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一気につながった
 一気にかなりの線がつながった感を得た。ヒトはどうして死ぬのか(死の遺伝子の謎)by田沼靖一による。

 ネクローシス(外部からの刺激などによる事故死)とアポトーシス(自死装置の発動による細胞の自殺)。皮膚細胞は28日で入れ替わり、小腸の絨毛表面細胞の置き換え2〜3ヶ月、肝臓細胞はおよそ一年でリプレースされる。

 アポトーシスが有する“制御”と“防御”の二面性。不要な細胞が死んでいくから個体全体が保たれるという意味での制御と、癌細胞などの敵が現れたときに異常をきたした細胞を消去することで個体を守る防御機能。

 非再生系細胞と再生系細胞。前者の代表は脳細胞や神経系細胞でアポトーシス機能は備えていない。すなわち非再生系細胞の死はイコール個体の死。非再生系細胞の死はアポビオーシス。アポトーシスは回数券でアポビオーシスは定期券。回数券はテロメアと呼ばれるDNAに綴られている。

 動物の最大寿命と細胞分裂の上限回数は比例している。ここで想起したのは、その昔この分野での最初のインプレションを得た「ゾウの時間ネズミの時間」だ。そして、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」。

 性が繁栄の源になるとともに死の起源にもなった。生と在しかなかった世界への死の訪れ。自ら死ぬという利他的なふるまいがなければ生命活動の維持はままならない。「遺伝子が真に利己的であるためには、利他的に自ら死ねる自死的な存在でなければならない」というのが田沼氏の言。

 そして何がつながったかというと、起業寿命30年説を考えるにあたり様々なメタファーとヒントがヒトの死に隠されていたということ。さらに何がつながりかけているかというと量子力学や宇宙物理学などの普遍性と、それらを土台にした応用力も同じような原理原則に支配されているのではないかという気づき。

 それらを体系立てて記述するには、まだまだ入口に立ったに過ぎないが、とある突き抜け感を感じたのは事実である。

 個体としての会社を存続させるためには、その構成要素である社員は細胞としてアポトーシスし続けなければならない。脳細胞や神経細胞たる経営者や戦略スタッフの死は生物学的には個体の死を意味するが、会社はゴーイングコンサーンである。アポビオーシスを超越したアポトーシスが会社を構成するブレーンには求められるのである。
 2015/02/28 18:17  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
コンテンツの逆襲
 ファストファッションが折り返し点にきた。トップショップが撤退し、H&Mの店舗あたりの売上は半減した、ZARAも苦戦を強いられているようだ。

 コンテンツとプロセスは黄金のMECEのひとつだが、この切り口で紐解きを行ってみよう。
コンテンツには“商品”や“サービス”が含まれ、品質という概念も含まれる。プロセスとはオペレーションを指し、業務フローやロジックという概念もプロセスだ。アパレルで言われ尽くした“52週のMD”もプロセスに他ならない。

 コンテンツとプロセスの関係は、ずばり次にように言い切ることができる。コンテンツが新鮮だったり高品質である場合、すなわち高付加価値のコンテンツはプロセスの稚拙さをカバレッジしてくれる。その一方で、プロセスの真新しさや競争優位性はコンテンツの劣後性を覆い隠す。ただし、いずれもその効果継続時間には自ずから限界があり、やがてはマーケットが次なる進化、それがかなわない場合には退場を迫るよう求めてくる。

 チェーンストア理論に基づき半世紀を駆け抜けたGMSは、プロセスで一気呵成に市場を席巻したが、コンテンツで行き詰まった典型例である。マクドナルドの栄枯盛衰も、プロセスとコンテンツのスパイラルを繰り返しているに過ぎない。260年の歴史を誇るたち吉はマーケットがプロセス進化の要請を突きつけた事例だ。

 このように、コンテンツや業界によって波長(時間)は異なるが波動は確実にやってくる。アパレルはロジックに基づくMDという意味でプロセス競争を繰り返したこの四半世紀だった。そろそろコンテンツに針を振れさせなければ、洋服離れのモーメントを戻すことはできない。

