就活
この冬ハルピンはは例年並みに寒くなっています。
この数日は最低気温が零下26度とか27度とかになっています。

日本では例年のセンター試験の季節です。
この時期日本では何故か雪が降ったりして、受験生を悩ませているようです。
今まで頑張ってきた総決算のような日に交通機関が乱れたりすると、心理的にもあんまりよくないでしょうね。
何があっても泰然として・・なんていっても無理でしょうか。
それはともかく、受験生の皆さんは実力を十分発揮できるよう頑張っていただけるよう応援します。
4月からは晴れて大学生になれるようにね。

中国は三月卒業ではなく七月が卒業の時期です。
大学生で4回生はあと半年で卒業です。
今日は、就職活動の話です。

日本と同じく学生達は4回生になると『就活』を行ないます。
企業も大卒を確保するため、就職説明会のようなものを行なったりします。
ただ日本と違いそんなに大掛かりなものをせず、新聞広告に募集要項を載せるだけの所も多いようです。
新卒募集といった考え方も少ないみたいです。
転職が日常的に行なわれているため、随時募集のようなものが多いようです。

うちの百貨店でも毎年新卒大学生を雇用しています。
幹部候補生として『管理培訓生』という呼称で20名弱を取ります。

今年もハルピンの主要大学で就職説明会を行ないました。
私も人事部と同行して説明会に参加し、学生の面接を行ないました。



ハルピンでは有名な黒●●大学、ハルピン●工大学などです。
学生達の関心も高いのか説明会には200人を超えるぐらい集まりました。
ただしここでも学生達の時間の概念の甘さに直面します。
定刻どおりに来ないものも少なくありません。
厳しく定刻を過ぎたものには入室をお断りするのですが、なんとか理由を述べて入れてくれるよう抗弁するものもいます。
しかし、社会人になる第一歩です。時間管理は自己管理の基本中の基本です。
すみませんが、他の会社を当たってください。ハイ。



先ずは大教室で自社の説明会を行い、学生達の質問などを受け付けます。
それから、我々面接官が2グループに別れ、面接官3人と学生1人のグループ面接に入ります。
学生数が多いので、一人約3分ぐらいで自己紹介・アピールを行なってもらいます。それだけで、瞬間的に合否を判定していきます。我々面接官がそれぞれの名前の上に合否を書き入れます。
1グループが終わるごとに3人が合否を集計。
私も全部で100人ぐらいを見させていただきました。

面談の感想としては、日本の企業面談とはかなり違うものがあります。
まず、学生の服装。ほとんどが普通の格好です。ジーンズにカジュアルな服装。やや綺麗めな服装もありますが、いわゆるリクルートファッションなるものは存在しないようです。男子学生で一人だけスーツにネクタイでした。
2つ目は面談の姿勢。足組みをするのは普通の光景。だらしなく感じるのは日本人DNAでしょうか?
3つ目は、中国の学生は非常に自己主張が上手いと感じた事です。
自分の長所を述べさせると、滔々と喋ってくれます。欠点に関しては実に微妙にオブラートしてくれます。

中国でも最近は大卒でも就活は難しくなってきているようです。学生達もそんな中でかなりの緊張感を持って望んできているようです。
ただ、その意気込みが滑っている学生も見受けられました。

学生達のフレッシュさに触れたことは、社会人生活で垢だらけの私にとってはいい刺激となりました。
 2008/01/23 08:38  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


勝って兜の・・・・
今日の気温は最低気温がマイナス11℃、最高気温が4度でした。

さすがに外を歩くと寒い。
風が強いので顔が痛いくらいです。

先週末で長かった催事も終わったので若干ほっとしているところです。
『購物狂歓節』(英語ではShopping Festival)と名づけたこの催事はライバル店の周年慶(創業祭)に合わせて始めたものです。
昨年は新聞紙上も賑わせたぐらいの激しさでした。
今年は昨年の反省点も踏まえた若干大人しめの催事にしました。
とは言っても、これは一種のバトルですから今年もあの手この手です。
ライバル店は、基本的な戦略は『満300儲300』と言って、300元買うと300元分のポイントを差し上げますと言うものです。
一見無茶苦茶なようですが、300元買うと300元の商品を差し上げますと言うようなものです。計算上は半額にしたようなものですね。
しかし、これではお客様はさらに余分なものまで買う必要があります。


弊社は割引額と再加重割引制の二重で対抗しました。
『6.9折再満300元減60元』、これは31%OFFの上にさらに300元購入毎に60元を値引きしますよと言うものです。
両者を比べると、ライバル店では欲しいものを300元で買うと300元のポイントが貰え、更に買い物を続けるしかないこと、確実にお客様のお金は300元消費されます。
弊社では最大の割引を受けるためには435元のものを買えば240元の支払いで済みます。割引率は約45%OFFです。
さてどっちの方がお客様に魅力があるのか?

例えば1000元の商品を買った場合、弊社では31%OFFの690元から180元が更に割引になり510元の支払いになります。懐からは510元が消えます。
ライバル店は1000元が懐から消えますが、2000元分の商品がゲット出来ます。

今回の場合催事のパワーは拮抗していましたが、ブランド力に勝る弊社のほうがやはり強かった。
また、後半には中国のお客様に好まれる、抽選会も追加。
毎日抽選で総額50万元(750万円相当)が当たるというものです。
買ったその場で抽選を行い、5元〜4999元がキャッシュで当たると言うものです。
射幸心を煽られると弱いハルピン人には大当たりでした。

店内ではこの催事のPR活動として店内1階中央広場にスケートリンクを作り、フィギアスケートの模擬演技や雑技団による演技、子供たちのスケートダンス、エスキモー犬の橇引きなども行い、大盛況でした。
こんな楽しいイベントも中国ならではでしょうね。




連日多くの人で賑わい、営業時間も深夜12時まで延長して行いました。

私も幹部の一人として弊店までの総日直として頑張らせていただきました。

勝てば官軍、売れれば嬉しいものです。
催事も無事成功裏に終わり、一安心です。

また催事後の反省点もあります。
なぜ売れたのか?悪い点はどこだったのか?など。

そんな中で思い出した言葉があります。
『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』という言葉だったと思います。
ロッテの野村監督がよく引用する言葉です。

売れた理由がよく分からないこともありますが、売れなかったときには結構理由が見つかりやすいのです。
必ず反省点があるものです。

売れた売れたと喜ばず、勝って兜の緒を締めなくては、奢れる平氏になってしまいます。

素直に分析反省したいものです。
 2007/11/16 01:07  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


北京 胡同
久々の北京。

前回北京に出張してから暫くぶり。
今回はお気楽北京になりました。

この時期ハルピンでは結構冷え込んでいるので、北京も寒いかなと思っていましたが、思いのほか暖かかったですね。

北京に来て思うことなのですが、何度来ても青空に会うことはありません。
天候のせいではなく恐らく大気汚染の影響かと思います。

飛行機で北京首都空港に降りるときに見る北京の上空は灰色の靄のようなものに覆われて、スモッグに覆われたドームの中に街があるようです。
控えめに見てもこの大気汚染度は深刻と感じます。
北京で生活はしたくないですね。

今回と以前とで変わったことの一つが、タクシー内での禁煙措置でしょうか。
日本でも最近は前面禁煙タクシーが増えてきているそうですね。
北京のタクシーも市内は前面禁煙になったようです。
愛煙家の私は、空港からのタクシーでちょっと試してみました。
私『タバコすってもいいですか?』
運転手『没関係(大丈夫ですよ)、四環以内的不行、高速公路上可以吸煙的(第四環状線の内側はだめだけど、高速道路上なら吸ってもいいよ)』
・・・・との返事でした。

こういういい加減さは、私にとって都合のいいところのみ大好きです。
まあ、いい加減すぎて気分悪くなることもままあるのですが・・・・。

北京もオリンピックを控えてあの手この手でマナー向上キャンペーンを行っているようです。
タクシー禁煙もその1つでしょうか。
市内での痰を吐く行為も罰金などの措置が取られています。
頑張れ北京。

仕事関連はそこそこに済ませ、自分の時間を利用して北京めぐりをしてみました。
故宮からほど近い『胡同』に行ってみました。
3年前にも訪れたことがありますが、懐かしくなって歩いてみました。
そこで、日本語ぺらぺらのフィンランド人と知り合いました。
彼の奥さんは日本人だそうです。
仕事で北京に来ているそうなのですが、なぜか彼は胡同の民宿に泊まっているとのことです。
その民宿に連れて行って貰いました。
胡同の伝統的な造りの『四合院』です。
そこの三部屋がお客さん用として使用できるようになっていました。
民宿の親父さんと奥さんも居間でくつろいでいました。
お茶などもご馳走になり、今度機会があれば泊まってくださいと、名刺ももらいました。


皆さんにそっとお知らせします。
www//hutongvisiting.com

ここの『胡同』と言うのは、もともとモンゴル系の人たちが多く住んでいた場所で、満族の言葉で『モンゴル人』と言う意味だと教えてくれました。
なので、ご主人は満族だと教えてくれました。
今は、『胡同』と言うのは古い北京の路地裏のような町のことを意味するようになっているようです。

胡同も観光地化されていて、一角ではカフェや土産物屋などがたくさんあり、それなりに楽しめますが、『いかにも』と言った感じのところになりつつあるような気がして、ちょっと寂しいですね。

でも、さっきの民宿は風情があって古き北京に浸るには打ってつけかと思います。お勧めです。

高層ビルと胡同の対比を味わってみてください。
 2007/10/17 00:25  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


中秋節活動
9月ももう終わり、もうすぐ中国では『国慶節=十一節』が始まります。

9月は中秋節(日本の十五夜、旧盆)がありましたが、今年も月餅のいただき物があり、いささか食傷気味です。

その中国では大切な中秋節に、我が百貨店でもイベントを実施。中秋節に月見を行うのは日本も中国も同じでしょうね。
我が百貨店では、自社のVIPのお客様をお招きして、豪華お月見会を行いました。

ハルピンの北を流れる「松花江」と言う川で、客船をチャーターして簡単な食事をしてもらい、船の中でゲームや出し物を見て楽しんでもらおうという趣旨です。
我が百貨店ではVIPの常得意様に対して、日本の外商常得意様と同じように、ロイヤリティー向上戦略を考えています。
まだ、外商係り員とかの個別サービスには至ってはいませんが、行く行くは日本のような外商制度が出来ればと考えています。

夕方の6時に始まり、夕暮れの迫る松花江を遊覧しながらのゆったりしたミニ船旅です。
船からハルピン市内を振り返ると、まったく違う角度で眺められて、何かどことなく神戸を思い出します。
(風景はまったく似ていないので、単なる自己感傷かも・・・)



