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暇と退屈の倫理学
 塾で政治哲学を扱ったことから、國分功一郎氏の他の著作(標題)にあたってみることにした。

 暇や退屈は私たちがごく普通に日常的に感じるし使う概念だが、哲学的にちゃんと議論するともの凄いことになる。

 パスカルは、人間の不幸は部屋にじっとしていられないがために起こるという。私たちは部屋でじっとしていることができないが故にわざわざ自分で不幸を招いていると。

 ラッセルによれば、退屈とは事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものだ。事件とは今日を昨日までと区別してくれるもののことだ。そして退屈の反対は快楽ではなく興奮だという。そこから楽しみや快楽を単に得ることではなく、それらを求めることができることが重要となる。

 スヴェンセンは退屈から逃れるにはロマン主義を捨て去ることだと処方する。ロマン主義とは他人と違っていたいという気持ちの起原だ。ラッセルは積極策をスヴェンセンは消極策を提示しているが、いずれにもまったく納得できないとして、國分氏はハイデッガーの議論を下敷きに自身の考えを展開していく。

 私たち人類が暇や退屈を回避せざるを得なかった背景として「定住革命」の議論も目から鱗ものだ。“遊動生活(狩猟採集)”⇒“食料生産の開始”⇒“定住生活の開始”と捉えるのがこれまでの普通の考え方だが、“遊動生活”⇒“定住生活の開始”⇒“食料生産の開始”が正であるという。

 大雑把に言うと気候変動から中緯度地帯において大型有蹄類の狩猟が叶わなくなり、小さな獣を貯蔵して食いつなぐ必要が生じ、貯蔵は移動を妨げ、やむなく定住生活を強いられ、定住したから食料生産を開始せざるを得なくなったというメカニズムだ。

 定住によって何が起こったかというと、有り余る大脳の能力を発揮する機会が激減したことから、その後のあらゆる技術的イノベーションや社会の進歩につながるとともに、私たちは暇と退屈に苛まれるようになったのだ。

 ハイデッガーは退屈を二つに分けて考える。第一は何かによって退屈させられること(第一形式)で、第二は何かに際して退屈すること(第二形式)だ。そして、ハイデッガーの論旨は、
人間は自由だから退屈するが、動物は退屈しない。なぜなら動物は“とらわれ”の状態にあって自由ではないからというものだ。

 ここでユクスキュルの言う「環世界」という概念が登場する。すべての生物が同じ時間と同じ空間を生きていると考えるのではなく、すべての生物は別々の時間と空間を生きている。ダニの話しに始まり、ベタの時間・カタツムリの時間で環世界とは何かが説明される。ダニは酪酸の臭いと37度の温度と体毛の少ない皮膚組織の三つのシグナルしか感知しない世界に生きている。

 ベタという魚の知覚時間は30分の1秒でカタツムリは3分の1秒、そして人間は18分の1秒である。それはそれぞれの生物にとって最小時間の器を形成し、それらの連なりとして時間が流れている。ちなみに18分の1秒というのは昔の映画の一コマの映写間隔だったそうだ。(今の映画は1秒に24コマとのこと)

 國分氏の新しい定義は、あらゆる生物が環世界の間を移動する能力があるが多くの生物にとってそれは容易なことではなく、人間だけがきわめて高い環世界間移動能力をもっているというものだ。そこから、ひとつの環世界にひたっていることができない人間像が導かれ、極度に退屈に悩まされる理由が解かれる。

 ハイデッガーは退屈の第三形式を「なんとなく退屈だ」として、そこには人間が自由であることの可能性が示されていて、決断することによって自由を実現することができるとする。それに対し國分氏は、第一形式と第三形式はそれぞれが一つの同じ運動の一部と捉えるべきで最終的には区別できないとする。そして、人間は普段、第二形式がもたらす安定と均整の中に生きている。しかしながら、何かが原因で「何となく退屈だ」の声が大きくなったとき、人間は第三形式=第二形式に逃げ込むのだという。

 さあ、國分氏の結論はこうだ。第一に、こうしなければ、ああしなければと思い煩う必要はない。正解としての処方を公式的に丸呑みするのではなく、自分なりの解を追い求めることの意味が分かったら、既に実践が始まっていると氏は言う。

 第二に、贅沢を取り戻すこと。観念消費の終わりなきゲームを続けるのではなく物を受け取ることができるようになって、その物を楽しむことを覚える必要がある。楽しむ能力を訓練することが必要とされる。

 第三に、動物がひとつの環世界にひたっている高い能力をもち何らかの対象にとりさらわれていることがしばしばであるならば、“動物になること”だ。つまり、人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになるという結論だ。

 こうしてみると、ファッションも終わりなき消費ゲームに陥って、贅沢な物ではなくなり顧客から楽しむということを奪い去ってしまったのだとつくづく考えさせられる。通読するにはかなりのエネルギーを要するが、次代を担う哲学者の息吹に触れながら自分のことは業界のことにあれこれ思いを馳せるにはもってこいの良書であった。

 サピエンス全史と併せると、ホモサピエンスなるものがかなり立体的に見えてくる。
 2017/08/21 18:33  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

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北村 禎宏(きたむら さだひろ)
ファッションビジネスコンサルタント
アパレル企業での実務経験とMBAの経営理論を融合させ、クライアントの問題解決やアドバイザリー機能を提供。
「アナログ」と「デジタル」、「実践」と「理論」のハイブリッド型コンサルティング活動を実践するとともに、教育・研修事業も鋭意展開中。

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