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あなたのいちばんのお仕事は、「幸せになること」です。
物心ついたとき、すでに父は他界していた。聞けば、私が生後8か月のころだという。父という存在はどんなものなのか、知らない。「素晴らしい人だった」と祖父がいえば、「あんなに手術の上手な外科医はいなかった」と大叔母がいう。「優しい温厚な人だった」と祖父の弟が言えば、「とてもハンサムでもてたのよ」と母がいう。どれも父なのだろう。そんな父の力をいつも背中に感じながら私は大人になった。立派な父に恥じない人生を、といつ頃から思うようになったかは覚えていない。

「お父さんがいなくて淋しいでしょ」と近所のおばさんがいうと「やっぱり男親がいなくちゃね」とパン屋のおばさんがいう。どちらの意味もわからない。なぜなら、父という存在を知らないからだ。余計な御世話だと思いながら、笑ってすごした。二人揃っていなければならないものが、ひとつ欠ける。それが運命であった場合、その運命を受け止めて、明るく生きる道を自分で探すしかない。で、なければ、負けてしまう。それは損だ。

大人になり、結婚して、子供ができて初めて、父親という存在が分かった。子供にとってとても大切な役目を担っている父親。母親とは違う愛情の在り方。
父と母、祖父と祖母、周りの大人たちといったさまざまな愛を豊かに受けて育つ子供は幸せである。今、それが欠けている。だから、いろいろな事件が起こる。父がいなければ、祖父が、母がいなければ、近所のおばさんが子供たちに愛情を注ぐ。そういうことが、昔はあったように思う。それが大人の仕事だったからだ。

私たちのいちばんの仕事。それは金持ちになることでもなく、有名になることでもなく、人より抜きんでることでもない。私たちのいちばんの仕事、それは「幸せになること」だ。小さなことに幸せを感じる力があれば、だれでも幸せになれる。その感じる力を育てる栄養、それが愛情ではないだろうか。

触ったことも見たこともない父の力を、私は今でも背中に感じることがある。その力に支えられて今がある。見えないものの愛の力さえ、その気になれば、感じることができる。それが私たち人間に与えられた能力である、と思っている。信じている。




 2008/07/31 00:11  この記事のURL  / 

暑いですね、スキンケアを忘れずに。
スキンケア誕生のきっかけ、それは娘の肌あれでした。15歳からヨーロッパにバレエ留学をし、乾燥の激しい国で、バレエという過酷なレッスンで汗をかいては乾くという日々を繰り返しているうちに、肌はすっかり荒れてしまい、なにをやってもなおらない。20歳を迎える娘の「私は今きれいでいたいのに」というひと言がきっかけで、何か私にできることはないか、と思いついたのが「保湿を重点にした商品を開発する」ことでした。

また、そのとき浮かんだもう一つの原風景が明治生まれの祖母の肌でした。丁寧に洗顔したその肌になんどもなんども浴びるように化粧水を繰り返しつけているその姿はスキンケアそのものの基本を思い出させてくれました。たっぷりと保湿された祖母の肌は透き通っていてとても美しいものでした。

祖母の時代は、今のように科学が発達していたわけでもなく、スキンケアの研究がすすんでいたわけでもないので、その時代の普通の化粧水を使っていたはずです。なのに、うつくしい。それはきっと「毎日きちんと肌の手入れをする」という基本中の基本を怠らずに続けていたからだと思います。

スキンケアの基本。それは「丁寧に洗顔して、たっぷり保湿をすること」。この基本を忘れないことです。おなかがすいたら食事をするように、肌が求めているものを自分で理解してケアをすることが大切になります。ひとりひとり体格も体形も違うように、肌の質も状態も違います。まずは、自分の肌に毎日しっかりきいてください。

日本のスキンケア商品は世界でも評価が高く、また最近は技術革新のおかげでよいものが市場にたくさんあります。そして、どれもがスキンケアの大切さをうたっているはずです。基本は同じです。ですから、ご自分の気に入ったものをお使いになる。それが、自分にあっているならば、そのメーカーの勧めるやり方を続けてみるというのがいいでしょう。

また、化粧品は薬品ではありません。即効性があったり、効果がはっきりわかるものではありません。個人差もあります。その点をきちんと踏まえた上で、自分で選択していくことが必要です。

私がやろうとしていること、それはシンプルに続けられるスキンケアを提唱することです。
複雑になりすぎた毎日の中で、せめてスキンケア位はシンプルに。とくに、50代をすぎ、
目が遠く、家事でさえもスローになりつつある私にとっては、祖母の時代への原点回帰です。そして、それは逆にいえば、若い孫娘の代にも必要なことです。毎日のケアをわすれずに。
 2008/07/21 23:11  この記事のURL  / 