船内では、中国伝統芸能でもある、二胡や楊琴などによる演奏、中国茶の作法によるお茶の接待、大抽選会、お客様傘下のゲームなどでけっこう飽きずに過ごせる趣向になっていま
した。
スタッフのアイデアにはなかなか感心しました。
司会者も黒龍江電視台(黒龍江TV)の司会者を起用したりで、結構本格的です。






暗くなると、打ち合わせどうりか、岸辺から花火のサプライズも用意されていました。
船べりから花火を見学し、夜空を見上げると丸々とした月がきれいでした。

神戸港の観光船コンチェルトのように豪華船とはいきませんが、雰囲気は中華風の味のある船でしたね。
ハルピンのカップルがロマンチックに過ごすにはいい雰囲気の観光船でした。



主催者側であったものの、お客様と一緒に中秋節をのんびりと楽しんだ一夜でした。
(仕事もしないで、お客様と一緒に楽しんで、食べて飲んでいました。スミマセン。今後もっと仕事します。)
 2007/09/27 00:33  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


楽山大仏と峨眉山
中国にはユネスコ世界遺産に登録されているところが沢山あります。

実は先週に四川州は成都へ出張がありました。
日程は6日間なのですが、その間に土日を挟んでいました。
仕事は先の2日間で大体終わり、月曜日にその会議があります。
成都での仕事の内容などを会議で報告、討議するためです。

その間隙を縫って成都の南にある楽山と峨眉山と言うところへ足を伸ばしました。

楽山には楽山大仏(凌雲大仏)と呼ばれる巨大大仏があります。岷江と言う川の岩壁に彫られた世界最大の石刻座仏です。高さ71m、肩幅28m、頭部の高さ14.7m、頭部の直径10m。ガイド曰く、足の甲には100人が乗ることができるぐらい大きいそうです。
岷江は、かつて水害が多く、その岷江の水害を鎮めるため、凌雲寺の僧海通が起工し90年もの歳月を要し、803年(唐の貞元19年)大仏が完成したそうです。
ここの岩は柔らかいので崩れやすいそうですが、1200年経った今でも健在です。
これには、1200年前の石仏設計者の排水システムや、雨に浸食されるのを防ぐ伽藍の設置したりしたお陰だそうです。
この巨大石仏全体を見るには船に乗らなければ見えません。
そこで、船に乗って見物することにしました。

楽山港からは5分ほどで現場に着きます。
大仏の前では10分ほど停船してくれるので、その間に写真を撮ったり鑑賞したりします。

あまりにでかいので感動します。
71mと言えば20数階建てのビルを眺めているようなものです。中国と言う国はほんとにでかい物を作ったなあと感心します。

実は見る前にガイドから説明を聞いていたのですが、治水のために坊さんが大仏を作ったと聞いて、そんな金と時間があるんだったら、河川の整備事業をしたほうが有益なのに・・・と内心思っていたのです。
まあ今でも本音はそうですが、現物を目の前にすれば昔の人の苦労や努力の結晶に脱帽するだけです。
とにかく凄いです。

地平線まで延々と続く万里の長城を見ても感心させられますが、この大仏は圧巻ですね。

成都から車で高速道路を使えば1時間半ぐらいで行けます。
成都へ行く機会がある人はぜひ言ってきてください。
あと、楽山のすぐ隣にある峨眉山も世界遺産です。
こちらにも行ってきました。
時間の関係で中腹までしか行けなかったのが残念です。

峨眉山にはたくさんの仏教寺がありますが、その中の万年寺に行ってきました。
ふもと近くからロープウェイで楽して上がれます。はい。
海抜1020mで、普賢菩薩を祭る印度風寺院でした。
ここには伝説の釈迦のシャリ←(おコメのことじゃないですよ、お骨のことです)を祭ってあるそうです。フ〜ン・・です。

その後麓近くにある報国寺にも行きましたが、ここの博物館はパスしてもいいですね。
ガイドが熱心に館内を案内してくれるので、まったくしょーもなかったのですが、熱心に聴く振りだけをしてきました。

まあとにかく、あの大石仏や、峨眉山の大自然と峻険な山に作られた寺院を見た後なので、(子供だまし)博物館がしょーもなく感じたのは勘弁して欲しいところです。

写真を付けますが、自分の目で見た感動は半減されるどころではない!とだけ付け加えておきます。






 2007/09/15 00:57  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


日本語を忘れる
最近よく日本語を度忘れしてしまうことがある。

中国語圏で暮らしているためか、中国語では出てくるのでるが日本語でどう表現したらいいのかとっさに出てこないのである。
自分としては、単に中国語圏で暮らしている副作用ではないかと簡単に考えていた。

会社内で日本語を教えているのだが、表現だけではなく漢字も忘れてしまって、黒板に書けないこともある。

自慢する訳ではないが、私は本が好きで自称活字中毒である。たぶん普通の人以上の読書量を持っているのではないかと思う。
そのため、国語には妙な自信を持っているのである。
学生時代も国語、古文は得意科目であった。

考えるに、パソコンに頼るあまりあまり字を書かなくなったため、漢字が書けなくなってきたのではないかとも考える。

そんな時にあるニュースを見かけた。
『日本で日本語が通じない』と言うものである。

ある大学で性格検査を行ったのであるが、その設問の意味が分からない学生が増えてきているそうだ。
「『怠惰』って何ですか?」とか「『まごまごする』ってどんな状態ですか?』」と言うような質問が出るそうである。

また、就職を控えた女子学生が、『骨の折れる仕事』という表現に対し、『そんな骨折するような危険な仕事は出来ません』と答えるような場面もあるそうである。
笑い話ではありません。
本気でそんな学生が増えてきているそうである。
大学の英語の授業においても日本語訳が出来ない、もしくは辞書を引いてもその辞書の日本語が理解できない学生がいるらしいのである。
英語も分からん、日本語でも分からん・・・・。
一体お前は何人や!と言う感じである。
『often』の日文訳の『しばしば』『頻繁に』の意味が分からんそうである。

さらに、学生のみならず若い社会人に中にも日本語がまともに使えない者が増殖中でもあるそうだ。
敬語がまともに使えないなどは勿論、奇妙な言い回しの日本語を多用するなどをして、社内や関係先に顰蹙を買っているのである。
仕事がらみなので、取引先を怒らせたり取引がパアになったりする状況もありえるのである。

帰国した際も、
『これでよろしかったでしょうか』
『食べれません』
というような日本語を使う人に出くわすとちょっとムカつきます。

日本語はとても豊かな言語で、中国で暮らしていても中国語で説明できないような日本語が多いことに気がつきます。
(まあ、単に私の中国語の語彙が不足しているという説もありますが。)

泣いたり笑ったりする状態でも、『すすり泣く』『むせび泣く』『忍び泣く』『うれし泣き』『うそ泣き』や『せせら笑い』『うすら笑い』『含み笑い』『馬鹿笑い』『照れ笑い』『あざ笑い』など、種種多様な表現がある。
残念ながら私では中国語で説明できかねる表現が多く、意味は分かるけど中文訳は困難です。

日本語がまともに使えない日本人になりつつあるこの頃ですが、日本人のIdentityだけは無くしたくないと痛感しております。

日本の若者たちには、読書をお勧めします。


(最近挑戦している中国語版『女系家族』です)

質の高い日本語を堪能してみて下さい。
私のブログでは決してありえませんが・・・。
 2007/09/03 23:20  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


風が吹けば桶屋が儲かる
風が吹けば桶屋が儲かる。

有名な言葉です。
一見関係なさそうですが、実は因果関係があるんだと言う喩えのようなものでしょう。

最近密かに日本は変になってきたんじゃないかと危惧することが多くなってきました。
日本に帰ってきて色んなニュースを耳にしたとき、日本のことを聞いたときなどに感じることです。

日本の高校生に「偉くなりたいか」というアンケート調査の結果、「強くそう思う」と答えたのはわずか8%だったそうです。
その他の国の結果は、『中国34.4%、韓国22.9%、米22.3%』だそうです。
このアンケート結果についての様々な意見反応に関しては、他のブログにも沢山あるため私自身は割愛します。

ここ数年日本の学校のことで、ある種奇妙な感覚を覚えたのが、運動会での『かけっこ』です。
競技を行っても順位を着けないようになって来ているとの事です。順位を着けることが色々問題があるからというのが理由だそうです。
また、個人情報ということから、学校での連絡網がなくなりつつあるか、既に廃止されていると言うことです。
住所や電話番号を共有することが個人情報を保護する観点から外れることが理由です。
ひどい場合は、生徒同士がお互いの家に遊びに行くことで住居などが分かるために、遊びに行くこと来られる事を制限する父兄が存在するそうです。

競争をやめたり、生徒たちの連絡先を教えあわないのは、子供たちに平等で公正な教育機会の提供を行い、安全で快適な教育環境を作り上げるのが目的なのでしょう。

学校では『愛の鞭』などを振るう豪傑先生は過去の遺物となり、生徒やPTA、教育委員会など全てに満足してもらえるよう頑張る今の先生方は新スーパーマンです。

そんな子供たちが目指す将来は、あまり偉くなりたくないというものです。
偉くなりたくない理由は、『責任が重くなる』からだそうです。

教育の現場で一体何が正解で何が間違っているのかを、冷静に判断できなくなって来ているような気がしてなりません。

少し前ですが、愛知県で立て篭もり銃撃事件がありましたよね。
その事件で玄関前で警察官が撃たれたまま5時間以上も救出されませんでした。
幹部が救出の為の判断をしなかったことで、『不作為』ではないのかとの批判を浴びかねない状態でした。
警察幹部にもし救出決断に責任ある決定が出来なかったためにこのような事態になったのだとしたら、本当に問題だと思います。

教育現場で、このまま『偉くなりたくない』『責任が重いのは嫌だ』という子供たちが増えれば、どうなるのでしょうか。
重要な場面で決断できない幹部、責任回避をしようとする責任者、競争しようとしない部下、積極性の無い社員・・・・。こんな会社すぐ潰れてしまうか、不正を起こすかでしょうね。

先のアンケート調査の中で他国と際立って異なるものがいくつかあります。以下は、『とてもそう思う』と答えた比率です。

〔問い〕いまやっている勉強に打ち込みたい
〔答え〕日本=19.6、アメリカ=53.1、中国=50.1、韓国=22.7

〔問い〕暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていける
〔答え〕日本=42.9、アメリカ=13.8、中国=17.8、韓国=21.6

