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ささやかな光をコントロールすること。
ささやかなものにこそ、
光と真実がやどる。


わたしは、たくさんの人と同時に話すのが得意ではない。
(舞台上のパフオーマンスである、トークショーや講師業は、別物なので
なんとか大丈夫なのだけど)


せっかく人とお話しするときには、
目の奥や、まつ毛の動くのを見て、
声で空気が揺れる その潮流を感じながら、
ゆっくり話がしたいなぁと思う。


そういった時に 人によく 投げかけられる台詞がある。
「他人は あなたがが思うほど、あなたのことを気にしていないから」

これは、もう、本当に、
かなしい言葉だと思った。
とっても違和感があって、やりきれない気持ちになった。


興味のあるなしや、ひとによって視点が異なることや、
その出会いが運命であったかどうか、など様々だとしても。

みんなそれぞれ、自分の視点でもって気になるところを、
とっても気にかけて生きているのではないのか。
それは服だったり、顔だったり、言葉だったり、
声だったり、その人のまとう空気だったり。


すべての人をこまやかに見ることはできないとしても、
縁があったもの、手のひらに乗せたものくらいは、
掴めるものくらいは、自分なりに気にかけていたいと思っている。

わたしが発した言葉のすべては、あの人の中核には届いていないし、
あの人が向けている視線の全てを、わたしは預かり知らない。
でもその中で、たまに交錯する奇跡があって、

きらきらした滴がついているけど、雨にも降られたのかしら。
と思ってはたいたら、それがその人の気づかないで
内から輝いているものであったりして、
きっかけなんて ものすごくささいなものだから、
神経質なほど、こまかいところを注視していたいのだ。

そして、わたしと相対する誰かも、
きっと 他にはわからない 
細かい目線でわたしや世界を追っていて
驚くような出会いと 引き合おうとしている。



大雨がふって、その雨が体を濡らしたり、川を溢れさせたり
電車を止めたりして、不利益なことがあったとしても、
フェンスの網にしたたる雨の しずくの中には
きらきら光る世界があって。
虫眼鏡のように、意外な生き物を大きく見せたりして、
トンボ玉のように転がっていくのを
ささいな世界にある きれいなものを見逃さないように、
ずっと見ている。

雪は積もれば、
かたくつめたく動かし難くなっていくけれど、
それぞれの結晶はこまかくて美しくて、
いまにも壊れそうであって。

濁流の中でも、硝子をくだいた小石は
すこし削られながら流れていく。
水がひいたら、乾いた砂の中でまた
ひっそり埋もれている。

輝きというのは、舞台の上で照明を効率よく 
反射させるだけのものではなくって。
絢爛豪華に、自己主張するものではなく。

窓から穏やかに指す光であって、
つめたい朝露でもあって、
きれいに洗った白いお皿にも光は湛えられ、
ハンカチで磨いた林檎のおいしそうな表面にもあるもの。
鳴かない 蛍。


つまるところ、世界のすべてが
濃淡の光によって構成されているのであり
それをながめる あなたとわたしの瞳も、
ぬれたようにかがやいている。


わたしは、金や銀や、真珠のような光に
日々かこまれて仕事しているけれど。
それらから離れても、日常のなにをしても、
ことごとく世界は光っている。

わたしの仕事は、キラキラのないところに
キラキラを添加するのではなく、
世界の光沢の量を調整して、
いちばん魅力的にみえるように することである。

いつか、光と仲良くなって、
コントロールして 瞳にうつるけれど気づかない光を
もっともっと気づくようになりたい。


わたしはたぶん、かなりたくさんの信号を見逃して気にしないで生きているけど、
発光しているものなのか、瞬いているものなのか、
はたまた反射しているものなのか、燃えてゆらめいているものなのか。
ささやかで よくわからないもの目がけて生きている。

