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ジェネレーションの悪戯
日本人の論理構造(板坂元)という良書に出会った。

 自分なりのメカニズムで読書の連鎖を続けているつもりであるが、40数年前に初版された年間Best3には入るであろう書籍に巡り会った。

 「なまじ」「いっそ・どうせ」「せめて」「れる・られる」やはり・さすが」「しみじみ」「ところ」…と日本人ならではの論理とそれに基づくところの言葉の例を見ただけでワクワクする人も少なくないだろう。

 その一節からの引用。堪え堪えた堪忍袋の緒が切れる現象として、徳川時代の“おかげ参り”が紹介されている。ある年突然に何百万人かの民衆が伊勢参宮をはじめるのっだそうだ。1705年には4月〜5月にかけての50日間に三百五十万人の民衆が押しかけたそうな。映画にも描かれた“ええじゃないか”とも共通しているらしく、百姓一揆や米騒動とも遺伝子を共有しているとのことだ。

 しかも、それらはおおよそ60年周期で60日くらい続いてきたのだそうな。60年周期という数字に電流が流れた。コンドラチェフ、クズネツク、キチン、ジュグラーの経済循環が、まるでテーブルに乗らなくなったのはIT化とECの進展によるもとのと考えられるが、60年の周期には人類学的意味がある筈だ。

 ワンジェネレーションが30年というのは疑いようのない事実で、親から子へと一世代引き継ぐ時間がまさに30年で、ワンディケード×3も30年になる。実は来年の3月で社会人生活30年を迎える私は、その期間を10年ごとに三分割して総括することがまさにことしの課題と位置付けている。ワンジェネレーションに相当する時間をを仕事に捧げてきたので、残された(何年かは知らないが)時間をどのように過ごすのかを定義することを今年のテーマとしている。

 そうすると、いわゆる企業寿命30年説にも経験則的知識を超えた必然的法則があると思えてくる。我が国は戦後70年の時を経てしまった。60年周期を10年も超えたところで、為政者の人々のストレスは臨界点を超えたのだろう。ええじゃないかええじゃないかと奇声を発っしながら、およそ60年振りの60日間のランナーズハイの突入しようとしてる。

 バブル崩壊から20年でリーマンショックが訪れたのは幸いであったが、政治的に大変動がなかった70年は長すぎた。70年安保を小さなガス抜きと位置付けても、以降40年以上も経過してしまった我が国にはストレスエネルギーが充満している。バブル華やかかりし時から数えても30年近い歳月が経過している。

 10年という最小単位と20年の中単位と60年という最大単位の関係性はハインリッヒの法則でいうところの1:29:300を想起させられる。この世界は「べき乗則」で動いていることを改めて確信させられる。

 政治的軍事的大地震の到来はそう遠くない。(が、ごくごく稀にしか惹起しない)
 2014/02/28 20:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
記憶と記録
四半期に一度のペースで開催しているステアリングコミッティでの社長の名言だ。

 真央ちゃんは記録には残らないが記憶に残る演技だったと。試合には負けたが勝負には勝ったという言い方もほぼ同意で用いることができる。

 ちょうどKPIと評価の連動が次の重要課題になるという話題になったので、頭には浮かんだが発言することを憚った言い回しがある。人事評価とはすなわち記録。半期に一度の業績評価と通期に一度の行動評価(企業によって頻度や呼び方は若干異なる可能性があるが)の結果は記録としては皆が気になるところである。賞与や昇進という報償と直結していることから尚更だ。

 その記録に対して一喜一憂したり、不平不満を抱いている諸氏は多かろうが、果たして記憶に残るような仕事ができているかどうか胸に問うてみて欲しい。言いたかったことは、記憶に残る仕事を目的や目標にすべきで、評価という記録はそのメジャーに過ぎない。従って会社側も従業員側も過度の期待と否定的議論の対象にしてはならない、それはお互いにエネルギーの無駄遣いだということだ。MBO(目標管理制度)にしてもまたしかり。世に人事屋はたくさんいるが、人事家が希少であることが嘆かわしい。

