロトレンドの波と20年来のデフレ圧力の元、それでも何とか頑張ってきた各雄が力尽きたという印象だ。超大手流通も50店舗ほどの閉鎖を計画しているが、これはインサイダー的情報なのでこれ以上は申し上げられない。

 マーケティングで“ニッチ”と言えば、かなりユニークな競争環境にさらされるリスクは少ないが極めて狭くて小さなマーケットを形容する言葉として使われる。生物学的に“ニッチ”というと生存可能な生態系環境という意味になり、種はニッチを求めて進化を繰り返し、絶滅により新たなニッチが誕生したときには進化が促進されたり、新しい種が名主となる世代交代が発生する。

 「キーストーン戦略」(マルコ・イアンシティ/ロイ・レビーン)が提唱した“ビジネス・エコシステム”が日本語版で出版されたのは07年のことだった。主題は生態系をメタファーとするドメイン戦略論なので、まさにニッチを巡る生物学的発想に基づく経営学的議論であった。

 エネルギーの出入りが持ち出しになると私たち生物はやせ衰え、やがては死んでしまう。貯めすぎで子供を含めて肥満が問題になっている世界には何の危機感も感じられない。企業活動では売上が成立し粗利から販管費を差し引いた残額がプラスでないとビジネスは衰えていき、やがて死を迎える。

 ご本尊が死に絶える前にブランドや店舗など壊死した細胞を切り落とす行為は正当なものと評価できる。ただしそれは緊急避難的延命措置に過ぎず、ご本尊が生存可能なニッチのトレンドが掴めていないと所詮時間の問題でその種は絶滅の運命を免れることはできない。

 精緻な図表を指し示すことができないが、SCで起こっている現象は皆さん各種報道を通じてご存じの通りである。その一は、売上と売場面積は増加し続けているが月坪効率は下がり続けていることだ。個体は増え続けているが光合成効率や呼吸効率すなわちエネルギー代謝率を犠牲にして繁殖しているという状態だ。その二は、ここ数年の新規オープンSCは売場面積、テナント数ともに小ぶりになってしまったということだ。すなわち新しく誕生する個体の体格がシュリンクしているというトレンドだ。

 さて、この趨勢から私たちの生態系がどのようなトレンドにあり、そこで暮らす各種(業態、業種、企業、ブランド、店舗など様々なレイヤーで想定することができる)が、どう生き延びようとしているのか、死に絶えようとしているのか。

 本川達雄氏のその後の議論には恐れ入った。ニュートンが切り拓いた近代科学にアンチテーゼを突きつけるとともに、現代の我が国の高齢者施策にも疑問の一石を投じる。最後の審判という箍をキリスト教信者として持ち合わせない私たち日本人が盲目的に西洋的科学を受けいれ信奉している現状がはたして正常なのだろうか。

 生物学的には北斗の拳状態(私たちは40代を過ぎた時点で既に死んでいる)の私を含めた50代以降が次世代に対して為すべきことと為してはならないこと。あと20年くらいは生きられるんじゃないかと皮算用に基づいて次の10年と最後の10年をデザインしようとしている自分にとって、大いなる参考議論を頂戴することができた。

 私たちは生きているのではなくて生かされている。売上も利益も上げているのではなく、結果として享受させていただいているに過ぎない。その謙虚さと環境に対する畏敬の念が忘れられたとき、マーケティングや戦略の議論は空虚なニュートン的西洋かぶれ議論に落ちぶれてしまう。日本人として足元を固めようではないか。
 2015/05/25 19:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
系の開き具合
循環システムとしてのメカニズムを意味して「系」という言葉を使っている。

 オープンシステムとは外部に対してエネルギーの代謝が開いている系を指し、クローズドシステムとはそれが閉じている系を指す。地球はオープンシステムであるが、太陽系はクローズドシステムである。オープンシステムである地球は太陽が存続する限りにおいてはエネルギーの勘定はプラスであり続けるが、太陽は核融合反応に必要な水素が燃え尽きてしまえば赤色矮星としてその一生を閉じる運命にある。そのために残された時間はおよそ50億年…。