 その昔、ニットの品質がピカイチだったアパレルにプロセスは皆無だった。契約書もルールもあったものではなかった。やがて、プロセスを身につけて正の波動上に載ることができたものせいぜい20年ほどの話し。気がつけばコンテンツがチープに成り下がり、お客様にそっぽを向かれてしまった。

 いまだ正の波動上にあるプロセスのひとつに、駅ビルとショッピングセンターがある。エチカ、エキナカと言われて久しいが波長は無限ではない。SCにおいても、COMING SOONの表示がいつの間にか塗り壁の奥に消滅しつつあるコーナーが少なくない。かつての商店街のシャッター通り化のSCバージョンである。

 コンテンツとプロセスの相互作用をデザインすることが経営に他ならない。プロセスの精度アップは執行役員レベルのミッションだ。経営者はその目線に立ち返らなければならない。
 2015/02/22 07:47  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
マクロとミクロ
 似たような内容の新書を何冊も読み進むうちに、少しづつではあるが量子力学の世界がわかりかけてきた。

 経済学においてもマクロ的現象とミクロのそれは、まったくの別物であるが物理学においてはもっとはるかに別物である。素粒子の世界では私たちの常識と想像力を遙かに超越した現象が起こっている。光速で振動したり回転する“ひも”が最小単位だとしたら…。

 光速で移動することができれば時間の進行を止めることができるが、タイムマシンも含めて夢のまた夢である。私たちが目にする光や、文明にはかかせない電波は普通に光速で移動している。それどころか身の回りのあらゆる物質の内部構造に光速が存在しているとしたら、なんとすてきなこの世界なのだろう。

 堅くて重たい物質に激突すると大怪我をするが、私たち人間も当該物質も実は隙間だらけの存在だ。原子核をバレーボールくらいの大きさにたとえると、電子は山手線ほどの周回軌道を回っている。それでも大怪我をするのは電磁気力が働いているから。私たちは光が網膜に与える刺激を信号に変換して認識することしかできないから、光の波長を下回る存在は視認できないばかりか想像することすら困難だ。

 西新宿、汐留、品川の超高層ビルと街区の大きさに違和感を覚えるのは私だけではないらしい。巨大な街やビルをマクロ的に眺めながら、その内側の各フロアやブースで動いている人々のことを想像してみるといい。数千人から数万人の人がうごめいているはずで、会議をしている人、お茶を入れているひと、一服しているひと、居眠りをしている人のミクロな動きを想像することは容易であるが、特定することはできない。

 自分サイズでミクロ体験があるからこその想像可能性であるが、素粒子の世界は私たちにはまったく目の届かない経験不可能な世界である。小学生か中学生の頃に、もしかしたらこの消しゴムの中にも宇宙があるのではと思いを馳せていたころがあった。天文学には興味をもって、天体望遠鏡で火星大接近を観測したり、天文気象クラブに入ったりもしたが、それっきりで終わってしまっている。

 星の降る里の古民家で、天空を観測して暮らすのも悪くない余生であると考えたりもする。大統一理論どころか超大統一理論の完成、もしくは超ひも理論の完成を生きているうちに見聞きしたいものだ。いくつもの宇宙がパラで存在しているマルチバース論も面白いし、この宇宙はおよそ50回目の誕生を経て137億年が経過したという話しもまんざらではない。

 会社における個人という意味で、ミクロのミクロの世界で四苦八苦せざるを得ない私たちではあるが、マクロで動いている現象や方向性を認識することが困難であることは皮肉なことだ。マクロからミクロが想像すらできない私たちが、ミクロのミクロからマクロを感知することができないのだから…。

 ほとほと自然はよくできている。だからこそ自然体で生きることは難しい。
 2015/02/15 17:47  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
腑に落ちた
私の中で唯物論と唯心論の葛藤が腑に落ちた。

 史的唯物論を展開したマルクスの議論が自分のものになりきれず、唯心論も宗教がかることと歴史的位置づけが不明確なことから軍配が上がらないまま今日に至った。このたび、晴れて決着がついたので報告させていただくことにする。

 結論としては、唯心論の勝利である。きっかけ(根拠)は宇宙物理学における場の理論における「イット(物質)はビット(情報)からの腹落ち感であった。

 私たちが目にして手にする物質は、うたかたの霞に過ぎずそれらを構成(というよりは根拠だてて生成せしめている)源泉となる情報こそ、この世界の全ての源であると。表象と本質、見せかけと事実、フィクションとファクトと様々な言い回しがあり得るが、私たちは都合のいい方を適宜取捨選択して生きてきた。