〔問い〕自分の会社や店を作りたい
〔答え〕日本=14.2、アメリカ=27.8、中国=37.0、韓国=31.7

〔問い〕あなたはどのような仕事を希望しますか
 上位3位までを列挙すると、
 日本   1位:その他 2位:営業・販売・サービス職 3位:小中高校の教師
 アメリカ  1位:医師  2位:美術家・デザイナー   3位:プロのスポーツ選手や歌手俳優
 中国   1位:会社企業の経営・管理職 2位:政府機関の公務員 3位:弁護士裁判官などの法律家
 韓国   1位:小中高校の教師 2位:会社企業の経営・管理職 3位:美術家・デザイナー
日本の高校生の特徴が垣間見られます。
中国や韓国、台湾などのアジア圏の若者は、上昇志向が強く、独立志向の高い人が多いような気がします。
そんな人たちと付き合ってみると圧倒されるぐらいのエネルギーを感じます。
それが引いては国家のエネルギーになっているのではないかと思います。

日本では、夢の無い子供たちを育てようとしているのではないかと、勘ぐってしまいます。
楽をして遊んで暮らせるほど世の中甘くないと思うのですが、今の教育現場ではそんな競争原理を教えずに済まそうとしているように感じてしまいます。


風が吹けば桶屋が儲かりますが、かけっこ競争をしなくなると警察官の命が危なくなる?
最近日本の国家としての若々しさやバイタリティを感じないのは私だけなのでしょうか?
 2007/06/22 00:16  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


北京での憂鬱
北京に出張に行ってきました。

仕事柄上海などへの商業都市に行くことは多いのですが、北京は比較的少ない。
北京も首都であり大都市なのですが、商業都市というより政治都市の性格が強いため関係先も少ない。

2008年の来年には北京オリンピックも開催されるとあり、急ピッチで開発が進められてきている。
ここ数年は町のいたるところで新しいビルが建てられたり、交通インフラの整備が進んでいます。

泊まったホテルは天安門から近い王府井というところです。
北京は広くて商業施設が点在していると言った感じを受けます。
ここの王府井や西単などは商業施設が集中しているところですが、上海や香港、東京などとは趣を異にしています。
王府井を歩いていると、王府井の名前の由来になったと言われている『井戸』の遺構があります。歩行街の中に突然あるのでつい見逃しそうです。


夜、ホテルの近くで食事をしようと思い、ぶらぶらと食事できそうなところを歩いていると、観光客相手なのでしょうか屋台街がありました。ほぼ200mぐらいの中に色々と食べるものを扱う屋台が並んでいます。
ハルピンでもよく食べる羊肉串、北京名物の坦々面、各種焼き物などなど沢山の種類のものが売られていました。
ここで晩飯の代わりもいいかなと思い、何か食べてみることにしました。
こういったB級グルメは案外好きで、ゲテモノ以外はよく食べたりします。
観光地らしく欧米系の人、台湾からと思われる旅行者、香港人らしき人で賑わっています。


まず羊肉串を食べてみることにしました。羊以外に牛肉、駝鳥などもありました。
焼き上がりお金を渡そうとすると、1本10元と言います。
『え・・?』看板には5元と書いてあったのです。ハルピンなどでは通常1本1元が通常です。ここでは、北京だし、肉の塊がけっこう大きかったので高めなのは仕方ないかなと思いながら注文したのですが、10元の請求。
『おかしい!5元と書いてあるじゃないですか!』と抗議するとあっさり5元になりました。おそらく外国人と足元を見たのでしょう。まったく失礼です。

ところがその後また嫌な目にあいました。
別の屋台で坦々面を発見。
『坦々面5元』と書いてあります。
私が注文しようかと覗き込んでいると、そこの販売員が私を見て『小日本人来了』と隣の同僚に言いました。その販売員が、拙い日本語で『安い安い、坦々面食べるか』と勧めます。私はちょっといやな気分だったのですが、頼むことにしました。
面を茹でてるときに屋台で扱っている串焼きの具材の野菜などを入れないかと勧めます。
そこで、油菜と豆腐皮を入れてもらいました。
坦々面が出来上がり値段を聞くと、
親父『35元』
私『・・・・・・(怒)』
そこまで中国語が分からない振りをしていたのですがもう黙ってはいられません。
『なんで、5元の坦々面に2種類の具を入れただけで35元になるんだ!』
清算用に100元渡していて、抗議を受けて販売員がつり銭をくれます。
『この野菜は15元だから』と言いながら『朝鮮冷麺15元』と言うところを指差します。とんでもない詐欺商法野郎。
つり銭を見ると45元しかありません。ごまかす様に細かい金で渡してきています。ここでまた怒りが爆発。『値段もごまかしているし、つり銭もごまかしているじゃないか』と抗議しました。
このやり取りをとなりで見ていた台湾人もわたしの助っ人に参加。
『具材は3元〜8元となっていますよ、それに野菜は朝鮮冷麺ではない。騙してはいけない。云々〜・・・・』

そんな訳で最後は15元になりましたが、まったく観光客相手だと見下しごまかそうとするその商法にはあきれ果てました。

助け船を出してくれた台湾人も呆れ顔。

来年北京オリンピックのために、北京政府はイメージアップのためにいろんな政策を始めています。
痰を吐いてはいけない、吐けば罰金。公共の場所ではきちんと並びましょう、毎月11の日は行列の日にしてマナーの啓蒙。タクシー運転手へのマナーアップなどいろんなイメージアップキャンペーンをやって努力しているようです。

しかし、観光の現場ではまだまだこんなことも見受けられる。
私のこの体験は氷山の一角でしょう。
ここは首都北京。中国を代表する都市です。
都市開発でどんどん綺麗になってきています。
海外からも批判の多い低いマナーへの対応も本気になって取り組んでいる北京ですが、まだ暫くは時間が掛かるようです。
 2007/05/10 07:16  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


似非日本語教2
似非日本語教師の話第2弾。

以前から我が社のスタッフに日本語を教えているということを以前のブログに書きましたが、この日本語教室も半年が経ちました。
この3月までハルピンで教鞭をとっておられたM山老師のアドバイスなどで、細々と続けていましたが、第1クールが一旦終了いたします。
当初20名の生徒でスタートしました。

途中一人が早々2ヶ月ぐらいで脱落。
勤務終了後に開講しているので、残業がある者や家庭で用事があるなどいろんな理由で授業に出られないといった者もいました。最後までついて来たのは6人ぐらいまで減りました。
この最後までついて来たのは、やはり優秀でした。
教師のようなことをしたのは、大学時代に家庭教師でやったぐらいです。

教師として教壇に立つというのは、ある意味快感でしたし、ちょっと勉強にもなりました。
講義をしていて教壇からは生徒の顔がよく見えるのです。
顔が見えるというのは、一つの喩えですが、生徒の授業への意欲とか関心度がよくわかるのです。
こう書くと、プロの教師の方に叱られそうですが、生徒とのキャッチボールでその手ごたえがわかるような感じでした。

話を目を向けて聞いているもの、あらぬ方向を見てほかの事を考えているもの、退屈そうなもの、いろいろでした。
この子はなかなかいいぞなんて思っていた子が、やはり残りました。
ああ、この子は上司に言われてなんとなく参加しているかな、それとも冷やかしかな、なんて思っていた子は途中リタイヤでした。

週2回の90分授業なので、半年やったからといって日本語がしゃべれるまでには至りませんでした。(教師の質のせいか・・・・)
出来るのはせいぜい簡単な自己紹介、挨拶程度でしょうか。
また、必要に駆られている訳でもないのでしょうか、予習復習もやっているようには感じませんでしたが、それにしてはまあまあだったでしょうか。

とりあえずは当初の1クールが終了ですが、次第2クールをどうするかは決めていません。
生徒の熱烈な希望があればやろうかなと考えている程度です。
社内の自主参加のような教室なので、強制するものでもなんでもありません。
わたし自身も完全なボランティアのようなものなので、やるならやる気のある人、興味のある人たちに続けてやりたいなと考えています。

日本語を習うことで、少しでも日本に興味を持ってもらい、親しみを持ってもらえばいいと思っています。
授業も最近は、テキストから脱線して日本の文化や習慣などを紹介したり、テキストにはない流行言葉なんかをしゃべったりしています。
むしろそっちの方が生徒は面白がって聞いてくれたような気がします。
また、私自身日本語を教える中で、日本語を再認識し、日本語の勉強にもなり、さらに中国語の勉強にもなったかと思います。
言語ってほんと難しいですよね。
何気なく喋ってはいますが、本当に教えられるレベルになるには相当な勉強が必要だと思います。

私自身中国語を習ったのは、台湾でした。
まず台湾と大陸の大きな違いは、発音記号です。
台湾では大陸のようなアルファベットによる『ピンイン』を使わず、俗に言う『ボポモフォ』(カタカナにすると正確な発音ではありません)を使って習いました。


この記号は注音記号といいますが、ピンインより合理的な気がします。
中国の発音記号を英語のアルファベットで表すのは若干無理があるような気がします。たとえば『Chi』の発音ですが、最後の子音『i』ですがどう聞いても『u』にしか聞こえません。カタカナで表現すると『ツ』の発音に聞こえますが『チ』と表現されています。これは私の聴力の問題なのでしょうか?(わかりません・・・)

話がずれましたが、最近元教師の方の話を聞き、教師と言うものを再認識しました。
知識を教えることは勿論、広義の教育するということも含まれ、それ以外にもたくさんやることがあるということです。
たとえば国語の先生は国語の授業だけに専念できません。生徒の生活指導から進学指導、PTAなどへの対応、学校運営への責任など多岐に渡ります。
ハルピンで日本教師をしておられる先生がしみじみとおっしゃっていました。
『教科を教えるという事だけに専念できるのは本当に幸せです。』と。

いま、日本では教育改革が叫ばれ教育基本法改正などをやっています。
よく考えれば、一人の先生にこんなにたくさんの多岐に渡る内容を押し付けた教育現場では、お互い満足な結果は生まれにくいのではないでしょうか。
民間企業のように専門部署で分業し、より効率的な業務が出来るようには出来ないのでしょうか。
財務は財務部に、営業は営業部に、サービスはサービス部に、企画は企画部に・・といったように、教育現場も、各教科は専門の先生に、それ以外の生徒の生活面や道徳教育、情操教育などは分離、学校運営そのものも現場の先生から切り離して負担を軽減してはどうなのでしょうか。
教科を教えながら生徒のメンタル部分までの守備範囲は広く、その上PTAへの対応、学校運営、課外活動や生徒指導など仕事が満載の感じですね。
真剣に教育現場の改革を考えてほしいと思います。

私のほうは単に社内で日本語を教えているぐらいです、愚痴っては罰が当たります。
日本の先生、加油!
 2007/05/07 17:15  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


