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右側の壁
 一週遅れの情報になるが、セブンイレブンの連続増収増益が62ヶ月でストップし、セブン「再スタート」との見出しが躍った。

 前後して、不振の千趣会、脱「衣料」ということで、104億の最終赤字が報道された。ここで頭に浮かぶのは「右側の壁」である。

 IT用語として有名な“ムーアの法則”は、今やICT用語としてカーツワイルの“収穫加速の法則”に置き換えられた。収穫加速の法則は、指数関数的変化を辿る現象において時間的中央値に至るまでの変化率は一次関数にはるかに及ばないにもかかわらず、いざそこを通過して、やがてシンギュラリティ(技術的特異点)をむかえた瞬間、変化はほぼ垂直に近い猛スピードで進行していくことを表している。

 右側の壁とは、競技人口もプレーヤーの鍛錬度も緒に就いたばかりのスポーツにおいて、はじめのうちは見る見る新記録が塗り替えられていくが、
やがて成熟期をむかえると、大幅な記録更新どころか記録を打ち破ることさえ困難になる見えない壁が右側に控えているという法則だ。

 指数関数の収穫加速に対して、対数関数的に収穫がシュリンクして、いずれは頭打ちになるという変化曲線ということになる。

 5万店舗と10兆円を超えたコンビニ業界が、未来永劫伸び続けるわけもないことは自明のことだ。かつて、紙媒体通販しかなかった時代に、ゼネラル通販が割拠する中、ファッションという付加価値を演出して一線を画した千趣会の栄光も過去のものとなったのか。

 140兆円ほどある小売市場が人口現減少経済の下、何年でどれくらいに縮小していくのか予断を許すことはできない。アベノミクスはまやかしのミクロ事象に過ぎず、ユリノミクスにいたっては泡になる前に消えてなくなってしまった。

 太陽には、その寿命あと50億年という科学的にリアルな右側の壁が存在する。当然地球は太陽と運命をともにするほか選択肢はない。その地球上に棲息する人類は、知らないだけで見えないだけで確実に右側の壁に近づきつつある。

 経済もビジネスモデルも着実に右側の壁に向かって漸進しているのだ。漸進は対数関数の後半戦だが、指数関数的に加速する変化は一気に壁に激突するのか、
それとも壁を突き破るほどのパワーがあるのか。

 是非とも見届けたいところではあるが、ICTのシンギュラリティと余命とが追いかけっこになるのが悩ましい。
 2017/11/18 10:45  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
頑張れ!サラリーパーソン男子
 9日付けの新聞記事から三つほど拾ってみると、頑張れ!サラリーパーソン男子とエールを送りたくなる。

 日経MJでは「ゾゾタウン揺らぐ牙城」との見出しが踊り、“衣料通販アマゾン脅威に”と続く。伊藤元重教授がそれを受けて、「苦戦するカテゴリーキラー」と小論を展開する。

 米国のトイザらス破綻はビッグニュースだった。私たちの世代は、その昔、地場の専門店で玩具を買ってもらった。岡山出身の私が誕生日やXmasプレゼントを買ってもらっていたのは「人形の岡杉」というお店だった。

 私が子供に玩具を買い与える頃に颯爽と上陸してきたのがトイザらスで、その圧倒的な品揃えとお手頃価格には舌を巻いた。その後日本に登場したGAP数寄屋橋店で、嬉しげに息子二人に揃いで色違いのGAPパーカーを買い求めたのがまるで昨日のことのように思い出される。

 キラーはやがてキルされる運命にある。カテゴリーキラーのカテゴリーは当初品揃えという意味で使われ始めたが、いまとなっては広く流通システムを含んだビジネスモデルの種別と捉えなければ流れを見誤る。

 ZOZOの、アマゾンのそれぞれのバリュー、そしてリアルショップと直営サイトの意義と価値は何か。伊藤教授は女性は男性に比べて買い物時間が圧倒的に長いようだとして、買い物を楽しんでいる彼女たちが典型的に支持しているのが却下点の化粧品売場なのかもしれないと説く。

 安さと効率が求められる世界と、価格は劣後で効率ではなく居心地と満足感が求められる世界は全く別ものだ。

 片や、消費を斬るの特集では「働き方改革でさまよう会社員」として平日の夜に公園やカフェに出没する男子の姿にヒットの予感があるという。平日夜の早い時間帯に自宅で居場所とやることがない男子の現実は悲哀に溢れているとも言えるが、その彼らが居心地がよくて満足感を味わうことができて、帰宅までの時間を有意義に過ごすことができるコトと場の創出は、確かに新しい無限のビジネスチャンスであるとも言えよう。

 先頃NHKで報道された尼崎のプレハブ文庫では、多くの子供たちが親が帰宅するまでの時間を楽しそうに過ごしている姿が印象的だった。このような場のサラリーパーソン版が求められているというわけだ。

