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時間距離の相対性
私事で恐縮ですが、二番目の愚息が無事高校に合格し、昨日、母親と一緒に入学に向けた諸手続を終えたようです。

 私はというと東京日帰りの強行出張の一日でしたが、まずはランチタイムを過ごした浅草ビューホテルにて中学入学と見られる親子の大集団(きっとこれから午餐の大ペチャクチャ大会が開催されるんだろう…)と遭遇。
 
 次に向かった浅草橋界隈では、きっと体操服と教科書が入っているんだろうと想像される大袋を抱えた高校入学と見られる親子の小集団との接近遭遇。そうなんだ、昨日は全国的にそういう一日だったのだと。

 さて、私が中学生や高校生の頃、自分の両親や周りの大人たちは“すげぇ大人”と映っていました。ところが今、親としてその世代の彼らと接しながら感じることは、“俺たちってそんな大人でもなく、お前らにせいぜい毛が三本生えた程度に過ぎないぜ”という感触です。

 小学校一年生のときに感じた、二年生って、なんて大きいお兄ちゃんなんだろう、六年生って、とんでもないもっと大きな人という感覚。その頃の夏休みは、終わってしまえば短かったものですが、それはそれは長い40日間でした。

 ところが、この齢になると40日なんて一瞬の出来事で、日に日に時間の経つのが早くなると感じるのは私だけでしょうか?お年寄りの方々は毎日暇にしているのではと考えるのは全くの杞憂に過ぎないそうです。たとえば80歳のご老人の感覚では、我々の一年が一ヶ月程度のものだとか。

 アインシュタインの相対性理論は、移動速度が速くなればなるほど時間の経過が遅くなり、光速で移動した暁には時間の経過がストップするというものですが、理屈として理解することも困難ですが実際に体験することはもっと難しいロジックです。

 でも、私達人間が確実に感じることができる相対性理論は、齢をとればとるほど時間の経過が早くなるという現象だとすると、元祖相対性理論は光速で時間の経過がストップするのに対し、私達の人生の相対性理論では、無限に齢をとれば時間の経過速度も無限に最大化するということになりますが、それってどんな状況か想像できますか?

 きっと、それは神様や宗教の世界に通じるのだと思ったところで、これってアパログ的話題としては?ということで本日はお開きです。
 2008/03/24 23:54  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
何がどうなる?
何が何?で、何がいつまで?の議論を展開してまいりましたが、今回は、で、何がどうなるの?というお話をいたします。

 他人の権利を侵害したら落とし前をつけなければならないことはわかっていますが、どんな落とし前が待っているのでしょうか?それを認識するには、権利の内容を理解しておくことと、法律がどのような救済を規定しているのかを知っておく必要があります。その上で、どの程度の罪の重さ(犯した権利の重大性と故意や過失の程度)なのかと、どの程度の罰(刑事責任=死刑・懲役・禁固・罰金と民事責任≒損害賠償)なのかがある程度見通しできていると、攻める場合も守る場合もおおよその当たりをつけることができます。

 商標や特許などの産業財産権は、文字通り財産権にあたります。財産なので個人もしくは法人による所有の対象となります。ただし、モノとしての実体があるわけではないので、法的には排他的使用権が認められており、侵害された場合には禁止権と損害賠償請求権を行使することができると定められています。

 モノとしての財産は、皆さんもたくさん所有していると思います。法律的には大きく動産と不動産に分けて議論されますが、動産の所有物の多くは身につけていたり自宅に置いていたり、会社のデスクの引き出しに入れたりしていると思います。そのような状態を占有といい、他人の占有物を自分や第三者の占有状態に移転させると“窃盗”になります。暴行、脅迫が伴った場合には“強盗”となり、窃盗の10年以下の懲役に対して5年以上の有期懲役と一気に罪は重くなります。

 ちなみに、他人が置き忘れたり、落としてしまったモノは占有離脱物を呼ばれ、それをちょろまかした場合には窃盗ではなく“占有離脱物横領”となり懲役は1年以下と定められています。このように見てみると、同じ他人の財産権の侵害でも罪の重さに応じて合理的段階的に罰が規定されていることがよくわかりますね。

 もうひとつ大事な分かれ目があります。親告罪と非親告罪です。強姦が親告罪で被害者の告訴がない限り立憲することができないことは残念ながら時々社会面で目にするので皆さんもご存知だと思います。

 産業財産権の中では商標権のみ非親告罪で、特許、実用新案、意匠ともに親告罪です。また、著作権も親告罪です。従って、商標法違反は消費者からの告訴や警察が独自に動くことで事件となりますが、それ以外は権利者が告訴したり提訴しない限り事件になることはないのです。