 企業も組織もオープンシステムたれと私は説いている。宇宙物理学においては光子を媒介とするエネルギーの授受で議論すればよいが、企業活動においては、ヒト、モノ、カネ、情報、時間のいわゆる経営資源をいかに開いているか、すなわちオープンな系として外部からそれらのリソースをいかに調達するかがリーダーの手腕だと力説すると
多くの受講生が深く頷いてくれる。

 閉塞気味だったり大きな試練に直面する企業や組織の多くは、文字通りクローズドシステムに陥っている可能性がある。外部とのリソースのやりとりが不足し、ローカルルールのみがまかり通っているとしたらかなり重症だと認識しなければならない。

 大親会社は超クローズドで、その子会社がかなりオープンな通信大手がある。京都バレーにもエスタブリッシュメントに属する保守的な製造業がいくつもある。その大親とエスタブリッシュメントの一社の子会社の中間管理職との二日間と経営幹部との振り返りは刺激的であった。何よりも開放形に立脚している事業そのものと組織がその活力を押し上げているからだ。再生エネルギー関係の新規かつ成長分野がフィールドであることに加えて、イノベーティブに仕掛けを施し急成長のただ中にあり、しかもそう遠くない未来に1000億が夢ではないという成長軌道が後押ししている。

 これを「開放形のダイナミズム」と呼称することにする。成長の経済性に近い概念であるが、それに加えて外と未来に向けて開いているというニュアンスが加わっている。アパレル業界がSPAを模索した90年代は、このダイナミズムが業界全般とチャレンジするあらゆる企業およびブランドに見て取ることができた。私自身も、他社、学会、各種セミナー、交流会と様々な場に出向いていって、発信して受信することで少しずついろんなことが見えてきたし出来るようになっていったと記憶している。

 ところが、ある日あるときトップから、外に出るな、しゃべるな、聞くな、話すな、自社の完成度が至高なので入小出大は会社にとってマイナスだとのメッセージ。そのときを境にに私の動きがぎこちなくなるとともに、母体の組織の運命も分水嶺を超え、坂道を転げ落ちる運命に陥ってしまった。

 自身が属する系をどのようにコントロールできるのか、できないのかにトップの手腕が問われる。都構想という新しい系を実現できなかったのは、トップの手腕の問題というよりも
保守的な住民のただの現状維持志向に過ぎないとするのが私の見立てであるが、歴史的には大きな機会ロスである。

 社会を引っ張るリーダーも、会社も引っ張るリーダーも、自身が携わっている系を意識し地球および太陽系には敬意を表して、くれぐれとも失礼のなきよう。

 2015/05/18 18:25  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
メガトン級の書物
メガトン級の書物を読了した。

 メガトン級とは読者である私にとっての衝撃度の大きさを表しており、書籍ではなく書物と称するのは、物理的実存としての本ではなく迫り来て語りかけて考えさせられる精神的シャワーという意味を込めたいからだ。

 著者はもう20年以上も前に、「ゾウの時間ネズミの時間」を通じて同等級の衝撃を与えてくれた本川達雄氏である。その彼が教授職を定年退職後に“生物多様性”の大切さを市民向けに講演した内容がベースになっている。が、しかしその内容は市民向けどころのレベルではなく、全地球の、しかも主に社会や組織をリードしている政治家や経営者や各分野で発言力と影響力をもっている人々に対する痛烈な批判と暖かいメッセージに満ち溢れるものであった。

 ゾウの時間ネズミの時間も必読の古典である。サイズも寿命も異なる多様な動物が存在している現実があるがある種のパラメーターを介して理解すると私たち生物は全て等量の値を全うする一生を過ごしているというロジックだ。ネタバレになるのでパラメーターの詳細は皆さん自身で確かめていただきたいが、目から鱗本の一冊になったことを昨日のことのように記憶している。

 三月下旬に身内の不幸があってバタバタしていたこともあり、ブログのペースがややダウンしているが、その間に暖めていた紹介文献に「生命のからくり」(中屋敷均)がある。DNAが何故にこのようなまどろっこしい複製のプロセスを選択したのか。一見してまどろっこしいけど、そのプロセスが何を担保して何を捨象しているのか。そして、だから生物はこれまで延々と進化の過程を経て存続し得ているのかが、これも目から鱗レベルで次々と明らかにされていく。

