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2017 YUMI KATSURA Collection
オペラでつづる新結婚物語



2月15日,「2017 YUMI KATSURA オペラでつづる新結婚物語」のブライダルショーが新高輪プリンスホテル ”飛天の間”で大勢のゲストを迎え行われました。






今回は桂由美ブライダルショー始まって以来の、生のオペラとの共演で、全体が8つのブロックに構成され、ゲストには著名なオペラ歌手を迎え、曲目も比較的馴染みのあるオペラの名曲と、日本人にもゆかりのある「蝶々夫人・ある晴れた日に」等の曲が迫力十分で、その名の通り新しい結婚式のスタイルを作り出せたような気がしました。


シモーナ・トーダロ・パヴァロッティさん





ジョン・ルーカスさんとゴスペル歌手の皆さん






ルチアーノ・パヴァロッティの姪のシモーナ・パヴァロッティやフェデリカ・ヴィタリの両ソプラノをはじめ、日本人バリトンの高橋正典、大山大輔さん他5人の男女の歌手にゴスペル・シンガーソング・ライターのジョン・ルーカスさんらがショーを盛り上げてくれました






伊藤若冲「白鳳」よりインスパイヤーされた和紙職人がユミラインの三位一体のマリエを表現


フィナーレでの桂由美さんと、シモーナ・パヴァロッティさん(左)とフェデリカ・ヴィッタリさん(黒いドレスのお二人)


 2017/02/16 17:15  この記事のURL  / 

コレクションーその光と影−18
「山口小夜子 未来を着る人」

昨10日夜、「山口小夜子 未来を着る人」のオープニング・レセプションが
東京都現代美術館において行われました。
小夜子のヘアメイクスタイルで出迎えてくれたモデルさんたち

1970〜80年代に、世界のトップモデルとしてパリ・コレクション等で活躍した山口小夜子。残念ながら2007年に急逝しましたが、今回の企画展は二つの要素が入り組んだものです。ひとつは、コラボレーションを通じて、世代やジャンル、東洋と西洋、オーバーグランドとアンダーグランドなど、生前の彼女の軌跡をアーカイブとともに辿るものと、もうひとつは現在のシーンにおいて大きな影響力を持つ先端的な表現者たちの、小夜子に捧げる新作インスタレーションとなっています。
各種のポスターとコラボレーションの作品

ファッション、音楽、映像、演劇、朗読、パフォーマンス、ダンスなどが混在する実験的なこころみを行ってきた彼女の生涯を振り返りつつ,常に時代の先端を走り続けたその遺伝子を未来へと渡すものです。
等身大の小夜子マネキンと小夜子スタイルのモデルさん

しかし今回の企画展意図とは別に、私個人は彼女に対しての特別な畏敬の念がある。
私が撮影した80年代パリコレの山口小夜子

それは1979年、初めてパリコレ撮影に行った時、私は日本人カメラマンとしてコレクション会場でかなりの差別と嫌がらせを受けたからである。当時パリコレ撮影は、東洋人カメラマンは日本人のみで、まして日本から撮影に出かけていたのは私一人であった。
ショー会場で私が撮影場所を探していると。見知らぬ白人女性が、
「お前はどこから来た」と聞くから、私が「日本からだ」と応えると、
「日本人か、日本人はコピーするのがうまいからな、、また写真を撮って帰って日本でコピーするんだろう!?」といきなりそう言い放った。
私は悔しさと腹立たしさで一杯だったが、そんな彼女の悪態に反論できるほどの語学力もなければ度胸も無かった。ただただ彼女に言われるがままであった。
亡くなる4ケ月前の山口小夜子さんと

そんな精神的に落ち込む私に、勇気と励ましを与えてくれたのが、すでに世界のトップモデルとして活躍していた山口小夜子であった。ステージで堂々と振る舞う彼女の姿にどれほど私は勇気ずけられたかしれない。そしてその後、高田賢三を筆頭に三宅一生、山本曜司、川久保玲といった優れた日本人デザイナーたちの目覚ましい活躍が、私に大きな刺激と励みに成った事は言うまでもないからである。
山口小夜子のインスタレーション

「山口小夜子 未来を着る人」は4月11日(土)から6月28日(日)まで江東区の
東京都現代美術館にて開催されています。
今回の企画展を記念して発刊された「山口小夜子 未来を着る人」の表紙