そうするうちに、目が合った人から意外な質問をされて
これからの世界が どんどん広がっていく、
「あなたは、そんなところを気にしていてくださったんですね」って。


山田命音


2014年08月10日(日)  18:19  / ラメピスト_ミドリ  / この記事のURL

機械の部品たちがつながって持つ熱と、関係の無いような文字。
わたしが働いているところは工場で

でも役割として、わたしは工場での作業をしていなくて
外に出ていたり 電話をしたり、
パソコンに向かったり お絵かきをしたり、
文字を書いたり 緑色になったりしている。

事務所と工場は隣接しているので
工場で 一斗缶を潰す音が響いてくる

機械が同時に電力を使うタイミングには
デマンド値の警報が鳴って、
エアコンや机の上の電気を切ったり

打ち合わせをしに工場に入ると
とんでもなく寒かったり熱かったりする。

機械が止まったり一部壊れた時には
じぶんは何もできないのだけれど 
そこはかとなくドキドキしている。



たまに、機械にさわれることもあって
展示会のために カセ枠にラメ糸を取ってもらっていたら

「ちょっと山田さん ガイドになっといて」
って言われ

糸が変な方向に行かないように
一定に動くような ガイド(糸道) 
兼 ボビンを押さえる
かんたんなお手伝いをさせてもらった。
機械にさわれると 少しでも、うれしい。

糸にも色んな種類があって
しっかりした強さを持ったこの糸が
暴れないように
糸を巻いたボビンを軽くゆびで押さえて
摩擦を加える。

うまく調子が合うと 
ボビンは順調に回ってくれる。

工場は足元から冷えてきていたけれど、
押さえている指が熱くなってきた。
機械って 熱を持つんだなぁと
改めて思った。

一部になることは、とてもあたたくて
工場にはたくさんの機械があるけれど
みんな互いに関わりながら、
こんなに熱くなっていたのか。

糸道の気持ちになって
ぼおっとしてしまったら何回か
ボビンが弾けて飛んで行ってしまった
本物には勝てない。


ある日、なかなか難しい作業が
必要な糸がいて
撚糸機のまえで、工場長から改善策を聞いていたら
順調に回っていたはずの糸の紙管が
突如、わたし目がけて飛びかかってきた。

イキがいいのは良いけれど
わたし何か悪いことしたかしらと案じていた時

別のひとから
「その糸、山田さんのことが好きだったんだね」
って返してもらったから
「それなら仕方ないなぁ、もうっ!!」
って 思っている。



工場は好きだし楽しいけれど
最近は見学に来てくれる人も増えて
みんな目をきらきらさせてくれるけれど

わたしが自分の手で作っているわけではなくて
作ってもらっていて、
ただ、良いところでしょう伝えて
終わってしまってはいけないだろう。

雰囲気を伝えただけで、
良いですねって言ってもらって
満足してしまったらいけない。
これから先も、
もっとこの工場が続いてほしいのなら。


ということで「文字」がたくさん必要になった。

もうすぐ始まる展示会のためには
文字をたくさん考えて
たくさん書いた。

それは、作り手側は当たり前に分かっている
糸の基本のことであったり、
普段の売買には必要ないような
化学変化や素材の成り立ちについてであったり、
ラメ糸を使ってもらった生地についての説明だったり、
おおよそ 
「絶対必要」では無い説明を
たくさん書いた。

繊維業界は、それぞれの道の
ものづくりのプロばかりだから

あまりにも簡単なことや基本的なことや、
学問的にすぎることは
説明されないことが多い。
特にラメ糸の業界では。

それでも 私は意味を感じるので書いた。
工場が音を立てて熱をもって、
良い商品を作るのと同じくらい
大切なことにちがいない。

作っている糸たちのことを、知ってもらったり
起きてしまう事故について、自ら考えたり
基本を確認しあって、みんなで共有していくのは
それを 
一見熱を持たない、
文字にするのは。

学も、文章力も足りないけれど。
いま下手なものは 
次上手くなったらいいんだし。


社内ではしょっちゅう
改善策が話し合われている。
ということは失敗もたくさんしている。
失敗をするってどういうことかって
新しいことをたくさん始めているっていうことだろう。

