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トンネルを抜けて、新世界へ。
英国市場協議会の勉強会で、バラクライングリッシュガーデンの山田社長と隣り合わせになったのが縁で、蓼科高原のバラクライングリッシュガーデンで開催される第18回フラワーショーに初めてレナジャポンを出店することになった。緑と花の庭を楽しみに来た人々がどのくらいスキンケアに興味を示してくれるかは疑問であったが、ネットとフリーダイヤルでのみ販売をしている私たちにとってはお客様に直に商品を触っていただけるいいチャンスでもあった。店頭に立つのはザ・ボディショップの社長だったころから数年ぶり。ブランドが確立している店頭であっても、お客様を捕まえるのは至難の業であるのに、今回は生まれたての無名ブランドの店。お客様がどんな反応をするか、怖さと楽しみ半々であった。

店舗デザイナーの小川先生と北原デザイナーのおかげで、2週間しか準備期間がなかったとは思えないほどの素敵なブースが出来上がった。ピンク一色の店はそれなりにパンチがあったようで、ディスプレイコンテストでゴールドプライズをいただいた。しかし、一方で「わー素敵なピンク」「造花かと思ったら、本物なんですね。」と声がかかるのはイメージカラーとして花人、赤井勝先生が生けてくださったピンクのバラについてばかり。「シンプルスキンケアのレナジャポンです」「アンケートにお答えくださると、シャルドネの入った洗顔石鹸さしあげます」と声をはりあげても「なーんだ、スキンケア」「石鹸ねえ」とおばさま族の反応はひどく冷たい。「ううう、あの目線はいたい。」「なに、あの、いけないものでもみるような態度は」と頭から吹き出しがでるが、そこはぐっと我慢。これが現実なんですよ、と言い聞かせて、「ならば、あのおばさま族を素敵な笑顔に変えよう」とむらむらと内なるマグマが噴火した。


年をとると、口角がさがる。ちょっとしたいやな表情が、とってもいやな表情になる。自分ではやさしいつもりの目つきが、鋭いものになる。これって、表情が老化するってことなんだけれど、みんなが気にしているのは美容ばかり。素敵な素肌も大事だけれど、やはり表情を老化させてはいけない、と自分にいつも言い聞かせていることを思い出した。で、満面の笑みを浮かべての接客。おばさま族はいつのまにか、私たちの説明を聞いてくれるようになり、アンケートにも答えてくれるようになった。おまけに商品を買ってくれる人も出てきた。売上もついてきた。笑顔はすべてを解決する。明るい表情になったお客様と店頭で美容の話に花が咲く。お客さまと記念写真までとる。4日間の店頭販売はこうやって無事終了することができた。


スタッフ全員「疲れたけれど楽しかった」という感想を残し、幕を閉じたバラクラでのイベントはたくさんのことを教えてくれた。試してもらうとかならずいい反応がもどってきた瞬間の喜びは私たちの商品が確かなものであるという確信をいだかせてくれた。そして、商売はサービスの前に質の良い商品ありき。それがすべてのスタートであるということ。「一人でも多くの人の素肌をきれいに」という願いをこめて去年11月にスタートさせたレナジャポンはバラクラでの初出店を機に、ひとつの長いトンネルを通過した。進むべき道はこれしかない。小さな確信が次なる目標への導火線となった。

4日間のイベントでレナジャポンを訪れアンケートに答えてくれたり、商品を購入してくれた方の数は400名以上にのぼる。おひとりおひとりの反応が私たちの新しいエネルギーになったことは間違いない。みなさまに感謝してやまない。そして、こんな素晴らしいチャンスをくださったバラクラの関係者一同に心からお礼を申し上げたい。種から花を咲かせ続けるバラクラのように、私たちレナジャポンも種から、いつか大輪の花を咲かせたいと願っている。感謝。
 2008/06/26 21:53  この記事のURL  / 

VAIOが切れて、私も切れた。
コンピュータが壊れた。1年前に液晶画面が壊れて、2度目の出来事である。早速VAIOのサポートセンターに電話した。応対にでたのは技術者らしい若者。丁寧すぎるほど丁寧な応対に思わずねじを巻きたくなる気持ちをおさえて、若者の質問に答えた。最後には「やっぱりお預かりするしかありません」という返事。それは素人の私でもわかる。だが、応対の良さは「さすが、天下のソニー」であった。自宅に戻ると一連の故障修理に関する書類がファクスで届いていた。その速さと正確さにも感激した。

