« 2013年09月 | Main | 2013年11月 »
事実と認識と表現
考えさせられるトピックが二つ起こった。

 ひとつは10日ほど前に出されたファーストリテイリングvs文芸春秋の判決で、いま一つは阪急阪神ホテルズの醜態である。

 私たちの住む世界には事実はひとつしか存在していない筈である。しかしながら、私たちはそれを観察を通じて認識し、表現を通じて他者の認識に働きかける営みを繰り広げるので、事実と異なる認識があたかも事実のように独り歩きを始めてしまう。

 前者の文献はブラック企業の告発本のような内容であるが、柳井さんの逆鱗に触れたのであろう。同社に存在する事実はひとつしかないが、社内のそれぞれの当事者が主観的にどのように認識していて、ジャーナリストのような観察者が客観的にどう認識するかは事実を超えて多様な解釈が成り立ち得る。

 日本国憲法の下では、表現、言論の自由は認められている。ただし公共の福祉に反しないことと他人の権利を不当に侵害するものではないことが求められる。

 事実を事実として伝達した上で、かつ一定の思想的背景を伴うのがジャーナリズムの使命であるが、そこに商業主義的下心が介入することでそのミッションは曇ることになる。売上部数を増やさんがために大衆を煽って、大東亜戦争にこの国を導いたマスコミの責任は重いが、自ら内省した言動には少なくとも私は接したことがない。

 後者の事例は経営トップによるリリースのタイミングと姿勢が事案そのものを超えてその後の世論を醸成することがナレッジとして定着しているはずの現代において、まことにお粗末な記者会見であった。虚偽ではなく誤りだったとしゃーしゃーと主張するトップと役員の言動に、現場で汗を流している当事者の人々の思いのほどはいかがなものかと考えると居た堪れなくなるのは私だけではないだろう。

 経営者の取るべき態度は、「功は現場の誉れ、罪は経営者の至らなさ」に尽きる。アパレル業界にもこの真逆を実践している経営者は多数いるので、阪急阪神を他人事と傍観している訳にもいかない。

 俺のフレンチ/イタリアンに代表される俺の‥シリーズのビジネスモデルの斬新さは、いろんな切り口で評価することができる。もっとも大きなドライバーになっている要素は、シェフのストレスを解放したことにあると言える。

 粗利に通じる原価で締めつけられて、自分の自由なパフォーマンスが制限されている環境下でクリエーターの能力とエネルギーが健全に発揮される余地は限られてしまう。この調子だと、飲食業界で潜在ポテンシャルに溢れるシェフ達はホテルや老舗から離れ続けることだろう。

 アパレル業界におけるデザイナーやMDも同じ環境に置かれていると考えなければならない。彼らをストレスフリーにしなければ業界の発展はない。
 2013/10/28 19:37  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
ようやく辿りついた
ようやく哲学に辿りついた。

 さまざまな書籍で哲学的な議論に触れる機会は何度もあったが、恥ずかしながら哲学の専門書に取り付いたのは実は私にとって初めての経験なのだ。

 先日、同世代の議論友のTK氏との久々の呑み会で「ニーチェはいつ読んだ?」と問われて、‥‥だった。彼は近江の商家の生まれで大学に進学して学問をするよりも早く商いの道に入りなはれという周囲の声に惑わされてしまい、進学も就職もできないモラトリアムを3年も経験した本物の思索家だ。その時に読んだニーチェに大いに感化させられたとのことだが、私はニーチェのことを名前しか知らない。

 まずは、田中美知太郎氏の「哲学初歩」からスタートだ。ピュタゴラスが次のように言った(かどうかは明らかではないようだが)。

 この世の生活は祭礼のようなもので、そこに集まる人々は三種の類型があるという。一つはこの祭礼の催事である競技会に出て賞を得ようとする人。次の人はこの祭礼の市で商売をして金銭を設けようとする人。これらに対して第三は、ただ何がどんな風に行われるのかを見物するためにやって来る人だという。

 このようにこの世に生まれた人間は、ある者は名誉の奴隷になり、他の者は金銭に仕える。しかし少数ながらこれら名誉や金銭にもあまり引かれないで、ものの自然のあり方の観察に熱心な者もいる。これがすなわち“智慧を熱心に求める者”で“ピロポソイ”(愛智者)とはこれにほかならないというのだ。

 私たちは、理論か実践か、観照か行動か、哲学科生活かというように始めから二者択一に両者を分裂させておくことはできないと田中は言う。はたして観ずることと行為することを同一人格上で同時的に貫徹することは人間にとって可能なことなのだろうか?