ハルピン日本人会
ハルピンもだんだんと春真っ盛りの状態です。

ハルピンにも少ない日本人がささやかながらコミュニティーを作っています。
ハルピンの大学にお勤めの日本語教師の方を中心に作られたコミュニティーですが、ハルピンに留学中の方、私のようにハルピンで働いている者、その他で集まっています。
ハルピンに在住の日本人すべてが参加している訳ではないのですが、大体30人ぐらいが集まっているようです。

今月この集まりがあり、わたしもお誘いを受け行ってきました。
前回参加した時は、冬のさなかで結構寒かったのですが、今回は気持ちいいぐらいの気候です。
その時のメンバーからこの春に帰国し抜けた方もいらっしゃいます。
また、今回新たに参加された方もいらっしゃいます。
主には留学生のメンバーが新たに参加されました。

ハルピンは気候的には寒く、北京や上海などと比較してもマイナーですが、中国語を習うには非常にいい環境のようです。
大きな理由としては、ハルピンの中国語(普通話)が非常にきれいで標準に近いということです。
聞くところによると、中国国営放送の中央電視台(中央テレビ局)のアナウンサーなどの多くがハルピン出身だそうです。
北京で話す北京語は舌巻き発音が強く、我々外国人には聞き取りにくいところがあります。
日本で例えれば、標準語と東京弁のようなものでしょうか。
北京で喋っているからと言って、標準発音ではないということです。

また、ハルピンは地方都市ではありますが、そんなに遅れた田舎ではありません。
そこそこの都会です。日本人が暮らすにしてもそんなに大きなカルチャーショックはないと思われます。
あと、留学生活の費用が安く済むということもあげられます。
住居も一部屋月額500元〜700元(7500円〜10,000円ぐらい)で住む事も出来ます。
留学生の寮も完備しているところが多く、環境的にも悪くありません。
もちろん、日本同等の生活と言う訳にはいきませんが、みなさん概ね満足されているようです。
食事も安くすみます。
学生食堂などでは、10元(150円)までで充分です。3元〜5元で普通に食べられるものもたくさんあります。
街中の食堂でも20元も出せば結構食べられます。
贅沢したければ、ハルピンにも高級レストランが山ほどあるので、たまにそこへ出かけてみるのもいいでしょう。

適度に田舎で適度に都会。物価も高くなく、発音もきれいなハルピンです。
大都会のように遊びの誘惑も少ないので、勉学にいそしむには非常にいい環境ではないでしょうか。
ハルピンの方々の性格も素直で温厚な方が多い感じです。
まあ、ハルピン女性は個性的な、どちらかと言うと強いと感じるような性格です。
しかし、ハルピンは全国的にも有名な美人の産地とされています。
それを楽しみに来られるのもいいかもしれませんが・・・・。

そんなハルピンにもっと日本人が来られてもいいと思うのです。
この日本人会でも、たまに集まるのが楽しみで、いろんな年齢層の集まりですが、情報交換などが出来て面白いです。

R工大学のTさんに誘われて、日曜日にはソフトボールにも行ってきました。
昨年にも参加させていただきましたが、たまにスポーツで汗をかくのもいいものです。
ただし、翌日には筋肉痛であちらこちら痛かったのですが・・・。


日本人ばかりで集まって閉鎖的な社会を作るのは感心しませんが、異国の地で知り合い、人の輪を広げ、互いに情報を交換することはとても有益なことかと思います。

袖摺りあうも多少の縁。楽しいハルピン生活にしたいと思います。

 2007/04/24 23:35  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


タイムカプセル
暫くぶりに日本に帰っていたのですが、田舎にも帰りました。

その間日本は春満開で、まだ寒いハルピンとはまた別の趣です。
ハルピンは、極端に言えば半年は冬のような感じです。
日本は四季の区別がはっきりしていて、いろんな所で季節を感じる事が出来ます。
日本中で春になれば、「さくら」と言うキーワードで賑わいます。
八百屋やスーパーには春の食材が並びます。
食べ物の中にも春という季節感を意識したものがたくさん出てきます。

四季を大事にする日本人の意識と言うものを日本に帰って新たに感じる事が出来ます。
日本人は意識するとしないとにかかわらず、『時間と言う概念』を常に持っている民族のような気がします。
時間を大切にする意識が強い民族ではないでしょうか。

あるワールドジョークで、会議に遅れない日本人のことを皮肉ったものがありましたが、とにかく世界でも時間に正確なのは有名です。
確かに日本以外のアジア圏では時間にルーズと言うかおおらかと言うか、時間を守るという観念には差があります。
ここハルピンでも、約束の時間に来ない理由で一番よく耳にするのが「塞車!(車が混んでた)」です。
なぜかこの一言で回りはみんな納得したように突っ込まないのは不思議です。
1時間あまり遅れて、「車が混んでた」の言い訳は、私だけ胸の中で、『それを見越して出ろよな』なんて突っ込んでいます。

時間とか季節感とかに敏感な日本人ですが、アジアで暮らすのが長くなるとそんな感覚がだんだんと薄れてきたようにも思います。
な訳で、たまに日本に帰るとそんな感覚がとても新鮮に感じたりします。
時間をを大切にするという日本人の感覚は忘れてはいけないと思ってしまいます。

田舎に帰ってゆっくりしている時に、懐かしい家の中を整理しました。
高校卒業までこの実家で育ちましたが、それから随分と月日が流れています。
中学校時代には郵便切手を集めたりしていました。
その収集切手集を久しぶりに見つけました。
趣味週間切手や東海道五十三次シリーズ、国宝シリーズなんかの切手をコツコツと少ない小遣いで買い集めていました。
また、記念コインや古い紙幣も集めていましたが、そのコレクションも発見。
昭和初期の大きな穴なしの50円硬貨や、5円玉もあります。
中学高校時代に集めたものなので、たいしたものではありません。でも、今の自分にとっても大切な宝物です。

小学校時代の卒業文集や当時の学校新聞まで出てきました。
犯罪者になれば、この文集が週刊誌なんかにでるんやろうななどと、冗談を言いながら見直していました。

まるで、タイムマシンに乗って昔に返ったようでした。
実家は私のタイムカプセルでした。

現在過去未来、いろんな時間の流れがあります。
ハルピンでもそうですが、今の中国は非常な速さで発展しています。
かつて日本が高度成長時代でいっぱい失ったものがありますが、中国でも似たような状況のような気がします。
時と言うものを大切に、古きよきものを失わない気持ちを持っていきたいと感じています。

 2007/04/22 23:28  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


親父の1周忌
昨年に親父を亡くしてから1年が経った。

1周忌(親父はクリスチャンだったため、1周年祭か)のために帰国していました。
教会での1周年祭は、仏教式に比べると極めて質素で簡単なものであるように思いました。

私自身はクリスチャンではなく、かといって仏教徒でもなく、無信仰の典型のような日本人です。
正月には神社へ初詣、京都の浄土宗の寺で手を合わせ、福井の永平寺で禅を組んだこともあり、学生時代はミッション系の大学だったため朝のチャペルに参加し聖歌を歌ったりしていました。
台湾では台北の行安宮などといったお宮へ参拝、成都では道教のお廟へ参拝、タイではアユタヤの寺院へ参拝、ソウルでは曹渓寺へ拝観に行き、ハルピンでは極楽寺へ初詣に行きました・・・・。
旅行守りには真言宗のお寺で買ったものを持っていますし、車の交通安全守りは生田神社のものを使っています。

信仰に対しては深く考えたこともなく、友人知人で○○経を信仰しているとか、××経に入信しているとかはありましたが、1歩下がって見ていました。
信仰や宗教への個人的な感想は、自分の生き方や道徳観に対しどう向かい合うべきかを宗教を通じて感じ取っていくもの、もしくは現世や来世への期待感や方向性を宗教によって救済してもらうようなものなんだろうと考えていました。
だから、宗教によっては奇跡や超常現象などが強調されるものには引いてしまいます。
来世があるかないかなどは、証明できるわけはないので、信じるか信じないかは個人の差だと思っています。
信じると言うことは自分と向き合うことで、他人に強制するようなものではないと考えています。

宗教が元で戦争や争い殺人、またイスラム経のようにジハードなどが起きる事自体が想像の域を超えています。
宗教を信じること自体は何の反対も反感もありませんが、宗教を守るために戦いや争いが起きるのは本末転倒ではないかと思ってしまいます。
自分が信じていれば、非難されようが否定されようが良いじゃないですか、信じるものこそ救われる、信じない者や他宗教の者なんか気にしないでいいじゃないんですか?

信仰の深い方がこの文章を見ると、それは違う間違った考え方だとか、これだから無知なんだとか思われるでしょうか。

今回親父の1周年祭は、教会で執り行われました。
神の下へと召された親父は、天国で今幸せに過ごしているのでしょうか。
現世を生きる私は、今だに色んな雑事の中で右往左往しているだけです。

仏教式の四十九日やら1周忌など、また宗派による細かな約束事などのない簡素なキリスト教での1周年祭は私にとっては新鮮でした。
私たち遺族が集まり故人を偲んで祈りを捧げるのに、形式はあまり関係ないような気もしていたので、今回の式典は物足りないと思う反面、素直に受け入れられたような気がします。


親父の墓を建立しなくてはと、昨年墓地を購入しました。
墓石を建てるにあたり、デザインなども石材屋さんと相談しました。
仏式の縦長の伝統的な墓ではなく、横長でモダンな洋風のデザインにしようと相談しています。お墓の様式は宗教などに拘らないシンプルな感じにしたいと思っています。
ただし、故人の想い出を残すために、墓石に花を彫りいれたり、記念のモニュメントを設置してもいいかなと計画しています。
表現は悪いかもしれませんが、このお墓建立を楽しんでやってみようと思っています。
親父が喜んでくれるようなものにしたいと願います。
 2007/04/20 23:22  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


新潟空港
ハルピンと日本を結ぶ直行便は二つあります。

一つはハルピン−新潟空港間、もう一つはハルピン−関西空港間です。
新潟便は週に4便あり比較的便利なのですが、関空便は週2回なので時間が合うかどうかは微妙です。

今回の帰国は往復とも新潟便を利用しました。
私は神戸が家なので、新潟からは乗換えで大阪の伊丹空港まで行く必要があります。
これも伊丹便はそこそこあるのでまだ便利なほうでしょうが、乗換えの待ち時間などがあり、関空便に比べるとめんどくさい感じです。

新潟空港は小振りな空港ですが、きれいな空港です。
ただ難点を挙げるとすれば、
1、国際便の中のデュティーフリーショップがしょぼい。
2、入国時の税関検査がやや厳しい。(でもこれは当たり前か)
3、銀行の通常業務がなく、両替業務だけである。
4、ここも他の空港と同じように、だんだん喫煙スペースが制限されてきた。
5、出国時の税関がかなり厳しい。(う〜む、これも当たり前か)

