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最後まで波乱 |
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古い建物の多い大学のキャンパスは、あの揺れでは絶対に壊れていると思わざるを得ませんでした。ところが、あに図らんや少なくとも経営学部の校舎は、築数十年と見られる石造りの建物も含めて一棟たりともびくともしていませんでした。
人々を受け入れる箱は健在なのですが、肝心の先生方や私たち学生の生活と交通手段が大変な状況下で、震災後一ヶ月も経過していない2月13日に修士論文の審査会が行われたのでした。
最後の追い上げ時期に地震に見舞われたことなど、論文の出来に対する言い訳になろうはずもないと覚悟していたのですが、審査会でのもっぱらの話題は、互いの被害状況の確認や一ヶ月弱の被災者生活に対するねぎらいなどで終始し、肝心の論文に対する厳しい突っ込みはないまま無事終了しました。先輩に聞いても、後輩に聞いても、修論審査会は心臓バクバクものと聞くのですが、私たちの代はかなり特別な年だったようです。
加護野ゼミの仲間全員が無事MBA取得ということで、3月19日〜21日にかけて韓国に卒業旅行に出かけました。二日目の20日の朝、ホテルのTVに東京からのとんでもない映像が飛び込んで来ました。結果的にはカルト的宗教集団の手による愚行だったのですが、その時点では国際的テロなのか、はたまた戦争の始まりなのか、まったく情報がありませんでした。
当日、板門店(38度線上にある非武装地帯の唯一の対話の場所)ツアーを予定していた私たちに緊張が走りました。危機管理の観点からすれば中止する勇気云々という議論もあるところです。
果たして、加護野先生の「そんなもん、行ってみな、わからへんやん」の一言で予定通りツアーを決行しました。普通に帰ってこられましたが、南側の微動だにしない若い兵士と北側の眼光鋭い兵士に囲まれて装甲車が行きかう中での観光は忘れられない思い出となりました。
同時に偉大なる経営学者とは、類まれな好奇心と人並み外れた肝っ玉を持っているということをMBAカリキュラムの仕上げとして教わることができました。 |

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阪神大震災 |
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1995年1月17日(火)午前5時46分52秒
確か、早朝の6時頃に目覚ましをセットしてベッドに入った筈だが…
突然の、地の底から突き上げるような縦の衝撃に、暫くは何が起こっているのか、頭脳レベルではもちろん把握できないまま、かと言って、条件反射的に体が対応するだけの過去における条件の反芻もないような出来事が発生しました。
当時の文部省が、社会人には一年でMBAを取得させることを試みていた年度の私達は、まさに修士論文の総仕上げの時期にあたっていました。
二日前の15日に、加護野先生と大学の研究室で論文の仕上げの方向性について打ち合わせを済ませ、17日は、最後の情報収集のために先生と一緒に石川県のセーレンさんに訪問インタビューの出張を計画していました。
7時半頃に大阪駅発の雷鳥で合流する目論見でしたので、神戸市北区の私は6時ごろ起きてJR三宮から大阪駅に向かう予定でした。
訳もわからないまま、まず先生のご自宅にTELを入れて、“今日の出張は、なしですよね”と確認を取り、(岡本にご在住の先生の周辺は、実は大変な被害を受けられたのですが、直後には奇跡的に固定電話が通じていました)、続いて、私の実家と妻の実家にTELをして“みんな生きてるし、家も壊れてない”旨を伝えました。
その後、同じ神戸の北区に住んでいる直属の上司に、“有給休暇扱いのの研究出張は中止になりましたが、今日は会社にも行けないですね。”と連絡できたのを最後に電話は一切通じなくなりました。
地震発生からおよそ10分程度の間の出来事でした。
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魚の獲り方 |
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合格者を対象にしたオリエンテーションの席に私は座っていました。予定通り?加護野先生のゼミ所属になり、先生のお言葉で目から鱗が落ちました。
事務的な連絡事項のあとで、加護野先生がおっしゃられた次の一言です。「経営学の大学院にビジネスで直面する課題に対する答えを求めに来たのであれば、大間違いなので、今すぐにこの場を去るように…。ここには答えなど何もない。」
一瞬十名強の同窓生は凍りつきました。なかでも、会社派遣でその場にいた数名は
すっかり固まっていました。(93年当時は、ゼミのクラスが十名強で、会社派遣が半分という状況でした)続いて、「ここには、何の答えも存在しないし、教えもしないし、教えられもしない。しかし答えの出し方は責任を持って徹底的に教る…と。」返す言葉を失った一瞬でした。
ずっと、答え(予め存在する正解)探しをしてきた30年強の人生だったのですが、ここには答えはないのか…と。
今では、特にビジネスの基礎スキルの講師のお仕事をやらせていただくときに、中国の故事に由来する次の話をよく引用します。
空腹のあまり行き倒れている旅人に遭遇した漁師のあなたは、さてどうしますか?
1)獲った魚を与えて、その場の飢えを解消させる
2)その場で魚を与えるのではなく、魚の獲り方を教える
3)さらには、魚を獲るための道具の作り方まで教える |

