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息子の世代に教えられたこと
4月の新入社員研修の受講生有志4名と呑み会で盛り上がった。

 私にとっては三つの点で特別の意味がある。ひとつは来年4月も決定したのでトータル7年間続けて面倒を見させていただくことになる、もっとも長期で継続しているクライアントだからだ。二番目には、コンサルでもいろんな場面でお世話になっている方々が直接面接して“よろしく頼む”と念を押された経緯がある。三番目は、ちょうど長男と同級生にあたるのが今年の新入社員世代にあたることだ。

 カオスやコンプレクシティなどの私が20年ほど前にハマった議論や、たまたまの話しがグッときたりと、あっという間の4時間であった。

 私自身、大手セレクトY部長の「酒うめぇ」「寿司うめぇ」には、いつも元気付けられているが、私の「人生、面白れぇ」も彼らにとっては大いなる刺激になったようで、まずはよかった。

 私の愚息たちはどちらも理科系で、上は既に院に進学し、下もその気配なので彼らが社会に巣立つのはもう少しさきのことになる。思い起こせば中一時代という当時の雑誌に載ったマンガに感化されてアマチュア無線の免許を取得して以来、電子工学部に行くんだとマイキット150で鉱石ラジオを鳴らして喜んでいた私が理科系志望に挫折したのは高三の秋だった。下の子はズバリ電子工学部なので、やっぱり私の遺伝子はそうなのだろうか…。

 ようやく超弦理論や量子力学が少しわかってきて、宇宙や生命の起源をひととおり学習して、でも歴史も文化人類学も面白くて、まっサイエンスという意味では自然科学も社会科学もアンカーは同じということか。

 私が彼らから教えられたこと、それは相手あっての自分ということだ。みなさん大手総合商社に入社しておよそ半年が経過して、いろんな壁や悩みにぶつかっているようだ。素材としての人間力や魅力には溢れんばかりの面々なので、私の話しも思わずリキが入ってしまい少ししゃべり過ぎたかなという印象でもある。

 あそこまで熱く語るスイッチが入ったのは実は久しぶりだった。そこから得られた知見は、私が何かを絶対的に持っているのではなく、意味のある相手と対峙した時にはじめて相対的に自分の価値を発揮、表出することができるということだ。

 一言で言うと、相手あっての自分というごく当たり前の命題だが、やっぱりそうなんだと強く深く印象付けられた週末の夜の4時間であった。

 ありがとうとともに、今後ともよろしくです。MOさん、SIさん、KIさん、HSさん!特にHSさんは、大事なコンペの取り回しは粗相なく終われましたか?
 2013/09/28 17:47  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
自然科学的経営学
自然科学で用いられる二つの概念がある。「観測選択効果」と「内的隔離機構」だ。

 それぞれ量子論と進化論で引用されるが、経営学的に組織にも同じようなことが起こっている。観測選択効果とは、所詮私たちは自分が観測活動に選択せざるを得ないツールによって観測対象の把握と理解の仕方が限定されるということだ。

 もっとも分かりやすい例は、5p程度のメッシュの網で捕獲することで水中の生物を観測している者は永遠にメダカやましてミジンコの存在を認識することはできないというものだ。網膜を通じて見るという行為は光子を介さない現象を視覚的に認識することを妨げている。

 内的隔離機構とは、生物が進化する過程において種を保存するために様々な工夫を施すことにより種を超えた交配活動を極少化しようとするものである。物理的には形状や模様、化学的には匂いなどがその機能を果たしてきた。ちなみに生物学的分類レイヤーは、界−門−網−目−科−属−節−種−亜種−変種−品種−亜品種と連なっている。

 業界や業種のように二番目の文字が共通していることと、業態の二番目の文字“態”がないことが気になる。昆虫の世界には変態という局面がある。業界や業種は普遍的なものであるが、業態は昆虫の変態に近い異なるフェーズ間に存する一時的な態様なのかもしれない。

 さて、本論に戻ることにする。ビジネスの世界で観測選択効果と内的隔離機構は水平的にも垂直的にも発生している。業界や業種が異なればパラダイムやコンピテンシーが異なるのが水平的観測選択効果と内的隔離機構だ。私たちは、売上→粗利→経費の順で発想を積み上げていくが、製造業であれば原価→限界利益→売上という手順になるのが普通だ。

 業界の内側では、“漠っと”や“先あげ”などのローカル用語を用いることで同種内での結束を確認しあったり強化することに努めている。「俺の若いころは…」とか、「昔は…」という枕詞は垂直的観測選択効果と内的隔離の典型的入口となる。観測ツール(OA機器の進化や理論の進展)が異なれば見えるものもそこからもたらされる効果も分解能のレベルが飛躍的に進化しているし、いまさらシーラカンスを種として保存することにどれほどの意味があろうか。