もうすぐ50年になる工場なのに
びっくりするほど知らないことばかり始めて
毎日見たことないものが工場にかかっていて。
機械の持ち前の設備ではカバーしきれなくて、
天井に糸道がついたり、
一斗缶に加工がされて
ボビン台になったりして 日々、
工場のかたちがかわっている。

わたしが迷っている暇なんてたぶん無くて
とりあえず
どんどん文字にして絵にして
糸の拡大写真をばしゃばしゃ撮って
記録して発信していくことだけが
きっとなんとかなっていく 近道なんだと思う。

入社の面接に来た時、
あんまり深いことは考えてなかったけど
会社概要に たくさんの保有機械が書いてあったから
実家が工場で、「機械=高価なもの」と
認識していたわたしは 
迷いながら着いた
この城陽の工場をみて

「このトタン屋根の下に、たくさんの宝物が眠ってるんだなぁ」
って思った。
外観が京都駅前のビルみたいじゃなくっても、
中にはすごい財産があるんだ。

今は、「機械」だけが大事なものでないって知っているので
それが文字に表れたらいい。
工場のできることで わたしでもやれることを 
もっと広げられたらいい。

動くものが好きだから動かないことをするなんて
回りくどいことしかできないけれど。


片想いは叶わないことが多いような気がする
だから、片想いじゃないはずだって信じるしかない。
信じて書き続けたらまた、糸が飛び込んでくるかもしれない
わたしめがけて。

山田命音

 




2014年02月12日(水)  19:06  / ラメピスト_ミドリ  / この記事のURL

流れ星と、服の周辺のながれないなみだ。
ながれないなみだを見た。

忘年会の一幕だったんだけど
午前4時ごろまで
服をつくるデザイナーと
服を考える批評家が

時がとまったようにむかいあっていて
質問と応答をくりかえしていて
でもせきがきられたような発見が
ぼろぼろと
時のかわりにながれていた。

こうこうと燃える
キャンプファイヤーの炎を
みつめるように
服の周辺のひとたちが
炎が消えないようにみまもって
そのまわりを囲んでいた。

デザイナーは時おり 
めがしらを指でぐっと伸ばす。
目の白い部分が充血してゆく。
ことばとことばの空白に
力学的に出てくることはなかった涙が
ながれているようだった。

そのデザイナーの服を
着ている女性が居て
批評家の指示でおもむろにたちあがった。
きれいな黒いワンピースや
ふかふかとしたピンクのコートが
ひりひりするような舞台の上で
かわいらしく注目を浴びていた。

彼女のつけたオーロラのネックレスが
黒いワンピースに合うなぁと
ぼおっと思っていたのは
そのとき戦っていないわたし。

服のシルエットをたしかめるために
むけられた背中の襟がかわいいなぁとも。
服をうつくしくみせるために
姿勢をただしくする彼女をみて
まだ見たことのない
コレクションのステージのようだとも。


なみだをながせない
たたかいの中では
降りそそぐ言葉のあめがすこしでも
実をむすぶようにと
いろいろなブランド名が発せられたので
後からしらべようと
わすれないようにメールを書いていたら
40件もじぶんあてに届いていた。

この40件のメールの内容は
批評家のきもちの一部でしかなく
あれだけの言葉をつくしても
それは厳選された一節なんだろう。

わたしも最近
ながながとした大切な手紙をかいたけれど
つたえたいことなんてほんのすこししか
紙にのせることはできなかった。

その後もこころに
言葉がせりあがってきてとまらないのは
伝えたい想いをもったひと
きっと皆おなじはず。

奇跡のような討論会だった。
その場所に自分がいることができて
びっくりすることだった。

世の中のいろいろなことが
気づかないうちに着実にまわっているように
服のまわりのできごとも
確かな想いを持ったひとたちが
着実に一歩一歩せかいをすすめている。

その服が生まれた意図は
デザインの必然性は
素材の選定は
ブランドのメッセージは
着て欲しい人は誰か


わたしは、皆が憧れたような有名な服は
勉強不足でまだ知らないけれど。

「いくら過去はよかった」って言い方はできても
どれだけ景色が近未来的になっても
昔より酸素が少なくなっても
景気がわるいんだとしても
情報化の網がはりめぐらされて
身動きがとれなくなっったとしても
よかった過去より、
今のほうがぜったい良いと思う。

