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私事で恐縮ですが、二番目の愚息が無事高校に合格し、昨日、母親と一緒に入学に向けた諸手続を終えたようです。 私はというと東京日帰りの強行出張の一日でしたが、まずはランチタイムを過ごした浅草ビューホテルにて中学入学と見られる親子の大集団(きっとこれから午餐の大ペチャクチャ大会が開催されるんだろう…)と遭遇。 次に向かった浅草橋界隈では、きっと体操服と教科書が入っているんだろうと想像される大袋を抱えた高校入学と見られる親子の小集団との接近遭遇。そうなんだ、昨日は全国的にそういう一日だったのだと。 さて、私が中学生や高校生の頃、自分の両親や周りの大人たちは“すげぇ大人”と映っていました。ところが今、親としてその世代の彼らと接しながら感じることは、“俺たちってそんな大人でもなく、お前らにせいぜい毛が三本生えた程度に過ぎないぜ”という感触です。 小学校一年生のときに感じた、二年生って、なんて大きいお兄ちゃんなんだろう、六年生って、とんでもないもっと大きな人という感覚。その頃の夏休みは、終わってしまえば短かったものですが、それはそれは長い40日間でした。 ところが、この齢になると40日なんて一瞬の出来事で、日に日に時間の経つのが早くなると感じるのは私だけでしょうか?お年寄りの方々は毎日暇にしているのではと考えるのは全くの杞憂に過ぎないそうです。たとえば80歳のご老人の感覚では、我々の一年が一ヶ月程度のものだとか。 アインシュタインの相対性理論は、移動速度が速くなればなるほど時間の経過が遅くなり、光速で移動した暁には時間の経過がストップするというものですが、理屈として理解することも困難ですが実際に体験することはもっと難しいロジックです。 でも、私達人間が確実に感じることができる相対性理論は、齢をとればとるほど時間の経過が早くなるという現象だとすると、元祖相対性理論は光速で時間の経過がストップするのに対し、私達の人生の相対性理論では、無限に齢をとれば時間の経過速度も無限に最大化するということになりますが、それってどんな状況か想像できますか? きっと、それは神様や宗教の世界に通じるのだと思ったところで、これってアパログ的話題としては?ということで本日はお開きです。 |