今回発刊された本に掲載された私の写真(右側頁は右のみ)

私が撮影いたしました山口小夜子さんの80年代パリ・コレクションの写真も展示されておりますのでご覧いただければうれしい限りです。

東京都現代美術館 江東区三好4-1-1 TEL:03-5245-4111



 2015/04/11 12:53  この記事のURL  / 

コレクションーその光と影−17
著名デザイナーと世界の有名人

 以前、パリコレでは著名なデザイナーと世界的な有名女優の仕事上での密接な繋がりがよく見られたが、昨今ではそうしたこともあまり見かけられなくなった。なんといっても有名だったのはユベールド・ジバンシーとオードリ・ヘップバーンだろう。ジバンシーはとくに、「ティファニーで朝食を」、「おしゃれ泥棒」「麗しのサブリナ」、「シャレード」など、世界的にヒットした映画で、主演のオードリーのために数多く衣装を製作している事でも知られる。
私は幸運にもジバンシーとは3度ほど一緒に仕事をさせていただいた。最初の仕事は80年秋冬オートクチュール”と81年春夏ヌーベル・ブティック”でのジバンシー来日コレクションだった。11月14日、ホテル・オークラでおこなわれたこのショーは、日本での本格的なパリコレとあって大成功裏に終わった。

  
ジバンシーの直筆サインとショースタッフからの誕生祝いのメッセージ
(Hubert de Givenchy 1980aw-Haute couture / 81ss-Nouvelle de Boutique)

そしてショー終了後の打ち上げ会場で、私がジバンシーさんに、「明日は私の誕生日ですので、このパンフレットにサインをしてください」と申し出ると、彼は笑顔で、およそ2メートル近くもある大きな体とは不釣り合いな、ほそい小さな文字でサインしてくれた。
そしてその後、パリコレの会場で顔を会わすと、いつも優しい笑顔で接してくれたのを思い出す。    

ジバンシーと私 (Hubert de Givenchy)

また「ジバンシー30年回顧展・華麗なモードの世界 THE GIVENCHY Show」 「83春夏コレクションオートクチュール,美は時の流れを超えて」で4月に来日したときは東京、大阪公演のスタッフとして一緒に参加させていただいた。
このイベントは、前年の82年にニューヨークで30周年記念のショーを開催し、翌年、日本で開催する事がきまっていたようだ。そしてオードリはこのイベントの名誉会長として初来日を果たしたのである。

オードリー・ヘプバーン (Audrey Hepburn)

この時のショーで、いまでも印象的に残っているのは、ショーのフィナーレで、ステージにスモークが漂い、ムーン・リバーの曲にのって、憧れのオードリ・ヘッブバーンが現れたときだった。私はもちろん、会場中が感動とため息で満ちあふれていたのをいまでも昨日の事のように憶えてている。オードリーがジバンシーへの感謝の言葉を述べると、ジバンシーもステージに登場した。私は無我夢中でカメラのシャッターを切ったが、興奮で自分の手が震えていたを憶えている。

ジバンシーとオードリ・ヘプバーン (Givenchy & Audrey Hepburn)

またジバンシー同様、イヴ・サンローランとカトリーヌ・ドヌーブも仕事上でのパートナーとして有名である。カトリーヌ・ドヌーブはサンローランのショーたびによく会場に姿を見せていた。


カトリーヌ・ドヌーブとイヴ・サンローラン( Catherine Deneuve & Yve Saint Laurent)

そしてエマニュエル・ウンガロとアヌーク・エーメ。ヴァレンティノ・ガラヴァーニとシャロン・ストーンなども有名である。もちろんコレクションには女優さんだけではなく、世界的な俳優や文化人、アーチストといった人たちも数多く訪れる。


エマヌエル・ウンガロ(上左中央前)とアヌーク・エーメ
(Emanuel Ungaro & Anouk Aimee)

ヴァレンティノのショーに世界的大スター、シルベスター・スターロンが訪れたときは、特にイタリア人カメラマンたちが大騒ぎしたのを思い出す。私もちゃっかりとカメラケースにサインしてもらった。

シャロン・ストーンとヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Sharon Stone & Valentino Garavani)