そして、数日後、今度はCSセンターからのファクス。修理の内容について説明をしたいので、電話がほしいとのこと。で、朝いちばんで電話をいれた。これが間違いの第一歩。電話にでたのは若い女性であった。

彼女は今回の修理は3か所必要だと説明した後に、メモリーがきえてしまってもいいか聞いてきた。メモリーはまだバックアップをとっていないので、それは困るというと、それなら、故障を修理しなかったことになるがそれでもいいかという。2か所直れば、液晶は復活する。ならば、メモリーをバックアップしてから、再度修理に出す方法もあるのではないかと思って、尋ねたが、それは保証できないと、半分脅しのようになってきた。

何度質問しても同じ言葉を繰り返すだけ。日本語には同じことを違う言葉でわかりやすく説明することができるだけの語彙があるはずだが、同じことの繰り返し。まるで、テープをきいているようで埒があかない。そこで、違う人に出てもらえないかと頼むと、それはできない。違う人が出ても同じことを言うだけだからという。もう、切れそうになるのを抑えて、再度、では、どうすればよいかわからないので、ほかの説明をしてくれないかというと、また、同じ言葉しか発しない。切れた。完全にきれた。なんじゃこりゃ。

私はあなたと話すのでなくソニーから説明を聞きたい。ソニーにはプロの人がいっぱいいるでしょ。先日のサポートセンターの人の説明はよくわかったので、そちらへ電話を回せないかと尋ねるとそれもできないという。

CSセンターを運営したことがある私としては我慢の緒が切れた。教育がなっていない。なぜ、お客が欲している情報を理解しようとしないのか、なぜ、お客が理解できていなことについてわかるまで説明しようとしないのか。文句を言っているのではなく、判断をする情報がほしいだけなのにたったそれだけのことに対応できない。最後はロボットの方がましなのではないかと思ってしまった。

30分の押し問答の後、「それでは午後に別の担当者から電話をし直す」という結論になった。ああ、朝から私も壊れそう。月曜日の朝はこうやってスタートした。

午後にちょっとベテラン風の別の担当者から電話。彼女の説明を5分聞いただけで、選択肢がわかった。「なんだそういうことだったんですね。それでは、まずは2か所を修理して戻してもらって、バックアップを取ったら、再度修理にだしますから」とお願いした。電話の向こうでは「すみません、失礼がありまして」と低姿勢。こちらも思わず大変ですね、と同情してしまう。

ブランドのイメージはサポートセンターやCSセンターなど、電話で対応する業務窓口の姿勢の如何で変わってくる。今回ははじめに○、次に×、最後に二重丸で致命的ブランド破壊になる前に落ち着いたが、×××と続けば、客はそのブランドからはなれてしまう。選択肢は星の数ほどあるのだから。

とくに団塊の世代がPCを駆使するようになると、その世代にあわせた優しい説明が必要になる。「おばさんわかんないから、よろしくね」と頼んでいるのだから、ひとつのことを、せめて3通りくらい言葉を変えて説明できるようになってほしい。それにしてもコンピュータがなくてはビジネスが成立しなくなったこの時代、コンピュータが壊れただけで、人間の神経まで壊れそうになるのはどうにかならないものだろうか。
 2008/02/21 01:11  この記事のURL  / 

その道のプロ、兄に拍手。

私の兄は発破士である。大学を卒業してすぐに建設会社に就職し、山奥の現場に赴任してトンネルを堀り始めた。たまに実家にもどってくると「れいこ、これはトンネルを掘った時に最初に取れた石。安産のお守りになるから」ともってきてくれたりした。まだ私が大学生のころである。現場は大学卒の現場監督にかなり厳しかったらしい。出稼ぎできている人々と一緒の現場。ボーナスがでたので、外国製のタバコをみんなに振舞おうとすると現場の人から「大学卒はハイカラなタバコをお吸いですね」といやみを言われる。兄は一緒に働く人々の心の中の小さな思いに気づかなかったことを恥じ、それからはこちらがよいと思ったことも細心の注意を払ってするようになったという。

その兄が突然、新聞の切抜きを送ってきた。11月15日、日刊建設新聞。そこには国土交通省が企画した世界最大規模の人口地震実験の記事が掲載されていた。人口地震実験の目的は将来の大地震に備えて空港の液状化による地盤沈下などのデータをとり、液状化対策工事に役立てるためであった。この実験に兄が赴任先のシンガポールから招聘されたのである。別の新聞には成功を現場の人々と喜ぶ兄の顔が写っていた。また、他の新聞には「発破の神様を招聘」とかかれてあった。
500箇所に17トンのダイナマイトを設置し、2分で爆発させる。神業とも呼べるものしい。もちろん多くの人の協力があっての成功に違いないが、私は新聞記事を読みながら、涙が止まらなかった。