だって、そんな「よかった時代」
に生きてきたひとたちが悩んで考えて実験して
すすめていってくれた今日がきているんだから。

もっと良い服だって
これから生まれるに違いないんだよ。






願いごとをつぶやきながら
ぼおっと帰り道を歩いていたら、
流れ星がながれた。

それだけで、
もう叶ってしまった気になってしまった。

わたしの知らないところでも
着実に世界は動いているし
ゆめもほしもながれている。

もっと目がよくなったら
夜の星だけじゃなく
服の上にながれるなみだも
見ることができるはず
きっと。


山田命音
2013年12月31日(火)  21:32  / ラメピスト_ミドリ  / この記事のURL

FETE〜textile performance2013を観て
糸から製品になるまでの距離って あまりにも遠くて、
その遠いみちのりを
ゆっくりと流れていく景色を
ありあまる想いの線があつまって
形になるまでの時間の遅さをもどかしく思っている。

おもいのたけが面となって、
わたしの気持ちを覆ってくれるのには、
何十万メートルの距離が必要なんだろうか。
線のうちはとてもとても弱いから
どこかがぷつっと切れてしまうだけで
積み重ねたものが届かなくなってしまったりする。

問題はどこにあるんだろう、
喜んでくれる人の顔はいつ見れるんだろう。
生まれてからながいながい間
不安をかかえながら、糸は張りつめているのだ。

糸が一部ではなくって、かけがえのない存在として
全身で感じてもらえることがあればきっと、
この子達を世に生み出した意味があったということだ、
幸せに生まれてくれたということ。

*****

textile performanceというイベントを教えてもらって、
会社に古くから残っていた きらきらした生地を
役立ててもらったらどうかなあと思った。

熱心な多摩美の学生さんが 
京都まで夜行バスで飛んできて
たくさんある生地から自分たちに必要なものを
注意深く選んで
もらって帰ってくれたのだ。

「ぜったい、いらないものとか、そういう表現をしてはいけない」
「生地の大切さを伝えないと 学生にとってかわいそうなことになる」
と、助言をもらっていたので
糸からみてもらって、
できるだけ 色んな難しさや大事さが伝わるように
雑にならないように
言葉を選んだつもりなのだけれど。


その学生さんたちは
テキスタイルの神様に育てられているような
繊維への純粋な愛情をもっている人たちで
専門の教育を受けずに、仕事をはじめてしまったわたしは
とてもうらやましかったのだ。

生地を穴があくほどみて
喫茶店のコースターの生地の
素材から染め方までをプロファイリングして、
ゆくところゆくところでハギレを買って
勉強のために帳面にまとめるらしい。

組帯をみれば
「これは織りじゃない、全く新しい組織だ」って
どよめいて

素敵な服があれば、
「先生が実際に着なさいっていってたよ」
って試着をして

その合間に目に映った景色は
写真に撮って
課題として提出されるらしい。

うわあ。未来は明るいどころではなくて
なんと まばゆいことだ。
繊維は愛されてるじゃないかと
すでに感動してしまったのだ。


そして本番の舞台を先日見せてもらったら
ほとんどの光る生地が
お渡しした状態から
色や柄や形が変えられていて
丹念に手が加えられてあった。
きらきらの生地って それだけで異質なので
そのまま使っても 成立したりするものなのだ。
わたしたち工場は、そのままだなって思うけど
一般的には 分からないものなのだ。
じゅうぶんきれいなのだ。