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ほんまに大丈夫なん? |
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MBAの受験にあたって、私の関門は「研究計画書」の作成と「英語」の試験でした。大学生時代にオーストラリアとニュージーランドに半年間ワーキングホリデーで滞在した経験があるので旅行と日常会話には不自由していませんでしたが、英語の論文と戦う自信は全くありませんでした。
まして、“とろこで大学院での「研究」っていったい何のこと?どうすること?”という程度のレベルでしたので、大汗をかきながら研究計画書を作成しました。
当時、日本チバガイギーの人事部に在籍しておられた神大MBAの先輩でいらっしゃる保田さんを訪ねて勇気とアドバイスをいただきながら受験に臨みました。
実際は、“若造が何を言う”と一撃の下に撃沈させられた私なのですが…。長男が三歳、次男が一歳になる33歳の年の出来事でした。 |

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セコロジーのすすめ |
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日曜朝の番組、“がっつりマンデー”で「あなたのセコロジー」が募集されています。セコい裏技を求めているのですが、その一例がポイントとスイカの効果的利用でした。
大手家電量販店では二桁以上のポイントがつくのが当たり前ですが、そのポイントをスイカにチャージするのだそうです。チャージされたスイカで同じ量販店で買い物ができて、さらにその買い物でまたポイントがチャージされて、チャージされたポイントで買い物をしてまたポイントがチャージされて…。
亀を追い越せないアキレスの話を思い出しました。少し先に居るいる亀と同時に走り始めたアキレスが永遠に亀を追い越せないという有限の中の無限のパラドクスです。実際にはどこかの地点で亀を追い抜くことになるのですが、その瞬間までの有限の時間を無限に刻むことが可能なのでパラドクスが生まれるのです。
少し趣はことなりますが、秀吉に仕えた曽呂利新左衛門が要求した米粒の褒美の話も頭に浮かんできました。。81日後には全地球を約1mの高さで覆うほどの米の量になるというお話です。後になって気付いた秀吉は、腰を抜かしたことでしょう。
血液がサラサラになるブレスレットなど医学的にはには存在しませんが、ちょっとだけロジックが背景にあって、それに上手いレトリックが伴えば、大いなる根拠と説得力の源泉になります。
近々、「アパレルを科学する」というカテゴリーもスタートさせます。 |

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加護野先生との出会い |
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その頃、社内で始めて設置された経営企画部のメンバーの一人として、様々な外部情報の収集とナレッジの修得が仕事として認められる、ありがたい環境がありました。
その後恩師となる加護野先生と、ミドルを語らせるとこの方の右に出る人はいない金井寿宏先生が参加される一泊二日の合宿セミナーに出席する機会に恵まれました。金井先生は、初日で帰らねばならないとのことで、食事の席で話題を振ったのですが、ご自分の言いたいことを一方的にお話されて風のように去っていかれました。
一方、加護野先生は…
少しお酒の入った席ではありますが、私の思いと意思をお話したところ、“今年はやめとけ。来年は自分が社会人のゼミを持つことが決まっているので、来年おいで…と。”
それまでの、先生方の反応に腰が引け始めていた私は天にも昇る気持ちになったのでした。 |

