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「江戸の人よ、さらば」

 京の年の瀬といえば、南座の顔見世興行。今年は二代目中村錦之助襲名披露ということもあり、お目出度さもひとしおである。演目も幸四郎の「勧進帳」と「石切梶原」、菊五郎の「すし屋」、藤十郎の「娘道成寺」、仁左衛門の「河内山」、そして錦之助の曾我五郎に菊五郎が曾我十郎、富十郎が工藤祐経を付き合う「寿曾我対面」と、人気狂言が並んだ。
 だが、個人的に心を打ったのは昼の部の「将軍江戸を去る」だ。真山青果の新歌舞伎の名作であり、かつて市川壽海が、その爽やかな口跡で徳川慶喜役を一代の当り役にしていた。今回は、慶喜に中村梅玉、山岡鉄太郎に片岡我當、高橋伊勢守を片岡秀太郎という配役である。
 まず梅玉の慶喜が素晴らしい。上野大悲院の場で、ホトトギスの声を聞きながら読書する姿に、将軍の英邁と剛毅、気品が備わる。高橋伊勢守とのやり取りで「将軍にも、裸になりたいときがある」と本音を吐露するところ、内に苦渋を秘めた慶喜その人だ。我當の山岡鉄太郎も実直さがよく出ている。
 この二人が、有名な尊皇・勤皇問答を行うのだが、これは所詮、屁理屈である。だが、知恵ある大人が屁理屈を屁理屈として論じ合う。なぜなら、二人とも戦争回避という命題に向けて大義名分を探しているに過ぎないからだ。そいう“知恵ある大人の熱血”を描ききったところに、この真山劇の真骨頂がある。また、秀太郎の高橋伊勢守は冷静ななかに、この対面劇の影の仕掛け人としての知性を感じさせた。
 そして千住大橋の場、ここでもすべてを達観した慶喜の穏やかさを梅玉が見事に見せた。ここまで来れば、最後の名セリフ「江戸の地よ、江戸の人よ、さらば」が胸に突き刺さる。かつて戸板康二は「将軍江戸を去る」を評して「見るたびに泣かされる作品」(『すばらしいセリフ』駸々堂刊)と言ったが、全くその通りで、素晴らしい舞台であった。
 と、ここまで読んで「お前は、繊維のことと無関係なことを書いている」とお叱りを受けそうだが、いえいえ、そんなことはありません。南座の緞帳は、古代文様を再現した見事な逸品だが、これを製作したのは川島織物(現川島織物セルコン)。日本繊維産業の技術力は、南座でも世界からの観衆の目を楽しませています。(M.U)
2007年12月27日(木)  07:12  / この記事のURL

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