 私が言いたいのは、それらの行為が何か悪さをしでかしているので改めるべしということではない。そのような行為と効果が知らず知らずのうちに発生していることを理解した上で、日々の業務や自分たちの現状を認識した方がより真理に近づく可能性が高くなるということだ。

 観測選択効果がある以上、私たちが真実を見て聞いて知ることは不可能である。量子論的に世界は九次元とか十次元と言われても私にはさっぱり想像することすらできない。そのような未知の世界に生きていることを前提におくことと、既知のフレームワークやモーメントのみで次世代を限定制約する権利は誰にもないこと。

 そのことをを自覚的に理解し実践することが英知だ。
 2013/09/22 17:41  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
女子を駆逐するなかれ
7年にわたり複数の種別の研修でお世話になっている大手保険会社さんがある。

 若手に対するロジカルシンキング、新任管理職とのリーダーシップ、ティーチング、コーチング、昇格前のリーダーシップetc.昨年女性活躍を推進する企画がスタートし、業務職ステップアップ研修を今年にかけて3回ご一緒させていただいた。他の企業でいうところの一般職に相当するが現場の営業系のメンバーをグリップする重要な役割の方々が大勢いらっしゃる。

 そんな女子ばかり81名によるのべ三日半にわたる研修は迫力と感動があった。男子に交じったときの立ち居振る舞いと女子ばかりの中でのそれには大きな違いがあった。半歩下がって男子の言動を見るという機会がないことから、あらゆる場面で積極果敢に発言やリーディング行動が表出した。客観的にみても明らかであったが、何よりもそのことを強く感じて新鮮に感動したのはご本人達であった。GMS81と謹んで命名させてもいただいた。

 最終日の最後のクロージングの瞬間、受講生全員の顔の輝きとクラス全体から伝わってくるオーラの強烈さには圧倒された記憶が鮮明に残っている。

 さて、時と場所が変わって昇格前のリーダシップ研修でその時の女子達と再会した。今度はいつものとおり比較的若い男子に混じって(約4人にひとり)のディスカッションだ。お昼休みに再会を喜びながらの情報交換の中で次のようなお話を聞かされた。男子の中に混ざると女子ばかりのグループで発揮できていたパフォーマンスが思うように出てこない。どうしても聞く側に回ってしまい、どうぞという気持ちとスタンスになってしまいがちだ。とはいえ、以前は引いてしまったらそのままだったのが、いまは半歩出遅れる感はあるが、そのままでは終わらず必ず出て入り込むことができるようにはなったと。

 当の男子達には自分達だけで前に進んで女子は放っておけばよいという積極的意思や悪気は毛頭ないことは明らかなのだが、いったい何故にそうなるのか?

 そこには不作為の作為が存在しているのではないか。男子達が普通に振舞うことは全くの不作為である。ところが普通の状況では前に出にくかったり、普通に話しが進んでいけばそれでいいかとなってしまいがちなメンバーや状況があり得ることに気付かなければならない。そこまで慮ってメンバーや場をリーディングしてこそ真のリーダーシップではなかろうか。

 普通に普通にやってしまう男子達の不作為が、結果的には作為的に女子の発言やパフォーマンスの出番を抑え込んでしまっている可能性は高い。女性の活用が叫ばれるようになってからもはや久しい。管理職の5%を女性にすると目標を掲げている大企業や、CEOに女性を擁するグローバル企業もたくさんある。

 放っておくと外と内という生物学的役割分担の鞘に収まってしまいかねない父性と母性なのだから、性別にかかわらず父性的パフォーマンスも期待されるビジネスの場においては女子の頑張りだけではなく、それ以上に男子側の配慮と逆の作為が求められる。

 男子側が何も意識せず何ら配慮ある言動を行わないと、悪気はないが不作為の作為を通じて女子の能力発揮機会を駆逐してしまう可能性があることを自覚せねばならない。
 2013/09/05 09:36  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
倶楽部メンバーシップ考
 法務の分類にしたが、それはほんの一部に過ぎず大方コーヒーブレークとしてご笑読あれ。

 地元のゴルフ倶楽部のメンバーになって二年と数カ月になる。私のような社会的地位も経済力も十分でない人間が検討することすら憚られるような名門ではないが、身の丈で楽しめる割にはそれなりの歴史と伝統がある倶楽部だ。

 開場は1970年代の初頭で、パーシモンの時代には日本プロも開催されたコースである。バブル絶頂期には会員権の相場が1億の大台を超えたこともあるが、御多分に洩れず民事再生を経て現在に至っており、私のレベルには経済合理性とコンテンツ合理性を兼ね備えた程よいコースである。

