月にはツイてる【本と翻訳】
偏った趣味とフェティシズムで、本と翻訳について話してみたいと思います。

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月をモチーフにした話はおびただしいほどあるだろうので、きっと出会ったうちの9割は記憶してないだけだと思いますが、
「月」の話で、最も古い記憶は、”月には餅つきをしているうさぎがいる”という十五夜の話です。
幼稚園のときに「へぇ!」と思ってから、満月のときは、いまでも必ずうさぎを探すのですが、いまだにどうやって見ればうさぎに見えるのか、いまいちよく分かりません。

小学生の頃、「Goodnight Moon(Margaret Wise Brown / illustrated by Clement Hurd)」の絵本をよく読み聞かせてもらっていたのですが、
その一節「the cow jumped over the moon」というフレーズが、なぜかとても記憶に残っています。
きっと母が、「over」のところだけ、ぐぅーんと飛ぶように、強く長く読んだからでしょう。

この一節は、Mother Gooseの「Hey! Diddle diddle」だと理解しているのですが、

Hey! diddle, diddle,
The cat and the fiddle,
The cow jumped over the moon;
The little dog laughed
To see such sport,
And the dish ran away with the spoon.

びっくりしたのですがMother Gooseは、
北原白秋(まえがきいわく、日本で初めて訳したらしい)、谷川俊太郎、寺山修司(アーサー・ラッカムの絵本の訳)の3人も訳していました。
さっそく3人のを取り寄せて読み比べてみると、

白秋は、まえがきで、「がちょうのおかあさんに日本に来てもらって、歌ってもらうんだ」的なことを書いていて、
まさに白秋の訳はテンポが良く、子どもと歌うのにぴったり。

寺山は、まえがきで、「アーサー・ラッカムの絵本の訳だし、大人っぽくいくわ」的なことを書いていて、
全体的にしっとり訳します。お皿とスプーンの「かけおち」って言っちゃうし。

谷川は前2人に比べると、からっとしていて、ちょっとかっこいい。極端にいえば、ハードボイルド。

寺山はまえがきで、Jack Spratを引き合いに出し、同じく谷川・白秋と比べます。

Jack Sprat could eat no fat,
His wife could eat no lean;
And so betwixt them both,
They lick'd the platter clean.

このThey Lick’d the platter cleanを、
谷川は「ふたりのおさらは ぴかぴかきれい」
白秋は「お皿はすべすべなめてある」
と二人の訳を並べます。

寺山は、「なんとなく物足りない」といって、
「二人なかよく お皿をなめる
だからきれいなお月さま!」
と最後、原典にはない一文を加筆して訳したぞ、と言います。

寺山はさらに「飛躍があってもいいような気がするし、それくらいのたのしみがないと、詩の訳なんてできない、(中略)『合作者』になって作り直すことが、訳のたのしみなのではないか、と思われるのである」と続けます。

それな! と、大興奮したのですが、
ぴかぴか」「すべすべ」そして「きれいなお月さま!」。
3人が解釈したイギリスの風景や人々、雰囲気、見たもの感じたものが異ならなければ、同じ単語を選ぶだろう(機械ならばきっと同じ訳になる?)。
でもそうではない。3人がそれぞれ感じた世界は、どんなふうだったんだろう、と、訳者の世界観というのがすごく気になるようになりました。

中高の英語の授業でだって、みんな和訳問題の答えは違ったんだし、それは当たり前だろう、ということでもあるんですが、
だれも「同じ世界」を生きていない。
だからどうしても「作り直す」ことをしないと、訳ってできないんだな。
訳者の生きる世界によって、お話はすごく変わるんだな、この人はどんなふうに世界を見ていたのかな、と、私はゆるりと「訳フェチ」の道に入ったのでした。


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さて、そんなこんなで「月」の縁がゆるやかに始まって3冊。(むしろ、本題)

まず、アンデルセンの「絵のない絵本(矢崎源九郎訳・新潮社・1952)」
これは、貧乏な絵かきに、友達である月が、前の晩・その前の晩見たことをあれこれ語って聞かせる(それを絵に描きなよってことで)という話。
マッチ売りの少女、人魚姫、雪の女王……とすぐさま思いつくアンデルセンですが、そのやさしさがぎゅっと詰まった短編集で、とにかく温かい「絵本」です。

次に、「月は無慈悲な夜の女王(矢野徹訳・ハヤカワ・1969)」。 ガンダムの源泉はこの本(真偽は全く知らぬ)と聞いて興味があったのですが、読む決意を促したのは、タイトルの和訳です。

