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財産は友達。
夫婦でそれぞれ本を出したことを祝って、友人達が発起人となり、出版パーティを開いてくれた。ご案内の発送の時期が遅かったということもあり、最初は出席者の数が危ぶまれたが、当日その数200名以上になり、盛会のうちに終了した。発起人代表のスピーチは加藤タキさん。私が尊敬してやまない先輩である。また、そのスピーチが、いかしていた。素敵な人は何をやっても素敵だ。

乾杯の音頭は私達夫婦の命を預かっていただいている水町クリニックの医院長、水町先生。「よくも夫婦でこんなひな壇に並んで、恥ずかしいでしょ」その通り。恥ずかしさ百倍であった。先生の愛情深いスピーチは会場の笑いを招き、一気に参加者の気持ちをひとつに束ねた。「そうだ、そうだ、ほんとにどうしようもない夫婦だよね。でも、いいじゃない、そのおバカさん達を祝ってあげようよ」みたいな空気である。うれしかった。

もともと、顔が浮かぶ人たちだけに声をかけて、ファミリータイズのようなネットワーキングの場になれば、と計画したものであった。ふたを開けてみると、その思いが現実となっていた。なごやかで、そして、みんなが昔から知合いであったような雰囲気のなかで時間が笑い声とともに過ぎていった。こんないい人たちに囲まれている私達はナント恵まれているのだろう。感謝という言葉が自然にこだました。

代理店時代、先輩のコピーライターであったT氏は、代表取締役社長となった今も変わらぬ穏やかな笑顔で、会場にきてくれた。これはうれしかった。制作者としてぴか一の頭と分析力、そして、なによりもクライアントに信頼される穏やかな性格。どうやったら、アンナ人になれるのだろう、といつも憧れていた先輩でもあった。

社会的にどんなに偉くなっても変わらない人。そんな人が私は大好きである。今回のパーティはみなさんがVIPだったので、どなたも特別にVIP扱いでお迎えすることができなかった。たとえば、日本が世界に誇るバレリーナ吉田都さんもそのお一人だった。しかし、それをよしとして、楽しんでくださるおひとりおひとりの品格のよさに私達はおおいに助けられた。

もちろん案内状をだしてもなしのつぶてのかたもいた。こんな時こそ、そのひととなりがみえてくるからおもしろい。反面教師として、学ばせてもらうことが多々あった。こちらが一緒に仕事をしてきた人と位置づけていた人から、何の返事もないとき。「あ、そうだ、そうだったんだ」。とあらためてサラリーマン精神から抜け出せない人々の存在を知る。1回しかない人生なのに、淋しい限りだ。

私達夫婦が30年以上、こつこつと築いてきたのは、富でも名誉でもなく、この人脈である。笑いあって、お互いを励まし、認め合い、同時代を生きていく仲間達。今回のパーティはこの仲間達の集いであり、これからの人生をともに助け合っていきていくためのスタートアゲインのテープカットでもあった。

財産は友達。そういえることが一番の幸せではないだろうか。
この会を催してくれた仲間達、そして、参加してくれた友人たちに感謝してやまない。
 2007/06/26 23:43  この記事のURL  / 

許すことと、忘れること。
後一ヶ月で56歳になる。こんな年になる自分を若いときは想像だにできなかったが、確実に目は遠くなり、白髪が増え、動作が鈍くなる。新陳代謝が悪くなるためか、食べた物は肉となり、メタボと化す。そして、記憶力までおちてくる。悪いことばかりかと思っていたら、目が遠くなったり、記憶力がおちるのは結構、必要なことだということが最近わかってきた。

まず、目が遠くなると、近くの物がみえにくい。夫はご飯粒が固まりでみえるらしい。照明を落とした、ムードあるレストランなどにいったときはお皿の上のものがボーとみえるという。「これなに」「それはホワイトアスパラガス」「じゃこっちは」「「それはホタテ」という具合だ。しかし、これはいい塩梅だ。向かい側に座っている私のシワはみえていない。こちらも夫のシミやシワがみえないので、お互いいつまでもいい気分でいられる。

記憶が落ちるのは、これからの人生を精神的に豊かに過ごすのに役にたつ。結婚生活31年、ビジネスパーソンとして32年。この間になにもなかったといったらウソになる。はらわたが煮えくりかえることもあった。涙、涙の日もあった。猜疑心にさいなまれることもあった。そのすべての出来事を明確に覚えているわけではない。しかし、その出来事が起こったときの感情はいまでも、くっきりと思い出すことができる。だからやっかいなのだ。

まだ広告代理店の制作者だったときのこと。外資の大手飲料会社の仕事が舞い込んできた。といっても競合で、来る日も来る日もアイデアをださされては訂正を要求されるという厳しい仕事であった。これをとれば、かなり会社に貢献できる。必ず勝とう。その思いで私はチームを動かした。営業と制作者、マーケッターを含め15人ほどのチームである。私の会議は「蟹缶」と呼ばれていた。缶詰状態で仕事をさせられるからである。そして、厳しくも楽しい仕事は成果を生んだ。1年がかりで扱いをとったのだ。その途端のことである。今までチームにいなかった人々が乱入してきた。「蟹瀬はCMディレクターではないから」という理由だ。我が物顔に振舞う新参者に私は激怒した。しかも、今度はその連中と結託したグループ長がそのクライアントの仕事から私をおろしにかかった。「あの連中が君とはやりにくいといっている」という理由だ。私のチームがとってきたおいしい仕事をさらっていって、自分の成果にしようという魂胆なのだ。

くやしくて、くやして、その夜、東海道線にとび乗って、私は当時の室長の家を訪ねた。暗闇の中、電車の線路を見ながら、悔しさに飛び込んでしまおうかと思ったくらいだ。それを止めてくれたのは幼い2人の子供たちの顔だった。駅前の喫茶店で室長に現状を説明した。しかし、翌日、状況が好転することはなかった。これがビジネスの世界なのだ。この時のことを、今私はこうやって書けるような心理状態になった。サラリーマン世界でいきる悲しい性を克服できない人々を哀れに思うがゆえに「許すこと」ができるようになったからだ。しかし、感情の記憶は残っている。これを忘れることは至難だ。これは長い人生のひとつの例でしかない。

出来事を許すことは出来ても、感情の記憶は残る。年をとって忘れやすくなること。それは、神様がくださった最高のギフトかもしれない。それが、まだ、十分に働かないうちはときどき、ふってわいたように過去の出来事に振り回される。

船井幸雄さんの著書『「本物になる」クセづけ』のなかにこんな一文がある。
ある時期が来たら、
それまでのこだわりを手放すことが、
さらなる成長につながるのだと思います。

さらなるこころの平和を得るために、許すことから忘れることへ。そして積極的に苦い感情の記憶を手放すこと。それが本物の人となり、心和やかな人生につながる。そろそろ私もその季節に突入する。すべてを許した後は、積極的に過去の感情の記憶を消すこと。ほんものの「ゆたかな人」になれる日へ向かって出発の時である。


  

 2007/06/21 02:26  この記事のURL  / 


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プロフィール
蟹瀬 令子(かにせ れいこ)
上智大学文学部英文学科後、博報堂に入社し、コピーライターやコピーディレクターとして活躍。
1999年、「ザ・ボディショップ」を日本で展開するイオンフォレストの代表取締役社長に就任。
ケイ・アソシエイツ代表として、外資系企業、および国内企業のブランディング、マーケティングを手がける。2007年スキンケアブランド、LENAJAPONを立ち上げ現在にいたる。

蟹瀬令子 プロフィール
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