 とはいえ、私自身が20代30代の頃に、また人事制度企画の上流を担当してた頃にそのようなことを言われても、はたして腹落ちしただろうか?とよぎったのでその場での発言は差し控えた。

 数年前にご一緒したクライアントのS氏と呑む機会があった。インナーが得意なアパレルで企画生産をご担当しておられるのだが、いいものをそれなりの値段で、しかも国内の設備と人材の手を活かして世に出していくべきだという持論の方向性の確認がその趣旨であった。

 私はもちろんアグリー。業界のあちらこちらにその兆候は表れつつあり、あとは市場(消費者)との申し合わせが成立するよう、業界全体が自己組織化的シンクロを発現させることができるかどうかだ。

 そのための必要条件は、ひとりまたひとりとそういうことを考えてやってみようとする人間が出てくることと、ひとつまたひとつとそういうことをやってみるショップやブランドやアパレルが出てくること。

 十分条件は、市場全体でその動きが臨界点を突破して連鎖的大変動にまで達するかどうかだ。ただしその十分条件は複雑系であることから私たちが人為的に予測したり操作することはほとんど不可能だ。一方、それはカオスとしての一面も有していると言える。カオスとは初期値のちょっとした違いが複雑系を介してまったく異なる未来の大きな変化を誘導するというものだ。

 カオス的条件は満たしつつある。どのような複雑系が展開していくか、とくと体感してみたい。
 2014/02/27 08:29  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
他責にも
これでもかと週末に向かって雪に悩ませられると他責にもしたくなるところであるが、そこはグッと我慢が求められる。

 他責とは自分や自社以外の外部要因のせいにすることであり、ただの言い訳野郎を指す。
対して、自責とは自分を責めたてて追いこむという意味ではなく、自分にできることに目を向ける姿勢を言う。分解能を高めて表現すると、リーチできてコントロールできることに着目せよということになる。自己防衛本能により種を継続してきた私たち生物にとっては、理屈はわかるけど体が動くかという深刻なハードルである。

 前回の降雪により路面店やアウトレットの人手は散々であった。この週末も関西以西はなんとか日曜には回復したが、首都圏以北は大変な状況であっただろうと想像される。
これで二月の予算達成は絶望的になったと考えるのが普通であるが、そもそもの予算の裏付けはミクロ単位のただの会社の財務都合に過ぎない場合が大半だ。

 少子高齢化に突入した我が国において、家計消費支出における衣料品に対する支出が漸減するマクロ環境下で、各アパレルの各ブランドが増収計画を立てているとしたら、論理的に起こり得ないミクロの振舞いをしていることになる。

 その昔、百貨店は毎週一日休業していた。正月三が日はクローズで、営業時間も18時もしくは18時半までだった。コンビニはビジネスモデルが異なるので比較対象にしてはならないのだが、それに準ずるGMSが営業時間を延長し始めて、駅ビルファッションビルから百貨店まで追随したところから市場に歪みが生じてきた。オーバーストアと言われて久しいが、それに拍車をかけてオーバーアワー状態に日本の小売業は陥っている。

 私たちには平等に一日24時間と一年365日しか使える時間は与えられていない。そこに、ネットを閲覧する時間が割り込んできたのだから、リアル店舗とのインターフェースに費やせる時間は減少している筈だ。ネットが24時間フリーアクセスを担保してくれているにも関わらず、リアル店舗がアクセス時間を延長するのはどんでもない逆行行為である。オムニチャネルという言葉は掛け声に過ぎないのか?