原題は「The Moon Is a Harsh Mistress」。
訳した矢野徹は、SF界のスーパーレジェンドのようですが、全く知りません(たぶん知らないことを、the低頭低頭土下座しなきゃいけない人)。
しかし、もう大賛辞と未来永劫感謝を伝えることをココロに決めました。

Harsh」を「無慈悲」とした。
「厳格」でも「残酷」でも「無情」でもない。
むしろ、直訳の辞書、手元にあるものをさくっと見ても、「無慈悲」は出てない。
「無慈悲」とするだけで、なんとも「女王」が、こんなにもどこか妖しく、美しくなるのです。
「月 ――残酷なる夜の女王」でもない、「月は〜」というリズム。
悶絶だね。最高だね。美しいね!

内容もすごくおもしろくって、わくわくしかしません。めちゃくちゃ長いですが、わくわくが勝ちます。こんなに文章って、エンターテイメントできるんだ!って感じ。
矢野の訳は、熟語多めで、無味乾燥に仕立ててある感が、いっそうこの世界をリアルにしてるようにすら感じます。

さて、そんな2冊を経てじわじわと、「『月』ってつく本、アタリじゃね?」という感を持っていた私が、最も最近出会った「月」本は、「月と六ペンス(行方昭夫訳・岩波書店・2010)」

なぜだか最近、門外漢だったアートに携わることが増えていた流れの中だったので、ブック●フでの出会いにむりやり運命を感じます。
ゴーギャンの一生にインスピレーションを得て書かれた本書、行方訳も、すごく読みやすい。すぅうっぅぅぅーっと入ってくる。
これがあまりにも読みやすいので、他とぜひ比べたいと思います。いつか。
ちなみに、まだ読了してないので、なにが「月」なのか分かりません。
そんなこんなで、最近私「月」にツイているんだよ、というオチのないお話でした。

※「いやいや、いとうさん、それ違うから」とか「おれはこう思うね」っていうの、論じ語らい教えてくださる方、ゆるぼです。※
 2017/03/04 11:01  この記事のURL  / 


【大人の】金の斧・銀の斧【不条理】
むかしむかし、あるところに、木こりのおじいさんが住んでいました。

おじいさんは毎日山に入って、斧で木を切っています。

おじいさんが使っている斧は、古い古い、銅でできた斧です。

ある日、いつもどおり山の中を歩いていたおじいさん。うっかり躓いて転んでしまいました。
そのはずみで、手に持っていた斧がコロコロと転がり、池に落ちてしまいました。

それ以外に斧は持っていません。

斧がなければ仕事になりません。

大切に大切に使ってきた斧です。

「どうしよう」

おじいさんは池の中を覗き込みました。

池は深く、斧は見えません。

おじいさんは困り果ててしまいました。

すると、ピカピカと池が光り、女神さまが現れました。

「オマエが落としたのはこの金の斧か?」

女神さまは、見たこともない神々しい輝きを放つ黄金の斧を手に持っていました。

「ち、ちがいます」

おじいさんが驚きながら、やっとの思いでそう答えると、女神さまは、

「そうか」

と言って、じゃぶん、と池の中に潜っていきました。

おじいさんが呆然としていると、再び池がピカピカと光り、女神さまが現れました。

今度手にしていたのは、雪のように白く輝く、銀の斧でした。

「オマエが落としたのはこの銀の斧か?」

おじいさんは、困ってしまいました。

「どうしよう。銅の古い錆びきったボロ斧なんだけど、
もし、違うって言ったら、女神さま、また池に潜って取りに行くのかな。
それは申し訳ないなぁ。次が絶対俺のとは限らないし、その都度手間かけさせるの、悪いよなぁ。

でもこんなピカピカの斧でいいよって言ったところで、おれにぁ似つかわしくないし、
そもそも取られちゃうかもしれないし、ていうか、ご近所の目だって恐ろしいや。
いきなりおいらがこんな斧持ってたら、叩かれそうでいやんならぁ。

ってか、いったいどこのどいつだよ、こんな高価な斧を何本も落としやがって。
金持ちってのは、モノを大事にしないのかよ。
おかげでおれはこんな目にあっちまってら。

かといって、斧がなけりゃあおれぁ野垂れ死んでしまう。
しかしどうしよう。せっかく親切に拾ってくれた女神さまに、コレ以上の迷惑はかけられないよなぁ。
女神さまだって忙しいだろうし、俺のボロ斧ごときに、手間も時間も取らせたら、申し訳ねぇし……」