などであろうか。
これは、あくまで私個人の感想である。
反対にいい点は、
1、3階の蕎麦屋がおいしい。
2、2階のお土産やが結構地元のいいものが揃っている。今回は限定でしたが、越の寒梅を売っていた。ここでは私もよく新潟土産を買います。

ハルピンに帰るために新潟空港に着いて、国内線ゲートを出るとなにやらロビーのほうが賑わっていました。
新潟空港の1階中央は広くロビーになっているのですが、そこで何かイベントをやっていました。
たくさんの人でいっぱいです。
見ると、そこで芸妓さんの踊りを披露しているではありませんか。
ブロガーの端くれである私も、この機会にと前のほうに行って見学させてもらうことにしました。
どうやら、新潟古町の芸妓さんのイベントのようです。
詳しくは分かりませんが、新潟のキャンペーンか何かの一環だったのでしょう。

踊りが終わってから記念撮影をさせて貰える様だったので、取らせてもらうようお願いしました。何枚か写真を撮っていたら、一緒に撮りませんかと言われました。
『ここで断る手は無い、遠慮なんかしていたら一生後悔する』と、お言葉に甘えさせてい抱きました。
同じように回りの方々も記念写真を撮っていました。


若干困ったチャンは、空港内には私と同じようにハルピンへ向かう中国の方がいたのですが、並ぶこともせず遠慮なく割り込んで写真を撮ろうとしていたことです。
言葉が分からないのもあるでしょうが、われもわれもと順番を無視していたのはまったく困ったチャンでした。

何はともあれ、なんとなく得をした気分でハルピンに帰ることが出来ました。
あと、芸妓さんの千社札もお土産にもらいました。
『古町 桃子』、『古町 琴絵』、『古町 あやめ』、『古町 梅香』、『古町 八重』と書いています。

新潟空港も結構やるじゃない!
 2007/04/16 23:15  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


送別の三月
3月から4月にかけては、日本では年度替わりです。

ハルピンでもこの数年に幾人かの人たちを見送ってきた。
今年の3月は、ハルピンで大変親しくさせていただいた方をお見送りすることになった。

中国は日本と違い3月で年度が終わる事は無く、学校なども4月から始まる事はない。アメリカなどと同じように、学校は9月始まりです。
この3月で年度が終わり4月から年度が始まる日本の習慣はある意味合理的であるような気もします。
4月にはサクラが入学式を彩り(今年は暖冬でちょっとずれましたが)、春が1年の始まりと言うのと非常にマッチしている。企業も12月で年度を終わりとすると、忙しい年末に財務の締めを行なうことになり、殺人的に忙しくなるでしょう。

ハルピンの3月は日本風の感覚から言えば真冬のような気温ですが、それでもかすかに春の到来を予感させるものがあり、何となくホッとします。

この度ハルピンの生活を終え日本に帰ることになった方は、日本語教師で尽力してきた「老師」さん、黒龍江省への派遣公務員として来ていた「ハンゾー」さん、民間ですがハルピンの大学で日本語教師をしてこられた「マリアンヌ」さんや「エヌ島」さん、また留学生として兼遠大のフラワーショップの顧問の「エフティエン」小姐、新潟のIT企業から派遣されていた「××」さんなどなど。

ハルピンに在住する数少ない日本人と親しく交流していた中国の方たちと送別会なるものも開いたりしました。
送別会ではちょっと張り切ってハルピンでも高級なお店で行ないました。
最近ハルピンでも流行の「川菜=四川料理」のお店です。


3月は卒業式や人事異動が多く、何となく別れの季節やけじめのようなイメージです。
4月は逆に入学式、入社式があるので、出会いやスタートの季節のようなイメージです。

今回はお見送りばかりをして、寂しい思いをしました。
日本に帰られた方々はまた日本で新しい生活を始められる方、以前の生活に戻られる方などですが、ハルピンでの生活が楽しかったと思っていただければと思います。
色んな想い出がハルピンにあった事と思います。
海外での生活は全ていい想い出だったとは言えない事もあったでしょう。
それでもいい経験になったと、帰国してから思えるようになるのではないでしょうか。
これからの皆様のご活躍と、ご健康をお祈りします。

今日、上海からハルピンに帰って来ましたが、暖かかった上海と違い、ハルピンは大雪。飛行機のダイヤも大乱れでした。
本格的な春はもう少し先のようです。
 2007/04/01 02:28  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


雲南・麗江旅遊V
雲南の旅も最終日になります。

今回の旅は5日間だけの短いスケジュールしか立てられなかったため、本来は行きたかった所も割愛しています。
雲南は、麗江など以外にも素敵な所が沢山あるようです。
例えば、石林、、大理、景洪(西双版納)などがそうです。

日程的に我々が選んだのは、昆明です。
昆明は雲南の省都でもあり、ハルピンに帰るにも便利なため1泊を予定しました。
1999年にここで世界花博が開かれた所です。
ある方のメルマガで、昆明でのホテル勤務を通じての苦労話などで、寿命が10年縮んだという内容のものでしたが、とても面白くて興味がありました。

昆明は省都で市の中心はとても賑やかな所でした。
ホテルにチェックインを済ませたあと、すぐに雲南民族村という所に向う事にしました。
中国の観光案内で紹介されていたので、先ずはそこに行ってから他の寺院などを見るつもりでした。
しかし、そこの民族村は想像以上に大きく、結局夕方近くまでそこで過ごす事になりました。

雲南省には25の少数民族があるそうです。
この民族村の中には、納西族、白族、壮族、ダイ族(人偏に泰)、哈尼族、蔵族、イ族、など約15の民族の住居や生活が再現され見学できるようになっています。それぞれの民族の方による歌や踊りの出し物もやっていたりします。
場内には引き続き建設中のところもあり、将来は25の民族村が全て揃うとの説明でした。


場内がかなり広いため、私たちはまず食事を済ませて、ガイド付きで回る事にしました。
食事は場内の民族風味食品館という所でとりました。雲南特産の「過橋米線」です。熱いスープと米線や色んな具材が別々に出てきます。それを服務員が目の前で混ぜてくれたのをいただきます。具材は値段によって種類が変わるようです。

食事を終え入り口近くでガイドを頼みますが、その詰め所には各少数民族の衣装を着たガイドが沢山待機しています。私たちは、白族出身のガイドさんを頼み園内を回る事にしました。
園内では、像のショーが見たり、各民族村のポイントを案内してくれます。
ガイドは普通語での案内ですが、とても分かりやすい発音でさして苦もなく理解できました。普通語を普段の会話手段としてない者同士なので、返って分かりやすい面があるようです。


ダイ族の村では、そのショーの最後に民族の結婚式の新朗役をさせて貰い、皆で民族ダンスを踊ったりもしました。
雲南はベトナム、チベットとも近いためかその生活様式などは、中国と言うより東南アジア風の雰囲気が色濃く漂っています。
納西族の言葉で「こんにちわ」は、「アララレ」、白族は「ノチョ」と発音するのだと教わりました。中国語とは全く違います。
白族の村では中国茶を飲ませていただき、白族が作るという「石頭茶」という茶葉を買いました。雲南ではプアール茶が有名ですが、このお茶は烏龍茶の1種のようです。茶葉の発酵度で異なるようです。石頭茶は見かけが小石のように丸めたものなので付けられたようです。プアール茶よりはあっさりと飲みやすい味です。


3時間余りを園内で過ごし、市内に戻り歩行街を散策。夜の食事は小吃街のそばにあるしゃれたレストランで取りました。四川風の料理はなかなか味わえない物で、ハルピンでの四川料理とはまた一味違うものでした。
豚肉を薄切りにしたものを洗濯物を干すようにぶら下げたものは、絶品ですよ。

最終日はこのように更けていきました。

昆明から帰る飛行場で白族のキーホルダー型人形を一つ買い求めました。
民族村でのガイドさんが白族だったため、記念として買いました。

今回の雲南旅行はスケジュールがタイトだったためそんなに沢山のところが回れず、若干残念でした。次回もまた来る時はゆっくりと滞在し出来れば少数民族の方たちとも交流できるような旅がしたいと思いました。
 2007/03/19 21:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


雲南・麗江旅遊U
麗江の3日目の朝です。

今日は、麗江の町を離れて『虎跳峡』という所へ出かけた。
麗江からは車で2時間半前後、玉龍雪山と哈巴雪山の間に位置する、『世界最大級の渓谷』です。
金沙江がその間を流れ、その高低差が3900mと言われる大渓谷です。
この河に手前が麗江で、川向こうが有名な『香格里拉(シャングリラ)』です。

この虎跳峡の途中、ニセ香格里拉のような名前の『香格里』にて休憩した。シャングリラではなく、シャングリ。『ら』抜き言葉ですな。
シャングリラ(Shangri-la)とは、元々イギリスの作家、ジェームズ・ヒルトンの小説「失われた地平線」に描かれた仏教徒の理想郷であるシャンバラ(中国チベット地区)をモデルにして描かれたユートピアの名前であるが、中国でこの名前を使うにあたり、相当な綱引きが行なわれた結果、雲南のここがシャングリラの名前をゲットしたそうです。香格里拉(シャングリラ)の地名を使う以前は『廸慶』という地名だったそうです。
名前のことはともかく、ここから眺める景色も絶景でした。

『虎跳峡』へ着いた我々は、渓谷沿いの遊歩道を歩く事にしました。
写真を撮ったり景色を堪能したりで、片道小一時間ぐらい歩きました。復路は人力車を利用して帰ってきました。そのお陰で早いし楽チン。

大理石を含む白い岩肌の大渓谷は見所があり、飽きさせる事はありません。推量の多い雨季ではなかったので、渓流の流れはたいした物ではありませんでした。しかし、水の色が青ではなく、絵具で付けたような緑なのは何故だったのでしょう?
『虎跳峡』見学後は、納西族のやっているところで晩めの昼食。
素朴な店で、野菜料理・豆腐料理をいただきました。空気もうまいし食事もうまい。

『虎跳峡』を後にし、今度はガイドブックにも紹介されていた『長江第一湾』へ向いました。
金沙江がUの字に湾曲したところで、時期がよければボートに乗って遊覧『漂流』することも出来ます。我々は寒かった事もあり、パス。
そこは石堤と言う町ですが、そこにある民族資料館のようなところを見学。
少数民族演奏をやってくれたりもしましたが、昨日だけでも2回見たので若干感動度は低めで・・・・。

