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個々の要素にとっての最適な状態の足し算は決して全体の最適状態を担保することはできないし、その逆に全体としての最適状況をそれを構成する各要素にとっても最適な状況に分割することは困難であるというパラドクスを意味します。 私にとって古くは、社会人大学院の先輩である保田氏にMBAチャレンジのご相談に伺った際に、そのときには“組織”に関心が高かったので、「個人個人のベストである部分最適の延長上には会社としての全体最適は描きにくく、会社としてのベストの状態を全社員個人個人にとってもベストな状態に配分することはとても困難であるが、よりよい人事制度の模索を通じてその矛盾に挑戦したい…。」という趣旨の思いをお話させていただく機会がありました。 大手外資系製薬会社の人事部でもあり、MBAでも人事系を専攻しておられた同氏から、実は「若いくせに(確か私は31歳でした)、深く考えているやっちゃ。」と最初に言われたのですが、その後の議論の展開で、「アホか」と撃沈させられたのは“ほんまに大丈夫なん”の稿で申し上げたとおりです。 さて、本日、ある経営トップとの議論の中で以下のようなお話しが出てまいりました。 次期情報システムにおいては、現場に対して、現状よりも粗利と経費のリアルな全体像を知らせた上で、よりコントロールの範囲を広くして、会社としての最終着地に近い数字を見せながら、精度の高い意思決定とオペレーションを期待したいというコンセプトを私がお話したことに対するレスポンスでした。 業務のパフォーマンスの全部を見せてしまうと、それを理解して身に付けた社員は会社の外に出てしまう。 細切れにしか見せなかったら、そのリスクは回避することができる。全部を見せていた昔には、強い個人商店主の集まりにはなることができたが、会社が組織として成長することはなかった。部分的視野と責任しか与えていない現在の方が、会社は組織的にも全体規模的にも進化している。と。 まさに、部分最適と全体最適のパラドクスが、現実の場面で発生していたのです。 ロジカルシンキングでは、全体をMECEに分解することでロジカルに次のステップに進むことができると説くのですが、数字だけで表すことができる現象や相対的に戦術的アクションにはそのまま当てはまるのですが、戦略マターや人間がからんでくると必ずしもロジカルではなくなるところが経営の妙味ですね。 そう言えば私達も、自分の人格的全体像では説明のつかない個々の行動パターンや、しょうもない発想や出来事を要素として持ちながら、騙し騙し生きていますよね。 |




