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アパレルを破綻させる○○の嘘
“世界経済を破綻させる23の嘘”(ハジュン・チャン著)では、薄々感付いてはいたけど、やっぱりそうかという嘘が23個列挙されています。

 アパレル業界にも同様の嘘がまかり通っている可能性は否定できません。23個もシリーズ化できるかどうか保証はできませんが、いくつか気になることを申し上げたいと思います。

 チャン氏がこきおろす経済学のような学問分野では、理念系という概念が重要な意味を持ちます。簡単に言うと、一切のノイズが入らない純粋な実験室では、かかる現象に必然性と再現性があるから、それは理論だというものです。

 ノイズや純粋の意味が、典型的な紋切り型(ステレオタイプのような)の議論に陥ったときに理念系の誤謬が発覚してしまいます。氏が強調するのは、マルキストの予見に想像力が不足していたとか、自由市場資本主義者が信奉するロジックに欠陥があるという単純な白黒の議論ではありません。それぞれの対象と内容を細やかにチェックしていかないと、経済現象のような複雑なシステムを二極対立的に言いきってしまうことは危険であるという論旨です。

 さて、私たちを取り巻く実務においても同様の議論に陥るリスクは点在しています。ざっと頭に浮かぶだけでも、その対象領域は“デザイナー(クリエイティブ)”“ロジスティクス”“情報システム”“契約”“品質管理”“店頭販売スタッフの処遇”など、枚挙に暇がありません。

 23個も論う能力とモチベーションがあるかどうか不明ですが、今回はもっとも端的な情報システムを取り上げてみることにします。

SPA型の業務を支える情報システムの「要件定義」〜「蓄積データの活用」〜「インフラのリプレース」〜「テータ活用のさらなるバージョンアップ」を20年来の生業としている私として思うことは以下です。

よく言われること
 1)うちの会社は、最先端の情報システムを実装したからもう大丈夫という声。

 2)情報システムなど、アパレルの業務には糞の役にも立たないという声。

 3)うちの会社は、システム投資をしてくれないから現場のリテラシーが上がらないという声。

だが真実は
1)最先端の情報システムを、どのような定義で選別、採用していますか?システムの栄枯盛衰は早くて複雑です。元売れっ子の薹が立った現在コストの超高い女子に暗いお店で大金を払って後悔した経験はありませんか?そして、システムが単独で何かのいい仕事をしてくれる訳ではありません。システムを使う人間の仕事の仕方がどう変わるかが問題なのです。人に対する投資が先か、すくなくとも同時であることがシステム投資の必要条件となります。

2)役に立たないと声を荒げている御仁は、この時代に至ってもなお、一般ピープルには無用の長物であるフェラーリやマセラッティの所有を否定するのと同じ延長上で軽四の経済性と利便性までも無視して、馬車を使って日常生活を営んでいる滑稽なお姿に映ってしまいます。要は、クルマという道具を全否定することは全くのナンセンスで、どんなクルマをどう乗りこなすライフスタイルなのかを正しく規定できるかどうかの問題です。

3)素足で走っても、馬車を使っても、目的地にはいずれ到達することは可能です。そこでかいた汗の量とその姿がどれだけ観客を魅了することができるかどうかです。経営者という観客を魅了するだけの汗を私たちはかいていますか?という問題に帰結することになるのです。

気が向いたら、23個までシリーズ化してみます。
 2011/02/28 20:49  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
なんでクライストチャーチやねん
クライストチャーチが大きな地震に見舞われたという報に接し、とても悲しく複雑な思いに苛まれています。

 大半の皆さんにとっては、彼方の小都市に過ぎないはずですが、私にとっては特別な街のひとつだからです。

 岡山市で生まれて倉敷市で育った私は、倉敷の姉妹都市であるカンザスシティでのホームステイが大きな原体験となり、その後の人生に少なからずの影響を与えたことは以前にも触れさせていただきました。

