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久々に法務の話題になりましたので、しばらく法務マターをアップしてみます。 時は1984年4月、新入社員として入社して三週間程度で法務部門に異動になったのですが、法務機能の設置と充実を推進していた当時のボスはこんな風に言っていました。(現代では社会的にあまりふさわしくない言い回しも含まれていますが、84年当時のお話ということでご容赦ください) “北村君な、アパレルはとても女性的な業界や。後先あまり考えることなく、やりたいことを パッとやってしまう。そのくせ、うまくいかなくなるとヒステリックになるし、笑顔で誤魔化そうとする、そういう体質の業界や” “それと、会社もこれだけ大きくなってくると(私の入社当時で1300億円の売上規模でした)、だんだんとストライクゾーンが狭くなってくる。昨日まではストライクと判定されていた同じコースが、今日はボールと判定されてしまう” その二つの意味で、いままさに当社には法務機能の充実が求められている、このままでは会社の屋台骨が揺さぶられかねない と教えられました。 さらにボスは、アパレルに必要な法務の分野を次のように三つに分けて定義されました。 1)商標問題(その後「知的所有権」〜「知的財産権」と再定義) 2)契約問題(国内の販売先や製造委託先との基本契約やライセンスやデザイナー契約など) 3)消費者問題(当時は消費者クレームへの適切な対応という定義、現代ではCSRという言葉でくくられる分野) 80年代半ばのアパレル企業において、このような法務ドメインを規定して専門部隊を有していたのは他にあまり例がなかったのではないかと思われます。 入社当初は中堅ブランドの生産コントローラーに配属されて、“よしっ、アパレルの世界、全然わからんけど、モノ作り頑張るぞ”というモチベーションから、ほんの一ヶ月弱の期間で、“なんや、もっとようわからんけど、何やら大変な仕事のようだ…”ということで私の法務業務はスタートしたのです。 そのときの苦労話など、追々ご紹介していければと思っているのですが、法務の仕事を始めてすぐに感じたことは、“なんで俺はアパレル企業に入って、こんな仕事をしているんだろう…?”という釈然としない思いでした。華やかかりし(私にはそう見えた)営業や、モノに携わっている生産の同期の連中の動きや話を羨ましく思うことも多々ありました。 ところが、今になって振り返ってみると、社会人のスタートの数年間をそのボスの下で法務業務に関わることができたことが、その後の私のビジネスの礎になっていることを鑑みると、会社やボスや迷惑をかけっ放しだった周囲の皆さんには感謝の言葉もありません。。 |