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やっぱ国公立 |
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会社に勤めながら国内の大学院に通ってMBAを取得できるという情報に、体中に電気が走りました。その頃の私には、大きな会社のトップエリートが米国や英国に派遣されるものという程度の認識しかありませんでした。すなわち、全くMBAを自分ごととしては考えたことはなかったのです。
しかも、自宅も会社も神戸でしたので、経営学では慶応、一橋と並ぶ神戸大学が足元にあるではないですか。早速、情報収集に走りました。情報収集の過程で、その後大変お世話になる恩師、加護野忠男先生からのとても先生らしいコメントを頂戴いたしました。
大学時代のゼミの恩師である、岡山大学の山口和秀先生のテニス仲間の先生が、その後神戸大学の経営学部に移っておられたという情報をキャッチしたので、さっそく山口先生にその教授を紹介していただきました。ところが、その先生は受験をしようとしている当事者と事前に接点をもつことは倫理的に憚られるということで、丁重に断られてしまいました。
“それは、そうだろうな…”と素直に引き下がった私でした。“でも、硬いこと言うなぁ”と「柔らか業界」に属していた私は愚痴ったのでした。
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MBAとの出会い |
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入社以来、アパレル企業で法務部門を経験しながら、商品に携わったりお店に出張に出ている同期の仲間がやたら羨ましく思える時期がありました。
その時に、“大学時代ほとんど勉強しなかった分、とことん法律の勉強をしてやれ”と発起し、行政書士、宅建を取得し、社会保険労務士、司法書士、弁理士とチャレンジを進めていきました。
ところが、ふと“アパレル業界でこれ以上法律を深堀りしてどうなるの?”と疑問が沸きました。
そこで、“商品やお店というリアルな体験ができない分、頭の中と机上でいいから徹底的に商売と経営を理屈として自分のものにしてやれ”と思うに至りました。
手始めに、販売士(小売商検定)の2級、1級、講師資格、消費生活アドバイザーを取得し、次に中小企業診断士に歩を進めました。一次試験は一発でOKだったのですが、二次の中小企業施策でつまづいてしまいました。さあ、来年は性根を入れて頑張るぞ、とその時に出会ったのが、当時、社会人にも門戸が開かれ始めていた、MBAだったのです。 |

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出るわ出るわ |
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前回、法務という武器を持とうというお話をさせていただきましたが、どうやら武器以前にもっと大事なものを忘れてはならないようです。
それは、経営者のリーガルマインドです。リーガルマインドというと何か特別なことのように感じられますが、日本語で言えば、当たり前の社会常識のことです。
雪印事件が少し遠い昔の話で、ミートホープや不二家の事件があって、白い恋人から赤福、御福にまで飛び火する昨今、安心して口にできる食品はあるのでしょうか?この時代にジュリアス・シーザーのストレスを理解することになろうとは…。
次は、何が出てくることやら。「○○○、お前もかっ!!!」
さらには、ニチアスから東洋ゴムと、業界の硬軟を問わず同じ構造の問題はあるようで、私たちアパレル業界も、カシミヤで痛い目にあったケースもありますし、ダウンでやんちゃをしている大企業もあります。
直近の書籍では、鳥飼重和弁護士の著による「豊潤なる企業−内部統制の真実−」がこの問題に鋭く警鐘を鳴らしています。
知識やスキルは外部から持ってくることができますが、経営者のマインドは本人の内発的動機付けに依存するので、やっかいです。
企業法務の入り口の議論が終わりましたので、次回はカテゴリーを転じます。 |

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武器を持とう |
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医学の世界に「臨床医学」と「予防医学」という分野があります。前者は、怪我したり病気になってしまった後で、それらを治すことを指します。後者は、怪我や病気を未然に防ぐさざざまな方策を総称したものです。
同様に企業法務にも「臨床法務」「予防法務」があります。トラブルや事件が起こってしまってから、それらに対処するのが臨床法務です。速やかに情報開示をしたり、商品回収を図ったり、再発防止策を立案したりすることがこれに当てはまります。
そのうち、再発防止策の立案は広義の予防法務に入るのですが、本来的には、そもそもトラブルや事件が起こらないような対策を施しておくことが予防法務です。事が起こってしまった際の迅速な対応マニュアルを定めることも重要な予防法務となります。
さらにその先には「戦略法務」という概念があります。予防を超越して法務事案を戦略的に企業活動に活用することです。なかなかイメージしにくいかもしれませんが、敗訴は免れないが立場を明確にするために裁判を起こすとか、昨今我が国でも動き始めた、部分的に分散している特許権を集約することでパテント収入を得る行為などがこれに当てはまります。
■□■迅速かつ的確に対処する(コトが起きてから)「塵取りと箒」
□■□未然に予防する(コトが起こらぬよう)「盾」
■□■戦略的に活用する(コトを利用する)「矛」
以上が、企業法務の3ステージです。掃除道具はもとより、是非とも両方の武器を持ち合わせて下さい。 |

