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今年一年
今年は何と言っても久々に動けないほどの腰痛に見舞われたことが最大の事件だった。

 2月の終わり頃にちょっと軽めに“グキッ”となったが、騙し騙し過ごすこと約二週間。3月8日の東京出張に行く車中でなんだかなぁ‥。夜はサバティカルでウォートン校に行かれる早稲田の井上教授をクライアントの専務に紹介する呑み会をキャンセルすることもできず。
椅子ではなくて座敷だったことが致命傷となり。ところが、このとき専務から入手した銀座の病院情報が翌日私を救うことになる。

 9日の朝一のアポは後輩がやっている会社だったので、無礼講で何とか凌いだものの、不動産関係のS社長とのランチミーティングはキャンセル。そのまま病院に直行して座薬を入手して這うようにして神戸に帰還。楽しみにしていた研修の受講生達との大阪での呑み会もキャンセル。

 独立して8年になるが、後にも先にもアポをキャンセルしたのはこの日が初めてだった。この8年間で一度も風邪をひいていないことがテンションの高さを示しているが、当該テンションは物理的には腰に良くなかったらしい。遡れば、冬ゴルフを避けて1月2月と運動不足に陥っていたこともその原因の一つと考えられるので、来年は2日に初打ちを行い、1月も2月もゴルフは続ける予定。

 関西で小さくスタートしたファッションビジネスリーダー養成塾は、好評のうちに2月のトッププレゼンに向けて年明けにはエンジン全開に。来年は東西で2クールやりたいねと共催社さんと。10月以降の怒涛の中堅社員研修も年明けの1日程を残すのみ。

 50周年を迎えた老舗ブランドのMDの面々とは、検証ミーティングの都度熱い議論が継続中。IT企業で活躍中の高校時代の同級生の部下をアセスメントさせていただき、その彼は来年面白いところに転職するのでまた何かありそう。

 商社と進行中のプロジェクトも来年はいよいよ具体化し上市が期待される。厚木に稼働する新物流センターも楽しみ。古着業界の動向も何やらありそうで、セレクトとは新しいブランドで検証ノウハウの伝授がスタートした。子供服の業界も少しだけではあるがワサワサする気配ありで。

 流通科学大学でのファッションマーケティングは、夏期集中講座にしてもらって大正解。真夏の三日間はハードではあるが十数名の学生ととても濃い時間を過ごすことができた。打ちあげの呑み会でも熱い議論を戦わせることができた。考えてみれば息子達とズバリ同年代の学生達。自分の息子達とはそんな話はしたこともないし、することもないのだろうな‥。来年もそのパターンで三年目に突入。

 そして今年のマイブームは、宇宙と生命の起源と素粒子理論という自然科学の原点と明治以降昭和の近代史。数十冊しか読破できておらず、手元には数十冊が積読状態。私たちは今生かされている世界のことと、今まで生きてきた時代のことをあまりにも知らなさ過ぎることを痛感し、読んでも知っても尽くせない情報の質と量とに圧倒されながらも、勉強あるのみ。

 誰かがどこかにこんなことを書いていた。残りの人生で読むことができる本はせいぜい千冊から二千冊。だったら、厳選しないととんでもないことになると。

 そんなこんなで、今年もあと数時間を残すのみ。弊社にとっての9期目がスタートする。
 2012/12/31 17:41  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
三菱自動車が騒がしい
三菱自動車のリコール騒動が収まらない。

 30年ほど前のことになるが、田舎の大学生の間で「三菱のクルマはエンジンが落ちる」とまことしやかにささやかれていた。同社の工場をかかえる水島工業地帯を背にした岡山での与太話に過ぎない。大学での最終年にはギャランのΛ(ラムダ)に乗っていたが、エンジンが落ちることはなかった。

 とある商標権の棲み分けの議論をさせていただいたご縁もあって、社会人で最初に選んだのはRVR、四駆×カンガルーガードが決め手だった。HONDAのCRVのデビューに即買いで三年しか乗らなかったが、大震災を乗り越えて大きなトラブルに見舞われることもなかった。