麗江の伝統的な家屋は、日本のように瓦葺なのですが、ちょっと気になる事を発見。一つは瓦を葺くのに屋根の骨組みの上に直接置く様にしてしているため、下から見上げると瓦の裏側が丸見えなこと。実に簡単な屋根の作りです。
もう一つは、屋根の軒先に特徴的な装飾がしてある事。この特徴的な飾りは、『魚』の形をしています。これは、中国語の『年年有余(年々余りがある=余裕がある)』『余』の発音が『魚』と似ているので、魚を飾ると縁起がいいとされていることに由来しているそうです。
写真を参考にしてください。


石堤を後にして麗江の町に戻り、まだ見てない古城を散策する事にしました。
雲南はハルピンよりかなり西にあるにもかかわらず時差も無いため、遅くまで日が暮れません。その代わり朝は7時でも暗かったが。
そんな訳で、麗江の町を高台から眺めようと万古楼のある獅子山を目指しました。途中迷ったりしましたが、町並みを見下ろせる絶好の場所を見つけ、夕闇の迫る麗江の屋根瓦の撮影に成功しました。
この景色は絶対見るべきですね。


暗くなりかけた街の中心部に戻り、今日も納西族料理を頂きました。
納西風鍋料理です。ビールも麗江の地ビールを頼みましたが、味は非常に淡白です。ホップの利いたビールが好きな人には物足りないかも知れませんね。
個人的にはハルピンビールが一番おいしいとおもいますが・・・。

明日はいよいよ最終日です。あさ早くに宿を出て昆明に向います。
ではまた。
 2007/03/15 23:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


雲南・麗江旅遊T
中国の旧正月明けに休暇を利用して、雲南に行って来ました。

この旅はハルピン異職朋友でもあるM山老師とのいわゆるやじきた道中です。
昨年、高倉健主演の『単騎千里を走る』という映画を見てから、ぜひ行きたいと思っていた所です。
ハルピン→北京→昆明→麗江と、2度の乗り換えを経て麗江へ到着しました。
朝6時に家を出て、麗江の宿屋に着いたのは夜7時半過ぎでした。
麗江での宿泊は、ミクシー繋がりで『文太』氏がこの2月にオープンさせたばかりのゲストハウスです。完全オープンではなかったのですが、ご好意で宿泊させていただきました。
納西族の伝統的な家屋を改造して宿泊施設にしている、情緒溢れるゲストハウスです。
その夜は、文太氏とそのスタッフ達とこれまた麗江の地元料理を一緒に食べに行きました。


食べた後は、夜の麗江の街、『古城』をぶらぶら見て回りました。
ここは1997年にユネスコの世界文化遺産に指定されていて、『四方街』と呼ばれる周辺エリアを中心に石畳の小道が網の目のように広がるなかで、納西族独特の2〜3階建ての古い家屋が密集しています。
お土産屋、食べ物屋などが無数に軒を並べています。
古城の中心には、古い建物をそのまま利用したバー(パブっぽい)が路地を挟んで並んでいる所があり、沢山の人で賑わっています。
当地では有名な「SAKURAYA(櫻花屋)」にも立ち寄り、歌や踊りで賑わう店内での一時も過ごしました。


翌日早朝、まだ静かな麗江の町を散歩がてらぶらぶら、途中納西族のおじさんがやっている小さなお店で「米線」を注文。おじさんの勧める「永勝油茶」と言うものを飲みました。味は甘いのと塩辛いのがあるとのことで、塩味を頼みましたが、2口3口で止めてしまいました。インドのチャイに似た飲み物です。

2日目は、麗江の見所の1つである「玉龍雪山」「束河古鎮」「拉市海」に行く事にしました。
玉龍雪山は、麗江からも望める標高5596mを誇る山です。頂には万年雪を頂いた名山です。玉龍雪山を間近に望める所まで行き、写真撮影。

その雪山の麓にある納西族の記念公園のようなところを見学しました。
納西族のガイドさんは驚いた事に日本語が少し喋れる方でした。必死に喋ろうとする彼女には頭が下がります。
納西族は麗江を中心とした地域に住む少数民族。
納西族には、「東巴文字」と呼ばれる象形文字を持っている。東巴(トンパ)は、納西族の祭司=和尚たちを指す言葉だそうです。東巴経という仏教に似た宗教を信仰しており、その東巴経の神の絵や像を見学しました。
その際に、その納族の東巴紙に東巴経の宗教絵が描かれたものを購入しました。東巴の神は自然と一体になったものだそうで、虎と牛が守護神のように寺院の両側に置かれています。
納族の宗教文化は一種独特の発展をしてきたようです。

「束河古鎮」も納西族の古い家屋などの集まる所です。
四方街よりも素朴なまだ観光用に毒されてない感じがあります。
そこで、我々は雲南名産のプーアール茶を飲みながら午後の一服を楽しみました。その風情ある御茶屋では何かドラマの撮影が行なわれたとこらしく、写真で紹介されていました。


次は「拉市海」という所です。ここは湖がありそのほとりで乗馬が出来るとのことでした。あまり時間が無かったのですが、我々は1時間半ぐらい乗馬を楽しんできました。湖には水鳥や鶴(?)が沢山いて、夕方だったので少し幻想的な風景でした。

夜、麗江の古城に帰ってきた我々は、夜の部に突入。
納西族の古楽器による演奏が聴ける『納西古楽会』と言うものに行ってきました。80歳を超えるようなお爺さん達を含む音楽隊の奏でる納西音楽を2時間ぐらい楽しみました。納西族の方は長寿の方が多いようです。

音楽会を聞き終え外に出ると、もう10時近くになっています。四方街のパブ街は相変わらず賑やかそうですが、我々は文太さんの宿へ向い、そのゲストハウスのお客さんも含めて深夜まで喋っていたりしました。
明日行く所などの情報なども仕入れ、3日目に備えて就寝。

麗江の夜はけっこう冷えます。日中は20度を越えていたのに夜は暖房が要るぐらい気温が下がります。
そんなわけで、明日から3日目に突入です。
この続きはまた次回。
 2007/03/05 15:56  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


舞林大会(新年会)
中華圏が旧暦(農暦)で動いている事は人口に膾炙されていることでしょうか。

年末ともなれば日本と同じように、色々と慌しくなってくる。
今年の春節は2月28日なので、西暦から言うとかなり遅めである。

そんな中で我が百貨店の新年会のようなイベントが催されました。
『晩会』と言われていますが、毎年従業員の福利厚生の一貫として行なわれています。
今年のテーマは『舞林大会』と言い、ダンスや踊りを主題にして行なわれまし
た。因みに昨年は歌を中心にしてPK(勝ち抜き)をやりました。

このイベントのために数週間前から各部署でチームが組まれ、練習を行なってきました。個人参加もあるため全部で40近くのエントリーでした。
本番を前にこの中から本戦に進めるために、予選会も行なわれました。
審査員はハルピンの舞踏学校の教師やメディアの方々を招いての本格的な予選会です。

私は去年は審査員の一人として見ていればよかったのですが、今年はスタッフから無理やりの参加を頼まれました。
私はスーパーマーケットのグループに入り、『手絹舞』という東北秧歌(東北地方を中心に熱心に踊られている民族的な踊り)の一種をやる事になりました。
厚手のハンカチ大の布にビーズで丸い同心円上の模様をつけた物を両手に持ち、それを指の上でクルクル回したり、バトンのように左右で回転させたり、高度なものは片手でその布を縦回転させたりします。


予選会では見事練習の成果もあり、本戦出場権を勝ち取りました。
(実は私は忙しくて3回ぐらいしか練習に参加していません・・・・。)

この晩会はM山老師の滞在するホテルの横にあるホールを借り切って行なわれました。この晩会には約5百名近くの従業員が集まりました。

その日上海へ出張だったので晩会には遅れて参加。私達の出し物は夜10時ぐらいに行なわれました。
各チームの熱演や幹部による抽選会、プロのダンサーによる本格的なダンスなどを全て終えたのは12時近くでした。
ダンスの最終表彰では、我がチームは残念ながら最優秀賞には届きませんでしたが、ベスト10の中には入りトロフィーをゲットしていました。


社内の催事なのですが、顔パスでM山老師にも鑑賞していただきました。
私は踊りに参加はしましたが、踊りの衣装がこっぱずかしい感じのものでした。スタッフはカッコイイなどと囃します。
内心ほんまかいな?と思いながら、これも経験だわとそのこっぱずかしい衣装で踊りました。

まあ、社員や派遣の方々も喜んで見て頂き、去年よりは退屈しなかったプログラムだったので、とっても良かったんじゃないかと思います。

日本にいた頃、労動組合の主催でこのような大掛かりな社員慰労会を行なったという記憶があります。
また台湾でも『尾牙』と呼ばれる大忘年会も日本人スタッフとして東京音頭を踊ったりしたこともあります。
高度成長期の中国では、今の日本ではやれないこんなイベントが可能です。

私にとって嬉しいのは、酒を飲んで愚痴をこぼしたり、内輪で会社の悪口を言うだけのような日本式忘年会はこりごりなので、こんな楽しい仕事の疲れが取れる様な忘年会(新年会)が新鮮なことです。
 2007/02/14 18:27  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


ハルピン道外区、古玩街
ハルピンの骨董街のことを以前にブログで書いたことがあります。

またまた最近その骨董品街に出かけてきた。
特に目的は無かったのですが、何かいいものがあればいいかな程度で出かけました。
ハルピン在住のM山老師、ハンゾー氏とつるんで行ってきました。
ハルピンの道外区と言う所は、ハルピンでは古くに発展した所です。かつてはハルピンの繁華街として栄えていました。
もちろん今でもたくさんの人が住み、大小様々な店が集まっている所もあり、繁華街を形成している所もある。
ただし、新しい街作りという観点からは少し取り残された感じがあり、いわゆる下町風情の残る町並みである。


そんな訳であたりには古い建物がまだ多く残っているため、非常に興味深いスポットである。
日本人が住んでいたというアパートの跡や、歴史を感じさせる建物が点在し、カメラに収めるのもいい感じである。

目的の骨董街はそんな中にあり、小さな店舗が1階から3階までたくさん入っている。
今日は零下10度以上はあるためか、外の露天売りは少なく、屋内の3階の空きスペースに十数軒が店を広げていました。感じは日本で見かけるフリーマーケットのように、敷物を広げた上に様々な骨董品らしきものを展示しています。


冷やかし半分で見ていましたが、その中で気を引いたのは古いポスターです。
以前にも上海で買った事がありますが、恐らく1920〜30年頃の上海などを中心にした租界時代に作成されたものと思われます。
日本で言えば昭和初期のポスターでしょうか。

