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伊丹パニック
 修学旅行たけなわのシーズンで伊丹空港周辺がパニクっている。

 いまどきの高校生の修学旅行は航空機利用はごく当たり前になっているようだ。それはそれで何の問題もないが、迎えの車の洪水には困ったものだと言わざるを得ない。

 当該家族にとっては滅多にない一大イベントであり、子供たちに復路の苦労をさせたくない親心もわからないでもないが、毎週のように日常的に空港を利用している私たちからすると辟易の対象にしか映らない。

 折しも、伊丹空港は改修工事のまっただ中にあり、普段は四車線ある周回道路が部分的には二車線に狭まっているところにお迎えの車の両端駐車である。パトカーも出動して赤灯は回しているものの、駐禁に問う要件は整わないことから大渋滞を目の当たりにしながらも手も足も出すことができない。

 昨日も空港の駐車場から出て巡航速度に乗るまでに20分ほどを有するというストレスに遭遇させられた。毎週の日常であるホームの私たちと、晴れのイベントであるアウェイのビジターとのせめぎ合いだ。私の家庭の流儀は、自力で勝手に帰ってこいである。

 白熱教室で一般の人々にも浸透した“功利主義”をどのように解釈して運用するのか、その幅と判断基準には悩ましいものがある。個々人の利権と公共の福祉をどう両立させるかは、公法と私法のバランスのもっともプリミティブな入口の議論だ。わたくしの利益が公共を害している。公共の福祉がわたくしの利益を圧迫している。これは弁証法を用いても、そう簡単には出口が見つからない永遠の課題であるとも言える。
 
 私人と公人の境目を行ったり来たりするのが、私たち人間の宿命か?ニーチェが「超人」という概念を持ち込んだ動機と意図がわからないでもない年齢に達したのは、死期もそう遠くないということ?(笑)

 週末、首都東京でパニックは起こらねばよいが…。
 2017/11/03 18:19  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
選挙権定年制
 台風のおかげで、神様がくれた内勤二日間となり仕事がはかどった。

 それにしても敵のエラーによる圧勝にはため息すらつく気が起こらない。企業において老い先が短くリタイア後の経済的憂慮をもする必要がない比較的高年齢層が重要なポストを占めて、企業の未来を左右する意思決定の業務分掌と権限を持たざるを得ないパラドクスについては何度か触れてきた。

 10年、20年を見通す能力があるかどうかが問われるというよりも、目先の短期視点で大過なく過ごすことができれば、退職金も年金も満額という安楽椅子から敢えて立ち上がる勇者はレアな存在なのが現実だ。

 18歳まで引き下げられた権利に基づいて数十年以上ある輝ける(もしくは暗澹たる)未来を意中の人物や組織に託した若人も数多くいる一方で、投票後数年も経ずして彼岸にわたってしまう人々が何十万いや何百万人いることだろうか…。

 戦中戦前を生き抜いてこられた大先輩方に対するリスペクトを怠ってはならないが、投票所の周囲で数多く見受けられた70歳半ば超のお年寄りの方々の立ち居振る舞いと言動を見聞きしていると、果たして現代的争点に対する理解と判断力がはたしてどれくらい備わっているのだろうかと心配になった。

 対候補者、対政党の両面においてかなりステレオタイプな意思決定、いやそれ以前の無条件反射的行動がなされてしまっているリスクは決して低くはないだろう。

 高齢を理由とした自動車運転免許証の返上事例は増加する傾向にあると聞く。この際、選挙権にも余命のカウントダウンによる返上を認めるか、思い切って定年を設けることも視野に入れてパラドクスを解消することを検討してみてはどうかとも思う。

 一票の格差は、議員一人あたりの有権者数という員数の問題のみならず、有権者の余命を衡量したときの時限格差も内在していると考えなければならない。
 2017/10/23 17:31  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
対義関係のネットワーク
 湯川れい子さんの私の履歴書から、粋な対義関係の概念を頂戴した。

 私たちは、大きく「パーティ型」と「書斎型」に分かれるようで、彼女は典型的な書斎型だそうだ。その当時、赤坂の大橋巨泉邸で開催される雀卓を囲むパーティー系とは一線を画していたという。

 先週土曜日の北村塾で佐藤信夫の“レトリック”論を取り扱い、氏の「自分が意識している対義関係のネットワークを点検してみよう」というメッセージが脳内メモリーに新鮮な状態で残っていたので、これまでの引き出しにはない新しい対義関係としてグサッと刺さった。

 お祭り騒ぎ、バカ騒ぎも数多く執り行ってきたが、今となっては二次会に足を運ぶことは年に二回とない。スポーツクラブにおいても、スタジオプログラムやインストラクターもお呼びではなく、黙々と独りで泳ぐかウェイトを上げている、典型的な「書斎型」が私の実態だ。

 対義関係のサンプルとしては、「美」と「醜」、「正義」と「悪」、「大」と「小」、「優」と「劣」、「支配」と「服従」などがあるが、それらをネットワークとして捉えよという佐藤氏のメッセージには奥深いものがある。