 私塾をスタートして一年半になるが、完全リタイア後にこんな場を主催できたら面白いとも思う。最低、四つの間が必要となる。愛煙の間、愛蒸の間、愛飲の間、そして禁欲の間だ。
愛煙は燃やすタバコから離れられない人に、愛蒸はアイコスやグローに移行できた人に、愛飲は文字通り1杯引っかけたい人に、そして真面目に本を読んだり静かにPCでお仕事したい人には禁欲の間を。

 時間と知識は無償で提供することは厭わないが、仕事帰りに立ち寄りやすい場所や通勤途上の交点となるとさすがに場所代がかさむ。それを自費で拠出できるほどの資産家でもないので、どの程度のお金の流れを創出することができるかが鍵となる。

 それさえクリアできれば、本気で考えるに値するラストウェイではある。実現できる確率は限りなくゼロに近いと思われるので、残念ながら、自己責任で頑張れ!サラリーパーソン男子。来たれ、放浪サラリーパーソンの受け皿となる新規ビジネス。
 2017/10/10 07:03  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
ビジネスパーソンの進化
ビジネスパーソンの進化をひしひしと感じた9月であった。

 第一週には電鉄会社の係長を対象にしたファシリテーション研修を2年ぶりに担当させていただいた。2011年にご一緒したのが最初なので、6年が経過している。

 第二週には通信キャリア企業の2年次研修(全五日間)を2010年以来6年ぶりに執り行っ た。

 昨日一昨日は、中堅メーカーの初級ビジネスリーダー研修のフェーズTをやらせてもらった。こちらは2014年から4年目にあたる世代になる。

 全てにおいて共通して感じるのは、受講生の知的インフラの飛躍的向上があるということだ。知的インフラにはストックとしての知識と、エンジンとしての地頭力の二面が含まれている。

 たった数年で?、気のせいだという議論と、その数年に何かの臨界点があったという議論の両方が成立しうる。それぞれの事例で、最も若いのは25歳前後、次が30大半ば、一番上が40過ぎという世代に相当するが、彼ら彼女らがどういう時代にどういう刺激を経て現在に至っているかを考えると、ある景色が浮かび上がってくる。

 霞に過ぎなかった「ゆとり教育」からの揺り戻しを経験した最若手ゾーン。「ゆとり教育」に尻尾を踏まれることなく社会に出てきた世代だ。真ん中のゾーン。バブル崩壊後に自力で内定を獲得した最古参ゾーン。

 現在、多くの会社を部長以上の職責で引っ張っているのは1980年代以前に入社した世代であろうが、95年問題というのが大きく横たわっている。

 ロジカルシンキングのナレッジがバーバラ・ミントによって米国に問われたのが1985年の「Pyramid Principje」、それが邦訳されて「考える技術・書く技術」として我が国に上陸したのが1995年。つまり、ロジカルシンキング・ブラインドの世代が今の経営幹部というわけだ。

 次の時代を担う人々は確実に進化している一方で、いまさらベーシックスキルの研修で網をかけることなどできない50代がそれらの人々の上司であるという厳然たる現実は否めない。

 次世代のために道を譲るか、老体に鞭打って自己研鑽に励むか、道は二つに一つしかない。第三の道を歩んでいるご老体の傘下の人々には、誠に気の毒であるという言葉しかない。
 2017/09/24 17:03  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
小売の輪ふたたび
 マルコム・P・マクネアによる「小売の輪」理論(1957年)は、グランドセオリーとして引用される機会は多くはないが、ときおり私の頭をかすめる重要なフレームワークだ。

 追随業者が次々に参入し、価格競争がより激しくなる。

 価格だけでは武器にならなくなり、価格以外の付加価値(品揃え、設備やサービス)を増した競争が展開される。時間とともに人件費増加、規模の拡大によって本部費などの経費が増加、結果的に薄利多売から高粗利路線へと転換せざるを得なくなる。

 革新的な小売業者が既存のマーケットにローコスト、ローマージンの価格競争で市場参入しシェアを奪う。(価格が上がってきたところで、別の新しい革新的小売業者が誕生し、価格競争で市場参入してシェアを奪う。)

 以上のサイクルが、どこを始点にするわけでもなく終点にするわけでもなく、延々と回り続けるというのが小売の輪だ。つまり、価格分の価値(費用対効果)の分母分子において軸足が振り子運動を繰り返す歴史が常ということだ。

 RIZAPは「寄り添い」という分子側のヴァリューで複数のファッション企業を含むM&A先の再生に取り組む。もはや打つ手なしのGMSはドンキホーテとの資本提携に活路を探る。ドンキは分母軸で参入し、「バラエティ」という分子に軸足を移して変態した事例といえよう。CCCには「文化」という分子価値がある。

 ユニクロはジグループの中にジーユーというミニ小売の輪を相似形で内在している。マッシュやTOKYO BASEは業界で見失われてしまった価値を取り戻すべく輪っかに参入してきた。やがては追随業者による価格破壊にさらされる可能性は否定できないが、分子価値を創造し続ける限りは存命可能だ。

 60年も前の議論であるが、見事にビジネスモデルの輪廻転生を看破している。



 2017/08/29 06:15  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
暇と退屈の倫理学
 塾で政治哲学を扱ったことから、國分功一郎氏の他の著作(標題)にあたってみることにした。