 ビジネスの世界でPDCAと言われて久しいが、自分で自分をバンバンする(古くてニッチなので一部の方にしかわからないフレーズだろうが)ことが容易ならざる行為であることは想像に難くない。

 コンサルタントとして活動するようになって9年目になるが、コンサルタントとは行為することから逃れ得る哲学者的立ち位置に立つことができる幸せな商売だと実感する。当然、資料作成やデータ分析、報告などの行為は存在するが、そこには対象事業において本業を営む(大きくは在庫に金を張ることと内部組織のコンフリクトに巻き込まれることの二つの苦役に代表される)義務からは解放されている。

 そういう意味では、学者の人々はもっともピュアな観察者であるが、彼ら彼女らは行為する組織に属したことがないことに起因する決定的なハンディキャップえを背負っている。行為するという意味では、大学の教授会の運営がままならないなどの行為にはまみれているが、自由主義、市場経済原理に基づくオープンマーケットにさらされているわけでは必ずしもないという点に限界があると言える。

 開き過ぎているとも言える、いい加減な個人といい加減なロジックにあふれるアパレル業界において行為する世界を20年強も実体験できたことにはこれ以上の感謝の言葉もない、その間、なんちゃってのアカデミズムではあるがMBAをかじる機会に恵まれて、その後、観ることで飯が食える職業に就く幸運にも恵まれた。
 
最後の10年は行為する側にまわるのも悪くないなと漠然と考えてきたが、本当にそうか?という答えをここ2〜3年で見つけなければならない。ソローの“奴隷”というキーワードに感ずるところが多かったが、文明も名誉も金も自分には大した意味はなさそうだ。自然のあり方に忠実であることがもっとも裕福で、理にかなっているように思えるが、その“自然のあり方って何?”がもっとも奥深いのである。

 次世代人々に知識やノウハウを伝授する過程において、目先の数字や評価に惑わされないMDの本質とは何か、そしてそれを追求しようとするオーラを発散する真剣な眼に触れると鳥肌が立つ。

 さてと、取り掛かりはソクラテスかプラトンか、それともニーチェがサルトルか?野坂昭如氏にお見舞い!
 2013/10/26 18:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
MDが難しくなった
この秋の異常は、つい先日まで経験させられた真夏日に代表される。

 台風もいつになく当たり年のように感じられる。数の多さというよりは、週末の度にレジャーやショッピングの機会を奪われるとともに、豪雨を伴って洪水や土石流を多発させたことで強く記憶に残った。

 うなぎは不可逆的に食べられなくなるトレンドにあるが、青モノ好きの私にとっては今年の鰯の当たり具合はよい異常の秋だ。

 NHKの気象タイムで次のような情報を耳にした。最後の真夏日から最初に最高気温が10℃を下回るまでを「秋」と定義すると、例年であれば75日ある秋が今年は60日しかない見込みだという。75日は週で表すと10.7週になるが、それが8.6週とおよそ2週短いことになる。すなわち丸々二週間短い秋ということだ。

 アパレルのMDにおいて、春物を売る時期がなくなってきたねと言われて久しい。反面、残暑というよりは普通に長くなった夏に合わせて盛夏2のMDボックスを設定するMDが増えてきている。

 加えて秋物を売る時期まで短くなってしまうと、四季を意識した従来のMDが変化を余儀なくされる。52週の四等分は13週であるが、もともと10.7週しかない秋が9週未満になると年間の六分の一の期間しかなくなる。

 サインカーブの反復としては暫く継続する筈のパンツの流れが止まってしまい、この秋冬は(おそらく来春夏も)スカートが大ブレークしている。日本の四季を代表する季節である春と秋が、これも不可逆的にシュリンクしていく。やがて我が国は亜熱帯エリアとなる。

 MDがますます難しくなっていく。とはいえ、それは絶対的な議論ではなく、四季折々で培ってきた過去のMDのロジックからみるとやったことがないので難しそうに見えるだけで、わかってしまってやれるようになってしまえばそれが当たり前のMDになってしまう相対的なものに過ぎない。

 まさにMDの世代交代の時期に突入しつつある。
 2013/10/21 17:33  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
生態系を思う
 従来の経営戦略論や競争戦略論に対して、ビジネス生態系の競争優位が議論されるようになって10年近くになる。

 この秋、生物学的世界の流れとして「種の起源」「二重らせん」「生命の多様性」と読み進めて、現在「森の生活」が六合目まできた。今週中には読了することができると思う。森の生活を著述したソローの思想には少し危なげな“人間原理”の匂いを感じないでもなが、アメリカ文学×哲学書×思想書のキャップの中で秀逸の作品だ。

 彼の精神的情景を感知しながら、果たして自分の中にはどのような精神的情景があるのかないのかを深く考えさせられながら、どっぷりと教養の海に浸ることができる。

 ソローはことごとく文明的価値感を否定しながら、人間としての非下等性をその精神活動の所産としての思想や詩歌に求める。現代に生きる私たちにとっては、スケジュールに空白があったり手持無沙汰という状況は避けるべき好ましからざる事態であるが、彼はことごとく仕事や道具の奴隷と化しているプア-な生きざまを皮肉る。下等な本能と人間ならではの精神活動をどう共存させるべきかに葛藤するソローの思索には150年の時を超えて共感するところ大である。

