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加護野ゼミOB合宿(2)
加護野ゼミOB研修旅行記の第二弾です。

 NTNさんの岡山工場に続いて訪問したのは林原生物化学研究所です。学生さんから社会人まで年間4000名程の見学者が訪れるそうで、案内いただいた広報のご担当者も大変手馴れておられました。

 数年前に林原健社長が「私の履歴書」を執筆されましたが、株式公開企業ではないので、比較的パブリックな情報が少ないことから、とても貴重な初耳情報がたくさんありました。

まずは、経営の羅針盤とも言える基本ポリシーから。
 1)Only Oneでその分野でNo1を目指す
 2)商品や研究テーマはシーズから(消費者ニーズからは入らない)
 3)戦略的に非上場を貫く(小さくても存続できる企業を目指す)
 4)メセナは企業の生命線(慈善事業として実施しているのではない)

 マーケティングを行うと、他の(大)企業と一緒になるので、それでは林原の良さが出せないので一切マーケティング活動は行わないとのこと。石井淳蔵先生とバトルするとどんな議論になるだろうかと皆でささやき合いました。

 また、林原社長は異分野の知識、経験こそが創造力の原点であると考えておられ、メセナの諸活動がまさに創造的研究活動の源泉となっているそうで、そういう意味でメセナが生命線なのだそうです。ちなみに類人猿研究センターのチンパンジー諸氏は、人間である社員と同等にさん付けで呼ばれて大切にされているそうです。

 もっとも驚いたことは、広報ご担当者の“うちの社長は、グループ全体の売上や利益をおそらく知らないと思います…”というお言葉。経営のそういう部分は弟さんでいらっしゃる専務が取り仕切っておられるのでしょうが、トップが売上や利益にそれほど大きな関心を持たないというところに同社のユニークさと強さを感じました。

 翌日のゼミでは、林原さんの見学を受けて、「ファミリービジネス」がひとつのテーマとなりました。ファミリービジネスとは広義には非公開の企業であり、狭義には同族、家族経営のオーナー企業を意味します。ニッチな案件、リスクの高い案件、成果を見るまでにかなり長期間を要する案件など、ファミリービジネスでないとコミットできないものがたくさんあります。事実、林原社長は“5年、10年を要する研究テーマの選定は全て自分で行う”と。

 変化の激しいマーケットでコミットすることの非合理性とリスク分散の共存がもっとも上手い企業の一社がアパレル業界にもありますが、彼らが非上場の道を歩んだのも同じような文脈を読み取ることができます。 実際、上場を果たしたファミリー企業の約三分の一は上場後もファミリー経営を貫いているという研究結果もあります。

 10億円ものお金が使い込まれることを見過ごしてきた某団体の会計課の方々。他人様から預かったお金なので文字通り他人事だったのでしょうね。1989年に当時の社長の“パブリックカンパニーを目指す”という上場宣言を聞いたときには鳥肌が立ったのですが、“公”とか“パブリック”という言葉に妙に空虚な響きを感じざるを得ないのは、気のせい?それとも、齢のせい???
 2008/04/27 15:54  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
加護野ゼミOB合宿(1)
加護野先生とゼミOBの方々と恒例の研修旅行に行ってまいりました。

 今回の訪問企業は、NTNの岡山工場と林原生物化学研究所です。
前回、宮崎のダンロップのタイヤおよびゴルフクラブの工場見学とシーガイヤでの丸山CEOとのディスカッション以来、約一年半ぶりのゼミ合宿でした。

 まずは、NTNから。東洋ベアリングと言うと、ピンと来る方も多いと思いますが、ベアリングの大手優良企業で、岡山工場では自動車用の等速ジョイントを生産しておられます。

 最初の感動は、ここで生産された等速ジョイントが、はるばる海を渡ってバイエルンでアセンブリーされて再び日本に戻ってきて私の愛車を支えてくれていることを始めて知ったことでした。

 そんな個人的感傷はさておき、当日のサプライチェーンの視点から見た議論のポイントは、海外のサプライヤーには真似が出来ない日本的サプライチェーンの特徴と強みは何かということでした。

 一言で言うと、「サプライヤーが後工程の工場を止めてはならないという供給責任を、契約上の条件としてではなく製造メーカーとしての倫理観として強く持ちあわせている。」ことです。

 NTNのサプライヤーとしての倫理観がトヨタをはじめとする自動車メーカーの供給力を支えており、詳述は避けますが、住友金属がJRを支えているという図式です。そのおかげでJRは安心して世界に類のない正確無比なダイヤを維持することができ、ひいては電車で通勤したり移動するビジネスマンの不遅刻を支え、分単位のアポイントを可能とし、結果的にわが国のあらゆる企業の利潤の源泉になっていると。ただし、それらは契約書の上で明示されているわけではなく、サプライヤーの精神の中に存在しているものなのです。

 そのことを最初に指摘したのはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」で、そこでは“人間の仕事は他の人間によってチェックすることはできない”と説かれています。すなわち、契約書上の条件で相手方の行動を本質的に律することはできないのです。この議論は、モチベーションで言う、“内発的動機付け”や“内省”というキーワードにも通じているなと感じました。