 コモディティを扱うビジネスモデルにおいては一概に言えないが、多少なりとも付加価値のあるファッションを提供しているビジネスにおいては、リアルなタッチポイントはプレミアかつレアな場として大切に保護するべきだ。いつでもどこでも誰にでもは、消耗品と必需品の世界に任せておけばよい。計画購買に供される商品や、贅沢品や趣味嗜好の対象として衝動買いされる商品のマーケットは不動かつ安定的である可能性が高い。

 先週、次のようなデータに触れる機会があった。雪に見舞われた土日に全体として売上はまったく取れなかったのは仕方がない。ところが店別品番別に丁寧にデータを見ていくと、そのブランドが顔として打ち出した、いかにもらしくて尖がった商品が相対的に比較するとよく売れていたのだ。他の普通の品番が売上を落とす中で、当該品番の入り揚げ趨勢は前週と変わらない勢いで売れたことを示していた。つまり、本当のブランドファンは雪にもめげず店舗
に足を運んでくれて、お目当ての商品と遭遇してお財布を開いてくれたということだ。むしろその他大勢の一見客が少ないことがその人のモチベーションを上げることに寄与した可能性すらある。

 選択と集中という戦略用語も安易に使い回された感があるが、掛け声ではなく真の選択と集中を議論してみることをお薦めする。その対象は第一に顧客であり、第二に顧客との接点である場と時間である。場はチャネルに置き換えることができるが、そこにネットが入り込んできていることの意味をよくよく考えて欲しい。プラスαではなく、全てが置き代わるほどのインパクトがあるのがネットの世界だ。ネットが全ての時間接点を担ってくれるのであれば、リアルな場は時間を絞り込んでも一向に差し支えないと考えることもできる。

 営業時間と売上との正確な相関関係を解明したデータにはお目にかかったことがない。株価や地震に代表されるような現象は、変動が小さいところでは対数正規分布するが、変動が大きいところではべき分布になることが知られている。

 一年を8760時間以上経験することができないこの世界において、営業時間を無限に延長したところで発生する現象を確かめる術はない。以前ご紹介した右側の壁はトリニティ定理で説明可能であるが、営業時間にも24時間365日の壁が存在している。週一休業して、一日の営業時間を短縮することで、店頭スタッフのシフトがどれだけ合理的に組めることか。雇用の維持と拡大には寄与できないが経済合理性は格段に向上する。

 広く浅くではなく、狭く深くがキーワードだ。被雇用者も同様の戦略を採用して欲しい。ただし深さには金銭的多寡は含まれておらず、極めるという意味での主観的定性的満足度がその中身である点を付け加えておく。
 2014/02/16 17:50  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
勝負に出た
UAが上代を上げていくと宣言した。

 円安を背景にした経済的意思決定の側面もあるが、業界の低迷を打開する戦略的意思決定と評価することができる。前秋冬〜この春夏のスタートにかけて盛り上がりに欠けるのは、消費者を辟易させてしまった我々に責任がある。

 大きくは二つ。その一は、プロパー時期の値引きの恒常化である。特定期間のカード請求時の10%オフとレジにて10%オフで恐る恐るスタートした期中値引きだが、今となっては二点で10%や20%オフまでが常態化してしまった。

 その二は、消費税率アップを前に表示が内か外かで二転三転し、連日のように報道されたことだ。実態が本体価格+8%になることは国民は百も承知である。それをどう見せようが自分の財布の負担が変わるわけもない。売り手側としては消費者の意思決定が変わることを怖れての右往左往の議論であった。

 いずれも操作対象として価格にしかフォーカスがなされていない。値引きは小学生の模擬店でも実施可能なもっとも幼稚な打ち手であり、理論的には差別的競争優位性を失ったコモディティ商品を薄利多売するための手段である。

 SPAの弊害としてマーケットの同質化は避けられないハザードではあるが、その場しのぎの価格訴求で短期的つじつまを合わせてきた業界に消費者がしっぺ返しを仕掛けてきたとしか思えない。

 いいモノだから高いよ、他にはないモノだから割引できないよと堂々と上代を通してきて、オープン価格が主流となる現代において数少ないメーカー希望小売価格が存在している業界の歴史的財産を自ら放棄しようとしている潮流をどこまでどのように認識しているか自問自答して欲しい。

 昨日、某クライアントのイベントで勝負には勝った可能性は高いが試合に負けてしまったチームのさわやかな悔し涙に感動を覚えた。今月今期の予算達成という試合に勝つために中長期的勝負の芽を見失ってはいまいか。

