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コレクションーその光と影−4
ミラノの厳しい洗礼

パリコレの話が続いたので、ここでミラノコレクションの話もしなければならない。
パリに遅れること1年、1980年3月、私のミラノコレの撮影は始まった。パリコレで若干の経験はあったものの、初のミラノでの仕事は期待と不安がいりまじり複雑なものがあった。ましてミラノコレはパリコレより先に開催され、当時、飛行機でアンカレッジ経由でパリに行き、そこで乗り換えてミラノへ着く頃はほぼ1日が経過していた。

Duomo di Milano (ドウオーモ)


中央駅のすぐ近くにあるこじんまりとしたホテルに荷物を解くと、パリでもそうだが真っ先にやることは、先程フロントで手渡された封筒の束をベッドに座り込んでチェックする事から始める。

事前にホテル宛に申請していた、明日からはじまるコレクションの招待状である。いつものことだが、沢山来てるからといって安心はできない。事前に送られてくるもの中には重要なものが得てして少ないからである。
重要で有力なメゾン(ブランド)ほど、私たち(報道関係者)を焦らすかのようにコレクション前日や、時には当日の朝、バイク便で届けられることも多いからである。

一通り、招待状を曜日ごとに仕分けると、どうしても見たかったドウオーモへと地図を片手に向かった。


G.V.EmanueleU(エマヌエル アーケード)


天を突き刺すようにのびた尖塔がその壮大さを感じさせる。そしてドウオーモを後に、すぐ横のエマヌエルアーケードを通り、正面のスカラ座を見物してホテルへと戻った。
La Scala (スカラ座)


ルームキーを受け取る際、フロント係が、”生憎ですが明日はゼネストです“という。最初は意味がわからず、私が首を傾げていると、公共機関の乗り物は総て動かないという。私は一瞬戸惑ったが、それでも何とかなるだろうと軽く考え部屋へと戻った。

そして翌朝、初めて体験したゼネストは私の想像を遥かに超えていた。

通りには、若干の自家用車らしき車が時折走るだけで閑散としていた。
私は初めて事の重大さに気づき慌ててホテルへ引き返すと、フロントのスタッフに車を何とかならないかと懇願したが、彼等はなす術がないとばかりに両手を広げて首をすくめるだけだった。そして私は再度通りに出るとなりふりかまわず走ってくる車に両手を広げて止まってくれるよう合図した。

(写真左)ゼネスト中のミラノ・フィエラ(FIERA)周辺。車が全く走っていない (左側の時計は午前11時を指している)/(写真右)普段の Fiera di Milano (ミラノ・フィエラ周辺)


走りながら運転席から怒鳴るもの、上手に私を避けて走り去るもの、30分もたっただろうか一台の車が止まってくれた。しかし方角が違うというのでそのまま走り去ってしまった。

ショー開始時間はまもなくだ。諦めかけたとき私の前で車が止まった。
彼は左手で私に乗れと合図すると黙って走り出した。私はバッグからあわててショーのチケットを取り出すと彼に行き先を指差した。
「ああ、フィエラね!」彼は一言だけそういうと車を走らせた。私は何も喋る事が出来ず、ただ「グラッツイエ、グラッツイエ」(ありがとう)と繰り返していた。そして20分も走っただろうか、大きな建物の前で車は止まった。

1983年3月 Fiera di Milano (フィエラのミラノコレ主会場入口)


「さあ、ここだ、急いで行け!」、彼はそう言うと会場入り口を指差した。私が慌ててお金を差し出すと彼は受け取らず、笑顔で「チャオ!」と言うと走り去ってしまった。
彼の車を見送ると、私はショー会場目がけて一目散に駈け出した。

例年の Fiera di Milano (フィエラのミラノコレ主会場入口)


会場近くまでくると音楽が聞こえてきた。既にショーが始まっているのだ。チケットを提示し中へ入ろうとすると、屈強なセキュリティが両手をひろげ、もうショーが始ってるから駄目だという。私はしつこく何度も食い下がったがそれでも聞き入れてはもらえなかった。
するとそこへもう一人のカメラマンがやって来た。そして今度は二人で強引に頼み込んだがだめだった。
そして暫くするとどうしたことか、そのセキュリティがチケットをよこせと私たちに手のひらを差し出した。
やっと入れると喜んでチケットを差し出すと、彼はこれみよがしに、二枚合わせたチケットを高く翳すと細かく切り裂いてしまった。
そして次の瞬間、彼は何を考えたのか私ら二人に入れと手で合図した。

会場から流れ出る音楽がひときは大きくなり、ショーのフィナーレが近づいている事がわかった。
私は急いでカメラを取り出すと、無我夢中でシャッターを切りつづけた。
フィナーレには、出演したモデル全員が最後の衣装をつけて出てくるからである。もちろん一列に並んで大勢出てくる訳だから満足できる写真など撮れはずがない。せめてもの最低限の写真だけでもと、、、

初めてのミラノコレクションの撮影は、一生忘れる事の出来ないほろ苦いものとなった。そしてこの日、その後の4つのショーは何とか撮影できたが、今回のストライキは私にいろんな事を教えてくれた。とくにこうした突発的な出来事に対処できる語学力の必要性を痛感させられずにはいられなかった。

その後もミラノでは何度かストライキには遭遇したが、このときの経験のお陰で以後は余り苦労した記憶がない。

ただひとつ飛行機のストの際、8時間にも及ぶ長い待ち時間と、再三の飛行場変更で大失態を演じた事がある。この話は又いずれの機会に、、、

 2014/08/17 21:21  この記事のURL  / 
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プロフィール


大石一男 (おおいしかずお)
KAZOU OHISHI


写真家・フォトジャーナリスト

長崎市生まれ。大学卒業後、テレビ番組の制作に8年間携わる。1979年に初めてパリコレクションを撮影。以降、ミラノやロンドン、ニューヨーク、東京、ソウルと世界のコレクションを長年に渡り撮り続ける。 東京ファションウィークには、第1回目からオフィシャルカメラとして参加。

2013年、第31回「毎日ファッション大賞」鯨岡阿美子賞受賞。著書に「カメラマンのパリコレクション」(読売新聞社)、おもな写真集に「Paris collection 1981〜2000」(新潮社)がある。

大石一男 オフィシャルサイト
http://www.kazouohishi.com/


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