昔から人のために尽くすのが大好きだった兄は、今こうして自分の技術を駆使して災害の際の大事な空路を守ろうとしている。誰が褒めてくれるわけでもなく、今回のように新聞にとりあげてもらえなければ、誰に知ってもらうことのない、縁の下の仕事。その仕事に一生を捧げている兄を誇らしげに思う。

若いとき演劇を目指したが、祖父に反対され、兄は技術者になった。夢を断ち切って、思いと違う道を歩んでも、こうやって、その道のプロになった兄は、ヤッパリ偉い。父を早くに亡くした私達兄妹は二人でいつも互いに助け合って生きてきたように思っていた。しかし、実はいつも私は兄に守られていたように思う。

優しい兄に守られながら、自由奔放に生きてきた若きころの自分を思い出す。その兄への恩返しは、演劇など芸術、文化をめざす若者の夢がひとつでも実現できるようお手伝いすることではないだろうか。11月に立ち上げた新しいスキンケアブランドLENAJAPONは社会貢献をするための「さくら芸術文化応援団」をサポートする。マーケティイングやブランディングという仕事は発破士のように命を張るわけでもなく、技術の積み上げもない。時代を読む勘だけの商売。こんな仕事につけたのも自分の事は二の次で、まずは妹に何でもやらせてくれた兄がいたからだと思う。そろそろその恩返しをする季節になったようだ。新聞記事は私への追い風になった。兄へおめでとう、そして、ありがとう。
 2007/11/19 15:23  この記事のURL  / 

いくつになっても美肌がお好き
77歳になる夫の母から電話がかかってきた。年を重ねるごとに元気になるのではないかと思うほど、若々しい母は社交ダンスに海外旅行と人生を謳歌している。「この前、令子さんに送ってもらったLENAJAPONの化粧液ね、1週間ほど使ったら、友達が最近肌がきれいになったけれど、化粧品変えたの、って聞かれたわ」と、電話口の声がやけに弾んでいる。モニターテストのときは失礼ながら、もう対象年齢ではないと思ったので、お願いしなかったが、実際は対象年齢内だったようだ。いくつになっても女性は美肌つくりに余念がない。それにしても70代の母が実感してくれたのは嬉しかった。

「ダブル洗顔と書いてあったけれど、メイクは落ちるの」この種の質問は母だけでなく、何人もの友人からいただいた。メイクのいらない素肌づくりを目指していたので、メイク落としについては念頭になかった。「メイクをしている場合はメイク落としを最初に使ってから、洗顔石鹸でダブル洗顔してください。メイク落としが強い場合は洗顔を1回にしてもいいです。」そうだ、この一文をパンフレットに入れておくべきだった。

ダブル保湿についても同じような質問があった。「ダブル保湿って書いてあるけれど、1回目と2回目の間はどのくらいあけて化粧液をつければいいの」実際に自分で使っているときは1回目の後、歯磨きなどをして、肌に化粧液がなじんでから2回目をつけることが多い。つける間隔は自分の肌のコンディションとの相談なので、一概にはいえないと思い、わざと説明を省いた。しかし、これも現状把握不足だったようだ。昨今は化粧メーカーがTVや雑誌、CMなどを通して、丁寧になにもかも教えてくれるので、消費者が自分で判断しながらスキンケアをするという習慣はどうも少ないらしい。だから説明は微に細にわたっていなければならなかったのだ。

しかし、肌は生きものなので、年齢、季節、一日の時間によって、コンディションがちがう。それを自分で判断しながら、その時々にあったケアをしていけば、よりよい肌の状態がつくれるのではないか。そう考えてつくったのが今回のシンプルケアプログラムだったので、自分の肌と相談しながら、スキンケアして欲しいと思っている。

また、「ファンデーションのいらない素肌つくり」を謳っていると「ファンデーションをつけてはいけないんでしょ」「化粧液のうえに美容クリームはつけてはいけないんでしょ」など、予想だにしなかった面白い反応がある。化粧にこれはやってはいけないという決まりはない。むしろ、ファンデーションのいらないほどの素肌の持ち主であれば、その上にメイクをしたら、それこそもっと美しくみえるだろうし、TPOにあわせて「すっぴんの時とフルメイクの時」を楽しむこともできる。