シルベスター・スターロンと私 (Sylvester Stallone)

そして世界的な歌手で女優のマドンナも、J.Pゴルティエやミラノのドルチェ&ガッバーナのショーに訪れる事も多い。


J.Pゴルティエとマドンナ (J.P Gaultier&Madonna)

やはりパリ・コレクションは世界の花形社交場であることにまちがいない。

 2015/03/28 09:55  この記事のURL  / 

コレクションーその光と影−16
パリ・コレと映画「プレタポルテ

パリコレの著名なデザイナーのショーでは、世界的に有名な俳優や文化人といった人たちが良く訪れる。そんななかでも’94年3月の秋冬コレクション中に、映画「プレタポルテ」(ロバート・アルトマン監督)が撮影されたときは、いつものパリコレとは少し雰囲気が違っていた。

映画「プレタポルテ」のDVD

映画「プレタポルテ」はパリコレを舞台に、デザイナーやカメラマン、モデルなどファッションを取り巻く人々と,それを取材するマスコミの人たちの人間模様を描いたコメディ映画である。
ソフィア・ローレン(Sophia Loren)

パリコレの会場で私が撮影した世界的女優は、映画「昨日、今日、明日」、「ひまわり」で有名なソフィア・ローレン、名優ハンフリー・ボガートと公私ともに名パートナーだったローレン・バコール、同じく映画「ナイン・ハーフ」で有名なキム・ベイシンガー、「男と女」のアヌーク・エーメなど、この時ばかりはモードの祭典が、まるで”映画の祭典”を思わせるようであった。
ローレン・バコール(Lauren Bacall)

キム・ベイシンガー(Kim Basinger)

アヌーク・エーメとロバート・アルトマン監督(Anouk Aimee/Robert Altman)

この他映画には名優マルチェロ・マストロヤンニ、ティム・ロビンス、ジュリア・ロバーツといった有名俳優も数多く出演している。

そしてこれらの有名女優と一緒に、ナオミ・キャンベル、クリスティー・ターリントン、クラウディア・シハー、ヘレナ・クリステンセンといった当時のスーパーモデルも出演している。

またこの映画の撮影で私が何よりも驚いたのは、ショー開始前にステージサイドのカメラマン全員にフランス語と英語で書かれた用紙が配られ、そこにはショー本番中に映画を同時進行で撮影します。ついてはカメラマンの皆さんの顔が映画のなかで映る事もあります、その際肖像権に関しての承諾とサインをお願いしたいということであった。
さすが映画大国アメリカ、そこまで徹底してるのかと感心したものだった。
ISSEY MIYAKEのショーでのソフィア・ローレン (Sophia Loren)(右端)

映画「プレタポルテ」はパリコレ期間中、JP・ゴルティエ、C・ラクロワ、三宅一生、S・リキエル、サンローランなどといった、パリコレでも人気ブランドのショー本番中に撮影が行われた。
そして私が最も印象的だったのはサンローランのショーで、会場のアナウンスがソフィア・ローレンの来場を告げると会場中の全員が立ち上がり、彼女を暖かく拍手で迎えたことだった。

ソフィア・ローレン(Sophia Loren)

つば広の大きな黒い帽子をかぶり黒いスーツのソフィア・ローレンは大柄で威厳があり、さすが大スターとしての貫禄があった。
映画のエンドロールに映っていた私(右下) DVDより

翌年,日本でも映画が公開されエンドロールに自分の顔を見つけたときはうれしさのあまり、その後DVDが発売されると記念に即購入した。
 2015/02/13 15:37  この記事のURL  / 

コレクション−その光と影−15
出国検査と白い粉事件

1980年代、世界のコレクションは、ミラノ・コレクションからスタートし、
ロンドン、パリ、ニューヨーク、そして東京の順で行われていた。そして通貨も現在のユーロではなく、各国はそれぞれ独自の通貨を使用していた。

当時、日本から海外のコレクションの撮影に行くのは私一人で、そのため今では到底考えられない、日本を代表する複数の新聞社や通信社の撮影を一手に引き受けていた。裏を返すとまだファッションというものが市民権をもたず、認知度も低かったということだろう。
1982/83aw-KENZO Paris