 NTN見学から導出された知見には、二つの含意があり、ひとつは“サプライチェーンの書かれざる見えざるルール”ともうひとつは“各企業の利益の源泉は、企業や業界の枠組みを超えて存在する社会資本的な価値連鎖の中にある”ということです。

 林原生物化学研究所と、宿泊およびゼミナールに使用した直島のベネッセハウスのお話は次回に。 
 2008/04/21 19:48  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
24年の歳月を経て(2)
総合商社の新入社員の方々との三日間の真剣勝負が終了しました。

 ずっとしゃべりっ放しという訳ではありませんが、さすがに連続して合計26時間のプロセスオーナーを貫徹するとさすがに疲れました。とはいえ、強くコミットできた研修の後にいつも感じることですが、それは自己破壊的に沈殿する疲労ではなく、次なる自分に繋がる正のエネルギーとして創造的に蓄積するとてもさわやかな疲労感です。

 私の社会経験の年月を下回る年齢の方々を面前にしていることに改めて驚愕(おおぉ、こんなにオッサンになってしまったのか…)しながらも、全く違和感なく時間を共にすることができたのも、受講者に皆さんの素材としてのレベルとモチベーションの高さによるものと感謝しております。

 随所で、「私のビジネススキルの源泉は、実は皆さんの先輩から授かったものである。」ことを引用しながら、予め用意されたプログラムの他に、私がその先輩から教わった原理原則をいくつも紹介させていただきました。教わったから、教える。借りたから、返す。授かったから、捧げる。人間にとってごく自然で、当たり前の感覚ですよね。法律とか宗教の前に、そのような哲学的普遍的モチベーションが我々には生まれながらに備わっています。

 法律の世界も、普遍的で一貫した思想で貫かれているからこそ、法が法たる所以ですが、少なくとも一つ腑に落ちない二つの規定が知的財産権の中に共存しています。それは、特許で保護される発明と不正競争防止法で保護される営業秘密です。特許法の思想的根拠は、「人類にとって発明という行為が奨励されて無限に生み出され続けることは文明の発展を通じた社会の進化にとって不可欠のものであり、そのような発明が容易に他者に模倣されることでオリジンを生み出すモチベーションが阻害されることがあってはならないので、逆に一定期間は発明者に独占排他的権利を付与してそのモチベーションを維持する。」という考え方です。

 片や、不正競争防止法の下で保護される企業秘密は、「経済的競争はフェアに行われるべき(この点では独占禁止法の思想に近い立脚点ですが)という考えに基づき、物理的な犯罪である窃盗の構成要件を援用したスキームに支えられています。経済的競争や物理的犯罪は我々人間が後付けで行っている手段としての行動に過ぎず、人としての本質的目的や衝動と比べると一段下のレイヤーに属する行為と言うことができます。

 つまり、特許法は人間の本能的衝動を奨励、保護するためのものですが、営業秘密は人間の下衆な利己的な衝動を律していることになります。ここで、本能=利己という前提をおいてしまえば、同じ思想であると考えることもできるのですが、私は人間が持っている本能的自己実現欲という意味での本能と下衆な利己とは全く次元が異なるものと考えます。

 前者は生態系という、より上位の生命体の中に存在する遺伝子としての人間が次の世代に進化的突然変異を期待しながら情報を伝達していくことをミッションとしているのに対し、後者は当世すなわち自分だけがとても下品な利得を得られることができれば、後のことは「わしゃ、知らん。」というスタンスに過ぎないと私は考えます。特許法は前者に依拠していますが、営業秘密の保護は後者の位置づけとしか感じられないことが私が腑に落ちない理由です。

 情報を出すから情報が得られる。情報を得たから情報を出す。この本能的衝動に対する自由度が狭くなってきたことが、私が前の会社を卒業することを決意した大きな理由のひとつです。今回も、そのような私らしさを存分にさらけ出すことができる機会を与えてくださった関係諸社および諸氏に感謝するとともに、何よりもそういう私に対して最大の反応と相互作用をしてくださった受講者の新入社員の皆様に深く感謝申し上げます。

 受講生の皆さんの中で本稿を読んでくださった方は、当日学習した“ストローク”の応用編の議論だと理解していただけると幸いです。

皆さんに輝かしい未来のあらんことを祈念いたします。
 2008/04/13 05:26  この記事のURL  /  コメント(2)  / トラックバック(0)
24年の歳月を経て
田代秀敏氏の「中国に人民元はない」という新書を読みました。

 どうも北京への聖火リレーは平穏では済まなさそうなご時勢の下、出張先の本屋さんで手に取ったものです。中国はとにもかくにも、ないない尽くしのお国柄のようです。

 企業法務の基本をたたきこまれた大手総合商社出身のボスから、“常に公正であれ”と教えられました。公正の“公”は“ム”すなわち私事に“ハ”すなわち背くことであり、“正”とは(常に判断基準が)“一”に“止まる”ことであると。

