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寄生社会の現実
ジャレド・ダイヤモンド氏の「銃・病原菌・鉄」について11年2月20日にアップしたが、この度そのタネ本に出会うことができた。

 W・H・マクニールの「疫病と世界史」だ。76年の著作で85年には我が国で単行本が出版され、私が触れたのは07年に文庫化された中公文庫版だ。やはりオリジナルのタネ本には圧倒的な迫力と奥深さがあった。

 マクニールは皮肉たっぷりに歴史家たちが疫病の影響を過小評価どころかまったく無視していることを批判する。氏の言う“ミクロ寄生”と“マクロ寄生”という両概念は、私たちを取り巻く生物学的環境と社会学的環境を見事に投影して理解を促進させてくれる。

 ミクロ寄生とは病原菌たちが生きるために宿主(しゅくしゅ)を求めて取り付くことで、マクロ寄生とは支配者が農民の余剰生産に与りながら体制と仕組みを維持していくことを指す。両者に共通するのは、主体者たる病原菌も支配体制も単独で生活の場と生活の糧を得ることができないことと、宿主が死んでしまっては元も子もないので生かさぬよう殺さぬようというさじ加減が存続の規模と長短を決定することだ。

 生物も歴史的体制も栄枯盛衰、すなわち発生したり繁栄したり滅んだりを繰り返してきた。今後もそれは繰り返され続けるので絶対的安定性や、まして最終ゴールなどあろうはずもないが、どこでどうバランスがとれているのかを見極める視点は私たちに多くの示唆を与えてくれる。

 ある疫病に対して抗体のない社会を病原菌が襲ったとき、老若男女を問わずその殺傷率は10%20%どころか、30%〜90%に達するという。宿主の数が閾値を下回ってしまえば当事者の菌自体も拡大再生産の道が閉ざされることから、その後は宿主社会に壊滅的ダメージを与えることがない小児病として均衡点を迎えて一定のバランスが維持されるそうだ。ある種の臨界数値は50万人とのことで、メジャーな疫病のキャリアとなる齧歯類の必要数にもその数字が当てはまるという。

 翻って、私たち民間企業の諸活動はどうかというと、市場および労働者にマクロ寄生している存在である。労働者に対するマクロ寄生は遡ればマルクス主義に行き着くが、市場にマクロ寄生する存在としての企業利潤という視点は私にとってはとても新鮮に映った。

 経営学と経済学においては“ゴーイング・コンサーン”とか、“適正利潤”ときれいなニュアンスの言葉で理論が展開されるが、生物学的に言えば所詮寄生虫に過ぎないのが企業であり、利潤とは余剰エネルギーの搾取と定義することができる。

 それが私たちの運命(さだめ)であり掟であるとするならば、いい意味で開き直るとともに、かつ謙虚に活動していくことが求められると考えたい。開き直るとは、自らの単独の力で場とエネルギーを得ることができる存在などこの世のどこにも誰にもないのだから、外部環境と外部エネルギーに最大限依存して、それらを最大活用することに我が人生および我が社の将来を委ねようではないかと自覚するとともに、それを理念として明言しようではないか。

 謙虚とは、そうは言っても宿主が滅んでしまっては全てが無に帰するので、さじ加減を理解し、押し引きの度合いをコントロールしながら宿主に対する感謝と畏敬の念を怠らず、クリティカルマスを維持するところで寸止めすること。

 神の見えざる手は市場のみにあらず、私たち社会生活全般に生物学的現象を通じて存在しており、世界史はそのうねりの上に成り立っている。何かが誰かがとりたてて優れていた訳ではなく、私たちが神がかりだと認識せざるを得ないくらい衝撃的破壊的現象が勝敗や成長や収益性を偶発的に支配しているに過ぎない。

 それは見えざる手というより、神の悪戯というべきであろう。後知恵で誰彼の優劣や方法論の巧拙にどのような説明を施しても、それは甲斐の乏しい戯言に過ぎない。でも、だからこそ寄生虫に過ぎない我を自覚して、その上で自分に与えられた領域や自分の領分で精一杯を尽くすのが、生き方としては美しいと思う。宿主に敬意を表することを忘れずに。