私が目指しているのはそんな自由な発想ができる肌つくりなのである。なにかにしばられるのではなく、基本がシンプルでうつくしいから、選択肢が多くなる。すっぴんの自分もフルメイクの自分も楽しめるような肌。そんな肌を持っている自分が気持ちいい。ここまでこられたら、本望だと思っている。

自分の肌とはいくつになってもとことん付き合っていかなければいけない。それはまるで、毎日毎日、心の角質をとっていくようなものかもしれない。心のターンオーバーを早めて出来るだけ透き通った状態を保つこと。年齢を重ねるたびに、肌と心はますます似てくるようにも思える。気のせいかしら。
 2007/11/14 23:00  この記事のURL  / 

ブランドカラーは大人のピンク色
私のワードローブにピンクはない。いつもモノクロかベージュ。私のイメージにもやさしいピンクはない。だから、今度ロンチさせたスキンケア商品のブランドカラーがピンクと知って、まずは友人たちが驚きの声をあげた。てっきり、パールホワイトで出てくると思ったという。しかし、なぜか、50を過ぎたあたりから私はピンクが好きになった。あのやわらかな心和むさくら色。戦いを終えた兵士があたたかな羽毛布団にくるまれるような色。それがピンクだった。それもショッキングピンクでもなく、またベービーピンクでもない。大人のピンク色。その色をブランドカラーに求めた。

パッケージの色を決定するのは大仕事であった。デザイナーのS氏とそのアシスタントのK女史。この二人の色に対する審美眼と仕事に対する熱意がなければ、今回のパッケージは誕生しなかっただろう。そして、パッケージ会社を動かして、何度もサンプルだしをしてくれたM女史とそのスタッフの方々の存在も大きい。しかもS氏たちはLENA文字を開発し、どこにもないブランドロゴを作ってくれた。何回もの色だしで行き着いた大人のピンク色の上にLENA文字のロゴ。まさに、私が夢見ていた商品パッケージの誕生であった。

HPはさくら芸術文化財団をイメージしたさくら色一色。これは博報堂時代からの友人で、いまはHPを作らせたら5本の指にはいるといわれている売れっ子F氏たちが引き受けてくれた。ブランドコンセプトと同じ「simple&elegant」なHPにして欲しい、というのが私のオリエンテーションだった。おしゃれで、分かりやすく、買いやすいサイトのデザイン。オンラインでしか販売しない私達の商品はHPとパッケージでイメージを構築していかなければならない。それにはきちっとしたイメージ戦略が必要である。そして、その戦略をカタチにしてくれる力あるクリエータが必要となる。そのクリエータたちがまるで天使のお使いのように私達の仕事に舞い降りてきてくれたのだ。涙がでるほどありがたい。

11月1日HPがオープンした。たくさんの人々がHPを訪れ注文をしてくれた。と同時にたくさんの友人・知人たちがHPについてコメントを送ってくれた。
「さすが、です。心がほんわかしました。」
「なんてすてきなHPなんでしょう。パッケージも素敵なピンク色で大好きです」
「HPをみて思わず買いたくなりました。商品も分かりやすいですね」
「待ちに待った初売りです」
「ダブル保湿のコピーもいいですね。」
と続いた。コメントは大きな応援団のようで、私の心の奥の奥までずしりと届いた。

たくさんの力と愛が集まって誕生したLENAJAPONの大人のピンク色。これからひとりでも多くの人々を幸せにするピンク色になっていければいいなと願っている。
肌をしあわせにするだけでなく、心もちょっぴり、さくら色に染めることができる、そんなブランドに育てたい。この思いが天までとどきますよう。夢実現への第一歩です。

LENAJAPON  http://www.lenajpaon.com

 2007/11/03 23:30  この記事のURL  / 

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プロフィール
蟹瀬 令子(かにせ れいこ)
上智大学文学部英文学科後、博報堂に入社し、コピーライターやコピーディレクターとして活躍。
1999年、「ザ・ボディショップ」を日本で展開するイオンフォレストの代表取締役社長に就任。
ケイ・アソシエイツ代表として、外資系企業、および国内企業のブランディング、マーケティングを手がける。2007年スキンケアブランド、LENAJAPONを立ち上げ現在にいたる。

蟹瀬令子 プロフィール
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