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いま再び企業法務 |
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「コンプライアンス」「内部統制」「CSR」などの言葉を耳にしない日はありません。再び「企業法務」が注目される時代がやってきました。
私が法務部門に配属された1984年当時は、企業法務という言葉は今ほど馴染みのある言葉ではありませんでした。それが、80年代終わりから90年前後にかけてバブルの波とともに「企業法務」のうねりが起こりました。時はまさに、リクルート事件が大きな社会問題となり、企業の財テク(すっかり死語となってしまったが)などの本業とは無関係のバブリーな利益追求行為の是非が問われた時代でした。
十数年の年月を経て再び経営者が法務に真摯に直面しなければならない局面となりました。我々にはなかなか実感の沸きづらい景気拡大の昨今ですが、経済や経営がある種の成長を遂げて異なるステージに到達することで、経営者は、新しい、さらなるルールの遵守を求められることになるという歴史的必然のように感じられます。
時代は異なるものの、そこには普遍的原理原則や思想があるように思えます。「企業法務」シリーズでは、80年代の法務の波を専任担当者として経験し、現代の波をコンサルタントという立場で実感している私が、現場体験知をベースに少しだけアカデミックに論述を進めてまいります。
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ご挨拶 |
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アパレル業界では、「商品」「ブランド」「店舗」などに関わる専門職能を有する方々は企業の内外を問わず数多く活躍しておられます。
私は、主にスタッフ部門を通じてアパレル業界に携わってきました。
法務部門に始まり、経営企画部門にて新業態(SPA事業)の立ち上げ支援と情報システムの構築、情報システム部門にてPOS情報分析手法や需要予測ロジックの開発、さらにはインターネットプロジェクト等を経験し、ダイレクトマーケティング(通販)事業の立ち上げにおいては、ライン部門も経験することができました。
その間、MBAを取得したり、他業界の諸先輩やコンサルタントの方々から、多大な刺激と知識の吸収をさせていただいたのですが、最後のライン部門の経験で自分のキャリアに一区切り感を感じました。
そこで、アパレル業界に限らずもっと色々なな業界の方々と、世代や業種を超えた知識交流を図りたいという想いから会社を卒業させていただき、現在のコンサルティングおよび教育の活動を開始するに至っています。
ところで、総務、経理、人事、経営企画、情報システムなどのスタッフ部門はどの会社にもありますが、アパレル業界では人事畑や経理畑出身の経営者というのは他の業界と比べてあまり耳にすることがありません。
現場と対比して管理部門と総称されることも多いこれらの部門ですが、経営基盤として極めて重要かつ普遍的な機能があると考えます。
しかしながら、管理系ということで一括りにしてしまったり、消極的人材配置しかできていない企業が多いというのが業界の実情ではないでしょうか?
私の「超・管理法」は、アパレルにとって屋台骨である商品、ブランド、店舗などとは別の分野に焦点を当てて、経営者および現場の皆様にとって下記のような「気づき」を提供することで、管理系業務の本質的重要性の理解の一助になることを目指します。
■日常的にはそこまで深く考えていない
■これまで全く聞いたこともなかった
■そんな発想はしたこともない
もともと、ソフトや感性には強い者が成長し生き残っているこの業界において、いわばハードな経営インフラとも言える管理系の分野でも強靭な足腰をもつことができれば、それは鬼に金棒です。逆に、管理系の脇が甘かったことからもろくも崩れ去る事例は、アパレル業界に限らず枚挙に暇がありません。
21年の実務経験とMBAの理論的フレームワークと他業界も含めたコンサルティング活動から得られた知見を駆使して議論を進めてまいりますので、よろしくお願いいたします。 |
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