 「情報の保存と絶え間なき変革」「不敗の戦略」「生命という情報システム」「生命における情報システムとは何か」と章立てを追いかけるだけでも、そのまんま経営に置き換えることができる本質的議論が満載だ。その書評をアップする機会がないままに本川氏の「生物多様性」を読んでしまった直後に本稿をアップしている次第だ。

 エドワード・0・ウィルソンの生命の多様性に当て込んでのタイトルだけどなぁ…という程度で手にとってみたのが運の尽きだった。胸元に突きつけられた刃を少なくとも3センチは挿入された感がある。あとほんの何センチかで私は絶命である。普遍的粒子をベースに一般化を是とする近代物理学のパラダイムと生物学との関係性をぶり出し、ニュートン以降の潮流をクールに批判する。事実と価値を気選り分けて、価値には言及しない科学にたいして一石を投じる。その上で敢えて価値の領域に踏み込んで持論を展開して、本当の豊かさとは何かという命題を突きつける。

 再現性と反証可能性が担保されているのが科学の定義であることに疑いの余地はないはずであるが、生態系においては一回限りの予測も事後的検証も不可能であることは不可避で、だからどちらがどういう意味でどう科学であるのかないのか…。西田幾多郎もヒュームも登場して、ドーキンスの違和感も正直ベースで語られており、根っこは哲学であることが強調される。まるで木下サーカスとシルクドソレイユのコラボ講演をメインボーカルを美空ひばりで見てしまったかのような余韻が残った。

 ここで生物学の分野でのお勧めをしておく。ルーツはダーウィンの「種の起源」。次はワトソンの「二重らせん」。そして、ウィルソンの「生命の多様性」。寄り道はグールドの「パンダの親指」とソローの「森の生活」。そしてフラッシュパックする古典が「森林の思考砂漠の思考」。「ヒトはどうして死ぬのか」(2月28日アップの内容を参照されたし)を経て、「生物多様性」にたどり着けば、生物学的見地からいま私たちが何を知っておいて何を考えなければならないのかが概ね明らかになる。

 本川氏は二つのことを私たちに問いかける。「私」を区分する境界線はどこに引きますか?という議論と、地球に罰当たりなことと次世代に罰当たりなことをしでかしてはいませんか?という問いである。特に後者は私にとって致命傷となる問いである。なぜなら毎日のようにパートナーである家内から突きつけられている武器と同じだからだ。

 彼女は言うだけでなく実践が伴っているから迫力もあり反論の余地もない。私が不在のときは真冬でも暖房と給湯を使うことは一切ない。平安貴族ではないが12枚ほど服を着込んでお湯も使わず神戸の北区の冬を凌いで20年を超えた。夏にはエアコンはもとより扇風機を使う風景も見たことなく、モノはもたないこだわらないと地球さんに失礼ですというのが口癖の人間だ。

 その対極の存在と生き様をしている大馬鹿者がまさに私で、モノ大好きで便利で快適ならばどんどん所有と消費をしましょうよ、その方が経済も活性化するしという単なる言い訳人間にすぎない存在だったし、いまだそうである。

 さあて、母が亡くなり父をいずれ見送り、そして自分自身のクロージングとエンディングを意識せざるを得ない時勢になった今、何をどう考えてどう実践するかが問われているが、そんな時にこんな内容の書物に出会うことがまさに人生のダイナミズムだと感じる。

 美しく生きることは客観の問題であるが、豊かに生きるとは主観の問題である。真の豊かさとは何かをちゃんと考えた上で行動して下さいよと本川氏は私たちに口調は優しいが、その実、内容的には厳しく私たちに問いかけてくれるメガトン級の書物であった。

 多様性の許容と維持は、経営体にとっても不可欠の存続条件であることは間違いがない。イエスマンを重視し、反対意見と反目者を排除して束の間の悦に入っている経営者がいるとしたら、反省してももう遅い。残念ながら、おまえは既に死んでいる。
 2015/05/15 20:37  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
春までも
 ファッション業界において秋が戦いが大きく変化し始めて久しいが、春までもなくなりつつある。