 実は、もうひとつの姉妹都市がクライストチャーチで、オーストラリアにワーホリをしたついでに二週間ほど足を延ばして、いろんな思い出と+αの原体験を享受した思いで深い街なのです。

 あの大聖堂が崩れ落ちてしまっている映像には、思わず目を伏せざるを得ませんでした。その前庭で遭遇した漫画のような光景(この文脈でそのエピソードを詳しく語ることはできませんが)が今でも昨日のことのように思い出されるからです。

 温和な土地柄で育ったことから、地震がこわくて東京の大学にも会社にも入ることを避けた私が、神戸で大震災に遭遇したことは逆説的皮肉と言うことができます。逃げてるとぶつかるというパラドクスです。

 シドニーやクライストチャーチは、嫁はんと老後に思い出ツアーを実施したいナンバー1と2の都市ですが、そのうちのひとつが当時の原型を崩さざるを得ない事態に陥ったことは深く悲しむべき出来事です。

 とはいえ、20年来東京に毎週出張する生活を送っている私が、今度は関東エリアで地震に見舞われる事態はかなりの確率で起こりえる笑い話ということになります。その時には、笑って語ることができる場所には居ない可能性もありますが、たかが一個人の思惑と自然の大きな営みとの間には比較しようもないギャップが存在しているようです。

 意思と思惑に沿った生き方を貫きたいという思いと、自然がそれをどう受け止めてどう処してくれるのか…。それを神の思し召しと位置付ける思想的背景は私にはありませんが、自分や人間の所作を超えるより大きな世界とメカニズムの中で生かされているのが私たちである
という実感は否定することができません。

 ガイアという概念がそれにもっとも近い言い回しです。
 2011/02/23 00:33  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)
遅ればせながら
ジャレド・ダイヤモンド博士の「銃・病原菌・鉄」の上下巻を読破することができました。 同著は朝日新聞が主催する“ゼロ年代の50冊”の第一位に輝いた名著です。

 私たち人間には、二つの相矛盾する感情が交錯します。自分の才能や努力が結果に結びついて、それが評価されたり報われたいという思いが其の一です。ところが、結果においては必ずしも思い通りにいく筈もなく、様々なバイアスすなわち外部環境や他責に置き換えて言い訳をしたくなる気持ちが其の二です。

 後者の行き着くところは環境決定論であり、そうなると個人の尊厳や多様性が相対的に矮小化されてしまう可能性もありますが、ダイヤモンド氏は、民族や人種すなわち人類がそれらによって規定される能力や指向の差異は皆無であると看破します。

 エッセンスを語るだけで数回のブログネタになるほどの大作ですが、今日はもっとも大きな背骨を抜き取った議論を展開してみます。

 タイトルの三種の神器は、人類の歴史において征服する者とされるものを分かつことになった三大要素を表しています。しかしながら、それらは表面的な要因に過ぎず、それらの差異を人類にもたらした根本的要因は何かという問いを追求していくのです。

 その根本は、家畜の飼育を伴う食料生産を行う社会にいち早くなることができたかどうかの違いであり、その違いはたまたま居た場所の周囲に栽培化可能な植物や家畜化可能な動物が居たかどうかに依存しているという訳です。

 そうした条件に恵まれただけの地域の人々が余剰食料を生産することができる社会を発展させ、狩猟採集に携わる必要のない人々を生みだし、彼らが専ら治世や研究開発に専念することができたので、ひいては鉄が精錬され銃が発明されたのです。

 さらには、家畜の体内で突然変異し人体に影響を及ぼす数多くの病原菌に対する抵抗力も彼らは身につけることができ、植民地化の歴史において鉄器や銃器の殺戮の数倍〜数十倍の殺傷力を発揮したのは当該現地人にとって未知のウィルスでした。

 それらのメカニズムを企業活動に当てはめてみます。余剰食糧に相当する余剰利益を獲得することができるようになった企業は、ライン活動に携わる必要のない余剰人員をクリエイティブや活動や未来の開拓業務に充てることが可能となります。