何軒かでポスターを扱っていましたが、なるべく質がいいものを探してその中で気に入ったものを交渉しました。
その店の主人はお決まりのように、これは貴重なものなので一切負けられない、などと粘っていました。こっちも負けずに希望値段を言い続けました。
徐々に下がり始め、最後は私の粘り勝ち。こっちの言い値で落札しました。
中国で買物するのは、こんな値段交渉が当たり前なので、これを面白いと感じるか、面倒くさいと感じるかは個人の意見が分かれる所でしょうか。


ハンゾー氏は、古い自転車の前照灯のようなものをゲットしていました。
以前に買った中国郵局専用自転車に合わせるつもりなのでしょう。
(中国の郵便屋さんの緑色の自転車です)

骨董街の近くで麻辛面などを食べ、近くの古い町並みや建築を見て周り、写真撮影などを楽しみました。


この骨董街には固定的に店を構えている人と、外地から行商のように売りに来ている人たちで構成されているようです。
行商の方と話してみると、黒龍江省の中のチチハルから来た人、内モンゴルから来た人がいました。
また、麻辛面を食べていた店では、その店の奥にある旅館に逗留して商売を行なっている方にも声を掛けられました。
彼らは遥か西安から来たみたいで、主に陶器類や玉器などを扱っていました。
あいにくその分野は興味が無かったので、我々も少し拝見しただけで、失礼しました。
今度来る時は、チベットや敦煌あたりの絵画などがあれば紹介してくれるそうです。

それが、本物で本当なら楽しみですが・・・。

 2007/02/04 09:49  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


銀行カード紛失の難儀
中国で困る事は、色々あると思われます。
その中で、我々外国人が直面する事の中で身分証明のことがあります。

中国や台湾、香港などでは日本と違い皆さんIDカード(身分証)を持っています。日本ではこのようなIDカードは無く、免許証などが身分証の代わりになります。免許証がないと、それに代わるものを用意する必要がありますね。
住民基本台帳によるもの(住基カード)、パスポートなどで、写真入のもので代用するのが一般的でしょうか。

海外ではもちろんパスポートです。

中国では建前常備携帯が義務つけられています。
私もなるべくは携帯するようにはしていますが、このパスポートは海外では非常に重要で、盗まれたり紛失するとけっこう面倒なので正直携帯したくはありません。

最近私は10年有効の期限が切れるため当たらしいパスポートに更新しました。
その新しくしたパスポートのためにけっこう面倒くさいことに直面したのです。

ドンくさいことに銀行系カード(キャッシュカード)を不注意から紛失しました。こちらの銀行カードは6桁パスワードのため日本よりセキュリティは高いほうなので、無くしたことにさしてあわてず銀行に届けをしました。しかしながら、使われないようにするためと再発行のため銀行に行って本人が手続きをしなければなりません。
そこで銀行に行き手続きを行なおうとしたのですが、ここで問題になったのが新しいパスポートです。
以前カードを作った時のパスポートと新しいパスポートのパスポート番号が異なるため、銀行側がこれでは手続きが出来ないとの返事
そんな馬鹿な!本人確認はこれで出来るじゃないですか!

中国では写真より身分証番号が重視されるようです。
そう言えばこっちの中国人の身分証を見ても、中学校ぐらいに撮った写真で身分証を作り何年も使っています。身分証番号は一生変わらないそうです。
中国では結婚しても性が変わらないため身分証自体も変わりません。
身分証番号・パスポート番号は非常に重要です。
各種カードを作る際には必ず身分証番号が必要です。

窓口で若干もめましたが、古いパスポートを持ってくる事でどうかと提案。そうして下さいとの事だったので、出直しました。
しかし今度の銀行係りは、古いパスポートに『VOID(破棄)』となっているのを見て「これは無効パスポートなので本人確認が出来ません」とキッパリ。
『じゃあ、一体どうすればいいのだ!』

一緒に行ってもらった会社の中国人スタッフの助けを借りて、窓口係りや銀行のおえらいさんも含めてすったもんだしました。
銀行でも始めての外国人のこういったケースだったらしく、銀行の経理も本行の電話をかけたりして協議していました。

結局は公安の証明を貰って下さいとのことで、すごすごと退散しました。
会社から公安の知り合いに伝えてもらうと至極簡単に証明書が貰えました。この辺は個人ではちょっとシンドイかもしれませんね。

そんな訳で、銀行のほうはその後、紛失カード凍結(取り消しではなかった?)手続きと、新しいカードの発行が出来ました。


そんな経験をした後、パスポート紛失した方のお話を知ることがありました。
その方は、中国滞在中に結婚したため姓が変わりましたが、パスポートの切り替えをしていなかったのです。
そのパスポートを紛失したため再発行しなければいけないのですが、再発行は当然日本政府発行のため戸籍に基づき新しい姓になります。
その方も銀行カードも一緒に紛失したため、私と同じくえらい面倒な事になったそうです。
その方はパスポートが無いため、カード凍結も再発行も出来なくなってしまったのです。まして、姓が変わったパスポートでは新規再発行も至難の業になってしまったそうです。
そりゃそうです、中国では名前もパスポート番号も違えば本人とは認定しがたいですよね。
居留ビザの再発行にも相当な面倒な手続きがかかったそうです。

中国滞在の方で、結婚などで姓の変わる方新規パスポートに切り替えて古いパスポートで銀行などのカード類を発行した人、お気をつけ下さい。
パスポート・カード類を紛失などしなければ直面しない事態ですが・・・。

この注意事項は中国滞在のドンくさい方への忠告です。
 2007/01/29 22:57  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


ハルピンでお見合い
この原稿を今飛行機の中から書いています。
年末に休暇帰国のため、哈尓濱から大阪への飛行機に乗っています。
哈尓濱に関わらず中国は農暦での習慣が多いため、年末の雰囲気は全くありません。
この機内もガラガラで、30名ばかししか乗っていません。

そんな中で、日本の方Fさん(男性)と知り合いました。
50代後半ぐらいの方でしょうか。
中国語が出来ないようで、また海外旅行に慣れていないようで、税関のところで戸惑っていたので通訳代わりにお助けしました。

機内でお話をお聞きしたところ、哈尓濱でお見合いのために来たということです。
以前にも同じような日本の方にお会いしたことがありますが、今回少し違うのは個人で来ているということでした。
日本から中国のお嫁さんを探すにはやはり一般的には、結婚斡旋所を通じて高いお金を払ってお見合い・結婚へと進めるようです。
哈尓濱のことや諸事情が分からないので当然と言えば当然でしょうか。

そんなわけで、その方も結婚紹介所のようなもので来ているのかと思っていましたが、違うようです。
知り合いの紹介で哈尓濱でお見合いをやってくれると聞き、単身で哈尓濱に来て、哈尓濱の知り合いに連れられお見合いをしたそうです。
哈尓濱の仲介の方は日本語の出来る中国人で、その人が集めた結婚志望者数名とホテルで会い、その中の気に入った女性と単独でお話をするというものだそうです。
Fさんは、その中でも若くて気遣いが出来ていた女性が気に入り、来月には式をあげるつもりだとのことでした。
そのガイドの中国人には日本円で5万円を支払ったようです。
最初、その中国人のかたのことをガイドと呼んでいたので、単なる通訳で、紹介者は別にいるのかと勘違いしていたので、中3日ほどの滞在で5万円は高いですねとお答えしました。
しかしよく聞くとその中国の方が紹介者のようです。
それなら、5万円なら非常に良心的(?)なのではないでしょうか。

よく聞く紹介所では、紹介から結婚で150万〜200万、相手方への結納金やら結婚にかかる費用負担、嫁さんの渡航費など、もろもろで300万〜500万と、日本で結婚式を挙げるのとさして変わらない費用が必要です。

この個人での斡旋はそれと比べるとべらぼうに安い気がします。
もちろん個人紹介なので色んな面での保障やフォローはないかもしれません。
また、中国国内法では国際結婚の仲介は禁止されているため、もしかしたら違法なのかもしれません。それなので、知らぬが仏とは言え、けっこう危ない橋を渡らされているのかもしれません。

中国のことをあまり知らないようで、お話していても少し心配な点もありましたが、話の中でふと感じることがありました。
私が中国で経験したり感じたりしたことはあくまで私個人としてのもので、決して普遍的なものではありません。別の方は別の方でもっと違った経験・感想があるはずです。
だからFさんがあまりにも嬉しそうで、無防備だったのですが、苦言や忠言は言えませんでした。
新しい奥さんのビザ取得が苦労するかもしれませんとか、中国での中国式結婚式の心得などをお話したぐらいです。
私の中国観を押し付けるのはよくないのではないかと考えたのです。
まっさらな状態から新しい奥さんを迎え、色々苦労もあるかもしれませんが、偏見なしでスタートしてもらいたいなと思ってしまったのです。

来月(来年か)にはもう1度来中して結婚式を挙げるそうです。
今回1度帰国して準備を整えてまた来るつもりなのです。

年末のガラガラの飛行機の中で、幸せそうに語るFさんと話し込んでしまいました。
また、ハルピンでお会いできることがあるかもしれませんね。
 2006/12/25 00:51  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


年の瀬、事故の顛末!
2006年も気がつけば残りわずかになってきました。
ネット上でも「今年の出来事」なんかの記事を見ると、ああもう年末なんだと実感させられたりします。

皆さんの今年1年は如何だったのでしょうか?
中華社会にいると、年末と言う感覚が薄くなってきます。
百貨店業にいたので、12月は年末商戦だとか歳暮ギフトの掻きいれ時だとか、クリスマスの準備などとかで、いやでも年末の雰囲気を味あわされました。

そんな年末の最中なのですが、事故ってしまいました

その日、ハルピンの日本人仲間から、知り合いのOさんがバーを開店する事になったのでみんなでお祝いしに行きませんかとお誘いがあった。

『引フ吧』と書いて『Engine bar』と言います。
ハルピン在住の日本人仲間が集まって、開店のお祝いをしました。
私とM山老師、ハンゾー夫妻と出かけ、開店イベントを楽しんできました。

Engine barを後にして、私の車で帰途に着き、ハンゾー夫妻を送りM山老師の送り、そのホテルの出口を左折しようとした時です。
ご存知のように中国は右側走行なので、右から来る車に注意し、交差点の真ん中を過ぎたあたりで右を見ました。
その交差点は信号のない交差点です。
その時に前方からの車もあったのでやり過ごそうとその車を待ちました。
その時です、右から猛スピードで突っ込んでくる車が見えました。
私の車の手前5メートルぐらいで急ブレーキをかけて右に切れながら私の車の右前方に衝突しました。
かなりのスピードだったので、ぶつかりながら今度は左にスピンして今度は私の車の左前方バンパーに衝突しました。

わたしは運転席で他人事のようにその始終を眺めていました。
あたり具合がよかったのかほとんど衝撃も感じませんでしたが、見るところ相手の車の運転席ドアはけっこうへこんでいました。