 いわゆるパロディは、著作権を侵害している場合も少なからず見受けられますが、本人が笑って見過ごしてくれれば問題になることはありませんが、商標権だけは別です。税関や警察などの当局がその意思と手によって動くことができるのです。重要度の軽重は簡単にはつけられませんが、商標権に関しては、そのことをよく理解しておく必要があります。
 2008/03/20 12:47  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)
何がいつまで?
時効とか一事不再理という言葉が久しぶりに世間を賑わせました。

 法的権利の主体者は人に限られるのですが、会社や団体などは法人とみなして同様に権利の主体者になることができます。人はやがて亡くなり、法人は倒産したり清算しない限り半永久的に存続します。そこで相続や権利の存続、消滅のルールが必要となってきます。

 産業財産権のうち、アパレル業界でもっとも馴染みの深い商標権は登録後10年間有効で、費用を納めて更新し続ける限り永久に権利を存続することができます。デザインを保護する意匠権や発明を保護する特許権はそれぞれ登録後、出願後20年で消滅する有期の権利です。考案を保護する実用新案は6年だった時期もありますが、今は出願後10年間存続します。

 我々が工業製品としてアパレル商品を企画しても、そこには著作権は認められませんが、写真や絵画などの著作物を商品に転用することはあり得ます。著作権は、わが国では著作者の死後50年で消滅しますが米国では70年です。ハリウッドからの圧力の結果、わが国でも映画の著作権が公表後70年に改正されたことは記憶に新しいですね。さらに、米国では無名、変名、職務著作は発行後95年もしくは公表後120年と定められています。もっとやっかいなのは、この著作権の存続時期は国によって様々であるということです。

 このように、以前お話した、何が何?という第一関門を突破した後には、何がいつまで?という第二関門が待っています。

 冒頭に述べた時効は、1)一定期間継続した事実には法的保護が必要、2)権利の維持、行使に必要な措置を採らない者は保護する必要がない、3)長期間経過後の証明は困難なのであまりに過去に遡っての議論には限度が必要、の三点が根拠とされています。

 ただし、国によっても時効に対する考え方や長短は異なりますし、連邦制を敷いている米国においては州ごとに制度が違います。さらに、刑法には属人主義か属地主義かという問題があり保護主義、世界主義という概念もあります。

 サイパンは米国と連邦関係にはありませんが、独立国家ではなく米国の自治領です。今後は辣腕弁護士の手によって事実関係の議論ではなく手続の有効性を巡って高度な戦いが繰り広げられていくものと予想されます。

 何が何で、いつまで、という法的権利関係の実体もさることながら、それらの権利をどのように実現、行使していくのかという手続に関しても、うっかりしていると大変なことになりかねませんね。

 2008/03/16 02:30  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
ネットワーキング
 神戸大学の社会人大学院の同窓組織で、“MBA Cafe”という組織があります。

 年に数回のネットワーキングイベントが開催されているのですが、本日「MBAアルムナイ・ネットワークについて考える」というタイトルのイベントでパネリストをやらせていただきました。基調講演は、金井壽宏先生の「心あるネットワーキングについて」(副題:社会関係資本としての同窓会、そしてMBA Cafe:活用したいがいやらしくは使いたくない)でした。

 金井先生からの問題提起、およびパネルディスカッションを通じて印象深かった議論のうち、今回は二点を皆さんと共有したいと思います。

 第一に、デイビット・エイカンが名づけた“コミューナル”という概念です。もともと、“エージェンティック”という、とてつもない勢いで物事を成し遂げる人々を指す言葉があるのですが、それは反面、誰かの手先になって必死で頑張ることと表現することもできるそうです。そういう人々が集い、“ともに成し遂げてている”という実践的コミュニティ感覚をもつこと、そのような志向性をコミューナルと呼ぶのだそうです。

 私達人類の究極は神様のエージェンティックとして生きることだそうですが、そこまで達観はできないにしても、私達は日ごろからミッションや尊敬できる上司や社長のエージェンティックとして日々業務に邁進しているものです。

 ところが、このエージェンティック指向が行き過ぎると、これはギスギスすることになるようです。今日の議論で、私が前職を去って今何を求めようとしてるのかをはっきりと認識することができました。実は、ワイワイガヤガヤと皆で何かに向かっている自分がとても居心地が良いのですが、あまりにエージェンティック指向が強調され過ぎたことが違和感を飽和点に導いたのだと当時の自分を振り返りました。

 第二は、組織やネットワークが有する特徴としての“強い連結”と“弱い連結”です。会社という集団は、一般的社会関係性からすると、より強い連結を有する組織です。一方で、同窓会などに代表されるボランタリーな集団は比較的弱い連結の組織ということができます。

 実際には会社の中にも相対的に強い連結や弱い連結の様々な公式、非公式の組織が存在しますし、同好会的な集まりの中にも、とてつもなく強い連結が存在することもあります。

 強い連結の特徴としては、その集まり自体に対する高いコミットメントや愛着がある、集まり自体に価値があり自己目的的に形成されている、極めて類似性の高い価値観が集合しているなどの、いわばクラブ的な意味があります。一方、弱い連結は、道具や手段として緩やかに集まっているが、そのこと自体にはあまり価値がおかれておらず、多様性が受容される、いわばフォーラム的な位置づけになります。