 暇や退屈は私たちがごく普通に日常的に感じるし使う概念だが、哲学的にちゃんと議論するともの凄いことになる。

 パスカルは、人間の不幸は部屋にじっとしていられないがために起こるという。私たちは部屋でじっとしていることができないが故にわざわざ自分で不幸を招いていると。

 ラッセルによれば、退屈とは事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものだ。事件とは今日を昨日までと区別してくれるもののことだ。そして退屈の反対は快楽ではなく興奮だという。そこから楽しみや快楽を単に得ることではなく、それらを求めることができることが重要となる。

 スヴェンセンは退屈から逃れるにはロマン主義を捨て去ることだと処方する。ロマン主義とは他人と違っていたいという気持ちの起原だ。ラッセルは積極策をスヴェンセンは消極策を提示しているが、いずれにもまったく納得できないとして、國分氏はハイデッガーの議論を下敷きに自身の考えを展開していく。

 私たち人類が暇や退屈を回避せざるを得なかった背景として「定住革命」の議論も目から鱗ものだ。“遊動生活(狩猟採集)”⇒“食料生産の開始”⇒“定住生活の開始”と捉えるのがこれまでの普通の考え方だが、“遊動生活”⇒“定住生活の開始”⇒“食料生産の開始”が正であるという。

 大雑把に言うと気候変動から中緯度地帯において大型有蹄類の狩猟が叶わなくなり、小さな獣を貯蔵して食いつなぐ必要が生じ、貯蔵は移動を妨げ、やむなく定住生活を強いられ、定住したから食料生産を開始せざるを得なくなったというメカニズムだ。

 定住によって何が起こったかというと、有り余る大脳の能力を発揮する機会が激減したことから、その後のあらゆる技術的イノベーションや社会の進歩につながるとともに、私たちは暇と退屈に苛まれるようになったのだ。

 ハイデッガーは退屈を二つに分けて考える。第一は何かによって退屈させられること(第一形式)で、第二は何かに際して退屈すること(第二形式)だ。そして、ハイデッガーの論旨は、
人間は自由だから退屈するが、動物は退屈しない。なぜなら動物は“とらわれ”の状態にあって自由ではないからというものだ。

 ここでユクスキュルの言う「環世界」という概念が登場する。すべての生物が同じ時間と同じ空間を生きていると考えるのではなく、すべての生物は別々の時間と空間を生きている。ダニの話しに始まり、ベタの時間・カタツムリの時間で環世界とは何かが説明される。ダニは酪酸の臭いと37度の温度と体毛の少ない皮膚組織の三つのシグナルしか感知しない世界に生きている。

 ベタという魚の知覚時間は30分の1秒でカタツムリは3分の1秒、そして人間は18分の1秒である。それはそれぞれの生物にとって最小時間の器を形成し、それらの連なりとして時間が流れている。ちなみに18分の1秒というのは昔の映画の一コマの映写間隔だったそうだ。(今の映画は1秒に24コマとのこと)

 國分氏の新しい定義は、あらゆる生物が環世界の間を移動する能力があるが多くの生物にとってそれは容易なことではなく、人間だけがきわめて高い環世界間移動能力をもっているというものだ。そこから、ひとつの環世界にひたっていることができない人間像が導かれ、極度に退屈に悩まされる理由が解かれる。

 ハイデッガーは退屈の第三形式を「なんとなく退屈だ」として、そこには人間が自由であることの可能性が示されていて、決断することによって自由を実現することができるとする。それに対し國分氏は、第一形式と第三形式はそれぞれが一つの同じ運動の一部と捉えるべきで最終的には区別できないとする。そして、人間は普段、第二形式がもたらす安定と均整の中に生きている。しかしながら、何かが原因で「何となく退屈だ」の声が大きくなったとき、人間は第三形式=第二形式に逃げ込むのだという。

 さあ、國分氏の結論はこうだ。第一に、こうしなければ、ああしなければと思い煩う必要はない。正解としての処方を公式的に丸呑みするのではなく、自分なりの解を追い求めることの意味が分かったら、既に実践が始まっていると氏は言う。

 第二に、贅沢を取り戻すこと。観念消費の終わりなきゲームを続けるのではなく物を受け取ることができるようになって、その物を楽しむことを覚える必要がある。楽しむ能力を訓練することが必要とされる。

 第三に、動物がひとつの環世界にひたっている高い能力をもち何らかの対象にとりさらわれていることがしばしばであるならば、“動物になること”だ。つまり、人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになるという結論だ。

 こうしてみると、ファッションも終わりなき消費ゲームに陥って、贅沢な物ではなくなり顧客から楽しむということを奪い去ってしまったのだとつくづく考えさせられる。通読するにはかなりのエネルギーを要するが、次代を担う哲学者の息吹に触れながら自分のことは業界のことにあれこれ思いを馳せるにはもってこいの良書であった。

 サピエンス全史と併せると、ホモサピエンスなるものがかなり立体的に見えてくる。
 2017/08/21 18:33  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)
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プロフィール

北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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