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牛肉やらウナギやら、もう止まりませんね。 社長と社員が醜い責任のなすり合いを演じた片や牛肉。あっさりと悪意を認めた片やウナギ。JAS法だの不正競争防止法で議論を進めていくと法務マターになりますが、今日は組織論に展開し、人生論を出口といたします。 前回、他部署の部長に“死ね”と言われたエピソードを披露いたしましたが、新入社員の頃の私は、責任をなすり合う牛肉の社長と社員のレベルでした。ボスから「君は、私が死ねと言ったら、死ぬのか!!」と何度叱られたことか。 きっと、「あなたの指示命令どおりに私は仕事(今にして思えば、実際はただの“行為”のレベルだったのでしょうね)をしたのだから、それでもたらされた結果に関してとやかく言われても、わしゃ知らん、というような言い分(言い訳)が顔に書いてあったのでしょう。 宇宙というもっとも大きな存在のなかには、自然の法則という絶対的な真理があります。我々が日常的に認識することができるもっとも大きな個体である地球にも、たかが人間ごときには操作することのできない大いなる摂理があります。 私たちが形成する社会的集団(国家や会社など)は、それぞれ自立した立派なひとつの宇宙であり、そこには真理が存在していなければなりません。 会社や部署という単位も、それぞれ真理が存在するべき宇宙であるということができますし、それらを構成する下部組織や最終の個々人も真理が存在する宇宙であることが求められているのです。 「上が言ったことをやっただけ」「下が勝手にやったこと」という言い方は、真理の連鎖に裏付けられた自立する宇宙の連続を否定したものに他なりません。すなわち自らの社会的存在、ひいては生命としての存在すら自己否定する最低の発言なのです。 十数年前、組織改革プロジェクトに携わる機会がありました。グループ経営で著名な大手製造業の戦略スタッフの方を招いて議論を進めてまいりました。彼らとその会社からは、“個と全体の調和”というキーワードを教わりました。 「本当の意味で自立した“個”というのは、“全体”から切り離されて全く独立した個ではなく、自らの上位にある“全体”と、自らを全体としたときにより下位にある“個”を明確に意識した上で、それらと調和していなければ、それは自立とは言わない、と。 30過ぎの若造の私にとっては、社会人として独立した自分…とか、いずれは会社を飛び出して独立…とか、いろいろ考えていたのですが、後ろ頭をドガーンと殴られた瞬間でした。 自立して生きていると自信をもって言えることは、それ自体はとても立派なことですが、私たちは「(多くの人々や様々な社会性との関係性の中で)生かされていることを忘れてはなりません。 |