それが、どうやら染めたり
柄を載せたりしてくれてあって
あんなにたくさんの生地を
行くあてがなかった子達が
一枚一枚向き合ってもらったんだなぁと
生地にとっても 嬉しかったんじゃないかと感じている。

生地たちははばたいたり、
ふくれあがったり、たたかったり
うつくしくまとわりついたりしていて
魔法のじゅうたんが自由に
会場を飛び回っているようだった。

写真は、京都にきてくれたときのもの。
生地をみすぎて穴をあけているところと、
あまりに疲れて折りかさなって
電車で寝ているところ。




帰りみちに花梨の、
きいろくて丸い実が落ちていた。
良い香りがするからって
くちていくはずの花梨は拾われていったのだ。


きっとこの子は
花梨の身の生を終えても
いつか うつくしい黄色となって
テキスタイルの中に
生まれおちるのかもしれない。

そして誰かの目をまた 奪うのだろう。
言葉はなくても 
忘れられない輝きになるのだろう。


山田命音

2013年11月06日(水)  07:17  / ラメピスト_ミドリ  / この記事のURL

魔法のボビンと、光の国のデザイナー
デザイナーさんと出会いたいな出会いたいなって

春頃に思っていたら、
夏の間に怒涛の出会いをいただいて
ミドリびっくりしている。

もしかして
ラメ糸の巻かれたボビンをこすってつぶやくと、
願いが叶うのだろうか。
アラジンのランプのように。

ラメ糸が叶えてくれたお願いは、
やはりそのように
キラキラしたひとを連れてくる。

大阪のデザイナーさんで
キラキラ大好きなおふたり。

夜中にキラキラした布をミシンにかけていると、
光の世界に迷い込んでしまって、
合ってるのか間違ってるのか
よくわかんなくなるって
いわれていた。

とりあえず 手だけ縫わないように
気をつけてもらいたいけれど、
それはしあわせだなぁとおもった。

それはぜひうちに、
工場見学にきてくださいっていうことになって
日程を合わせていたら。

「◯日、いいですね!
あ、やっぱりダメだ。
いや…うーん。その日は ごめんなさい」

「その日、僕たち結婚式なんです。」



まさか結婚式当日に、
ラメ糸の工場見学を入れるか入れまいか
悩む余地があるとは。

「もしかしたら行けるかなって思いました」
って笑っていわれていたけれど。

キラキラを、なんで好きなのか考えたこともなかった
っていうかれらは、
すでにラメ糸ちゃんたちと同じ
光の世界に生きている。

そして だいたいこういう人たちは
終始笑顔なのだ。


東京の、黒い服をテーマにしておられる
デザイナーさんが来られたときも。
そのひとの持ち物がことごとく金色で。


「わたし、今まできづかなかったけど、金が好きみたいです!!」
と発見されていた。
あまりにも自分が発光していると、
気づかないんだなっておもった。
自分の顔は けして自分では見れないから。

いっしょにラメ糸工場を歩いていると、
もう廃棄されてしまう 
ボビンから取り外されたラメ糸のぐるぐる巻かれたのが、
紙袋にいっぱい入っていた。

普段わたしは
たまにそこからラメ糸をとりだして遊んでいたのだが、
ふとおもってデザイナーさんの腕にかけて
「キラキラの金の腕輪ですよ」
って言ったら、
「きれいね」っていわれて、
ずっと白いほそい腕にはめてもらっていた。


ことばではいえないけれど
なにか通じた気がして、
このひとたちのために頑張って働きたいなっておもった。

キラキラは、
業界の川上から川下なんて
かんたんに超えさせる力があるはずだ、
だって人をしあわせにするっていう
一番むずかしいことができるんだから。


今朝はいまから
夜中バスで揺られた学生さんが来るので
キラキラな未来をあげれたらいいなって考えている。


やまだめいね
2013年09月08日(日)  08:31  / ラメピスト_ミドリ  / この記事のURL

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