 エージェンティックとコミューナルを一方の軸に、強い連結と弱い連結を他方の軸にとってマトリクスを描いてみてください。マトリクスのセオリーには反しますが、(仮に、直線的相関関係が強い二軸をとった場合、それは有益なマトリクスにはならない、すなわち、現実的に存在するのは左下のセルと右上のセルしかあり得ず、その余のセルは理論上の空想のセルになってしまうということです)、実は現実的には存在しにくい“エージェンティックなんだけど、弱い連結の集団”、“コミューナルなんだけど、強い連結の集団”があったら、それは素晴らしいことですよね。

 そういうことを求めて会社を飛び出した自分なんだなということを再認識した一日でした。
 2008/03/09 22:20  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
チーム“アバウト”
チーム“アバウト”の面々と食事をご一緒する機会がありました。

 当日は田園都市線の池尻大橋で合流してという段取りだったのですが、お一方は一駅隣りの三軒茶屋駅まで行ってしまい折り返し池尻大橋まで戻られたとか。急行(池尻大橋には止まらない)に乗ってしまったの?と訊くと「いえいえ、各停でした」。さらにお連れの方は、二子玉川まで行って引き返したとのこと。(二子玉川は、三軒茶屋からさらに四駅離れていま す)

 山手線の東側のオフィスにお勤めでいらっしゃいますので、チーム“アバウト”の面々からすると渋谷から一駅に過ぎない池尻大橋ですが、はるか西の彼方の「とりあえず、あの辺!!」ということで電車に乗られるのだとか。

 新人の頃、報告書の表現で大きな雷を落とされました。大手GMSがディスカウント型新業態を出店した際に、取引口座はないにもかかわらず会社のブランド商品がコーナーになって売られている現場を調査したときのことです。“店内には、どのフロアも客がウヨウヨしており…”や“驚くほど大量の商品が…”などの表現に、「まったくビジネスレポートになっとらん」とつき返されたのです。ビジネスの中でもとりわけ法務の分野では抒情詩は求められておらず叙事詩的表現が必要なのですが、当時の上司には私もチーム“アバウト”に映ったのでしょう。

 我々の業界には“バックリ”とか“バクっと”などのアバウトな状態を形容する用語があります。また、自嘲気味に「私はアナログ人間なので…」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、実は“アパレルを科学する”ことにアナログアプローチは不可欠なのです。

 アナログとは、連続しているある量を他の連続する量で表現することを意味します。他方、デジタルとは、状態を表す量を数値化することですが、数値化の過程で連続する量を離散的な数値として表現せざるを得ません。すなわちアナログ処理では元の情報の全量が保存される可能性がある一方で、デジタル処理では元の情報の一部を捨て去っている可能性があるのです。

 たとえば、アナログ時計を見て12時ジャストだと認識したその人は、11時59分頃から12時01分頃までの時間の全量を捉えていますが、デジタル時計で12:00'00という表示を見た瞬間には百分の一秒以下の時間を捨て去っているとともに、視覚情報が脳に伝達されて認識するまでに時間を要していますので、ほんの暫く前の過去の時間を現在時刻として認識していることになります。(神経を伝わる情報の速度は、毎秒50cmから120mの間です)

 売上や利益はSKU単位のデジタル情報の積み上げの結果です。デジタルであるがゆえに、捨て去られた様々な情報がこぼれており、本当の事実とは少しずれた情報を認識している可能性があります。そこで、アナログ処理が必要となるのです。デジタル情報をアナログ処理して意味情報としてストックし、当該シーズンの修正MDや次シーズンの初期MDを通じてデジタルな品番やSKUに落としていく。マーチャンダイジングとはまさにそういうプロセスを踏むことに他なりません。

 財務的に数字が読めるということと、前述のプロセスを踏むことができることとは若干アプローチやノウハウが異なります。私がMDのサポートをさせていただく際にはMDの方がアナログ処理して意味情報を引き出しやすいように様々な工夫を凝らします。

 “辛子明太子”を“サチコのメンタイコ”と注文する○○さん、朝礼で、“世間ではバルブもはじけたので、気を引き締めて基本に戻るように”と朝礼で訓示される△△さん、焼酎のお湯割りを“7:4で割って”と注文してマスターを悩ませる□□さん。業界の愛すべきチーム“アバウト”の皆さん、安心してください。アパレルを科学することのプロセスは、デジタル処理→アナログ処理→デジタル処理の繰り返しです。アナログ処理能力がない人にいいMDはできません。でも、デジタル処理もできないと商品は上がってきません。

 最後に、“アナログ”のことを“アナグロ”とおっしゃり続けていた××さん。当時、間違いを指摘する勇気が出せなかった私をお許し下さい。
 2008/03/02 08:29  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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