 彼らが、鉄〜銃に相当する競争優位の高い産出物をアウトプットすれば結構なのですが、一歩は違えるとパーキンソンの法則が当てはまりかねません。
 
 また、ライン活動を通じて様々な現場の病原菌に対する抗体や抵抗力が身につくだけの泥臭い業務実態がラインになかったとしたら、彼らもまた未知のウィルスに遭遇したときに全滅の運命を免れることはできません。

 ラインを抵抗力溢れる状態にキープしながら、余剰の人員で競争優位性を獲得し続けることが企業活動の本質に他ならないと、本書籍から確信させられました。

 GDPが三位に転落したことがいろんなメディアで取り上げられましたが、私たち人類の社会を本当に支配していて、その動向を指し示している指標はもっと別のところにあるのではないでしょうか?
 2011/02/20 18:47  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)
未知との遭遇
中東を起点にしてアラブ諸国に伝搬する社会運動を見ていると、一見して我々人類にとっては未知との遭遇と感じざるを得ません。

 これまで、技術や文化すなわち情報の拡散と途絶を支配していたのは地理的自然環境にありました。人類の歴史は、海峡や山脈、砂漠などの自然障壁によって促進と制約を受け続けて現代に至っています。そこでは一定の時間と偏在を余儀なくされましたが、自然環境が条件となっている以上、それは自然な流れであったということができます。

 そこに登場してきたのが、人為的所産であるインターネットと携帯です。これらの文明の利器が一気に流れを変えてしまう勢いを感じます。人間が作り出したものなので自然だということもできますし、そうではない自然の流れに反するとも言うことができる極めて微妙な議論になります。

 これまで数万年の歴史を左右してきた地理的気候的環境要因に、電気的信号要因がとって変わろうとしています。これを未知との遭遇と表現してしまう我々は、普遍的な議論を展開している可能性と、限定的議論に終始している可能性の狭間に立たされます。

 私たちの意志や感情などの人間的活動も、脳を中心とする神経系の中で起こっている電気的化学反応に基づくものであることから、インターネットや携帯による情報伝達と処理のプロセスの登場と拡散は、人間がその個体を超えて新たな神経系を入手して進化の過程にあると理解することも可能です。

 未知との遭遇と思う私たちは表層を生きている肉体としての仮の私たちに過ぎず、遺伝子的にはその真相は既知への回帰の可能性大です。

 かかる議論に影響を与えている原著は、「利己的な遺伝子(リチャード・ドーキンス)」と「銃・病原菌・鉄(ジャレド・ダイヤモンド)」ですが、両著に関する言及は別の機会に譲ることにいたします。
 2011/02/16 21:37  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
すがすがしい休日でした
姪の結婚式で岡山まで行ってきました。

 22歳の新郎と21歳の新婦の若々しさと、その仲間たちの元気さにいろんなエネルギーをもらいました。

 原稿を持たないまま、澱みない主賓の挨拶をこなされた新郎の上司の方。それぞれの友人代表は、手元の原稿を読み上げながらも気持ちのこもった暖かい言葉。女装男性も混入しての、AKBならぬABC48の余興。

 新婦から両親への感謝の言葉では、年に数度しか会うことのない叔父の私ですが、これまでの彼女の成長の足跡が脳裏を駆け巡り、グッとくるものがありました。

 子は親を思い、親は子を思う。人として至極当たり前のことですがそれが出来にくくなってしまった現代社会。

 でも彼と彼女なら、きっと素晴らしい家庭を築いていくと確信しました。素敵な家族と友人、上司に恵まれて。

 二十数年振りの新幹線での嫁はんと二人のミニトリップもちょっと新鮮で。1分たりとも仕事をしなかった日は滅多にないこともあって、とても清々しい一日を過ごすことができました。
 2011/02/13 16:42  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
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プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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