 ことさら今のご時世で私たちが深慮しなければならない対義関係は「正義」と「悪」であろう。果たして正義は悪の反対概念であり、悪は正義のそれであろうかという問いだ。義の反対は不義と定義できるが、不義が必ずしも悪であると断定することはできない。悪の反対は善であろうが、善が必ずしも正義とは限らないことは皆が思い当たる節があるところだ。

 それ故に、対義関係は幾何学的には直線的な関係性のスキームであるところを、ネットワークだと看破した佐藤氏の慧眼には恐れ入る。まだまだ、知の奥底は深い
 2017/09/21 18:59  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
戯言なれど
 東京都が国に先駆けて屋内禁煙条例案を定める方針を発表した。罰則付き、2年以内という。

 先に私が刺激依存症と記した中身は、アルコール、ニコチン、香辛料の三種である。そのうちニコチン依存症の立場から、社会性も正当性も全くもって乏しいが、議論としては成立しうる一言を申し上げたい。

 再びマイブーム中である山本七平の以下の主張が重なって仕方がないのだ。氏は「私の中の日本軍」において、南京での「百人斬り競争」の虚報を報じた当日の東京日日新聞のA記者を強く断罪する。
 
 聞いた話を自分の手柄のために上手に取捨選択して虚報に仕立て上げ、当事者である少尉二人が戦犯として処刑されることを回避する証言をするどころか、自己責任回避と自己正当化に終始した責任が強く問われている。

 國分功一郎氏が「暇と退屈の倫理学」でロシア生まれの哲学者アレクサンドル・コジェーブを、お前はテロリストに憧れる人々を煽っていることが分かっているのかと
一刀両断にする鋭い切れ味にも唸らされたが、山本氏のそれは鈍器で殴られたように重い痛みがのしかかる。

 山本氏は、軍人よりも軍人化した民間人が日本を誤らせたと言う。A記者の虚報は、あの、全身の毛を逆立たせて恐怖している猫のような顔をして死んだ兵士の死体を踏み台にしての大見得ではないのかと。そしてその道のプロよりも極端な思想を展開するアマの方がよっぽと危なっかしくて、日本を滅ぼしたのは軍でもあるが、かかるアマの責任も見過ごすことはできないと説く。

 さて、オフィスや飲食店で束の間の喫煙で一息入れているのはどのような人々だろうか。末端でストレスと矛盾に苛まれているサラリーマンや、汗水流して肉体を駆使しているワーカー達である。それらの人々は、戦時における末端の兵士に等しい位置づけと考えることができる。

 山本氏は、兵士がもっとも嫌がることは上官の“トッツキ”と“イロケ”だというが、数十年を経た今となっては理解できる日本人はほぼ皆無であろう。ただし、前者が立場を笠に着た単なる癇癪で後者が上に対するおべんちゃらと言えば今の時代においても何も変わっていない。

 条例案を定める立場にいる人々は、はたして兵士体験があるのだろうか。よしんば経歴として過去にはあったとしても、現在は戦時における内地で戦場をありもしない理想論で想像しながら勝手なロジックを展開するだけのお気楽な立ち位置なのであろう。

 現実論を抱えているのは、飲食店を経営するこれも零細な事業主の人々である。喫煙者も大切なお客様であるとともに、投資を伴う改装などの打ち手がとてつもない負担になることは火を見るよりも明らかだ。それらの現場(戦場)における当事者(兵士)の死体を踏み台にして自らのプレゼンスを誇示したい政治家は、プロだろうか、単にたちの悪いアマなのだろうか。

 兵庫県では、しょうもない木っ端政治家の政務費流用事件が相次いだ。セミプロの詐欺師が死体を踏み台にしているとしたら、山本氏が憂えた時代より、よっぽど事態は悪化している、というより稚拙化している。


 2017/09/09 17:56  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
どっちもどっち
 政策や思想ではなく個人のスキャンダルで一政治家の命運が決まる我が国の品位のレベルには嘆かわしいものがある。

 一方で、白人至上主義が台頭し暴力沙汰になる彼の国のレベルにも…と思わざるを得ない。

 私たち人類は一体歴史から何を学んで、どう進化しているのだろうか?

 全地球において飢えと病疫が撲滅されたわけではないのは現実であるが、喰うには困らない国と地域がメジャーになって久しいが、精神はというと貧困と退化のレベルを超えることができないのが、私たちのせいぜいの宿命なのだろうか。

 かく言う私も、刺激依存種に犯され、家庭においても社会においてもたいした足跡は何一つ残すことができていない凡材であるが、大人としての分はわきまえたいと常々心掛けているつもりではある。

 ここで分というのは、空気や流れに身を任せるのではなく、自分なりに考えて自分なりの思想を持ち、自分なりに振る舞うという意味を込めているが、そんな当たり前なことがきわめてできにくいモーメントが社会にはある。斜に構えてそっぽを向く態度と紙一重ではあるが、そんな分をわきまえた個人の存在が求められていると切に感じる。

 飯は食えても霞まで食ってはならない。でも、霞に乗っかっていると精神的に超楽ちんであることも否めない私たち人間の性である。

 11月の塾で扱うことにしたこともあり、山本七平がマイブームナウである。
 2017/09/07 22:12  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
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プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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