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ピエール・ベルジェが亡くなりました
ピエール・ベルジェが本日86才で、彼の信念通り、自宅で息をひきとったそうです。
フランスのファッション業界にとって、大きな存在を失い、一つの時代が終わったような気がします。
ピエール・ベルジェは、イヴ・サンローランのパートナーとして50年間彼と生活を共にし、彼のマネージャーであり、精神的な支えでもありました。それだけでなく、様々なメセナ活動を活発に行い、2001年には美術とカルチャーの偉大なパトロンと呼ばれるようになりました。






彼は最初から金持ちだったわけではなく、18才で文筆家又はジャーナリストを志してパリに出てきて、ジャンコクトー、カミユ、サルトルなどと親交を深めながら、オリジナル出版を売る本屋をオープンしたのです。

イヴ・サンローランとの出会いは、1958年、サンローランがディオールのデザイナーとして注目を集め始めた頃で、その時彼は画家のベルナール・ビュッフェと8年間一緒に暮らして、彼のキャリアをマネージしていました。

その後、一緒に暮らすようになった2人は1962年に、メゾン・イヴ・サンローランを創立しました。そして、2002年にサンローランが引退するまで、2人はクリエーションとマネージメントの役割分担で、多くの苦難を乗り越えてきたのです。

その間、2人は美術に情熱を傾け、少しづつ買い集めた作品で素晴らしいコレクションを作り上げたのです。
サンローランが亡くなった翌年、ピエール・ベルジェはこのコレクションすべてをオークションで売りに出しました。これは世紀のオークションと呼ばれ、3億7500万ユーロの売り上げをあげたのです。

彼は、モード組合(Chambre syndicale de la mode)の会長を長年勤め、フランス・モード・協会(IFM)を1986年に設立するなど、ファッション業界に大きな功績を残しました。

一方、ジャーナリズムでは、1990年にCoiurrier Internationalという雑誌、その5年後にゲイの雑誌、Tetuを創刊し、2010年には新聞のLe Mondeの株主にもなりました。

政治に関しても、自分の考えをはっきり表明し、ミッテラン、シラクから、今年の大統領選挙のマクロンまで、自分の支持を明確にしてきました。

今年の10月には、イヴサンローランをベースに、彼のフランス文化に残した社会的な重要性の集積として、パリとマラケッシュに二つの美術館がオープンします。

知れば知るほど、偉大な才能が又一つ去っていきました。
合掌。

08/09/2017




 2017/09/09 04:28  この記事のURL  /  コメント(0)

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プロフィール
朝比奈理恵子

ARS代表

パリ在住。1985年フランス法人ミリビス設立。フランスと日本のビジネス仲介役として、バイイング、双方のマーケット進出などのアシスタンス、コーディネーションを手掛ける。2013年にミリビスを清算して新会社アルス設立。パリにおける日本企業オペレーションの手助けと同時に日本のファッションビジネスグローバル化推進をめざしている。

1990年設立のミリビスジャパンでは、パリサロン出展コーディネートや、薬事法ライセンスによるフランスからの香水やコスメ関連の輸入も手掛けている。2005年より木馬フランス社長。

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