車を降りると相手の方もものすごい勢いで降りてきました。
運転手は中年の女性で、助手席には男性でした。
二人とも中国語でガンガンまくし立てます。
『お前が悪い、責任は100%お前にあるだろ!対不対!』
外人である私は分が悪いので、会社の担当者の応援を電話しました。
M山老師にも電話するとすぐに駆けつけてくれました。

中国語は分かるのですが、中国語でケンカは難しすぎると判断し、ほとんど中国語が出来ない振りをしていました。
応援が駆けつけ、公安に電話をし現場検証が始まりました。
公安も日本の警察と同じでメジャーで色んな所を測ったりとけっこう真面目に仕事してましたね。

夜の10時前だったので外は零下20度近くです。私もM山老師も応援隊も震えながら見ていました。
検証が終わると公安にまで一緒に来いとのこと。
中国で初めてになる公安での事情聴取を受ける事になりました。

近くの公安署(交通大隊)に向かい約2時間ばかり、相手の方も含め喧々諤々の応酬をやってきました。
私は中国語が出来ない振りを続けていたのですが、絶対譲らない中国人同志が話し合うのですからまとまるわけがありません。
公安の人も最後のほうは相手のわめき続けるおばさんに苛立ち、かなり怒っていた感じです。
大体の流れは相手のおばさんがスピードを出しすぎていた(スリップ痕が5.8メートル=公安調べ)ためと、公安の心象が悪いのか我々側にはいい雰囲気で進んだ感じです。
ただ、公安の結論はお互いの事故責任は50:50と言う事になりました。
と言うことで、お互いの保険で処理してくださいというお達しです。

おばさんとの示談書に保険処理の事が記載されたのですが、最後におばさんがその1文に保険金で修理費がオーバーした分は相手払いと書いたものだから、またまた紛糾しだしました。
日本なら1時間ぐらいで済みそうな内容だったのですが、2時間あまりを公安の取調室で過ごしてしまいました。

私の車はバンパーの交換ぐらいで済みそうですが、相手の車はドアがかなりへこんでいるためおそらくドア交換になるでしょう。
おばさんは『廃車だ〜!新車は全部お前が保障しろ!この車で通勤しているのでその間の代車もお前が用意しろ!』などと恐ろしく高い要求でしたが、結局はお互いがお互いの保険で処理する事に。これも最後は公安が『公安の決定に不服の時は法院に行って下さい。そうなるとあなたが困りますよ』ときつい言葉で黙らせていました。

こんな形で年の瀬を迎えるようになりましたが、大過なかったことでよしとするか。
中国公安での体験も、別の形で経験するのはいやですが、これならまだマシかと自分で慰めています。
厳寒の夜に駆けつけてくれたM山老師にも感謝いたします。
初めての事故で、初めての公安経験でしたが、以外にも緊張してなかったのが不思議です。
みんなも事故には気をつけましょう、と言っても中国では限界がありますが・・・。
 2006/12/20 23:25  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


北海道
ハルピンも随分寒くなってきた。
そんな中で、寒いハルピンから寒い北海道へ出張へ行ってきた。

ハルピンから新潟空港へ、そこで乗り換えて新千歳空港へ、朝8時に家を出て札幌に着いたのは夕方の5時半ぐらいでした。
新千歳空港には道庁のKさんが迎えに来てくれていました。
長旅の疲れを取りましょうと、札幌の近くの『ていねの湯』という所に連れて行ってもらいました。そこでは食事やレクレーション施設が充実して、とても賑わっていました。

雪の札幌で温泉につかり、露天風呂でリフレッシュ。なんと極楽の時間でしょう。

翌日は北海道庁さんと札幌市の共同開催によるセミナーが開催されました。
このセミナーでは講師として、中国市場のことハルピンでの日本商品の状況などをテーマに講演しました。
今年の夏にハルピンで開催した北海道美食フェアーの結果や分析をもとに簡単な紹介などをさせていただきました。
この日の昼食では、札幌駅に出来た駅ビルの中にある『ラーメン共和国』に行きました。
札幌へ来ればやっぱりラーメンを食べたいじゃないですか。
ここには北海道の有名なラーメン屋がズラリと集められています。
昼時でたくさんの人がいたので、すいてる店にしようかとも思いましたが、いやいや、行列の出来ている店にしようと、一番たくさん並んでいる店にしました。
『函館麺厨房 あじさい』と言う店が一番混んでいたのでそこにしました。
ここは塩ラーメンが売りらしく、お勧めの一品でした。
あつあつの塩味のスープにしこしこの細めんが絶妙でした。
ここでもおいしいラーメンを食べて極楽極楽。


3日目は、北海道の企業の方との商談会です。
あさ9時から夕方5時半ぐらいまで、びっしりと北海道企業の方とお話させていただきました。
一社30分前後の時間のなかで、北海道の食品や商品をご紹介頂き、来年のハルピンでの北海道フェアーでの有益な商談をさせていただきました。
北海道企業のスケジューリングの労をとっていただいた道庁経済部のKさんには感謝です。この場を借りて再度お礼申し上げます。

夜は、道庁のTさん始め国際部の方々のお誘いで夜のすすきのへ繰り出しました。
『すすきの』の名前の由来は知りませんが、『すすきの』の歓楽街としての名前は関西でも知らない人はないでしょう。
北海道の冬の味覚がたっぷり詰まった鍋料理をご馳走になりました。
鍋を囲みサッポロビールを飲んで楽しいひと時で、またまた極楽極楽です。
その後2次会へと繰り出し、『すすきの』の、とある飲み屋に飛び込みで入りました。
そこのママさんはなんと中国の瀋陽出身です。Tさんも中国語が堪能だったので中国語での会話で盛り上がりました。
そこで、ママさんの知っている店で、瀋陽出身の調理人がいる中華料理屋では中国東北料理が食べられるとの話。
メニューには載っていない『麻辛湯』が食べられるのだそうです。
Tさんたちも乗りのりで、ぜひそこへ行こうということになり、みんなで食べに行く事になりました。
その店で、メニューに載っていない『麻辛湯』や『東北家常菜』などを賞味し、ここでも極楽極楽です。

気がつけば午前3時です。
明日も仕事があるのに、まったく懲りない私たちでした。

夜の(いやもう朝か?)のすすきのを後にすることにしました。
すすきのの夜は、見上げればビルの壁面に大きな風俗店の看板が堂々と出ていました。
さすが、日本でも有数の歓楽街です。

札幌の人はなんと幸せなんでしょう。
北海道の大自然に、豊富な味覚の山あり、温泉あり、歓楽街ありと、うらやましい限りです。
ここに遠大の支店が出来れば、ぜひとも志願したいものです。
 2006/12/19 08:18  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


花の女神FROLE
『La FLORE』という名前の花屋があります。

ネタをばらせば、これは遠大のB1に開店したフラワーショップです。
この『FLORE』は、フランス語でローマ神話のフローラと言う花の女神の名前です。
http://www.ydgw.cn/second/ShowNews_1.asp?Id=122714
中国語表記で『芙洛拉』と書きます。

名前を決めるのだけでもいろいろありましたが、最終的にはこれに決まりました。当初『FLORA』と言う名前(英語)の案でしたが、これは既に中国で登記されていたためにフランス語表記にし、中国語表記も『芙羅拉』が使われていたため、『芙洛拉』になりました。

この花屋は遠大の自営ショップです。
全て自社社員で運営をしていきます。

実はこの花屋には強力な助っ人がいます。
日本の京都から来た、F小姐です。(小姐と書いたけど日本人ですよ!)
Fさんは京都の某T百貨店のフラワーショップで働いていました。
ハルピンには中国語を勉強するために来ていました。
縁あってこのFLOREを手伝ってもらう事になりました。

彼女の助言や意見で開店する事が出来ました。
彼女がいなければ花屋の経験も無い我々は、ハルピンでのローカル花屋と同じようなものしかオープンできなかったかもしれません。

花束の作り方や、フラワーバスケットの作り方などは、彼女の指導で日本式です。
中国ハルピンと日本ではやり方や感覚も違うみたいです。
日本の細やかな心使いが感じられるのは、その包装の仕方だけでも相当違う事などでしょうか。
花束を作って、茎の根元に脱脂綿状のもので水分を補給させてあげる事なども、ハルピンではしていなかったようです。
また、透明のセロハンで花を傷めないように包んであげるのが日本のやり方ですが、ハルピンでは花束の花の長さより短めの長さで直接包装紙を巻きつけているのです。
F小姐曰く、それでは花が持っている間に傷むので日本では『絶対ありえな〜い』そうです。

何かと、聞けばなるほどと思う事がたくさんあります。

オープンにあたり、備品や什器など日本では当たり前に手に入るものが、こちらでは非常に入手が困難でした。
似たものがあっても品質の悪さで、彼女のお目にかかれば不合格です。
中国に来て日の浅い彼女にとっては、こんな事ですらストレスの元になったでしょう。

さらに、まだ困っているのは、花を保管する『キーパー』と呼ばれる花の冷蔵庫です。
11度前後で低温と湿度を管理する花専用の冷蔵庫が中国では入手困難でした。
あるよと言われて、紹介されたものは単に箱にエアコンを取りつけたようなものだったり、湿度調整機能が無かったりと、微妙に不満足なものが多かったのです。
花屋はオープンしましたが、いまだに『キーパー』は設置されていません。
キーパーが無いため、切り花の保管が常温のため日持ちがせず、ロスの原因になります。
何とか努力しているのですが、イジイジ状態です。難しく言えば、『隔靴掻痒』です。

こんな時日本がいかに便利かを知らされるのです。
日本人の職人気質のかゆい所まで手が届き、痒くないのにカキカキしてくれるようなことはここではなかなか味わえません。

余談ですが、中国語で『痒い』は、『かゆい』と『くすぐったい』の両方の意味で使います。
かゆいときには掻いて欲しいですが、くすぐったい時には掻いてもらうともっとくすぐったくて『やめてくれー、こそばいがな』となります。
まさに、いまのハルピンでの花屋オープン準備の時の状態です。
(なんのこっちゃ分からんと、思うでしょうが、隔靴掻痒の気持ちなのです)

話が横道にそれてしまいました。

F小姐が花屋のローカルスタッフと作ったフラワーバスケットの写真を公開します。
F小姐『やめてくれー、こんなん載せたらはずかいいやんか。もっと納得いくもんを作ってからにして〜』
と言っていましたが、納得がいくものを作れる状態を待ってたら日が暮れる(いや、年が明ける)ので、載せてしまいます。

F小姐すみませんです。
 
 2006/11/18 01:38  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


百貨店戦争