トイプードルがやってきた日。
週末に生後2か月のトイプードルが我が家にやってきた。白の男の子。名前はやってくる前から決まっていた。「白米」。そして、まだ決まっていない幻の2匹目の子の名前は「玄米。」犬を飼うことになって、家族でワイワイ話しているうちに何も決まっていないうちから、名前だけが決まった。女の子だったら、つぶあん、こしあん。なんだか、食べ物ばかりの名前が挙がった。


朝早くからわくわくしながら、ブリーダーさんのところへでかけた。着くのが早すぎたらしく、ブリーダーさんはまだ姿がみえない。その間、店内で待たせてもらった。白の小さな塊がこちらを見ている。「この子だ。」生後1か月の時の写真しか知らないはずなのに、なぜか、すぐにわかった。そして、この子も「この家族だ、ぼくの新しい家族は」と思ったのか、大歓迎のジャンプ。あまりにジャンプをするので、「白米」より「ジャンプ」に名前を変えたらいいのではないかと思ったほどだ。動物の間とのコミュニケーションは不思議なほどにうまくいく。動物は相手が動物好きかそうでないか、瞬時にわかるようだ。この点では我が家は「この子」に合格点をもらったようだ。


私たちの家にはプーという名の白のペルシャ猫とハーブという名のゴールデン レトリバーがいた。プーは17歳でこの世を去り、その後ハーブが8歳で逝ってしまった。プーは自宅で介護を受けながら、最期は夫が看取り、お通夜には京都の大学に行っている息子が帰京して送り出すことができた。長寿であっただけに飼い主の私たちに後悔は残らなかった。

一方、ハーブは旅行のために預けていたペットショップに迎えに行ったら、冷たくなっていた。まだ8歳という若さと一昨日まであんなに元気だった姿が重なり、涙が止まらなかった。大きな体を触るとまだ温かい。眠っているだけで、すぐに起きてきそうな感じだった。ゆすったけれど起きない。なにがおこったかわからないまま、泣きながら家まで戻った。「昨夜まで元気だったのですが、今朝、亡くなっていました」という説明が追い打ちをかけた。旅行先から一日早く戻ってきていたので、昨夜迎えに行こうかと思ったのを、「朝シャンプーしてからでいいか」とやめてしまっていたからだ。悔やまれて仕方なかった。

葬儀の日は偶然にも私がザ・ボディショップの社長としての最後の朝礼をする日と重なった。この朝礼が終われば、少しは朝時間ができるようになる。そうなれば、いっぱい朝の散歩に行ってあげようと思っていた。なのに、その約束は守れないままになってしまった。「ごめんね、ハーブ」。後悔の涙がとまらない。忙しい朝、玄関先であきらめ顔に私を送りだしてくれるハーブ。遊んでもらいたくてじゃれてくるのに相手にしてやれなかった時の淋しそうな表情。どの表情も人間のそれに似ていた。「犬はおぼえていないから」と友人が慰めてくれた。しかし、私は覚えている。

生き物を飼えば、必ず死に目にあう。だから悔いのないよう、家族のように一緒に暮らしていくのがいい。しかし、それが十分でなかった場合、心に大きな穴が開く。埋めるのに何年もかかる。ハーブの死後、しばらくは運転をしていると、急に上空にハーブの姿がみえたり、野原を見ると、そこを走っている姿が浮かんだ。そんな日々が続いていただけに次のワンちゃんを飼うのを誰もがためらっていた。そして、数年が過ぎ、やっと次のワンちゃんを家族にする決断ができたのだ。

そこへやってきたのがやんちゃな白米。これからはこの子が家族を笑わせてくれるのだろう。プーとハーブのそれぞれの死は生き物を家族に迎える覚悟を教えてくれた。白米は大丈夫よ。心配しないでね。2匹の写真に手を合わせて、新しい家族を紹介した。


 2008/07/07 22:28  この記事のURL  / 


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プロフィール
蟹瀬 令子(かにせ れいこ)
上智大学文学部英文学科後、博報堂に入社し、コピーライターやコピーディレクターとして活躍。
1999年、「ザ・ボディショップ」を日本で展開するイオンフォレストの代表取締役社長に就任。
ケイ・アソシエイツ代表として、外資系企業、および国内企業のブランディング、マーケティングを手がける。2007年スキンケアブランド、LENAJAPONを立ち上げ現在にいたる。

蟹瀬令子 プロフィール
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