 さて、メンバーになって2年チョイの間で自分の中に芽生えつつある立ち位置が二つある。
一つは倶楽部じたいの歴史と伝統とメンバーさんが醸し出しているコミュニティのアイデンティティへの畏怖である。怖れおののいて近寄りがたいという意味ではなく、荘厳な奥深さを感じるので自分もその一員として従属ではなくごく自然な帰属を認められる対象になれるといいなという精神的コミットメントだ。教育訓練が行き届いており、いつも快適に過ごさせてくれるスタッフからもそれは醸成される。

 もうひとつは、経済的運命共同体のような思考特性だ。億単位の投資が紙屑と散った投機の対象としての会員権については、それが財産権なのかプレー権に過ぎないのか、両者の特徴をどの程度どう合わせ持つものなのかは、数々の紛争を通じてさんざん議論されてきたことは周知のとおりである。

 投資(投機に至っては当然)とはそういうものであるが、ここにメンバーは会員権の経済的価値の存続(いまさら相場としての利ザヤを期待しているメンバーは希少だと考えられる)を通じて、倶楽部の経営状態とベクトルを同じくする運命共同体を構成することになる。

 前者がゲマインシャフト的共同体の特徴で後者がゲゼルシャフト的であり、すなわちゴルフ倶楽部は両共同体の側面を併せ持つハイブリッドなコミュニティなのだ。私が所属する倶楽部は、月報に前月の入場者数と客単価と収益を報告してくる。おのずとメンバーとしての立ち居振る舞いと倶楽部としての経済合理性のバランスをとる方向にモチベーションが働くことになる。

 「ご自宅の天候が悪い場合でも早まってキャンセルすることなくコースまで足を運んでみて下さい。天候というのは意外にも局地的なもので、気持ち良くプレーできる場合も少なくないですよ!」との文言を商魂たくましいと評することもできるが、両共同体的価値感を合わせもって読解すると涙ぐましい愛すべき文章と私の眼には映る。

 メンバー同士の昼食時にこんなことが話題になったりする。昔は朝突然訪れても回れないことはなかったが、最近いっぱいだと断られることが増えて腹が立つと弁を振るわれる大先輩がいるらしい。いくらメンバーとはいえ前の日に電話で確認を入れるくらいエチケットだよね。また、毎週末自分とゲスト3人でひと組予約を入れておき集まらなかったらキャンセルフィー期限ぎりぎりに手放して自分だけメンバー枠でちゃっかりプレーを続けている人もいるらしいなどと。

 スポーツクラブでもこんな光景に遭遇する。プールのコースで大勢で井戸端会議を楽しみながらゆっくりと歩き続けるオバタリアン。自分の泳速を無視して中級コースでのたうっている御年配。これらは日本中の通常のスポーツクラブの日常だろう。

 ところが一段ハイクラスのクラブですら次のようなシーンが発生する。普通クラスのクラブほど込み合わないのをいいことに、3人でプールの1コースを占領して教え魔のおっちゃんが二人のおばちゃんにプライベート・プライベートレッスンを延々と繰り広げるおっとどっこい。

 ゴーグルではなく水中眼鏡を装備して、50mを4〜5分かけて遊泳なさる常連のオヤジさん。それだけでもどうかのうであるが、あるときそのオヤジさんが後から侵入したコースでもともと泳いでいた常連さんがプールガードの一声に激怒した。プールガイドの兄ちゃんも冷静に後先を見ていればよかったのだが、あわてたのだろう。あまりにスピードの異なる二人が1コース内で難泳(水中眼鏡のおっちゃんは素知らぬ泳ぎっぷり)しているのを見かねて、隣のコースが空いたと見るやたまたまガード側に先に泳ぎ着いたので、初めから元のコースで泳いでいたストレスが溜まっているであろうスイマーの方に「隣が空いたので、どうぞ」と言ってしまったのだ。

 そこで大爆発が発生、後からコースに来たのは彼の方だろう!彼が移動するのが筋だろうが!と大声でプールガードを叱責し、その声は反響を伴ってプール中に響き渡る。いやはや、そのような光景は見たくもないし、たとえ見えなくても自分が所属しているコミュニティであっては欲しくないというのが私達メンバーの共通の思いであると考えたい。

 ネット社会における会員とは異なりリアルなコミュニティとしての会員の関係や空間には、ルールや規則だけでの線引きではないエチケットやマナーを通じたお互いさまという気遣いが必要であり、そこのとがコミュニティのアトモスフィーや質的世界観を醸成していくものだ。

 ちょっとした出来事のプロセスで、私に“心地よいように”と看破された方がいらっしゃる。素晴らしい感性と思いやりにグッとくるものがあった。そのような体験と学習をもたらしてくれるのもまた倶楽部(クラブ)の存在価値であり所属価値なのだろう。
 2013/09/04 21:18  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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