 今年も我が家ではエアコンのスイッチを入れることはなかった。10月も半ばになった今でも短パンとTシャツで過ごせる気候も異常ではなく単なるプロセスに過ぎない。緑が生い茂って、野には獣が海には魚が、そして大陸には人類がという情景は決して普遍的でも絶対的でもなく、地球のこれまでの46億年と今後のおよそ50億年(これは太陽系の寿命に依存している)を足した100億年の歴史のなかのほんの一瞬の出来事に過ぎない。

 私たちひとりひとりの100年弱はもとより有史数千年ですら、そのような地質学的時計にとっては目の前を走り去るF1カーやウィンブルドンで観客の首を一斉にダンスさせるラリーのようなものだ。職業的集団の形成は欧州にも日本にも数百年の歴史があるが、株式会社の歴史はたかだかこの200年のこと。200年をちょっと超える昔の事業といえば海賊行為と区別がつかないようなもの。

 マルクスはちょっと異なる出口を予想(期待)してしまったが、誰かが誰かを搾取している構造は本質的真実だ。生態系も搾取体系がある種のバランスが取れている状態であると言うことができるが、それは究極的到達点ではなく偶発的通過点に過ぎない。

 よく生態系を壊すという表現が使われるが、それは決して正しい表現ではない、生態系は変化し続けるプロセスを一時的に切り取ったものに過ぎず、壊すものではなく影響を与える対象に過ぎない。人間が生態系を壊すという発想に立った瞬間にこれまた人間原理に還りかねないリスクに直面する。

 私たちは地球に活かされている偶然のエージェントに過ぎない。地球も太陽系に活かされており、その寿命は見えている、太陽系は銀河と宇宙に活かされているが、それ以上は無限連鎖に陥るので今日の議論はこのくらいまでで。
 2013/10/14 19:27  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
来春を占う
 8月の百貨店販売が2ヵ月ぶりに既存店ベースで前年同月比2.7%増加した。

 中でも、高級ブランドのバッグや靴を含む身の回り品が4.5%増えている。百貨店にINしている大手セレクトショップの母艦店店長S氏のコメントは次のような内容だった。自分達が扱っているちょっと日常を離れた気持ち高額商品には追い風をまったく感じないと。

 引っ張っているのは、宝飾品などの非日常のかなり高額商品と東南アジアを中心とする観光客によるスポット的購買力に過ぎない。観光客も、IDレベルではユニークでも購買者全体が仕組みと流れとして澱みなく供給されれば、それはスポットではなく継続的ルーティンになり得る。とはいえ、もっとも規模のインパクトが強い中国は国交上のさまざまな関係性の流動があることから、安心して安定という冠をつけられる継続的ルーティンとは程遠いものがある。

 そんな同社が一各上のクオリティと価格の新しい業態を立ち上げることは、“あっぱれ”である。やはりもっとも男前のセレクトショップたる所以だと言える。

 話変わって、欧州車ディーラーの営業担当者によれば、来年3月までは追い風であることは間違いないが、その後の見通しおよびディーラーとしての対応は未だ不透明だという。駆け込み需要特需がなくてもこのところ追い風だった業界に、筋の異なる風が吹くことには警戒心が溢れていた。追い風を支えていたのは、ディーゼルやハイブリッドを通じて訴求した、身の丈をちょっと上回るプチ贅沢需要だったことから、それらの購買層が3%に過剰反応すると一気に氷河期が訪れることを心配している。まったく、その通りだと思う。

 以前、所得弾力性と価格弾力性がマイブームだった頃があり、2010年の春先の私のブログを参照していただければその概要は掴めて頂けることと思う。

 19日に長年お世話になっているクライアントの年度方針説明会があり、今年は20分〜30分程度私の持ち時間があると承っている。いくつかのテーマをオムニバス方式でお話ししようと考えている今年の組み立てであるが、その中のひとつに“消費税弾力性”というテーマを掲げようと準備している。

 所得弾力性と価格弾力性の理論を組み合わせて、消費税増税に直面したときに消費者の購買行動がどのようなメカニズムに晒されるかを明らかにするつもりだ。議論の詳細は当該クライアント向けの個別ソリューションだが、差し支えのない範囲で当ブログでも公開するつもりだ。

 たいした議論ではない可能性が高いが、知識もポリシーも欠如している昨今のマスメディアの報道に惑わされない程度の教養は皆さんに提供することができると思っている。
 2013/10/07 18:02  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
| 次へ
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

北村禎宏 プロフィール
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新記事
2013年10月
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
月別アーカイブ
最新コメント
Sayo
ファッションのコモディティ化 (2015年12月11日)
冨田さより
すごい学生がいたもんだ (2015年08月09日)
しの
日本人の忘れもの (2013年02月11日)
nobu
やっぱやられた (2012年10月24日)
北村禎宏
ダイバーシティにて (2012年05月24日)
最新トラックバック

http://apalog.com/kitamura/index1_0.rdf
更新順ブログ一覧
QRコード
アパレル業界の情報満載の「アパレル携帯版」
右のQRコードで読み取ってアクセスしてください。こちらからも自分の携帯URLを送れます。 QRコード