パリコレを例にとってみても、文化面の片隅に小さな写真が1枚と、開幕を告げる短い記事が載っているだけの寂しいものだった。
だからこそマスコミ各社が同一人の写真を使ったところでさほど気にもならなかったし問題もおきなかったのだろう。
ただしここでお断りしておくが、各社がおなじ写真を使用していたのではなく、それぞれは別カットの写真を使用していた。

話をショーに戻そう、2月から3月にかけて行われる秋冬コレクションの比較的大きなショーでは演出で、雪を降らすシーンが時折ある。
前にも書いたが90年代後半まで、ステージサイドで撮影しているカメラマンにもモデル同様、雪は容赦なく降りかかる。そしてこの雪がただものではない。


1982/83aw-KENZO Paris (雪が舞うシーン)

80年代のショーで降ってくる雪は、石灰のような小麦粉のような雪で、一度頭や服についたものは払い落とさなければならない厄介なものだった。



2006/07aw-D&G Milano (ステージにセットされた雪のシーンと舞う雪)

現在のショーやイベントで使われている雪は本物の雪同様、服や体についてもほんの数秒で自然に消えてしまうし、何の害もない。



2007/08aw-CHANEL Paris (近年のショーでの雪が舞うシーン)


あれは確か80年代中半だったと思うが、ミラノ、ロンドン、そしてパリコレの撮影を終え、某ファッション専門誌の取材で再度ミラノへ向かう、パリのC.ドゴール空港の出国検査場で起きた。
一泊だけの撮影のためスーツケースをパリのホテルに残し、簡単な手荷物とカメラケースをいつものようにベルトコンベアーに載せ、私がゲートを通り過ぎようとしたそのときだった。
シャルル・ドゴール空港-T-2B

ゲートの先に立っていた、税関員らしき彼と視線が合うと、無表情の彼は自分の顎を少し右肩の方にもちあげると、私にこっちに来いとばかりに無言で合図した
私は一瞬驚いたが何のやましさもないので、手荷物とカメラケースをもって素直に彼に従った。すると彼は相変わらず無言でカメラケースの蓋を開ける仕草をすると、パスポートと私が腰につけてるポシェットをテーブルの上に置くよう合図した。
シャルル・ドゴール空港-T-2B

間仕切りされたケースのなかにはカメラとレンズが整然と並んでいた。そしてそのひとつひとつを手に取ってチェックしていた彼の目が一瞬かたまった。ケースの中に、昨夜のKENZOショーで飛び散った白い粉を発見したのだ。そしていきなり自分の人差し指にその粉をつけるとおもむろに舌先へともっていった。麻薬とでも勘違いしたのか、、、
私にはそんな彼の真剣な表情の方が滑稽にもおもえてならなかった。

そして検査はなおもつづき、ポシェットから日本円、米ドル、イタリアリラ、イギリスポンド、そしてフランスフランと5ケ国の紙幣を見つけると彼は何を思ったのか、周囲に居た仲間たちを呼び、近くの部屋へと私を連れて行き、着てるものを脱ぐようにと言った。
4,5人税関員に取り囲まれたパンツ一枚の私は、このときばかりは自分の知っている限りの英語とフランス語で説明した。白い粉のことは相手もすぐにわかったが、何カ国もの紙幣を持っていた事の方がむしろ彼等には怪しまれたようだ。

かくして疑惑が晴れ無罪放免となった私は、辛うじてミラノ行きのフライトに間に合うことができた。
 2015/01/09 12:16  この記事のURL  / 

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プロフィール


大石一男 (おおいしかずお)
KAZOU OHISHI


写真家・フォトジャーナリスト

長崎市生まれ。大学卒業後、テレビ番組の制作に8年間携わる。1979年に初めてパリコレクションを撮影。以降、ミラノやロンドン、ニューヨーク、東京、ソウルと世界のコレクションを長年に渡り撮り続ける。 東京ファションウィークには、第1回目からオフィシャルカメラとして参加。

2013年、第31回「毎日ファッション大賞」鯨岡阿美子賞受賞。著書に「カメラマンのパリコレクション」(読売新聞社)、おもな写真集に「Paris collection 1981〜2000」(新潮社)がある。

大石一男 オフィシャルサイト
http://www.kazouohishi.com/


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