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コレクションーその光と影ー7
カメラマンのショーボイコット

30年余のパリコレ撮影で、私はカメラマンによるショーのボイコットを三度度経験している。
最初のボイコットは80 年代中半に、パリコレ会場がルーブルの中庭、クール・カレから一時期、隣のチュルリー公園へ移動したときジャンポール・ゴルティエ (Jean-Paul Gaultier=以下JPG)のテント会場でおきた。


Jardin des Tuileries (チュルリー公園)

それはカメラマンとJPGのプレス担当者の入場をめぐる些細なことがきっかけだった。しかしあまりにもプレス担当者の横柄な態度に、カメラマンの一人が突然、「ボイコット!」と叫ぶと、回りにいたカメラマン全員がそれに呼応するかのように入場を拒否し、ショーをボイコットすることに同意した。

すると東洋人らしきカメラマンがひとり入ったとの連絡が有り、それが日本人だという事が判明すると周囲にいたカメラマン達は、私と側にいた日本人カメラマンに、中に入ってすぐ連れ戻して来いと迫って来た。
私は恥ずかしさと腹立しさで中へ入ると、彼に一緒に外へ出よう誘った。すると横にいた編集者が「うちは関係ない!」と平然と言い放った。
私は思わず「カメラマン全員で決めた事だから協力して欲しい。ここで日本人だけが裏切ることはできない!」と言った。
すると当事者のカメラマンは悟ったかのように「僕も出ます!」と自らそう言うと私と一緒にその場を離れた。

入場を待つカメラマン (記事とは関係なし)

外で動向を見守っていた大勢のカメラマンたちは、私たちの姿を見つけると、皆が拍手と口笛で迎え入れたくれた。そして何よりも私が嬉しかったのは当事者の彼が「ありがとう!僕も出て来て良かったです」と言ってくれたことだった。


二回目のボイコットは95年3月、シャイヨー宮で行われたクロード・モンタナ(Claude Montana) の95/96秋冬コレクションだった。
エッフェル塔が真正面に見える、パリでも屈指の観光名所だ。

La tour Eiffel (シャイヨー宮からのエッフェル塔)

例によってカメラマンは会場入口に1時間も前から列を作って並んでいる。そこへ4、5人のテレビクルーがやって来た。彼等は胸に下げたカメラパスを入口の警備員に示し入場許可を確認した。彼等が下げているカメラパスはバックステージパス(以下=BSP)と呼ばれるもので、事前に楽屋での撮影を許可されたものである。

パリコレでは一般的にコレクションを撮影するカメラマンパスと、楽屋専用でヘア、メイクアップ、アクセサリート等を撮影するBSPの二種類がある。
そしてBSPは基本的にはショー撮影のカメラマンより先に入場できる。誤解されると困るのであえて断っておくと、BSPが通常のカメラマンパスよりも優先されるということではない。楽屋での撮影はショー本番前でないと難しいからである。

Palais de Chaillotシャイヨー宮 (左の建物)

しかし警備員はどうしたことかテレビクルーを中へ入れようとしない。そしてクルーがしきりにBSPの説明をしても聞こうとしない。
業を煮やしたクルーが強引に入ろうとしたその瞬間、警備員の右手がクルーの一人の顔面にあたった。

ことの一部始終を見ていたカメラマンたちが、思わず警備員に詰めより抗議したが彼は詫びるようすもなく平然としていた。
入口のただならぬ騒々に、何事が起きたのかとばかり慌てて飛んで来たプレス担当者は事情をのみこめないのかしきりに言訳ばかりを繰り返していた。
そして痺れをきらしたカメラマンから自然発生的に「ボイコット!ボイコット!」と声があがると、もう誰一人として会場に入ろうとする者はいなかった。

既に会場内には大勢のプレスやバイヤーの人達が、カメラマンの姿が見えないただならぬ気配に異変を感じ取っていた。そしてあとで事情を知った多くのジャーナリストはカメラマンの取った行動に理解をしめしてくれた。