 ある場面と文脈では自立自責を説くことを生業にしているが、このような良書に出会うと本音としてはそう考えざるを得なくなるのが正直なところだ。

 人類と地球までは寄生関係が成立するのだが、地球と太陽系、太陽系と銀河系、そして全宇宙との関係性になると寄生という概念が断裂して成立しなくなる。

 そこに私たちが生きとし生ける泡沫の世界と普遍的世界の境界線があるのかもしれない。この世のエネルギーはどこからもたらされたのだろうか?それは真空なのだが…。
 2014/07/21 16:23  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
鍵は文化
鍵は文化であると新入社員当時教え込まれた。

 商標法や不正競争防止法に関わる法務案件で四苦八苦していた若かりし頃、Bossからの多くの教えの中でもとりわけ印象に残っていることのひとつである。

 今の時代、そのまま表現するとセクハラの一線を越えかねないが、素っ裸で草原に大の字で寝転がっていたとして、襲撃者は当然犯罪者であるが、被害者にも非があるというお話だ。きちんと身なりを整えて、暗がりを避けて明るい街灯の下を歩く行為に相当するのが鍵をかけることと同義となる。

 ただし、そのように歩いていても襲撃を100%避けることは不可能であり、鍵をかけても本気でこじ開ける相手を物理的に100%妨げることは不可能だ。そのように物理的には不可能であるが、精神文化として私の領域に侵入しては駄目だということを対外的に主張することが鍵をかける行為に相当することになり、そのような自己主張をすることは社会的にはとても重要なメッセージの発信となる。

 島嶼部ではそもそも鍵が装備されていなかったり鍵をかける習慣のない集落がたくさんあるが、物理的に悪意をもつ人物が隔離されているのではなく、その集落がある種の文化的オーラに包まれているということができる。

 エレクトリックデータの時代になり、個人情報に過度に反応する社会的動向がが被さって快適であると同時に息苦しくなった昨今であるが、顧客情報の漏洩が後を絶たない。

 今ホットに世間を賑わせている大手通信教育企業のシステム子会社には、通販ビジネスの立ち上げで当時大変お世話になったので、胸を痛めながら日々のニュースの進展を聞いている。

 社内規定やシステム的ロックは、物理的鍵に過ぎない。それは、本気で攻撃を仕掛ける輩や内部からの叛乱に対しては無防備である。ルールや仕掛けなどの文明的ウォールも平時には一定の機能を発揮することが期待できるが、有事に有効なのは当事者たる人間の精神に作用する文化的ハードルであることは間違いない。

 当該社は外販を通じて親会社依存体質から脱却しようとしていた十数年前であるが、外販ビジネス縮小、廃止へと舵を切られて幾人かの勇士が去って行った。その後の経緯は存じ上げないが、開かれた外部世界との接点を通じて健全なバランス感覚を維持していくための精神文化的ウォールの基礎が崩壊してしまった可能性を否定できない。

 外から鍵をこじ開ける奴らを恐れるより、中から鍵を開けてしまう謀反ものが出ないようにすることが本当の意味での防御となるが、コンプライアンスやガバナンスは外から管理やチェックをし易いところにしか目と手が届かない宿命を背負っている。

 セキュリティは文明ではなく文化であることを認めると、法制もシステムも現状とは大きく異なるものが想定できる。

 文明とは“なんちゃって”に過ぎず、文化とは私たちの存在意義そのものである。
 2014/07/19 18:14  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
礼の有る無し
同世代のビジネス仲間のひとりから、素晴らしい出会いがあり、自分の直感を信じ、
もう一度新しいステージに挑戦することを決めました、との丁寧な挨拶を頂戴した。

 彼女の転職は私が間に入った経緯もあり、ずっと気にしてたが「それはそれは」とエールを送りたくなる礼であった。当該挨拶はBCCによる形式的なものだが、その前に肉声で直接の連絡を受けていた。早速、ご苦労さんを兼ねた応援の宴をと提案したが、7月いっぱいは送別会だらけだそうで、その実現は8月以降に持ち越しとなっている。

 業として営んでいるわけではないが、いろいろなところで動いていると人材交流の橋渡しになる機会が少なからず発生する。奥様をはじめとするご家族と何よりも本人のためと思っての関西に戻っての転職を、直接トップに紹介して成就した案件があった。

 本人からも当該トップからも雇用(契約かも)が成立した旨の情報提供はもとより、御礼の一言ももらった記憶がない。1000億を標榜する上場企業であり、その要職を担うポストへの編入であるが、会社も当人もあきまへんわ!創業トップから当該トップへのバトンタッチも時間の問題であるが、負のカウントダウンに突入している企業だというのが私の見立てである。歴史が証明して時効が訪れたら固有名詞のひとつでも披露させていただこうとそのときまでしまっておくことにする。