 あっという間に初夏に突入し、上着もパンツも春物では昼間は暑くて仕方がない。3月のルミキャンは、例年より一週遅くして11w〜12wにかけての開催で成功裏に終わった。より実需期である12w13wに近付け、従来よりさらに一日長く引っ張って火曜日までの日程に変更したことが、とりあえずは功を奏したようである。

 春秋の実需期を先取って、夏冬の実需期を後ろに引っ張る黄金戦術が崩れつつあるが、今年のあと三回の作戦の繰り出し方が楽しみである。変わりゆく天候と消費行動とMDとをシンクロさせるのであれば、春秋は従来通り10wと36wでMD上は夏冬素材の実需先取り商品とここに秋素材の梅春と夏素材の晩夏を差し込む。夏冬は21wと44wで夏には盛夏Uの企画を、冬には期中修正を施された重衣料をしっかりと準備して臨むのが正解であろう。

 ただし、プロパー時期に10%の実質値引きという商売のやり方の是々非々がより本質的な議論だ。急激な円安に耐えきれない各アパレルは、こぞって上代に転嫁し始めた。円高を謳歌していた時期に上代を下げながらさらに店頭で値引き合戦を行う愚行をしでかしまったことのつけはあまりも大きい。

 そもそも上代は原価に付加価値が加えられたものだ。付加価値にこそそのブランドとその商品のエッセンスが入魂されているのであり、原価のしかも為替の上下によって付加価値が変わる訳ではではない。

 マークアップ(値入)という概念はアパレルの人間にはあまり馴染みがないが、生産掛け率を言えば多くの人々がピンとくるのではないか。つまり、自分たちの存在意義と関与価値をどれだけお客様から対価として受け取ることができるかの真剣勝負の場が値入なのだ。

 売らんがための様々な値引き(ポイントも含む)に安直に走り、安直に安売りされるので真剣勝負である筈の値入の場面が単なる数式代入による事務作業に退化して、そしてアパレルの商品価値と上代への信頼は地に落ちた。

 小宮一慶氏が著書「発見力養成講座」で次のようにコメントしている。ドイツでは酒屋で百何十円かで売っているビールが大衆酒場においても800円とか900円で供される。それだけ人件費と時間空間のサービス価値がマージンとして適正に上乗せされているからだ。

 300円前後の牛丼の消耗戦で疲労困憊した外食業界の愚行を氏は批判的に書いている。
我が国はモノにおいてもサービスにおいても世界最高水準の品質を誇っている。モノにおいてはパッキングや包装レベルにまで品質に対する細心のこだわりがゆきとどいており、サービスにおいては「おもてなし」が国際語になった。にもかかわらず、何故安売り競争をしなければならないのか。

 堂々と値入していいものを高く売ればいい。少子高齢化が進行する中で経済をシュリンクさせない唯一の道は、数を売るのではなくより高い付加価値を売ることしかないのだ。氏は、少子化が進行する中で儲かっている学習塾の業界と、高齢化社会の到来で賑わっているにもかかわらず儲かっていない介護ビジネスを対比させる。

 期末のバーゲンセールを廃止して4年目になるミキハウスが絶好調だ。ファミリアも追随した。安売り競争を先頭で引っ張ってきたヤスカワ系ヤングのブランドも多くがプロパー期のレジオフや売価変更を見直す動きに出始めた。

 ただし忘れてはならないことは、いまの商品の企画および品質水準を維持したままで値引きを止めたのでは顧客離れを引き起こしかねないリスクだ。もはや消費者には上代ではなく実際の買い値に見合うだけの商品価値しか認められていないと考えなければならない。つまり、企画と品質のレベルを一段高めた上でコトに臨まなければとんでもない結果になりかねないということだ。

 現場には徹底的にモノにこだわった企画力と品質力(商品だけでなく店頭における接客クオリティも)が求められ、経営者には歪曲し汚れてしまったファッションマーケットをマクロ的に俯瞰して、正しく舵取り(何をして、何をしないか)する手腕が求められている。

 矢継ぎ早に大手各社のトップに就任したグローバルプロフェッショナルの動向に注目が集まる。



 2015/05/02 10:32  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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