 情報こそが本質であり、現象は蜃気楼に過ぎないと規定すれば多くのの曇りが晴れ渡ることになる。古くはリチャード・ドーキンスの遺伝子が主役であり私たちの肉体は借り物に過ぎないという議論を思い出す。

 素粒子のシンプルなロジックに支配されたこの世界を理解するにはもう少し時間を要するが、精神が支配する私たちの喜怒哀楽や一喜一憂も、その原理原則を正しく理解してしまえば人生もまんざら捨てたものではなくなる。

 地位の上下、成果の大小、収入の多寡など、現象面のほんの小さな誤差に過ぎない。自身が有する心としての出発点と、自身を制御する倫理としてのハンドリングと、最後は自身を終える際の気持ちとしての潔さと、それが生きた証を証明(客観的に第三者がエビデンスを伴って挙証するという意味ではなく、主観的満足度に過ぎないので永遠に立証することはできない)する唯一の自己満足的立証も反証もできなアプローチとなる。

 50代も半ばに差し掛かると、いろんなことがすこしだけど見えてくるものである。さらに30年生きたアホどもが、ほとほと理性も知性もあったものじゃない現実には辟易させられるものがある。
 2015/02/07 17:35  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
ワンジェネレーション
昨年12月にアップした服が売れない三つの理由のうち、起業寿命30年説について触れよう。

 アパレルに限らず、企業は30年の寿命を全うすることが誠に難しいとされる。三品和宏先生のフレームワークで言うと、日々の「均整」を超えて中期的な「構え」をさらに超えて「立地」そのものが問われる可能性が高いのが30年という年月である。

 平成に急成長したアパレルが、一回目の30年を迎えて四苦八苦している。ポイントとパルとクロスカンパニーである。二回目の30年を前にして、ワールド、イトキン、三陽商会が青息吐息だ。セレクトショップも最初の30年を迎えるにあたり、順風満帆という訳にはいかないようである。

 ワンジェネレーション30年は、私たちが生物学的に代替わりする年次を表している。長男は30歳のときの子供なのでズバリ30年差である。その彼がこの4月に社会人だ。岩手で6年間のキャンパス生活を謳歌したようだ。3・11を境にボランティアに没頭して、地域の様々な人々と交流を図ることができたと聞く。大学院での専攻の延長上の職業に就くこともできて、まずは一安心だ。最終的には東北を安住の地に定めたいという。

 下の子はあと二年間、院が残っている。日本海側で暮らしているが、どこで何を成すのか?私の大学でのトピックは、米国へのホームステイと豪州でのワーキングホリデーだった。昨年末のオーストラリア出張では、当時最初に宿泊したアコモデーションと、賃借して数ヶ月暮らしていたフラットを訪ねて、未だ健在の躯体に接し感動して帰ってきた。

 学生時代の原体験が人生に及ぼす影響力は何年経っても変わることはないが、社会的背景や時代的意味は大きく異なる。30年という月日は、まったく別次元の世界での別次元の体験ソフトを私たちにもたらす。その隔たりをもつ異世代が片や経営層として、片や現場の推進力として共存しているのが会社である。社会まで範囲を広げるとそれは3ジェネレーションまで範囲が広がる。その世代間ギャップを埋め合わせて、さらにはバトンタッチをすることがいかに困難なことであるか。

 トレンドの変化やビジネスモデルの陳腐化もインパクトは小さくないが、世代交代ミスが企業に致命傷をもたらす。歴史あるエスタブリッシュメント企業と接して感じることは、当該ハザードを大昔に乗り越えて、漸進的バトンタッチの仕組みを構築したという意味での世代交代堅牢度である。それは、若い人々にとってはもどかしい尺取りの歩みであるが、中長期的には極めて安定的なマクロ構造だといえる。

 八艘飛びで急成長も大出世もありえるアパレル業界ではあるが、漸進的進化を怠ってはただの博打に終わってしまう。
 2015/02/01 17:42  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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