 オリンピックでメダルがどうのこうのしか連呼しないメディアの姿勢にも飽き飽きさせられるのは私だけではないだろう。一発勝負の試合で上位に入ることは素晴らしいことであるが、彼ら彼女らがそれまでの全人生を賭してどのような勝負を仕掛けてきて、勝利の女神がそれをどう評価するのかを楽しみたいのだか、なかなかそうはさせてくれない。

 UAが短期的試合に勝てるかどうかはわからないが、少なくとも正しい勝負に打って出たと言うことができる。業界の顔とはそういう姿勢と行動をとることができる企業に付与したい称号だ。売上や利益という試合の行方は市場の評価にゆだねるとして、つつしんでUAに業界の顔メダルを贈呈したい。
 2014/02/13 08:04  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
筋トレがはかどらない
昨年夏におよそ10年振りに筋トレを復活したが、なかなかペースと効果が捗らない。

 もともと白筋系ではなく赤筋系の体質の私ではあるが、筋トレの歴史は中学時代に遡る。スポーツ科学の欠片もないおよそ40年前のバレーボール部においては、とりあえず腹筋と背筋と腕立て伏せの毎日。これは理に背いてはいないのだが、やっかいだったのはウサギ飛び。今となっては完全に姿を消したトレーニングだが、当時は根性系巨人の星のシーンの影響もあり、誰も疑ってかかっていなかったのが歴史的真実だ。200mのトラックを5周するのがノルマで、お陰で右ひざの軟骨が飛び出し、背が伸びなかったのはそのせいだと自説を唱えている。

 社会人になって、アスレチック施設が併設された会社だったので、自ずと仕事のストレス解消はウェイトトレーニングとスイミングで。スタジオプログラムは団体行動が嫌いな私の検討の対象にすらならず。

 30歳前後の頃には測定の誤差もあろうが、体脂肪率一ケタの記録もあったのは束の間の夢と終わって、今や20数パーセントのていたらく。。ちんたら1キロ流して泳いでも、凝りの解消にはなってもとてもじゃないけど筋肉を付けるには至らず。それではまずいと一念発起して久しぶりに錘にとりついたのは昨年7月のこと。これまで4回行けた月が二回あったが、それ以外はせいぜい1〜2回のペースに過ぎず。加えて、30代の頃のように限界を超えたところであと二回上げる気力など湧こう筈もなく、とろとろと半年強が経過したが、捗っていないのである。

 ムキムキになり過ぎると今の服が着られないという自己弁護で言い訳と言い逃れをしてきたが、生理学的には脂肪が筋肉に代わることでおよそ20%の容積減になることは明白な事実である。それを踏まえるとその臨界点を超えて筋肉が付き始めてから心配せいというのが本当のところだ。

 どこまで日常的に組み込めるかははなはだ怪しいが、ひとつだけ主観的に実感することがある。筋トレ終了後の体調が、ほんの一日二日に過ぎないがすこぶる好調であるということだ。

 大きい筋肉と小さい筋肉に配慮しつつ、72時間のインターバルで筋トレをルーティンでこなし、昼間は好きなことをしゃべるだけでお金も時間も回る人生であったら、私の余生は安泰だ。ところがどっこい、PCに向かっての細かなキーボード作業やら、親はどうなるのというストレスやら、なんでゴルフこんなに下手くそなんやら。思うようにいかないのもこれまた人生。

 バレーボールやハンドボールという団体行動から離れて、晴れて個人競技の極みのゴルフでも一向に上手くならないということは、そもそもスポーツは向いてない?というオチ。

 自分の人生はこんなもんかと諦めもつきつつ受容もできつつ、宇宙論と量子論の理解促進が自分の状況を客観化、刹那化、矮小化してくれつつ、100年も経たないうちに自分の存在など誰の歴史にも記憶にも留めれらるはことはない制約と自由度の中で生きていることは小さな幸せではある。
 2014/02/11 19:53  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
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プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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