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昨年の三月にスタートした私的勉強会(仮称:北村塾)が年をまたいで先週土曜日に4回目を数えることができた。初めは恐る恐るの出発であったが、参加者の高いモチベーションに支えられて、3月には第五回を予定している。 ビジネススキルに寄るのかなと思っていたら、予想に反して皆さんの関心はむしろリベラルアーツにあった。第一回目はいかようにも振れる自分自身のキャリアをしっかり考えて欲しいという趣旨で人口減少社会における経済学を扱うことから始まり、次はジャレド・ダイヤモンドで人類の歴史と経度と緯度のいたずらを議論した。そこでのメッセージは、西洋文明(西洋人)が必然的に先進していて優れているわけでもなんでもなく、横に広いという地理的偶然と栽培可能植物と家畜化可能動物に囲まれていたかどうかの環境的偶然の賜に過ぎないというものだ。 そこから、ムロディナウとグラッドウェルを通じて偶然と必然を取り扱い、今回は統計と確率の世界へと突入した。谷岡一郎氏の辛口の議論と、小島寛之氏の精緻な議論に大いに盛り上がることができた。加えて今回は事業会社の現役執行役員をゲストスピーカーを招いて、 リアリティ溢れるファミリービジネスに関するホットな話題も提供してもらうことができた。 ここでその内容に触れることができないのが残念であるが、日本語で同族企業と言ってしまうとネガティブなニュアンスやおどろおどろした感覚がバイアスとして働きかねないが、ファミリービジネスは学会もあるくらい世界的にも我が国においても真面目に議論されている経営学の立派な一分野である。 毎回有志が残って軽くビールをやるのだが、軽くどころか昼間の議論を凌ぐ盛り上がりで3〜4時間の猛論がとめどなく展開される。参加者の反応としては、会社以外のビジネスパーソンとしかも業界を超えて触れあう場がほとんどないらしく、近しい話題であろうが全く遠いテーマであろうがもの凄い刺激になっているようだ。 私の20代、30代はというと組合や会社を通じて参加できるセミナーや異業種交流にはとにかく活発に顔を出して、これはと感じた人材には講師も含めて別途アポをとって押しかけていたものだ。ネットインフラを通じて誰とでも繋がることが可能になったこの時代にこそ、リアルなフェイスツーの交流が欠損してしまっている現代社会のパラドクスを見て取ることができる。 SNSには計り知れない効用があることも事実であるが、それが奪い去っているもの、見えなくさせてしまっているものとしての罪(ざい)の部分を見落としてはならない。ふたたびモノからコトへの回帰が起こっているように、デジタル(バーチャル)とアナログ(リアル)も回帰を繰り返す。 AIや自動運転がどう転回してどう着地していくのか、その動向は注意深く見守るとともに見誤らない人間としての知性と品性が問われている。 |