困り果てたおじいさんは、しかたなしに「はい、そうです」と答えました。

すると女神さまは言いました。

「オマエは嘘つきの悪い木こりだ。もう斧は返してやらん」

女神さまはそう言い放つと、しゅるしゅると斧とともに池の中に消えていってしまいました。

ムダに希望をつかまされたうえ、ムダに気を使ったばかりに、ムダにディスられ、たつきも失い、おじいさんは途方に暮れてしまいましたとさ。

せっかく気を遣っても、人に伝わるとは限らないのですね。

終わり。
 2016/10/19 10:08  この記事のURL  / 


私たちはなぜオシャレするんだろう? アーティスト・片山真理さんの「ハイヒールプロジェクト」
私がアーティスト・片山真理さんに初めてお会いしたのは、4年前の5月頃。

ウェブで見かけた両足義足+ハイヒール姿の真理さんに度肝を抜かれ、インタビューをご依頼して、茨城のアパートまで訪ねました。

『ハイヒール』(2012年)

なぜハイヒールを作ろうと思ったのか、いじめられていたこと、福祉における「装い」のこと、障がいのこと、家族のこと……
と、気づけば3時間。帰り道眺めた、ピンクとオレンジの濃密なグラデーションの空をいまでも覚えています。

すごい人がいる……!

「身長の調整、自由自在だよ」と自慢する真理さんは、圧倒的に輝いていて、帰り道には、ただただ純粋に憧れを覚えました。

特に、「いじめっ子たちに、意思表示をするためにオシャレしていた」という話には、「うらやましい」と思ったのです。

「いじめっ子たちは、私の言葉を何一つ聞こうとしない。じゃあ、言葉が通じないなら見た目で表現するしかない、と。それでちょっとわけの分からない格好して、真緑に髪を染めたり眉毛を全部剃ったり……超ミニスカートにして義足に絵を描いたりしていました。それはもう、めちゃくちゃ怒られました(笑)。」

何のために服を着たいんだろう? 何のために服にこだわっているんだろう? ファッション大好き(センスはさておき)なのに、その理由を見つけきれていなかった私は、自分の意志・主張を持って服を着る彼女に、ただただシンプルにキラキラとした「うらやましい」を感じたのでした。

ハイヒールプロジェクトは、「障がいがあることで、オシャレするという選択肢を持てない」という、福祉と装いを取り巻く環境に一石を投じる真理さんのプロジェクト。

オシャレを良いと思ってもいい/思わなくてもいい、という選択肢すらないーーそこで、「『オシャレしたいって言っても良い』と気づいてもらえたら」と、真理さんは両足義足を晒し、ハイヒールを履いて街、はてや海外まで飛び出しています。


ぜひ、プロジェクトについてのインタビューも読んでみてください!
両足義足でハイヒールを履くという選択 / アーティスト・片山真理さん


今回、発表から4年たって、あらためてハイヒールプロジェクトについて、衣服・介護シューズコンサルタントの岩波君代先生と対談を行いました。

→【対談】岩波君代×片山真理 人はなぜ、装うのか? ハイヒールプロジェクトから見える「オシャレ」する意味

さてここで、「みっともないのは嫌だから」レベルから、もうぜーんぜんファッションに興味がないという人、「オシャレ・スペクトラム」があることは前提のうえで、 そもそもなぜ、人ってオシャレしたいんでしょう?

けっこう長らく超・ぼんやりと考えていましたが、ときおり本を読みながらも、なかなかピンとくる答えが見つかりませんでした(難しくて…)。

先生は40年以上、義肢装具の現場や、障がい者の生活の中の装いについて見続けてきた方。
でもその40年以上の間、この装いと福祉を取り巻く環境は変わっていないそうです。

なぜその環境が続いているのかを探りつつ、じゃあ、ハイヒールプロジェクトのメッセージはなんだろうか、と先生が言い換えた言葉を聞いたとき、「なぜ人はオシャレしたいのか?」という、答えが見つかったように感じました。

「靴に限らず、人がチャレンジしたいことはどれも、『どうしてもしなきゃいけないこと』じゃないですよね。だからって諦めていったら、いまの自分からは抜けだせないんじゃないの? と。」