 当時の私は、ボスの崇高な教えを、ひたすら畏れ入って聞くだけでしたが、冒頭の著書の中で24年ぶりにその出典を知ることになりました。

 韓非子が、中国では公と私は絶対に相容れないとして、次のように説明したそうです。“私”は“禾”と“ム”の組合せですが、“禾”は穀物を、“ム”は領域を表すそうです。つまりは、穀物の自分の取り分が“私”ということになります。

 その一方で、“公”は上の“八”の部分が、本来は自分の取り分である“ム”を上からちょこっとつまんで奪い去る二本の指を示しているのだそうです。中国では本来的に“公”は“私”を奪う存在だというパラダイムがあるのです。

 けちょんけちょんに叱られまくったあの頃から、24年(四半世紀にちょっと満たないところがミソですが…)の歳月を経て、とても深いものに触れたような気がして、大きな余韻が残りました。

 明日から三日間、そのボスの出身母体の商社の新入社員の方々の研修のお手伝いをさせていただきます。冒頭での挨拶の趣旨は決めてあります。

 「皆様の大先輩からの大いなる教えのおかげで今の自分があり、その恩返しが少しでもできればという想いから今日はこの場に立たせてもらっています。皆さんも何十年か後に、同様に次の世代に何かを伝道していける社会人になってもらいたく、私はこの三日間エネルギーを出し尽くします。」

 肉体的にはハードな日々が続きますが、精神的エネルギー充填度は120%です。




 2008/04/08 00:54  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
法人格のジレンマ
カテゴリは企業法務としましたが、入口が企業法務で出口がMBAのココロになる議論です。

 法律行為の主体者になるには法人格が必要で、商標などの産業財産権の所有権者になるにも当然、法人格が必要となります。

 日本国憲法の下で、我々日本国籍の自然人は生まれながらにして法律上の人格を有していますが、その権利能力や責任能力については民法、刑法それぞれで20歳とか14歳とかさまざまなボーダーラインが規定されています。

 今となっては、(国によっては未だのところもありますが)当たり前のこの基本的人権も、歴史的に確立されたのはほんのここ数百年のことに過ぎないことを忘れてはなりません。

 さて、個人個人は独立した人格を有する人間が複数集まって組織を構成したときに法律上どのように扱うかが問題になります。そこで法人格という概念が必要となってくるわけです。組織が法人格を有するためには商法や会社法をはじめとするそれぞれの法律の手続にしたがって設立や登記を行うことになります。

 組織としての体はなしているものの、法律上の法人格がない集団のことを“権利能力なき社団”と称します。会社の中にあるサークルや法人登記していない労働組合などがそれにあたります。法人格がないことから、財産権をはじめとする法律行為の主体者にはなれないので、代表者や経理担当者が個人の名義で預金の管理などを行わざるをえません。もし、活動の結果として利益が発生した場合には納税が問題となります。これには様々な問題点や諸説があるのですが、本稿の趣旨とは異なるので割愛いたします。

 会社の法人格は上記のような法律上の裏づけとは別に、その方向性や個性はトップが人間として体現しています。それらを共有するために、ビジョン、ミッションなどが文章として定義することは多くの会社で行われています。

 ところが、非常に初期の濃い人的集合であるはずのベンチャー企業ですらトップと同じ目線で同じ立ち位置に立つことは意外とできていない現実に直面することが多々あります。先日あるベンチャー企業で、創業経営者の一人が社長に対して、社長の考え、意図が理解できない旨の発言をなさる場面に直面して驚かされました。

 社員の心と頭のベクトルの方向あわせをしていかなければならない経営陣ですら社長と一定の距離があるとしたら…。

 若い頃、頭ごなしに上司に叱られたときに、「私は君の人格を否定しているわけではない。君がビジネス上やった行為とその結果に対して怒っているのだ。」と何度となく言い聞かされました。以来、私の個人としての人格とビジネスは別物として扱おうという基本スタンスは身についたつもりでいますが、本当にそれでよかったのでしょうか。

 創業者は、個人としての想いや人格そのものが会社すなわち法人格と一体化しているからこそ創業者であって、そうして初めて会社は成長していくものではないかと。その法人格と心と頭が分離して手足としてだけ動く仲間だったら、その人々がいくら優秀であってもでも会社は成長しませんよね。

 法律的には法人格とそれに携わる人々の人格とは全く別次元のものですが、経営的にはビジョンとかミッションなどのきれいごとだけでは決して表現できない、心根というか魂というか、そういうものの強い結合が必要なのではないでしょうか。心霊主義的に表現すると、「幽体を通じて魂と肉体の強連結を図る」とでも言いましょうか。

 そうすると、バリューブックやクレドなどが、“魂”に相当する部分と“幽体”に相当する部分にきっちり分解されてていて、整合性をもって表現されていないと、肉体には連結しにくいということになりますね。さっそくお手元のそれらを見直してみませんか。

 2008/04/05 12:02  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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