ただ全く事情を知らないモデルたちは、ショーが始まってカメラマンがいない事にはじめて気がついたという。いつものフラッシュの雨を浴びることもなく、ただ淡々とステージを歩いていた姿がどこか寂しげだったという。

Claude・Montana (1985-s/s collection) クロード・モンタナ (左)

翌日、フランスの有力新聞のファッション欄に、他のデザイナーのコレクション写真に混じって、モンタナの箇所だけがイラストで掲載されていたのが印象的だった。

ボイコットの際、メゾン(ブランド)のビデオとカメラだけは対象外で彼等が撮影した写真が配信されたはずなのだが、編集者がカメラマンの意図を汲み、あえてイラスにしたとの話をきいたときはなかなか粋な事をやるなと思った。

そして99年3月、それはまたしてもジャンポール・ゴルティエの秋冬コレクションのときだった。会場は ”デコラティフ”で、主会場のカルーセルのすぐ上にある然程広くないホールである。
ここでやるんだったらすぐ下にある広い会場でやってくれればと思ったのは私だけではないはずだ。ゴルティエらしい皮肉めいたものを感じた。

Les Art Decoratif (デコラティフ-右側の赤い垂れ幕、左はカルーゼルの入口)

当時、人気絶頂のゴルティエがこんな狭いところでショーをやる事自体に無理があり、私は会場を知った時から何故か嫌な予感がしてた。

3月のパリはまだ寒く、ましてこの夜は生憎の雨だった。
ただでさえ寒いのに雨のなかで長時間待たされるカメラマンは皆、苛立つていた。
そして先頭のカメラマンがやっと入場したかと思ったら、ものの数分で会場から飛び出してきた。
「カメラマン席が狭く、とてもこんな人数(約200人)は入れない!」と興奮したかのように叫んでいる。

そしてゴルティエのプレス担当者にカメラ席を広くするよう皆で交渉したが、聞き入れるそぶりはない。それどころかプレス担当者のあまりにも理不尽な態度にカメラマンの多くからボイコットの声があがった。

日頃は互いがカメラ席をめぐって、時には殴り合いの喧嘩までするが、仲間や
理不尽な事には驚くほど皆がひとつにまとまるのも、このコレクション撮影に携わるカメラマンに共通してることである。
それはともに苦しみ戦ってきた者にしか理解できない、いわば戦友なのである。

 
(左)ショー開始前のカメラ席/(右)有志の打上げパーティ

雨にうたれ体の芯まで冷えきった重い体をひきずって、それぞれの家路に向かうカメラマンの後ろ姿には、ショーを撮れなかった悔しさよりも寂しさがにじみでている。

そして印象的だったのは翌シーズンから数シーズン、ショーのフィナーレでゴルティエがステージに姿を見せると、カメラマン席から一斉に、ウー、ウー、ウーと、大ブーイングが浴びせられていたのが今も忘れられない。

Jean-Paul・Gaultier (2007-s/s collection)ジャンポール・ゴルティエ

しかしこのブーイングは、決してゴルティエを誹謗するものではなく、カメラマンからゴルティエに対しての皮肉をこめた愛のメッセージなのである。
80年代から現在まで、長きにわたってパリコレをリードしてきたゴルティエに、すべてのカメラマンは、畏愛の念をもっているから、、、

 2014/09/08 00:05  この記事のURL  / 
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プロフィール


大石一男 (おおいしかずお)
KAZOU OHISHI


写真家・フォトジャーナリスト

長崎市生まれ。大学卒業後、テレビ番組の制作に8年間携わる。1979年に初めてパリコレクションを撮影。以降、ミラノやロンドン、ニューヨーク、東京、ソウルと世界のコレクションを長年に渡り撮り続ける。 東京ファションウィークには、第1回目からオフィシャルカメラとして参加。

2013年、第31回「毎日ファッション大賞」鯨岡阿美子賞受賞。著書に「カメラマンのパリコレクション」(読売新聞社)、おもな写真集に「Paris collection 1981〜2000」(新潮社)がある。

大石一男 オフィシャルサイト
http://www.kazouohishi.com/


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