それを聞いて、あぁ、なるほど。人は本質的に「より良い自分」になる欲求を持っている。
外形という自己像もあくまで自分自身である限り、より良い自分になりたいっていう、ただシンプルな本能なんだな、って。
自己イメージへの関連を感じる強度や、じゃあどういう自分を「より良い自分」と思うかは、価値観でバラバラ。
だけど、単純に「より良い自分」を目指してるからかぁ、とストンと腹に落ちる感じがしました。

そう得心したとき、真理さんが言っていた言葉が、いよいよ生き生きと感じられるのです。

「両足義足の場合、パイプの長さを変えれば簡単に身長を伸ばすことが出来ます。ですが、ハイヒールのほんの数センチの高さは、それとは違う目線であると思います」

心の目線がくいっと上がる。オシャレって、ほんとすてきだなぁ!
 2016/02/22 13:16  この記事のURL  / 


美しい世界の手仕事にメロメロになった「united CRAFT nations」展
先日、コチラに行ってまいりました。明日まで!



「united CRAFT nations」展
日本、メキシコ、アジア、アフリカ、そしてルーマニアのトランシルヴァニア地方。
様々な国籍、文化を背景にしたクラフト作品が、
パッチワークのつぎはぎのように1つの空間の中に一同に会します。
期間:2015年6月19日(金)〜6月28日(日)
場所:btf 4A /4B
時間:11:00〜19:00/会期中無休


どれもこれもステキで、全てご紹介できないので、2つだけ。

まずは、伝統手芸研究家・谷崎聖子さんが集められたトランシルヴァニアの伝統手仕事に釘付け!(※お許しを得て撮らせていただいてます。)

じつは?、私の猛烈に好きなものの一つが、刺繍ワークで、ルーマニア・トランシルヴァニアの刺繍ワークに惚れ惚れほれぼれしてしまいました。


谷崎聖子さんのブログは、こちら >> トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

次いで、織りワークで釘付けになったのは、少数民族の手仕事をご紹介されている「nomadicraft」さんの展示。


nomadicraftさんのサイトは、こちら >> http://nomadicraft.com/

この緻密さ!
この繊細さ!
そしてこの華やかさ!
ちくちくちくちく……パッたんパッたん……規則正しい柔らかな音が聞こえてきそうです。

人の手。驚嘆。驚愕。畏怖さえします。

明日まで! ぜひお近くの方は覗いてみてください〜♫
 2015/06/27 14:20  この記事のURL  / 


ハンドメイドや国産といった言葉
この間の話。鯖江にメガネを買いに行きました。鯖江で鯖江メガネデビュー!

いままで、安いチェーン店のメガネをあれこれ掛けていたんですが、私は鼻が小さいのですが、すぐずれる。何度か持ち込むんですが、そのたびに「これで合ってますよ」と、言われる。だけどやっぱり、下を向けばずれて落ちるし、しまいにはアタマが痛くなるし、健康にも良くないぞ、と。

というわけで、SABAEでしっかり合わせてもらってコレにしました。
芯がさりげなく光ってるのもお気に入りです。この写メではよく見えないですけど…。


SABAEメガネが欲しい!ってなったのは、取材でおじゃましてから。期せずして、それまでもんもんと疑問に思ってたことの答えの緒を見つけたような時間でした。

それで書かせていただいたのがこちらの記事です。

ハンドメイドを訪ねて鯖江まで〜「understatement new york」のメガネを輝かせる手仕事の現場
http://www.fragmentsmag.com/2015/05/understatement-new-york/

「ハンドメイド」「国産」という言葉が最近良く見かけるんですが、なんだろうこの違和感、というのをずっと感じていました。そういうものは好きですし、「良いこと」ですし。
私が斜に構えているだけなのか、なんだかへんな気分。

こんなにたくさん「ハンドメイド」「国産」って商品があって、いったい「ハンドメイド」「国産」ってどういうこと?って混乱してしまった、というのでしょうか。なんだか言葉がうまく見つかりません…。

取材では、ありのままの素に近いお話をたくさん聞かせていただいて、この記事を書かせていただきました。

もちろん、私が見聞きしたのは、ほんの断片ですし、知らない人・もの・こと・現実がほかにもいっぱいあるんだと思うので、まだまだ知りたいことがいっぱいあるのですが、一つ、「ハンドメイド」「国産」の表情を見れて、とてもじわじわくる時間でした。

ハンドメイド、手仕事、Made in Japanって謳い文句は、いったいどういう意味に捉えればいいのか、読み取るときも、自分が使うときにも、実はすごく難しい言葉なんじゃないかと感じます。
 2015/05/28 12:52  この記事のURL  / 

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