 今は最新のHV車に乗り換えたばかりで、十数年前に初めて乗った当時のHVと比してその進化のほどに驚かされる。慣らし中なので直六ツインターボの実力を体感するのは少し先になるが、モーターとエンジンのシームレスなシンクロに満足している。

 工業的技術は右肩上がりに進化していくことができるが、人間や組織の技術に相当する“スタンス”はそうではないらしい。組織やそれを構成する人々にしみ込んだ遺伝子というやつは、学習効果や変化、進化とは無縁で、組織粘着性が極めて高いもののようだ。

 情報的経営資源による競争優位性を身につけると暫くは一人勝ちができると言われるのは外からは見えにくくて真似され難いからだ。染みついた負の組織体質も情報的経営資源と言うことができるが、それは劣後性の源泉となり一人負けをもたらす。これも見えにくいので改善することが困難なやっかいなリソースだと言える。

 原発事故界隈でも散見されるこの負の経営資源は昭和の落し物なのだろうか。
 2012/12/27 06:56  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
アメリカの自由
米国の自由が問われている。

 銃による悲惨な事件が発生するたびに俎上には上るが、その都度“所持することの自由”の方が優先されてきた。今回もオバマ氏の涙とは裏腹に、規制する方向に進むことはないだろう。

 アメリカでの銃の問題は、自由と公共の福祉とのバランスをどう取っていくかという論点と“自分のことは自分で守る”という強い信条が絡み合うことから、両論あいまみえるものの着地点は見えている。銃は米国の文化であり、遺伝子そのものと言うこともできるので、それに法規制が優越することは極めて困難な挑戦となる。
 
 その一方でわが国には奇跡的な歴史的転換点が二つある。其の一は、明治維新の過程で武士達がいとも簡単に刀を置いてちょんまげと切ったことだ。もっと古くは秀吉による刀狩もあったが、数百年続いた文化というより魂にも等しい刀を納めることができる転換能力は、稀有な才能と評価することもできるし、そんなに薄っぺらなものに過ぎなかったの?と疑問を呈することもできる。

 其の二は、太平洋戦争敗戦時の武装解除の潔さである。小さな小競り合いはいくつかあったが、相当の覚悟をして上陸してきたアメリカ軍にとっては信じられないほどの円滑なプロセスだった。

 この変わり身の早さは環境変化適応力という点では誇るべき遺伝子であるが、文化や伝統を継承するという視点では、甚だ心もとない性向と言わざるを得ない。その後、世界一自由を標榜する米国が、占領下で我が国に施した言論統制の事実はあまり議論に上ることがない。彼らにとっての自由とは普遍的に全人類に存在する自由を言っているのではなく、あくまでも自己都合の自由を貫徹する手段として、必要があれば他の国家や人種の自由を制限することは自らの自由主義と矛盾するものではないといういささか身勝手な論理の側面を有している。

 世界に先駆けた戦争と軍事力放棄の憲法も、その後のアジア情勢と冷戦構造の中で“やっちまった”状態に陥ってしまって半世紀以上が経過した。米国が彼我の境界をどこにおくのかも見ものであるが、数時間後に趨勢が判明する我が国の次なる体制のお手並みも、とても見ものとは思えない情勢ではあるが、見守っていきたいと思う。
 2012/12/16 18:15  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
盛り上がりに欠けるのは
明後日の投票日に向けて最後の議論が繰り広げられているが、いまいち盛り上がりに欠けるのは何故?