 彼女の転職を演出したのは、退職したがっているお世話になった元上司が一刻も早く辞めやすくするための施策であったが、当該元上司は根っからのKYで、これも御礼の一言も
それに近しい態度も聞いたことも見たこともなし。厚かましくも出戻りの挙げ句、後進たちのモチベーションを削いでいることに、気付くこともない御仁なのであろう。

 礼の有る無しは、百ゼロの世界でグレードはないように感じる。ない人は決定的に欠如しており、ある人には絶対的に有るように思える。礼の無い人は、礼というものがあって、それが求められる局面が日夜自分に降りかかっていることを感じることができなくて、ましてやそれを求めている第三者が居ることなど想像を絶する遙かかなたの見ることも感じることもできない地平の果てにあって。

 そのように別世界に棲んでいる人がこの世界にともに生きていることが、よくわかってきた今日この頃である。

 2014/07/14 19:08  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
○○的で怒られたが…
超大型台風の襲来を目前にして備えに忙しい日本列島であるが、“集団的”なる概念がまことしやかに眼前を通り過ぎていく。

 およそ30年前の新入社員の頃、大手総合商社出身のBOSSに徹底的にしごきあげられたことは何度か触れてきたが、その中のひとつに、「○○的という表現を使うな!」という指導があった。

 口頭報告やレポートで、“攻撃的な姿勢を感じた”とか、“徹底的に…”“暴力的…”“刺激的”などの形容を用いるたびに烈火のごとく怒られ続けた。比較的や合目的的などの表現はアカデミックな論文でも見られるとおり、日本語の語用としては誤りではないが、業務上のコミュニケーションとしては許してくれなかったのだろうと今となっては理解することができる。

 すなわち、○○的という表現は当事者の主観的認識を表すことはできても絶対的実体を表現してはいないことから、ビジネス上のレポーティングとしては失格だということだ。個人の感想は聞かれたら述べればよいのだ。

 さて、集団的なのか個別的なのかは実体とは無関係に関係者の主観的認識に依存する概念だ。残念ながら主観と客観の一致を確認する術をもたない世界に生きる私たちとしては、忸怩たるものが残る場合分けということになる。

 サッカーが早々に敗退して、国中が浮かれることなく時勢情報を感受できる世相は結果よかったね、というのが我が家での会話であるが、今週は自然が相手だ。

 希望的観測や楽観的対応という言葉にも“的”が含まれてくる。まさか自分が?と今を過ごしている私たちも今週の金曜日には彼岸に渡っている可能性はゼロではない。

 言葉と論理について考え尽くしたウィトゲンシュタインの凄さは理解できるが、その主張を自分のものにすることにできないレベルにもどかしくもあり、まだまだでもあり。

 くれぐれも、今週の移動には気をつけよう。
 2014/07/07 20:09  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
晴れて
晴れてクイック検索のを行うためのインデックス処理の問題もクリアした。

 あとは、新PCによる発登壇となる明日の研修でプロジェクターと正常に繋がれば万々歳となる。VGA端子はついていないので、変換アダプタを介しての接続となるので念のため旧VAIOもバックアップとして持参する。

 VAIOのXはバッテリーの持ちは抜群だった。その分CPUがATOMだったので大きなデータを回すときやパワポの描画時にはストレスを受容せざるを得なかった。

 今度のLAVIEのGは、コアi7を積んでいるのでスピードは申し分ないが、バッテリーが怪しい。カタログ上は10時間以上との記載があるが、この一週間の使用感は長くて二時間半、下手をすると一時間強という実感だ。

 いろんなシチュエーションを経験しないと断じることはできないが、バッテリーの安心感ではソニーに分が上がる。とはいえ、OSがウィンドウズ8.1でアプリがそれぞれ2013になったことで最新の世界観の元でサクサクと業務が進むことは微笑ましい。

 少しだけ慣れたその環境経験を経て、VAIO Xの世界に戻ると(ちょっとした必要性がまだ残っている)、化石と仕事をしているような感覚に陥る。埴輪や縄文土器は鑑賞価値はあるが使用価値は皆無だ。

 その昔、PC9801に感動して、上下二段のフロッピースロットが互い違いにガチャガチャ鳴る音に“こいつ、いい仕事してる!”と感動していた当時の私の感性はもはや世界遺産レベルの鑑賞価値しか持ち合わせていない。

 ほとほと左様に時間と価値は移ろっていく。
 2014/07/01 19:22  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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