 それぞれ消費税、原発、景気対策、議員定数削減など個別の政策についてのスタンスは伝わってくるが、それを超えるものがなかなか見えてこない。それらをいくらどのように紡いでみても一枚のテキスタイルにならないのである。

 かつて坂本竜馬は、「諸藩間で内輪の主導権争いや恨みつらみの議論をしていてどうするのか?、諸外国からの脅威にさらされている今、おまんらこの国(当時国といえば藩のことを指し、日本という国家概念はなかった)をどうしていくべきと考えるのか?」と大義の視座をもってして薩長同盟を成立させた。

 そう、そのような大きな流れと大義が見えて来ないのだ。

 大航海時代があって、植民地時代があって、文明化のスピードで後塵を拝した日本の大東亜共栄圏構想がもろくも崩れ去り、敗戦があり、GHQの諸施策があり、米国による壮大な民主化実験が試みられ、痛恨の第9条となり、安保条約につながり、高度成長期を謳歌し、バブルがはじけて、20年間を失って…。

 その間この国が失ってしまったものは“文化”であり、捨て去らねばならないのは過度に“文明”にのみ依存する社会のあり方だ。最少資源をもってした最大豊潤な社会のあり方や人間の生き様を世界の範として指し示すことが日本人にのみ可能な最大の世界貢献ではないだろうか。“もったいない”が世界に通じる言葉になったように、私たちの質素倹約の遺伝子は世界に誇るべき日本の証である。

 そのような大義が見えてくれば、投票所に向かう足取りも軽くなるのだが…。重たい日曜日になりそうである。

 ボルトに大量の不具合が発生し経済合理性を伴って解決することが極めて困難な実態も、文明には物理的経済的限界があることを示している。その点、文化とそれを源泉とする精神的満足に限界は存在しない。

 サステナブルとは、そういうことではないかと思う。


 2012/12/14 07:58  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
デジタルの逆機能
マックス・ウェーバーは官僚制の特徴として「権限」「階層」「専門性」の三原則とともに「文書主義」を挙げ、逆に個人の自由が制限されたり肥大化した組織が制御困難性に陥るリスクがあると予見した。

 その後マートンが官僚制の逆機能として、「規則万能主義」「責任回避自己防衛傾向」「秘密主義」「前例踏襲主義」「画一的」「権威主義」さらには文書の氾濫、セクショナリズムの台頭を指摘した。

 日経夕刊のプロムナード欄で中村和恵女史が嘆いておられる。かつてのワープロ専用機を懐かしみ、現代のPCバンドルソフトがしでかす変換ミスを批判する。クレオール(混合、混種)・ライティングと言うこともできる日本語のタイプをソフトの言いなりに任せておくわけにはいかない。ところが、既にソフトが下す判断を正しいと思いこむ世代になってしまっていると。

 彼女はシャープの“書院”を高く評価しているが、私もMBA時代の前半はNECのワープロ専用機“文豪”で日々のレポートと格闘した。修士論文はコンパックの初代オールインワンマシンで作成したが、そのときのワープロソフトは“一太郎”だった。

 当時三歳になる長男が適当にキーボードをたたいて「ぷさんぴ」と出てきてこれは彼らしいいい響きだと感動したり、スクリーンセーバーのミカン星人に釘付けになっていた光景が懐かしい。

 確かに海外生まれの日本語変換ソフトには違和感を感じるが、代わりにATOKを入れても、せっかくの日本語変換の優位性を打ち消すほどのおせっかいな付加機能がたくさんくっついていて、返ってストレスを感じる場合も少なくない。

 ましてや携帯やスマホの予測変換においては、私達は文章を考える機会を半分放棄させられてしまう。いつも打ち慣れたステレオタイプな文言で要件を伝えることはスピーディになったが、果たしてそれで相互のコミュニケーションを育むことができるだろうか?

 中村氏は言葉の文化の劣化を憂い、思考のための基礎技術としての日本語の勉強の重要性を強調しておられるが、まさにその通りだと賛同する。

 デジタル社会は文明の利便性と引き換えに私達の文化とそのインフラである日本語の能力を確実に蝕みつつある。それらを取捨選択する理性と、それらに過度に頼ることなく研鑚しなければならない人間力が問われている。

 かつてSPAの業務ロジックのあるべき姿を議論していた90年代半ばに、ITベンダーとのオフィシャルな会議で「在庫ロスは財殺す」と熱弁して失笑をかったのはこの私です。
 2012/12/11 07:03  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
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プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

北村禎宏 プロフィール
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